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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアと日本との関わりVenezia e Giappone(1)

ヴェネツィアに行った時、下掲の写真の本『Le prospettive di Venezia――Dipinte da Canaletto e Incise da Antonio Visentini』(Dario Succi 著、Grafiche Vianello srl/Vianello Libri刊)を見付け、購入しました。それは18世紀の画家カナレット(本名Giovanni Antonio Canal、1697.10.07ヴェネツィア~1768.04.19ヴェネツィア)が描いたヴェネツィアの都市景観画(Veduta)を、アントーニオ・ヴィゼンティーニ(1688.11.21ヴェネツィア~1782.06.26ヴェネツィア)が、彼に協力してエッチングに食刻した版画の本です。
ヴィゼンティーニについての本カナレットの描いたヴェネツィアのヴェドゥータは、この街のスーヴニールとして魅力があり、高価ではあっても、人々の人気は高かったと思われます。そんな中で写真のまだなかった時代、現代の絵葉書的感覚でより求め易い形の腐食銅版画(acquaforte)というモノクロ版画がヴィゼンティーニの手で実現し、売り出されたようです。

前掲書によりますと、1742年に第一集(14点)、第二集(12点)、第三集(12点)の3集を発刊しています。第一・ニ集は大運河を通して見た景観画、第三集は広場を通して見たそれです。解説者はやはり第一集が一番力がこもっており、刻線が濃密で、第二・三集となるに従い、描線は単純化を目指している、としています。ヴィゼンティーニはカナレットの色の世界、光と影、明と暗、水と空等をどんな刻線と白地の空間で表現するか苦労したようです。

彼は自分の本で《Professor di Pittura, Architettura, Prospettiva ed Intagliatore(絵画、建築、遠近法の教師そして彫版家)》と自分のことを言っており、事実アカデミー(アッカデーミア)で教師をしていました。建築の仕事が入り、カナレットの絵の食刻をやむを得ず中断せざるを得なかった時は、カナレット以上に悲しんだようです。

現在私達がヴェネツィアに行けば、彼の建築作品を目にすることが出来ます。
サンタ・ルチーア駅前からヴァポレット1番線に乗ってリアルト橋が次第に近付いて、左手にカ・ドーロの素晴らしい建物を目にしたら、この館の左隣に薄緑色の建物を見ることが出来ます。そのミアーニ・コレッティ・ジュスティ(Miani Colettei Giusti)館が彼の設計になる物だそうです。
ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館ミアーニ・チェレッティ・ジュスティ館、カ・ドーロ マンジッリ・ヴァルマラーナ・スミス館そのまま左岸に目を凝らして、サンタ・ソフィーア(S. Sofia)のトラゲット乗場を通過して、サンティ・アポーストリ(Ss. Apostoli)運河が見えると、その運河左岸端に白いマンジッリ・ヴァルマラーナ・スミス(Mangilli Valmarana Smith)館が、大運河に顔を向けています。カナレットの絵の収集家だったジョーゼフ・スミスが住んだ家で、この館もヴィゼンティーニによって改築されたとのことです。
[ここに掲載した写真の説明には建築家として、フェニーチェ劇場を建てたジャン・アントーニオ・セルヴァの名前を記していますが、彼が手掛けたのは最上階の増築のみだとか]

このヴィゼンティーニの銅版画集第二集の2番目に《Prospectus ab Sede S. Crucis ad P.P. Discalceatos》と題された《サンタ・クローチェ教会からスカルツィ教会に向かう都市景観画》と称される版画があります。
カナレットの元のスケッチ大運河とサンタ・クローチェ教会ヴィゼンティーニの[左は、カナレットが最初に描いたサンタ・クローチェ教会の見えるスケッチ(ウィンザー城蔵)、右はそれをカナレットが完成させた景観画(ヴェドゥータ)から、ヴィゼンティーニが版画に起こした物。]

これは現在では失われた景色です。右にある中心となるサンタ・クローチェ教会は《サンタ・クローチェ区》の名前の元となった教会ですが、1810年修道院と共に廃止されることとなり、民間の倉庫に転用されていましたが、それが崩れ落ちると市の公園となることになり、現在ではパパドーポリ公園となっています。このブログで以前に書きました記事Hotelを参考までに。

その先に、サン・シメオン・ピッコロ教会(昨年暮は修復中)があり、その丁度対岸にはサンタ・ルチーア教会がありましたが、鉄道駅建設用地に充てられることになり、聖ルキアの聖遺骨が近くのサン・ジェレミーア教会に移された後、サンタ・ルチーア国鉄駅建設のために1861年壊されてしまいました。

その直ぐ先のゴシック様式のスカルツィ教会は現在も健在ですが、スカルツィ橋が架橋され(1932年にEugenio Miozzi により)、そしてカナレットがこの絵のためのキャンバスを立てた辺りから対岸に新しくガラス製の《憲法橋(別称カラトラーヴァ橋)》が昨年の初めに架けられました。

更にヴェネツィアでは、観光バス等の駐車場のあるトロンケット島とローマ広場を結ぶ“moderno sistema di trasporto persone”の treno のための陸橋が、今年中の完成を目指して建設中(開業は来年2月とか)だそうですし、マルコ・ポーロ空港とアルセナーレを結ぶ地下トンネル(ムラーノ島経由)で人を運ぶ予定もあるとかで、この街の風景は少しずつ変わっていくようです。

ヴィゼンティーニの版画が、当時長崎の出島に渡来していたオランダ人の手で日本にもたらされ、そして歌川派の開祖であった浮世絵師歌川豊春(1735~1814)の前に現れました。豊春は明和期(1764~72)、遠近法の研究をしていたそうで、このカナレットの絵の版画を遠近法の勉強のために模写したようです。それを浮絵と呼ぶのだそうです。

ヴィゼンティーニの版画が1742年ヴェネツィアに現れてから、何年経って豊春のこの『浮繪 紅毛(ヲランダ)フランカイノ湊萬里鐘響圖』が日本に登場したのでしょうか。博物館の学芸員の方はこの題名の故なのか、ヴェネツィアを描いたものとは明言されませんが、明らかに日本人がヴェネツィアを描いた第一号だったと思われます。
『浮絵 紅毛(ヲランダ)フランカイノ湊鐘響図』これはアダチ版画研究所が当時の技法で復刻した物(販売もしています)ですが、かつての版画をご覧になりたい方は次のサイトをご覧下さい。歌川豊春。この浮絵は、東京国立博物館や神戸市立博物館等が所持していますが、常設展示はしていません。

ヴェネツィアX日本の範囲を広げ、イタリアX日本についても書いてみました。2010.02.06日のイタリアと日本との関係(1)です。
  1. 2009/10/24(土) 00:03:28|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:4
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コメント

ペッシェクルードさん、ついにやりましたね!!
これで記事の内容ももっとずっと深みを増しますね。写真がちょっと小さめかな、と最初思いましたが、画像ををクリックすると大きな画像が現れるので、あっと思いました。
それにしても、すごい数の写真を所有しているのではないですか? 出し惜しみしないで見せてください。
  1. 2009/10/24(土) 15:24:05 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

september さん、コメント有難うございます。
大分前、写真を載せたいという希望を話したことがありましたが、ようやくです。
絵の話を書いている時など、隔靴掻痒というより、実物の絵画は文字よりはるかに
説明上手、文章には不可能なものを伝えてくれると、改めて感じています。
私はヴェネツィアでも他の土地でも写真は全て妻任せで、これを撮っておいてと
頼むだけでした。今回も全て妻のお世話になりました。写真音痴というか、画痴と
でもいうのか丸で駄目です。これからも妻の写真から、ヴェネツィアを視覚化する
ことに努めていきたいと思っています。
  1. 2009/10/25(日) 12:40:34 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

奥さんと共作のブログだなんてさらに素晴らしいじゃないですか!
ブログを始められてからもう2年が経っているようですが、もっと早く写真が入っていたら、と残念です。馬力をかけて catch up して下さい。
  1. 2009/10/25(日) 15:32:44 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

september さん、激励有難うございます。
しかし私の限界は分かっております。あなたの写真のようにはいきません。しかし
ヴェネツィアに関して持っている資料で楽しくなるように、視覚的なものを
屈指したいと思います。私の文章と妻の写真をどう取り上げるか、難しいですが。
  1. 2009/10/25(日) 17:34:51 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(oppure Puntapietra)

Author:ペッシェクルード(oppure Puntapietra)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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