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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

令和元年

明日から令和時代です。平成19年に始めた私のブログも、今日が“平成”最後の日となりました。
日本国旗ヴェネツィア共和国国旗[日本国旗とヴェネツィア共和国国旗、サイトから借用]  ひと月ほど前、改正在外公館名称位置給与法が参院本会議で全会一致で可決されたため、例えば“カーボヴェルデ”は《カーボベルデ》と変更されることになったそうです。“ヴ”を使う国名が公式文書から完全に消えるということです。国名という地域名が変われば、必然的に都市等の地域名も変わるでしょう(既に変わったものは沢山あるでしょう、というか、外務省では既に、例えばベネチアなのだそうです)。

“ヴェネツィア共和国”という国名も、現在存在しない国名ですが、これなども《ベネツィア共和国》というより《べネチア共和国》となるのでしょう。更に進んで、通常の言葉も《ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ→バ、ビ、ブ、ベ、ボ》となるに違いありません。

一般用語として“ブ”は強制されるものではないそうですが、語学をする人は今後は、“LとR”のように、“BとV”の違いにも目を光らせなければならないでしょう。例えばイタリア語の berso(蔓棚)と verso(名詞、前置詞等沢山意味があります)のように、両方“ベルソ”だと混乱しがちです。また或いは、bavaglino(涎掛け)と beverino(鳥籠の水入れ)なども普通書かれる時は、“ババリーノ”と“ベベリーノ”と書かれるでしょう。紛らわしい言葉が色々ありそうです。

最近、かつて高校で習った“フランシスコ・ザビエル”が《シャヴィエル》と教科書等で書かれるようになったと聞きますが、スペインでは"B"と"V"は単なるスペル上の事で、両方とも発音上は"B"音なので、スペインには“ヴ”音はないと聞き及んでいました。“シャビエル”ではないのは、綴り字の"V"故でしょうか。或いは《シャヴィエル》の生れたカタルーニャでは、BとVの発音差があるのでしょうか? 私はヴェネツィアの第四の橋、スペインの建築家サンティアゴ・カラトラバ(サンチャゴと書くべきなのでしょう)氏の設計の《憲法橋》は、ヴェネツィアでは“カラトラーヴァ”橋と通称されると書きました。そういう気遣いをする必要がなくなったということです。

私のブログ、この《イタリア、とりわけヴェネツィア》も《イタリア、とりわけベネツィア》、というよりも《イタリア、とりわけベネチア》(ティ、ツィ→チ)としなければならないでしょう。“ヴェネツィア”派は消え去るのみと悟ったところです。
  1. 2019/04/30(火) 04:30:22|
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ヴェネツィアの現在: アッカデーミア橋修復

昨日のLa Nuova紙は、次のような事を伝えています。
アッカデーミア橋修復「 アッカデーミア橋、修復始まる。中央部は通行止め
――人の通行は脇の跨線橋となる――

市の時間予定計画に従い、アッカデーミア橋の修復作業が進行中である。公共事業評議会事務局は、橋下のアーチと足場の組み上げ後、木製の上張りを取り外し、橋内部の金属構造の浄化を始める事を周知させる。

明、2018年2月20日火曜日9時から、橋中央部の通行は禁じられ、脇の跨線橋の通行へと移行する。このやり方で、舗装面や階段、欄干の除去という、橋上部の工事が続行可能となる。 」

ヴェネツィア大運河に架かる4つの橋(リアルト橋1591年、2011.08.13記。スカルツィ橋1934年、2011.08.20記。アッカデーミア橋。憲法橋[カラトラーヴァとも]2008年、2014.09.23記)のうち、アッカデーミア橋は唯一木製だった(1986年金属支柱を導入し、補強しました)のです。木製の理由について、2010.04.17日のアッカデーミア橋で触れています。
  1. 2018/02/20(火) 12:25:06|
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ヴェネツィアの島: ラッザレット・ヴェッキオ

リード島に一番近く、ラッザレット・ヴェッキオ島があります。この島には元々、ナザレートの聖マリアが祀られていたそうですが、後名前が変化して、14世紀にはペスト患者を引き受ける場所となったようです。19世紀には軍の収容施設となったようですが、現在放置されたままのようです。今日のLa Nuova紙によれば、ラッザレット・ヴェッキオ島を再開発することを模索しているようです。
ラッザレット[写真はヌオーヴァ紙から」 「 ヴェネツィアのラッザレット・ヴェッキオ島、見捨てられていた島を見直す 
――ヴェネツィア映画祭で提示された映画は、過去を再照射する。しかしプロジェクトは歴史や考古学遺物について解説してくれる“センター”の意中にある――

蔓延るアカシアやイラクサの絨毯は、今でもアラビア文字までは覆い尽くしていなかった。中東との交易の証明である。その建物の縁側で、貴族のアルナルド・フズィナートは『ヴェネツィアの最後の時』という有名な詩を書いたし、聖母子のフレスコ画も崩れずに残っている。

ラッザレット・ヴェッキオとは世界初の伝染病隔離病院で、今でも人命擁護の施設であるが、経済的バックアップがないのである[辞書によれば、聖書の救癩聖者のLazzaroのLが、ヴェネツィアのSanta Maria di Nazaret(教会付属の病院)のNazaretのNとすり替わって出来た言葉だそうです]。

島は広く、2ヘクタールあり、建物は8000㎡ある。リード島からわずか70mであり、ラグビー広場に面しており、ホテル・エクチェルスィオールの水側玄関に通じる運河の前にある。今日この島はヴェネツィアのアルケオクルッブ(水クラブ)の好意と力添えに寄る。このクラブは国有のこの島の保全を任されているのである。

ヴェーネトの考古埋蔵文化財局やポーロ・ムゼアーレ局のプロジェクトは、ここやラッザレット・ヌオーヴォにヴェネツィアとその潟の歴史や考古文化財を研究展示するセンターを立ち上げるということであった。

新ヴェネツィア評議会は90年代にいくつかのきっかけを作った。その場所で2010年には着手される筈であったが、最終的に資金調達が不可能で、全てが無となった。……」
  1. 2017/08/06(日) 22:20:56|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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