イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのカーニヴァル

ヴェネツィアのカーニヴァルに行ってきました。この度は初めて家族全員での旅行でした。かつて夫婦だけで見物したカーニヴァル時代と少し様変わりしてきたのでしょうか? そんな印象を覚えました。1979年、現代のコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキ(中世、この名の貴族の若者グループが町を面白く、楽しくしたのだそうです)の人達が町興しのために始めたものが、こんな形で町に根付いたようです。

このグループの人達の催しを探して歩きましたが、ありませんでした。かつて『昔の展示室《バウータ》』というイヴェントを見たことがありました。通学した語学学校の向こうにドナートさんの本屋があり、演劇を見ないかと誘われました。学校の前にはグェリーノ・ロヴァートさんの仮面屋もあり、コンパニーアのグループ長のルーカ・コルフェラーイさん(『図説 ヴェネツィア――「水の都」歴史散歩』(中山悦子訳、河出書房新社、一九九六年一月二五日)の著者)等がイヴェントの協議をするNHKTVを見たことがありました。
[2011.02.12日のカーニヴァル(3)で触れました。] 

ドナートさんは引退されたようですし、ロヴァートさんの仮面屋さんも閉店し田舎に移られ、コンパニーアの人達の第一期の時代は終わったのかも知れません。そんな感じで仮装を見て回りました。フェニーチェ劇場修復に尽力されたロヴァートさんは、海水で消火したフェニーチェの塩抜き作業が大変だったと話されました。絵や彫刻等の修復に携わられました。

昨年のLa Nuova紙で読んだ、サン・ジェレミーア教会のキリスト像が、モロッコ人の回教徒により、腕を圧し折られた事件がありました。腕が接着され、正面に掲げられていました。教会の係の人にも、この像かと確認しました。そんな訳で、回教徒のテロを大変に恐れたカーニヴァルで、鞄などのチェックもあるということでしたが、そこまではありませんでした。
[事件を伝える2016.07.28日のLa Nuova紙]

ストラーダ・ヌオーヴォのかつて大学が使用していた“Teatro Italia”は華麗なスーパーに変貌していました。舞台正面、壁面や天井などの絵画がそのまま残され、華麗なスーパーマーケットです。
[2016.12.30日のLa Nuova(2)紙を参考までに]

カーニヴァル中、フェニーチェ劇場でプッチーニの『La Bohème』の公演がありました。娘達と一緒のこともあり、もしかして劇場に席が残っているかも、訊くだけは訊いてみようと尋ねると、僥倖なことに平土間席があり、楽しいオペラ鑑賞の一夜となりました。
仮面仮面2仮面3仮面・仮装の人達の写真は沢山の人達がブログアップされていることでしょう。
  1. 2017/03/02(木) 00:01:50|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィアのベファーナのレガッタ

2011.01.01日のブログ年中行事(1)で紹介しました、1月6日の《ベファーナのレガッタ》の模様が、《La Nuova紙で報道されています。
戦うベファーナ達「 ベファーナのレガッタそしてリアルトでお祭り
――ジョヴァンニ・ロッスィ“スペチェネ”が、レガッタの赤旗を勝ち取る、マスカレータ舟に超・盛装して――

ラグーナ(潟)で、酷寒の中での楽しいお祭り。即ち、競艇者達のmaranteghe(ヴェ語=ベファーナの複数)とscoe(ヴェ語=箒の複数(櫂のこと))であり、子供達はベファーナ(サンタさん)からの美味しい物の入った靴下を貰い、カラオケで歌った。

大運河では、ブチントーロ・ボート協会主催の第39回レガッタで5人のマランテゲ(ベファーナ達)が頭巾を被り、長いスカートと毛糸の靴下を履き、手漕ぎ舟競争をした。両岸には住民と旅行者のファンが詰め掛け、声援した。寒さに挑み、審判員の厳しい目の下、櫂の一漕ぎ一漕ぎで進んだ。審判員は伝説のボート漕ぎ、パルミーロとベーピ・フォンゲルだった。
[ベーピこと、ジュゼッペ・フォンゲルさんは東京オリンピック時、ボート漕ぎのイタリア代表の一人として来日された筈。]

“スペチェネ”と綽名され、裸足で青色のマスカレータ舟に乗るジョヴァンニ・ロッスィは、リアルト橋下のゴールに一番乗りし、赤い旗とAvisのシャツを得た。

子供達には大きなお祭りがあった。リアルトの古い魚市場“Pescheria Vecchia”で、“我がリアルト協会”が甘いお菓子類の入った靴下500足以上を配り、パネットーネやホット・チョコレートが振る舞われた。楽しいカラオケがあり、昔話の朗読に老若男女が楽しんだ。」
  1. 2017/01/07(土) 16:40:21|
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ヴェネツィアのレガータ・ストーリカ(歴史的レガッタ)

9月最初の日曜日には、恒例のレガータ・ストーリカがあります。昨日の新聞La Nuova紙は、次のような記事を掲載しています。
ルーディとイゴール「 レガータ・ストーリカ、ライヴァルなしのルーディXイゴール組、14回目の勝利、記録
――サンテラズモの従兄弟同士は、常に先頭を切った。一方、櫂漕の女王はアンナ・マーオXロミーナ・アルティットゥが9回目の勝利。6人漕はジュデッカ島の紫のカオルリーナ舟が写真判定で。若者組はマラゴーンXヴェッキアート組――

それは誰にもないこと。ルーディとイゴール・ヴィニョット組は終始、他を凌駕。青のゴンドリーノ舟はレガータ・ストーリカの歴史を作り、14回目の真紅の優勝旗を得た。2番手はベルトルディーニXヴィアネッロ組、アンジェリーンXバルザーギ組、オルティカXアッレグレット組と続いた。

《俺達はやった! ゴールに届かないと思われた。何年もその準備をしてきたが、その努力が報われた。》とイゴールは語る。肩にフラシ天布の小猿のワッペン。《2009年に娘が呉れたんだ。俺達はいつもうまくやってきたんだ。》ルーディは語る。……」
アンナとロミーナチームマラゴーンとヴェッキアート
最終戦のゴンドリーノ舟の戦いは、かつてその判定等で揉めたことが幾度かあり、市長さんが匙を投げたこともありましたが、今年度は勝利チームが終始リードを奪って優勝し、レガータ・ストーリカ史に奇麗な歴史を刻んだようです。
  1. 2016/09/06(火) 16:30:30|
  2. ヴェネツィアの行事
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レデントーレの花火大会

7月の第3土曜日の夜は恒例のレデントーレ祭礼前夜の花火大会でした。《La Nuova紙は次のような記事を載せています。
レデントーレ「 レデントーレ、夜空には2種の《三色旗》、そして静寂の中、ニースに対してヴェネツィアのオマージュ
――ニースの犠牲者追悼のため、予定は変更された。スペクタクルな花火、終わりには驚きがあった。夜空に描かれた〝ヴェネツィア″の文字、9万以上の観客と湾には1700艘の船。レガッタもあった――

イタリアとフランスの2つのトリコローレ(三色旗)が静寂の中、花火で夜空に描かれた。これは悲しみに沈む、国境のヴェンティミーリャからそんなに離れていない町、ニース(Nizza)の悲劇に対するヴェネツィア人の哀悼の意だった。そこでは人々は祭りのために海岸に集まっていた。花火のスペクタクルに集まった人々の所に殺戮の狂気が炸裂した。

こうして連帯の思いが始まった。レデントーレを中止する事は、狂気とテロへ敗北を意味するだろう。昨夜深夜前、花火は4分半中断された。夜空の〝三色旗″は、静寂の1分間花開いた。再開後、大喝采が起った。……」

ダッカでのテロで、伊人9人、日本人7人が殺され、ニースでは84人の犠牲者でした。islamici のテロリスト化していく層が拡大傾向が見える現在、かつてヴェネツィア共和国が islamici との戦いで、降伏すれば助けるの約束を破られ皆殺しに遭った歴史が幾つかあります。ヴェネツィア人は彼らを信頼していないでしょう、この祭り1日前からリベルタ橋前で大検問が敷かれ、警備に万全を期そうとする姿勢がヌオーヴァ紙からも感じられました。大群衆の中で爆弾を抱え、自爆ということも考えられます。無事に終わり meno male でした。

この祭りについての謂れ等については、2011.03.05日の年中行事(8)で触れました。
  1. 2016/07/17(日) 22:38:30|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィア、櫂漕船マラソン

今日のLa Nuova紙は、ヴェネツィアのヴォガロンガの模様を報道しています。
ヴォガロンガ「 ヴェネツィア、8000の操舵者でヴォガロンガの記録
――数日前から新登録は終了。カヤックからビッソーネまで1800艘。波を蹴散らすモーター船に反対して42年前に誕生――

ヴォガロンガ(櫂漕船マラソン)の記録だった。登録は締め切られたが、受け入れ続行の要望が続いた。櫂漕船によるマラソンはラグーナの限界、国としての限界も越えた。この数年の間に、何千という愛好者によって手漕ぎの〝クラシック″となってしまった。

日曜日サン・マルコ湾を通過する第42大会は、1800艘、8000の操舵者であった。初期の発想は多分少々ぼやけてしまった。1974年に生まれた、波を蹴散らすモーター船に対抗した上品な抗議であったものが、今や緊急事態となってしまった。

今やラグーナと、モーター船、大型船、大型観光、観光客満載のヴァポレットが共存不可能となっている。しかしヴェネツィアの天職というものはある。ヴォガロンガの当日、運河やラグーナは手漕ぎ櫂に戻って来たのである。 ……」

ヴェネツィアのヴォガロンガについては、2011.02.05日のヴォガロンガでその歴史等を書きました。
  1. 2016/05/15(日) 18:20:51|
  2. ヴェネツィアの行事
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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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