イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアはカーニヴァル中

昨日のLa Nuova紙は次のような事を報道しています。
レンツィ・ロッソ「 ヴェネツィア、平和へのメッセージを携えたレンツォ・ロッソの鷲の飛翔
――サン・マルコ広場でのカーニヴァルのディーゼル・ブランドの企画者は、世界の平和が突発するよう願った――

2018年ヴェネツィアのカーニヴァルで“鷲”を纏った“ディーゼル社”のパトロン、レンツォ・ロッソのサン・マルコ広場への飛翔。舞台に降り立った彼は、“君に必要なのは愛なんだ”の曲に乗って、ドナルド・トランプ大統領と北朝鮮のキム・ジョン・ウン(金正恩)最高指導者の愛を叫んだ。 ……」

私が初めてヴェネツィアのカーニヴァルで鐘楼から飛び降りてくるのを見たのは、10年以上も前それは有名なアメリカのロック歌手でした。その時は"ANGELO"と書いてありましたが、男性の場合は“鷲の飛翔”と呼ばれ、ヴェネツィア6区からトップに選ばれたマリーアの飛翔は“天使の飛翔”と呼ばれることになったのでしょうか。
  1. 2018/02/12(月) 20:12:05|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィアのカーニヴァル2018

2月4日のLa Nuova紙は、大群衆の中でのテロを恐れたヴェネツィア政庁のチェック活動の中での、2018年のカーニヴァルのイヴェントの模様を次のように伝えています。
Ejisa Costantini[衣装デザインは、日本のTVでも紹介された事のあるステーファノ・ニコラーオさん]
「 ヴェネツィア、天使の飛翔は2万人の観客に
――サン・マルコ広場への入場制限は初の試み。早朝からチェックが入った――

輝く太陽が微笑み掛け、将来への願いと平和を希求してのスペクタクルは、今朝サン・マルコ広場で“天使の飛翔”を2万人の人が見上げた(con il naso all'insù)。

エリーザ・コスタンティーニ、19歳は2017年度の“マリーア”で、11時を少し回ったところで、大群衆に囲まれたサン・マルコ広場に向かって、鐘楼から降り立った。これは初めての入場制限ではあったが、昨年の2倍の観客。 ……」

“マリーア”については、2009.01.24日のマリーア祭の1~3で、その謂れに触れました。
  1. 2018/02/05(月) 12:01:04|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィアのベファーナ・レガッタ

1月6日に行われる、恒例のベファーナ(魔女)・レガッタについてLa Nuova紙が伝えています。
戦うベファーナ達「 大運河での、ベファーナ・レガッタのスペクタクル
――勝者タイトルとして与えられる、“マランテガ(ベファーナ)”は愛称ティンブロの名のジャンニ・コロンボ――
[maràntega(ヴェ語)はベファーナ(魔女/老婆)の事で、ここではベファーナ・レガッタの優勝者賞の事のようです。]

2018年ベファーナのタイトルとして与えられる“ベファーナ(魔女)”は愛称ティンブロのジャンニ・コロンボが勝ち取った。仮装しての競艇は、大運河で土曜日午前中スペクタクルの開始となった。

勝者と頭一つで競い合ったのは、サン・ヴィーオのリッカルド・ロマネッリ。3番手は任務中の“魔女”、スペチェネのジョヴァンニ・ロッスィ、4着はロベルト・パルマリーンで、“Principe(王子)”としてよく知られた人、しんがりは今年初めてエントリーしたマラガのフランチェスコ・グェーラだった。 ……」

[ベファーナ・レガッタについては、2011.01.01日の年中行事(1)や2014.01.07日の御公現の祝日で謂れ等触れました。]
  1. 2018/01/07(日) 13:03:59|
  2. ヴェネツィアの行事
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マドンナ・デッラ・サルーテ教会の祭り

本日のLa Nuova紙は、昨日21日のサルーテ教会の祝祭の事を報じています。
サルーテ教会橋を渡る信者達[写真はサイトから借用] 「 マドンナ・デッラ・サルーテ教会へのお参りは一方通行で交通制限
――ヴェネツィア警察は大混雑回避のため、信者達の足を制限するかも。ヴァポレットの増発あり――

11月21日は、ペスト・ネーロという黒死病を克服したことを祝う、ヴェネツィア人に最も愛されるマドンナ・デッラ・サルーテ教会の祝祭日である。

“ヴェネツィア人の”教会、マドンナ・デッラ・サルーテで我々の出会いは繰り返される。サルーテ教会の何千という信者達を呼び寄せる参詣は、蠟燭に火を灯し、祈りを捧げるためであり、何千というここの檀家でない市民達も、この最もヴェネツィア的な祝祭に惹かれてこの税関岬までの巡礼行に参加する。

Ponte votivo(ポンテ・ヴォティーヴォ――この日のためにグリッティ館脇のトラゲット広場と大運河対岸のトラゲット通りを結ぶ仮設の奉納橋)は、本日(22日)の22時まで渡橋可能である。ヴェネツィア的な素晴らしい寺院への巡礼行は、何世紀にも渡って繰り返された伝統行事なのである。 ……」

サルーテ教会のお祭りについては、2011.03.26日のヴェネツィア年中行事や2012.08.11日のパトリシア・ハイスミス等でその謂れについてなど、触れました。この日にはカストラディーナという去勢牡羊の煮込み料理を食するのがヴェネツィアの伝統だそうです。2012.08.18日のカストラディーナも参考までに。
  1. 2017/11/22(水) 12:33:33|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィアの聖マルティヌス祭(11月11日)

本日のLa Nuova紙はこの11月11日の聖マルティヌスの祝日の事を次のように語っています。サン・マルティーノについては、2008.12.06日のサン・マルティーノで触れました。

「 街はサン・マルティーノの祝祭で彩られ
――子供達の行進、善きサマーリア人を祝うお菓子(ドルチェ)。チェントロ・ストーリコ(中心街)や本土側で沢山のイヴェント――

町でも大変愛される伝統行事である聖マルティヌス祭の飾り等で溢れた週末、金曜日朝、ヴェネツィアの子供達は鍋等食器類や音を出せる物を手にして行進し、伝統行事の“Bater San Martin(バーテル・サン・マルティーン)”を楽しんだ。
[Bater(ヴェ語)=battere(伊語―叩くの意)。この日子供達はサン・マルティーノの伝統的なドルチェをせしめようと鍋等の底をお玉等で騒音を発しながら、街を練り歩きます。無事獲物を獲得すると音は止み、去って行きます。
またMartinはMartinoの語尾"o"が省略され、例えばcaffè FlorianはFlorianoの語尾の省略、VendraminやGiustinian等もヴェネツィア特異の語尾省略現象です。アクセントの位置は変わりません。]

10時30分、マルゲーラの自治体当局会議室では、マルゲーラとカテーネの保育園児にサン・マルティーノの伝統的なお菓子が配られた。それはヴェーラ社の協力の下、新カテーネの未来協会主催のイヴェントだった。ヴェネツィアでは、11日の土曜日、15時からカステッロ区サン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ広場で聖マルティヌス祭が行われる。 ……」

その他、リアルトのペスケリーアやリード島、ペッレストリーナ島、メーストレ等各地で色々祝祭行事が行われる予定だそうです。

この時期、日本でも良い天気が続いており、《小春日和》と言いますが、イタリアではそれを《estate di san Martino(聖マルティヌスの夏》と言います。それには次のような謂れがあります。
san Martino[サイトから借用] 「マルティヌスはパンノーニア(ドナウ川の南西部のハンガリー地域の古代ローマの属州名)の兵士で、馬に跨り、帝国の監視をして回るという軍務についていた。ある日、ほんの些少の襤褸のみを身に着けた貧しい身形の者に出会った。彼は寒さのあまり歯をガタガタ震わせていた。それを目にした心優しき騎士は、抜刀するや、自らのマントを一刀両断し、そのマントの半分を貧しい乞人に与えた。

伝説が伝えるところによれば、その栗烈たる寒が緩まり、半分のマントだけでも両者が寒さを凌ぐことが出来る程になったのだと言う。その時以来、毎年聖マルティヌスの日(11月11日)の頃の天候は温和となり、夏が戻ってきたように思えるところから、短い“estate di san Martino(サン・マルティーノの夏――小春日和)”という。」のだそうです。

ヴェネツィアのサン・マルティーン教会は、アルセナーレ造船所の大門のライオン像達の前を右に行った前方にあります。私が語学学校に通った時、学校のマッシモ先生のお宅をアパートにお借りしました。それはサン・マルティーン教会から更に奥のド・ポッツィ[do(ヴェ語)=due(数字2)―二つの井戸]広場傍にあり、通学時この教会脇からヴァポレット停留所アルセナーレに向かい、カ・レッツォーニコ停留所(フェルマータ)まで、船通学でした。通学定期にACTVのCartaVenezia(カルタ・ヴェネツィア)を契約しての乗船です。カルタ・ヴェネツィアは必要な書類を揃えれば、ヴェネツィア人以外でも契約出来ます。ヴァポレットが格安に乗れます。
  1. 2017/11/11(土) 21:00:25|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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