イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ストゥーア小広場

アパートのあるストゥーア小広場に帰ってきた時、珍しく広場に金髪の若い男女が入ってきました。彼女の方は激しく跛を引いています。靴擦れを起こしているようです。でしゃばりとも思いましたが、尋ねると足を見せました。
アパートと洗濯物[我がアパートは最上階の4階。飲料水のボトルを運ぶのは重労働。夏の3ヶ月間、対面のアパートとの洗濯紐の交換で洗濯物を干さして頂きました。] 左足の踵が真っ赤に擦り剥けて、見るからに相当痛そうです。アパートの4階まで取って返し、日本から持参の絆創膏を持ってきて2枚張り、靴との間にティッシュを挟みました。少しは痛みが和らいだのか、お礼を言いながら北欧の若者と思しき2人は去って行きました。

その後2、3日して、アパートに入ろうとしていると、背後から声を掛けられました。振り返ると若い男女が地図を示して尋ねています。近付いて彼の本の地図を覗き込むと仏語のようでした。カルロ・ゴッズィの生家を訊いているのでした。

カルロ・ゴッズィといえば、日本ではプッチーニのオペラ『トゥランドット』の原作者として知られていると思います。彼は他にもプロコーフィエフ『三つのオレンジへの恋』(1921)、ヴァーグナー『妖精』(1834)等のオペラの原作となった、コンメーディア・デッラルテを基本に据えた演劇作品を10点ほど書いているそうです。上演された芝居は成功を収めたようです。
Gozzi彼は、古い演劇を革新すべく、新しいブルジョア的演劇を始めたカルロ・ゴルドーニに異を唱え、対抗上自分の作品を書いたと言われ、ゴルドーニと演劇の新旧論争をしました。

彼の兄ガースパロ・ゴッズィは、日常生活を扱いながらも教養主義的新聞『Gazzetta veneta』(1760~61)、『Osservatore veneto』(1761~62)を発刊した人で、コンメーディア・デッラルテの即興性を排した、ゴルドーニの風俗喜劇への演劇改良運動を支持したのでしたが、ゴルドーニはパリへ旅立ち、フランス革命後のドサクサの中で貧窮の末に亡くなってしまいます。
ゴッズィの家ゴッズィの生家はこのストゥーア小広場を出ると直ぐのT字路にあり(Calle de la Regina と Ramo の角)、近年この館の1階にパン屋さんが開店し、毎日のように早朝その日のパンを買いに通っていました。そんな訳で案内は簡単でした。

アパートを借りた地、ストゥーア(Stua)について調べてみると、ジュゼッペ・ボエーリオ著『ヴェネツィア語辞典』では、Stua=伊語 Stufa とあり、伊和辞典で Stufa の項を調べると《ストーブ》《乾燥室》《16世紀の公衆浴場》の三つの意味が挙げてあります。

事実ここにはかつて公衆浴場が存在したのだそうです。人々は体を洗いに、また町で広まっている病気の治療、足の爪の治療や魚の目を切ったり、各種軟膏などの塗り薬を塗布して貰いにやって来ました。そういう医師(下級外科医)がいたようです。しかしその内に、売春宿だとの評判が立つような場所に変わったのだそうです。

直ぐ近くの乳房橋を挟んで、カランパーネ(Carampane)通り、ボッラーニのコルテ(Corte de Ca' Bollani)からストゥーア小広場辺りまで一帯は、かつて赤線地帯だったことが分かりました。それもフランスのアンリ3世と付き合ったヴェローニカ・フランコのようにちゃんとした邸館に住み、詩を書くようなコルティジャーナ・オネスタ(高級娼婦)とは雲泥の差の、下級娼婦のたむろする地域だったようです。

マリン・サヌード(1466~1536)の時代、彼の日記には娼婦の数は11000人を数えたと書かれているそうですが、少し下った時代のヴェネツィアの人口が、1581年――134861人[『ヴェネツィア史』(クリスチャン・ベック著、仙北谷茅戸訳、文庫クセジュ)]だったようですので、大まかな比率が分かります。仏史学者フェルナン・ブローデルはパリやロンドンとその比率は変わらないと述べています。

そういう事情から生まれた言葉なのか、今日ヴェネツィア語で言われる《Vecia(=Vecchia) carampana》の意味するところは、《醜悪な鬼婆め!》と悪罵する言葉だそうです。
  1. 2008/07/04(金) 00:49:57|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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