イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

所謂《ゲットー》について

今までヴェネツィア或は違った土地の“ゲットー”について触れてきました。特にはヴェネツィアのゲットです。2016.05.19日のユダヤ人や2016.06.09日のゲットで触れました。ヴェネツィアのゲットの語源が違うと言う本が現れました。今はこの説を全面的に信じています。

アリス・ベッケル=ホー著『ヴェネツィア、最初のゲットー』(木下誠訳、水声社、二〇一六年三月一五日)は、例えば私が信じていた、そこが鋳造所(gettoジェット―ヴェ語getoジェート)であった島をゲットと呼ぶようになったという説を根拠なしとして否定しています。次をご覧下さい。
ヴェネツィア、最初のゲットー「……1516年に、元老院は《ユダヤ人を町の中で隔離し、サン・ジローラモ小行政区の小島に移送する決定》を行った。そして、三月二十九日に、政令が公布され、《ユダヤ人は全員、サン・ジローラモの近くのゲットー所在の一群の家に集まって住む》ことを命じたが、この文言はリッカルド・カリマーニが引用した最初の版のもので、やや後に、それは《サン・ジローラモの近くのゲットーにある一群の家々》と訂正された。
……
このジェトもしくはゲト(g(h)eto)という語が示す場所は、ヴェネツィアで慣例となっていたように、コントラーダ(小行政区―行政上の下位区分)――この場合、カンナレージョ地区(セスティエーレ)(ヴェネツィアの六地区の一つ)の中にあるサン・ジローラモ・コントラーダ――への所属によって場所が画定される既存の街区(カルチェ)であり、おまけに、そこには、その街区がユダヤ人に譲渡された時にはすでに建物があってヴェネツィア人の住民が住んでいたにもかかわらず、いったいなぜ、その語は、ユダヤ人の定住の後にしか現れないのか?
……
ヴェネツィアはそのために、あらゆる外部からの干渉を排除した経済商業政策を確立し、きわめて早い段階から、唯一の人間の手に絶対的権力が握られる危険を制限した(ドナテッラ・カラビが明確にしたように、《総督(ドージェ)政府は、複数の権力の関係と均衡と保証の緊密な網の目の上に築かれた共和制政体である》。

Al.ル・マッソンは、こう記している。《あらゆる公職に就き、いかなる勲章も求めず、自分の名にいかなる称号も付けなかったヴェネツィアの貴族たちは、事業を指導し、国家に献身的に仕え、国民の頭脳であると同時に腕でもある特権以外の特権は手に入れなかった。[……]すべては民衆のためだが、何も民衆によってなされるのではない、というのがこの貴族階級のモットーだった。》さらに、アルヴィーゼ・ゾルジは《ヴェネツィアの文化においては、専制君主のための場はなかった》と断言している)。

そして、最後に、ヴェネツィアは、ビザンティン帝国の最良の伝統に従って、外国人商人の居住を促進し、適切な司法官職を作って彼らの結社を管理するとともに保証したのである。《共和国は、自らの周縁性を意識して、人々を引き寄せる極、必ず通過せねばならない場所、商品を一時的に降ろす寄港地、首都の商業交易の活気あふれる中心地という評判を常に強く求めてきた。》

自らの利益をよく考えて守りながらも、ヴェネツィアは、その町の威信と富に魅かれてやって来るあらゆる種類の外国人を常に断固として、名高い歓迎の態度でもって扱ったが、彼らがその町に魅かれたのは、その場所で商売を行い、豊かになり、要するに他のどこよりも――すなわち、戦争と追放によって自分たちが追われた国々よりも――良い生活を送る可能性がそこにはあったからでもある。そうでなければ、なぜあれほどの外国人の流入があったのだろうか?
……
ゲットーはと言えば、ドックについて見たように、それはフォンテゲットー(fonteghetto―イタリア語のフォンダケット(fondachetto)の後半部分にほかならないことは明らかである。フォンテゲットーは、アラブ語のフォンドゥク(fonduq)の直接の借用語であるフォンテゴ(fontego)の指小語で、外国人の共同体に住居として割り当てられた委譲地――隊商宿型(キャラバンサライ)の――を意味する。ラビのヴェルトハイマーが立てた仮設は、それゆえ、あらゆる仮説のうちで、もっとも真実に近かったのである。……」

現在《ゲットー》という言葉は押し込まれて隔離されたマイナーな空間が普通イメージされます。そうでなければ、ヘブライの言葉で疎外とか隔離とかマイナーな意味合いの言葉から発生した等の発想はなかったでしょう。ヴェネツィア以外の地では、《ゲットー》はイタリアでもアルプスの北でも強制収容所的な閉ざされた場所だったのでしょう。ヴェネツィアのゲット内部は明るい、自由な空間だったようです。

それはドイツ人商館やトルコ人商館が残っているように、商館(フォンテゴ――Fontego dei Tedeschiのように)は商業の場所であり、宿舎であったので、指小辞の-ettoを付けたユダヤ人達のヴェネツィア語のFonteghettoも商売のハレの場であり、慰安の我が家だったのでしょう。ゲット入口に門衛が置かれたことは彼らの大きな財産が守られることにもなりました。そうでなければ、拳骨橋の殴り合いにヴェネツィア人と一緒になって参加し、楽しむなどということは起こらなかったでしょう。リボルノのユダヤ人の歴史を勉強しなければと思った事でした。

訳者は巻末の訳者解題で次のように述べています。
「……ゲットーを《鋳造所》《隔離》《離縁状》《格子》《小地区》と見るか、《倉庫》《宿舎》と見るかは、ゲットーを否定的なものと捉えるのか肯定的なものと捉えるのかという二つの世界観の戦いを反映しているのである。……」と。

[1938年頃、ゲット人口は約1200人位だったそうですが、ナチとファシストに負われるようにUSA等に逃げ出しました。私が初めてここを訪れた1994年には片手位の家族しかユダヤ人はいないのではないか、と言われました。商店など皆無で閑散と明るい広場でした。現在500人以上の人が舞い戻って来て、キッパ帽を被ったり、黒いユダヤの上下スーツと山高帽で正装した人々が闊歩し、商店も出来て賑わいを見せています。かつての商館的なゲットの雰囲気で世界にヘブライを発信している感じです。ここは強制収容所的《ゲットー》ではなかったのです。Youtubeの《Storia del Ghetto a Venezia(ヴェネツィアのゲットの歴史)》が参考になります。]
  1. 2017/05/18(木) 00:05:36|
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サン・マルコ小広場の、第三の円柱

総督ヴィターレ・ミキエール2世(1156~72)時代、オリエントから高い円柱が3本到来し、陸揚げ時、1本が海中に落下し、陸揚げされた2本は、木造のリアルト橋の建造者ニコロ・バラッティエーリが、現在あるようにサン・マルコ小広場に立柱したそうです。その水没した1本を甦らせたいという願いが動き始めたようです。昨年暮れのLa Nuova紙を訳してみました。
3本の円柱「 ヴェネツィアの伝説の、サン・マルコの第三の円柱の調査開始
――歴史と伝説によると、1172年サン・マルコ湾に水没した: 文化財保護局はトモグラフィー(X線による断層写真撮影法)調査にOKを出す。Molo(サン・マルコ岸壁)前のサン・マルコ小広場のマゼーニョ敷石にセンサーを――

ヴェネツィアの文化財保護局は、次週初め(この記事は12月10日付)にはパーリャ橋とマルチャーナ図書館間の区間のトモグラフィー調査を容認する予定である、それはヴェネツィアの潜水夫の長のロベルト・パドアーン自身に提起された。円柱は実際存在するのであり、約7m下の泥濘の中で、ラグーナの底の密な粘土に包まれ、カラント層に触れた所に埋まっている事を証明したいがためであるという。

要員達と数ヶ月前から会合と幾つかの評価を重ねた後――パドアーンは、パードヴァの統合工学の会社であるIcorestとの協力関係にあるが、この会社は地名や地球構造学的証明、地震学的追及をしており、そして土地電磁気調査、環境モニター監視、土地・水深測量のもう一つの会社、モルガンsas社とも協力し合っている――文化財保護局は自由な調査への道を拓くだろう。

非浸蝕性の調査である。非浸蝕性という事であれば、差し当たり、サン・マルコ岸壁前の灰色のマゼーニョ敷石の間隙に電気センサーを設置することであり、文化財のための経費(全ては個人的なもの)は齎さないものであり、第三の円柱の存在の確認の次には、サン・マルコ岸壁前の海底の考古学的観点からも、新しく有用な要素を提供出来る、ということである。

建築家エマヌエーラ・カルパーニ率いる文化財保護局のOKが公式のものになり次第、公共事業へ権限を有する二人の評議員ルチアーナ・コッレとフランチェスカ・ザッカリオットによって、事業への市の認可が与えられるだろう。しかし市長ルイージ・ブルニャーロは既に、もしモーロ岸壁の底に第三の円柱が実際に眠っているとするならば見たいものだ、と興味を表明していた。だから障害は無いに違いない。

パドアーンは述べている。《円柱は存在する》と。ラグーナや大洋の海面下の何十年に渡る経験者、司令官パドアーンは慎重この上ないが満足している。浸蝕性の工事や汚染の危険なく水に沈んだ土台部を救うために、コンクリートの代わりにアクリル樹脂を使用するという手法の創案者は、スキアヴォーニ海岸通りのホテル・サヴォイア・エ・ヨランダで実験済みだった。

《文化財保護局が我々のやり方にOKすれば、市は我々と歩を共にすると信じている》とパドアーン。《我々は調査を開始出来るし、如何なる障害もなしに、パーリャ橋からマルチャーナ図書館までの海岸通りで夜間も進行出来るだろう。そしてその全区間のマゼーニョ敷石の隙間に電気センサーを張り巡らし、地下の弾性の音波の伝播の速度を記録し分析出来る。こうして円柱の位置と大きさが明確に判明し、我々は自信を持って目標に向かって前進出来る》。

我々は回収作業で協力してくれるスポンサーも得ているし、公式に始まった時には、彼らは名を知られることになるだろう。
…… 」

将来サン・マルコ小広場に三本の円柱が見られるかも知れません。その端緒が開かれました。

新年明けましておめでとうございます。今年もヴェネツィア関連話を書き続ける予定です。
  1. 2017/01/01(日) 08:00:38|
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ヴェネツィアの伝説: ノーヴェ海岸通りの7人の魔女(3)

(続き)
「一番若い魔女が一人残って、ニコロは言い訳がましく声を掛けながら彼女に近付いた。彼女は理解が早く、直ぐ様この若い運搬人が何を望んでいるか、悟るが否や、満面に笑みを浮かべ、熱烈な一目惚れに陥ったのだった。即座に愛を告白して二人は結婚した。
フォンダメンタ・ノーヴェ海岸アノニムス[左、フォンダメンタ・ノーヴェ海岸地図、北対岸に墓の島サン・ミケーレ。右、画家不明『1708年のノーヴェ海岸の凍結』]  新郎新婦の間には、“平穏な”結婚生活は長くは続かず、娘は次第に激しくニコロを夜の外出に誘い、友達らとオステリーア(食事処)に繰り出し、明るい月光の下、気晴らしにニコロを夜の散歩に連れ出した。

彼に対してこんなに思いやりのある妻に出会って最初は幸福だった。更にはこうしたニコロに対する変わらぬ思いはますますミステリアスな色合いを帯び始めた。《恋人でも出来たのか? 彼女と一緒に居たい夜に、僕を外に連れ出すのは何故?》。

ある夜、12月24日の金曜日という、魔女には特別の日、食卓に釘付けになって、梃でも動こうとしなかった。《僕は外には行かないよ。家に居るよ。君がする事を見ていたい!》 何か心配になった若い魔女は彼を言い包めようとしたけれど、丸で功を奏しなかった。ニコロは頑として動こうとしなかった。

その時魔女の娘が言った。《いいわ、私がやってる事知りたいなら、一緒に来て頂戴。この呪文を一緒に唱えて〝Corpo de su, corpo de zo(体を上へ、体を下へ)″って、夜12時になった時、驚いては駄目よ。》 厳然たる静寂の中、鐘楼の鐘の音が12ヶ鳴るのを待った。12番目の音が消えようとした時、ユニゾンで唱和した。《体を上へ、体を下へ》。

と、突如、壮麗な王宮の宴の大広間が現出した。そこには特に顔を仮面で包んだ、エレガントな素晴らしい装いの沢山の人々が集っていた。魅力的な音楽が辺り一面に鳴り響いていた。制服姿の小姓達が飲物やデザートを運び、皆は笑いさんざめき、幸せそうだった。

《でも、あの人、誰?》 ニコロが叫んだ。《テースタ・ドーロの薬屋さんだ、ほれ、ご覧、アヴォガドーロ弁護士さん、産婆のジョヴァンナさん、サン・サルヴァドールの仕立て屋さん、サン・ザッカリーアの修道女の看守さん、収入役のドルフィーンさん、ナヴァジェーロ船長だ。でもよく見ると皆悪魔や魔女だ。でも今まで誰かそんな事言った人いるんだろうか?》。

ニコロは驚愕のあまり口をアングリさせて、ホールの真ん中で棒立ちで佇んでいた。そこでは沢山のカップルが音楽の名手達の甘美な演奏に優雅に踊り回っていた。

その時、長身で洗練された、目も髪も黒々として、口と顎に長々とした鬚髯を蓄えた一人の紳士が彼に近付いてきた。快い芳香が漂い、特別の香気を発散させていた。強烈とも言える香だった。《ニコロ君、こちらへお出で。君と話がしたいんだ。》 その未知の人が言った。しかし彼は、それが誰なのか分かっていた。ベルゼブ(魔王)その人だった。

《君の奥さんは真の花ですよ。才能もあり、将来は大貴婦人となられますよ。で、君にはお望みなら、お教え出来ますよ。》 ニコロはその新しくやって来た人物を目を皿にして見詰めた。しかし彼の望んでいる事は、この悪魔が直ぐに立ち去ってくれることだった。《閣下、全く以って、閣下に対して私が何をなすべきか分かっていないのです。》 この荷物運搬人は言い逃れを言った。

《来なさい、ニコロ君、書斎まで付いて来なさい。金貨を一山差し上げよう。これさえあれば、君の花嫁に素晴らしい生活をプレゼント出来ますぞ。それにもっと幸福になれること、請け合いだ。》 金貨の山が舞い込んだ。そんな物、見た人いるのか? ニコロは考えた。でも僕に何を望んでるんだ?

《ニコロ君》 悪魔は続けた。《約束をこう決めよう、私は君にこの金貨を差し上げよう。》 こう言って上着のポケットからポケット一杯のお金を取り出し、人が腰を下ろしているソファーの前の低いテーブルの上にぶちまけた。《怖がらずに、君はこの契約書にサインして呉れたまえ。心配することは何もないよ。事は全て君の死後の事だから》。

それは悪魔がニコロの心を買い取るという恐ろしい契約だった。《嫌です。そんな事受けられません。あなたのような悪魔に魂を売るよりは、惨めな貧乏人として一生を全うする方がずっとましです。僕の愛しの魔女ちゃんは僕がするようにきっとします。何時も口にしているように僕を愛しているなら、この生活に直ぐ慣れますよ。》 こう言うと呪文を順序逆に唱えた。《体を下へ、体を上へ》 その瞬間、自分の家の台所に居た、傍らに若い妻を従えて。

二人は抱き合い、永遠の愛を誓った。ニコロは忘れる事なく、次の日のクリスマスの日、サン・トロヴァーゾ教区の司祭で有名な祓魔師の所に行って、あった事全てを話した。その時司祭は、その若い女を邪悪から解放するには悪魔祓いの呪文で事を行う必要があると言った。魔女の魂を持つ女を解放するには、あるいはニコロがもしそうしたいなら、その魂の分離の瞬間、彼でもやることが可能だ、と。

ニコロは若妻が眠りに落ちる時を待たねばならなかったことだろう。口からか鼻からか毒虫が飛び出すまで、徹夜で彼女に付き添って、分離の瞬間があった。その時魔女は黒蠅となって死んだような少女の魂の抜け殻から飛び出した。その時ニコロは黒蠅が2度と戻らないように、娘の鼻の孔と喉を蠟で蓋をしなければならなかった。夜明けの太陽の曙光と共に娘はデーモンから完全に解放され、新生の命と共に目覚めた。

ニコロはこんな風にやったのだった。新郎新婦は苦楽を共にして自分達の明るい人生を歩んだ。娘は名前を変えたいと、聖処女のようにマリーアと呼ばれることになった(いかなる悪魔も神の母の聖名を持つ女には対抗出来ない)。そして全ヴェネツィアの中で最も善良で賢明なる女となったのだった。」 (終り)
  1. 2016/08/04(木) 00:04:53|
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ヴェネツィアの伝説: ノーヴェ海岸通りの7人の魔女(2)

初期化してPCが直りました。 ウインドウズ10にUPしたのが原因かも知れません。――[続き]を続行します。

「幾晩かサンピエロータの船首の隙間に蹲り、帆と横静索の下に身を潜め、魔女の到来を待っていた。4晩の間、彼の待機は虚しく、5番目の夜、あの妖術使いの一団が乗船して来た。畏怖に囚われ、動かないようにしても、ニコロは恐懼に打ち震え、小さく小さくなっていた。

舵取りの魔女が例の決まり文句を唱えた。《一番手開始、二番手開始、三番手開始……》 と、七番手まで進んだ。しかし今回は舟は動かず、飛翔しなかった。《どうして?》 舵を握る老魔女が叫んだ。《何故、この(sta)阿呆な舟は動かないの?》 ニコロは震え始めた。今、多分魔女達は中を覗き込んで彼を見付けるかも知れない。しかし幸運なことに舵手はどうでもいい事を話し始めた。

そして《一番手開始、二番手開始、三番手開始……》 と、今回は八番手までいった。八番目で舟は動き始め、舵を握る老魔女は次のように付け加えた。《私は考えたんだよ、畜生女めが、お前達の誰かが妊娠したんだよ、誰にも分らんが……》 皆は笑って、お互いを探るように見、誰が身重なのか知ろうとした。そして人間が聞いたこともないような悍ましい言葉で、止めどなくお喋りを始めた。

舟は船首を南に取り、静かにスピードを上げ、飛んで行った。こんなに素晴らしい運行はかつてなかった。目的地に到着するのに約2時間だった。その時魔女達は、色々の形や大きさの船が一杯繋がれた大きな開廊の、船を隠すように守られた場所に舟を舫って、直ぐ様舟を降りた。

その時点でニコロは勇を鼓して隠れ処から出ると、周辺を見回した。そこはオリエントの大きな町の港だったが、どこだろう? 彼も舟から下りると身を潜めて土の固められた広い道を進んだ。よろよろ歩く2人の見知らぬ人とすれ違い、ここはどこか訊いた。しかし2人は返答もしなかった。

その時再度、周りを見ると、一つの教会に気が付いた。何度も聞いていた話のお陰で、サン・マルコの教会のように理解され、結局それがどこか分かった。何と、何と、そこはエジプトのアレクサンドリアだった。
棗椰子[棗椰子、サイトから借用] その時近くにあったナツメヤシから実の付いた小枝をちぎり取って上着の下に隠した。それから急いで元の道を引き返し、サンピエロータに乗って帆の下にうまく隠れ、7人の魔女の帰りを待った。待つも程なくして女達はお喋りしながら笑いこけて帰って来た。もしかしたらそれは魔女達の安息日の宴のようなものであったのか、あるいは悪魔達と何か約束でも交わしていたのか。

舟に乗り、自分の場所に腰を下ろすと、仲間を率いる老魔女が例の呪文を唱え始めた。《一番手開始、二番手開始、三番手開始……八番手開始》 そして高らかな声で嘲笑いながら付け加えた。《あんた達、猥らな女が一人、子供を孕んだんだ。》

約1時間半の飛行で、サン・マルコ広場の大鐘楼が直ぐに突然現れた。ヴェネツィアに帰還したのである。舟はフォンダメンタ・ノーヴェに停まって通常通り繋がれた。魔女達は下船すると立ち去った。

ニコロも降りると、この旅の戦利品、今までこの町では未見で、新鮮な未熟の棗椰子の小枝を握り締めた。それは彼の驚天動地の旅を証明する証だった。こうして皆彼の話を信じた。神父は彼の舟を聖水で清めに行き、以来魔女には使われることはなかった。

ブラーノ島では同じような話が伝わっており、詳細には異同があるが、本質は同じである。舟は輸送の人の物ではなく、漁師の物であり、当然ブラーノ島に係留された。魔女の数も7人ではなく12人である。飛行の呪文も、当然13番まで数え、飛行はエジプトのアレクサンドリアではなく、コンスタンティノープルである。この二つのもののオリジナルのヴァージョンはどういうものか、誰も正確には知り得ない。

あるヴァージョンによれば、この伝説から派生したものがあるかも知れないと言っておかねばならない。事実若いニコロは彼の舟を使った7人の魔女達の中に、ほっそりと元気溌溂した表情で、然るべき部位はちゃんとした曲線美を備えた、好感の持てる、一番若い魔女に気付いていたようである。こうしてエジプトのアレクサンドリアへの飛行後、帰還した夜、立ち去るのではなく、少し打ち解けた気持ちを抱いて魔女達に付いて行こうと決めた。」 (3に続く)
  1. 2016/07/27(水) 00:00:00|
  2. ヴェネツィアの伝説
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ヴェネツィアの伝説: ノーヴェ海岸通りの7人の魔女(1)

以前ヴェネツィアには幽霊話が似つかわしいと、そんな伝説を幾つか書きました。今回は魔女のお話です。M. ブルゼガーン著『ヴェネツィアの神話伝説』(Newton Compton editori、2007.10)から次のお話をどうぞ。
Marcello Brusegan『ヴェネツィアの神話と伝説』「伝説が伝えているのは、カンナレージョ区のフォンダメンテ・ノーヴェに沿って、かつて7m以上もあるラテン帆を張った素晴らしいサンピエロータという美しい舟を繋いでいると、誰かが繋舷した場所を移動させてしまうというような事がよくあったということである。ということは、舟が舫っている時は特に監視の目を光らせていた(それはヴェネツィアの古い俚諺 barca neta no vadagna――もし舟が綺麗に清掃してあれば、最近漁に出ていないから櫂は水に浸かっていない、の意――を無視してのことである)。

《サンピエロータ舟: 独特の型の舟でこう呼ばれ、たっぷり6~7mの大きさと変化があり、誕生したのもペッレストリーナ海岸のサン・ピエーロ・イン・ヴォルタ地区が起源である。ラグーナの古い舟の中でも比較的最近の物で、19世紀から作られるようになった。櫂かラテン帆で運行され、典型的な形をしている(元々起源であった流線型のサンドロ舟(sandolo)に比べて胴が膨らみ、幅広になっている)。ラグーナでのちょっとした漁のために生まれたもので、波が荒れる度に左右され、港の入口に避難する。》(囲み記事より)
sanpierotasanpierota%20Venezia[サイトから借用]  [ウィキペディアで説明を補強しますと、《ヴェーネタ潟伝統の木製平底、潟での漁用としての起源の舟。舳、艫に漕ぎ手2人、あるいは艫の1本櫂、又はヴァレザーナと言う2本櫂漕、あるいは外部にモーター付き、あるいはラテン帆で進む。帆は主墻に掲げるスパンカー(主帆)とマスト上に飾り帆を着ける、か、舳の板の上の帆柱にフォアスル帆で形成される。サンドロ舟の進化形で、そのラインはトーパ舟(topa)のようで、舟身も似て短く幅広で浅い。波を受ける舳は高く、広い。製造もトーパ舟に似て簡単、舟体は火で形の湾曲を求めることなく、板の柔軟性をそのまま生かしている。》]

舟はよく磨かれた板で蓋がされ、舷側は青と赤で色が施され、最大帆のスパンカーは黄色地に赤と黒の罫線が入り、最小帆のフォアスルは白と橙色である。結局、運河というものは譬え大きいものでなくとも見たくなるものであるし、特に風が横風で強く、小止みなく吹いた時など、帆で〝手綱を引き締め、トロットで進む″ことが出来る。
ブリコラ頁サンピエロータはニコロの情熱そのものであり、運び屋と呼ばれ、彼にはこの舟ほど価値あるものは何もなかったから、殆ど熱狂的な思いで舟を扱った。だから所有者(paron)ニコロにとって、ある朝、夜間知らない内に誰かがそれを使ったと気付いた時、それは彼にとって青天の霹靂だったというのは驚くに当たらない。傷が付いたとか汚れたとかではなく、パリーナ(palina=運河に立つ1本棒の繋舟用の杭、一方bricola(ブリコーラ)は数本セットの潟の航路標識用の杭)に舟を繋ぐ繋舟用の索の結束法が、彼が常々やっている方法とは異なっていた。

ところで何が起こったのか? 明確な解答には至らなかった。それだけではなく、何度も毎週終わり驚くべき事が繰り返された。酷過ぎた! そしてニコロは今や調べる時と思い、こんな悪ふざけの張本人を現行犯逮捕しようと決めた。如何にして? 近くの隠れ家に潜んでいるだろう者を上手く見つけ出す方法も、このならず者を現場で捕獲する方法も思い浮かばなかった。

長い間待った。深夜の鐘の時、何かが起こった。襤褸を着て、汚らしい女が7人、海岸通りをお喋りしながら、下品に笑い転げ、舟を舫った桟橋に近付いていった。一人ずつ大袈裟にサンピエロータに飛び乗った。6人は3人ずつ大鍋のような台に腰を下ろし、一番長老と思しき7番目の老女が艫に座り、舵を掴んだ。

マストロ・ニコロは誰か悪党に出遭ってもどうしていいか分からなかったし、7人の女に遭うなど思いも寄らなかったので、混乱のあまり、自分の正体がばれるのを恐れて、この際自分のなすべき事は何だろうと思っていた。

その間、舟上では2人の女が舟の舫いを紐解こうとしており、舵を握る長老が呪文を唱え始めた。それは《一番手開始、二番手開始、三番手開始……》 そして《七番手開始》 で終わった。その時舟は船脚を進め始め、宙空に持ち上がり、南の方向に軸足を向けた。

《何て事だ! この女達、魔女だ!》 ニコロは呆然と恐れ慄いて思った。《神様、この邪悪な者からお守り下さい》 そう言いながら十字を切った。恐ろしさのあまり、一晩中倉庫に隠れていたが、夜明け前、舟は飛んで行き、彼の桟橋には戻って来なかった。

その後戻って来ると、魔女達は宙空から下りてじゃれ笑いしながらお互いの肩を叩き合って、海岸通りを慌ただしく遠ざかって行った。

あぁ、哀れなニコロ! お前は何をなすべきか? 何が口に出して言えるか? 誰にこんな驚くべき体験を話せるか? 誰も信じないに違いない、皆は彼が気が違ったと思うだろう。事実こんな風に事は起ったのだ! 彼が見た夜間の体験を語った人全ては、彼の顔を見て嘲笑したのであり、教区の警官や神父達は彼を不憫に思った。

しかし事はそれだけでは済まなかった。魔女の一団もあの彼の美しい舟を勝手に使うことを許さなかったので、あの7人の魔女がどこへ行くのか探るために、勇を鼓して舟の中に隠れてみることにした。……」 (2へ続く)
  1. 2016/07/14(木) 00:03:13|
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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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