イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

サン・マルコ小広場の、第三の円柱

総督ヴィターレ・ミキエール2世(1156~72)時代、オリエントから高い円柱が3本到来し、陸揚げ時、1本が海中に落下し、陸揚げされた2本は、木造のリアルト橋の建造者ニコロ・バラッティエーリが、現在あるようにサン・マルコ小広場に立柱したそうです。その水没した1本を甦らせたいという願いが動き始めたようです。昨年暮れのLa Nuova紙を訳してみました。
3本の円柱「 ヴェネツィアの伝説の、サン・マルコの第三の円柱の調査開始
――歴史と伝説によると、1172年サン・マルコ湾に水没した: 文化財保護局はトモグラフィー(X線による断層写真撮影法)調査にOKを出す。Molo(サン・マルコ岸壁)前のサン・マルコ小広場のマゼーニョ敷石にセンサーを――

ヴェネツィアの文化財保護局は、次週初め(この記事は12月10日付)にはパーリャ橋とマルチャーナ図書館間の区間のトモグラフィー調査を容認する予定である、それはヴェネツィアの潜水夫の長のロベルト・パドアーン自身に提起された。円柱は実際存在するのであり、約7m下の泥濘の中で、ラグーナの底の密な粘土に包まれ、カラント層に触れた所に埋まっている事を証明したいがためであるという。

要員達と数ヶ月前から会合と幾つかの評価を重ねた後――パドアーンは、パードヴァの統合工学の会社であるIcorestとの協力関係にあるが、この会社は地名や地球構造学的証明、地震学的追及をしており、そして土地電磁気調査、環境モニター監視、土地・水深測量のもう一つの会社、モルガンsas社とも協力し合っている――文化財保護局は自由な調査への道を拓くだろう。

非浸蝕性の調査である。非浸蝕性という事であれば、差し当たり、サン・マルコ岸壁前の灰色のマゼーニョ敷石の間隙に電気センサーを設置することであり、文化財のための経費(全ては個人的なもの)は齎さないものであり、第三の円柱の存在の確認の次には、サン・マルコ岸壁前の海底の考古学的観点からも、新しく有用な要素を提供出来る、ということである。

建築家エマヌエーラ・カルパーニ率いる文化財保護局のOKが公式のものになり次第、公共事業へ権限を有する二人の評議員ルチアーナ・コッレとフランチェスカ・ザッカリオットによって、事業への市の認可が与えられるだろう。しかし市長ルイージ・ブルニャーロは既に、もしモーロ岸壁の底に第三の円柱が実際に眠っているとするならば見たいものだ、と興味を表明していた。だから障害は無いに違いない。

パドアーンは述べている。《円柱は存在する》と。ラグーナや大洋の海面下の何十年に渡る経験者、司令官パドアーンは慎重この上ないが満足している。浸蝕性の工事や汚染の危険なく水に沈んだ土台部を救うために、コンクリートの代わりにアクリル樹脂を使用するという手法の創案者は、スキアヴォーニ海岸通りのホテル・サヴォイア・エ・ヨランダで実験済みだった。

《文化財保護局が我々のやり方にOKすれば、市は我々と歩を共にすると信じている》とパドアーン。《我々は調査を開始出来るし、如何なる障害もなしに、パーリャ橋からマルチャーナ図書館までの海岸通りで夜間も進行出来るだろう。そしてその全区間のマゼーニョ敷石の隙間に電気センサーを張り巡らし、地下の弾性の音波の伝播の速度を記録し分析出来る。こうして円柱の位置と大きさが明確に判明し、我々は自信を持って目標に向かって前進出来る》。

我々は回収作業で協力してくれるスポンサーも得ているし、公式に始まった時には、彼らは名を知られることになるだろう。
…… 」

将来サン・マルコ小広場に三本の円柱が見られるかも知れません。その端緒が開かれました。

新年明けましておめでとうございます。今年もヴェネツィア関連話を書き続ける予定です。
  1. 2017/01/01(日) 08:00:38|
  2. ヴェネツィアの伝説
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ヴェネツィアの伝説: ノーヴェ海岸通りの7人の魔女(3)

(続き)
「一番若い魔女が一人残って、ニコロは言い訳がましく声を掛けながら彼女に近付いた。彼女は理解が早く、直ぐ様この若い運搬人が何を望んでいるか、悟るが否や、満面に笑みを浮かべ、熱烈な一目惚れに陥ったのだった。即座に愛を告白して二人は結婚した。
フォンダメンタ・ノーヴェ海岸アノニムス[左、フォンダメンタ・ノーヴェ海岸地図、北対岸に墓の島サン・ミケーレ。右、画家不明『1708年のノーヴェ海岸の凍結』]  新郎新婦の間には、“平穏な”結婚生活は長くは続かず、娘は次第に激しくニコロを夜の外出に誘い、友達らとオステリーア(食事処)に繰り出し、明るい月光の下、気晴らしにニコロを夜の散歩に連れ出した。

彼に対してこんなに思いやりのある妻に出会って最初は幸福だった。更にはこうしたニコロに対する変わらぬ思いはますますミステリアスな色合いを帯び始めた。《恋人でも出来たのか? 彼女と一緒に居たい夜に、僕を外に連れ出すのは何故?》。

ある夜、12月24日の金曜日という、魔女には特別の日、食卓に釘付けになって、梃でも動こうとしなかった。《僕は外には行かないよ。家に居るよ。君がする事を見ていたい!》 何か心配になった若い魔女は彼を言い包めようとしたけれど、丸で功を奏しなかった。ニコロは頑として動こうとしなかった。

その時魔女の娘が言った。《いいわ、私がやってる事知りたいなら、一緒に来て頂戴。この呪文を一緒に唱えて〝Corpo de su, corpo de zo(体を上へ、体を下へ)″って、夜12時になった時、驚いては駄目よ。》 厳然たる静寂の中、鐘楼の鐘の音が12ヶ鳴るのを待った。12番目の音が消えようとした時、ユニゾンで唱和した。《体を上へ、体を下へ》。

と、突如、壮麗な王宮の宴の大広間が現出した。そこには特に顔を仮面で包んだ、エレガントな素晴らしい装いの沢山の人々が集っていた。魅力的な音楽が辺り一面に鳴り響いていた。制服姿の小姓達が飲物やデザートを運び、皆は笑いさんざめき、幸せそうだった。

《でも、あの人、誰?》 ニコロが叫んだ。《テースタ・ドーロの薬屋さんだ、ほれ、ご覧、アヴォガドーロ弁護士さん、産婆のジョヴァンナさん、サン・サルヴァドールの仕立て屋さん、サン・ザッカリーアの修道女の看守さん、収入役のドルフィーンさん、ナヴァジェーロ船長だ。でもよく見ると皆悪魔や魔女だ。でも今まで誰かそんな事言った人いるんだろうか?》。

ニコロは驚愕のあまり口をアングリさせて、ホールの真ん中で棒立ちで佇んでいた。そこでは沢山のカップルが音楽の名手達の甘美な演奏に優雅に踊り回っていた。

その時、長身で洗練された、目も髪も黒々として、口と顎に長々とした鬚髯を蓄えた一人の紳士が彼に近付いてきた。快い芳香が漂い、特別の香気を発散させていた。強烈とも言える香だった。《ニコロ君、こちらへお出で。君と話がしたいんだ。》 その未知の人が言った。しかし彼は、それが誰なのか分かっていた。ベルゼブ(魔王)その人だった。

《君の奥さんは真の花ですよ。才能もあり、将来は大貴婦人となられますよ。で、君にはお望みなら、お教え出来ますよ。》 ニコロはその新しくやって来た人物を目を皿にして見詰めた。しかし彼の望んでいる事は、この悪魔が直ぐに立ち去ってくれることだった。《閣下、全く以って、閣下に対して私が何をなすべきか分かっていないのです。》 この荷物運搬人は言い逃れを言った。

《来なさい、ニコロ君、書斎まで付いて来なさい。金貨を一山差し上げよう。これさえあれば、君の花嫁に素晴らしい生活をプレゼント出来ますぞ。それにもっと幸福になれること、請け合いだ。》 金貨の山が舞い込んだ。そんな物、見た人いるのか? ニコロは考えた。でも僕に何を望んでるんだ?

《ニコロ君》 悪魔は続けた。《約束をこう決めよう、私は君にこの金貨を差し上げよう。》 こう言って上着のポケットからポケット一杯のお金を取り出し、人が腰を下ろしているソファーの前の低いテーブルの上にぶちまけた。《怖がらずに、君はこの契約書にサインして呉れたまえ。心配することは何もないよ。事は全て君の死後の事だから》。

それは悪魔がニコロの心を買い取るという恐ろしい契約だった。《嫌です。そんな事受けられません。あなたのような悪魔に魂を売るよりは、惨めな貧乏人として一生を全うする方がずっとましです。僕の愛しの魔女ちゃんは僕がするようにきっとします。何時も口にしているように僕を愛しているなら、この生活に直ぐ慣れますよ。》 こう言うと呪文を順序逆に唱えた。《体を下へ、体を上へ》 その瞬間、自分の家の台所に居た、傍らに若い妻を従えて。

二人は抱き合い、永遠の愛を誓った。ニコロは忘れる事なく、次の日のクリスマスの日、サン・トロヴァーゾ教区の司祭で有名な祓魔師の所に行って、あった事全てを話した。その時司祭は、その若い女を邪悪から解放するには悪魔祓いの呪文で事を行う必要があると言った。魔女の魂を持つ女を解放するには、あるいはニコロがもしそうしたいなら、その魂の分離の瞬間、彼でもやることが可能だ、と。

ニコロは若妻が眠りに落ちる時を待たねばならなかったことだろう。口からか鼻からか毒虫が飛び出すまで、徹夜で彼女に付き添って、分離の瞬間があった。その時魔女は黒蠅となって死んだような少女の魂の抜け殻から飛び出した。その時ニコロは黒蠅が2度と戻らないように、娘の鼻の孔と喉を蠟で蓋をしなければならなかった。夜明けの太陽の曙光と共に娘はデーモンから完全に解放され、新生の命と共に目覚めた。

ニコロはこんな風にやったのだった。新郎新婦は苦楽を共にして自分達の明るい人生を歩んだ。娘は名前を変えたいと、聖処女のようにマリーアと呼ばれることになった(いかなる悪魔も神の母の聖名を持つ女には対抗出来ない)。そして全ヴェネツィアの中で最も善良で賢明なる女となったのだった。」 (終り)
  1. 2016/08/04(木) 00:04:53|
  2. ヴェネツィアの伝説
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ヴェネツィアの伝説: ノーヴェ海岸通りの7人の魔女(2)

初期化してPCが直りました。 ウインドウズ10にUPしたのが原因かも知れません。――[続き]を続行します。

「幾晩かサンピエロータの船首の隙間に蹲り、帆と横静索の下に身を潜め、魔女の到来を待っていた。4晩の間、彼の待機は虚しく、5番目の夜、あの妖術使いの一団が乗船して来た。畏怖に囚われ、動かないようにしても、ニコロは恐懼に打ち震え、小さく小さくなっていた。

舵取りの魔女が例の決まり文句を唱えた。《一番手開始、二番手開始、三番手開始……》 と、七番手まで進んだ。しかし今回は舟は動かず、飛翔しなかった。《どうして?》 舵を握る老魔女が叫んだ。《何故、この(sta)阿呆な舟は動かないの?》 ニコロは震え始めた。今、多分魔女達は中を覗き込んで彼を見付けるかも知れない。しかし幸運なことに舵手はどうでもいい事を話し始めた。

そして《一番手開始、二番手開始、三番手開始……》 と、今回は八番手までいった。八番目で舟は動き始め、舵を握る老魔女は次のように付け加えた。《私は考えたんだよ、畜生女めが、お前達の誰かが妊娠したんだよ、誰にも分らんが……》 皆は笑って、お互いを探るように見、誰が身重なのか知ろうとした。そして人間が聞いたこともないような悍ましい言葉で、止めどなくお喋りを始めた。

舟は船首を南に取り、静かにスピードを上げ、飛んで行った。こんなに素晴らしい運行はかつてなかった。目的地に到着するのに約2時間だった。その時魔女達は、色々の形や大きさの船が一杯繋がれた大きな開廊の、船を隠すように守られた場所に舟を舫って、直ぐ様舟を降りた。

その時点でニコロは勇を鼓して隠れ処から出ると、周辺を見回した。そこはオリエントの大きな町の港だったが、どこだろう? 彼も舟から下りると身を潜めて土の固められた広い道を進んだ。よろよろ歩く2人の見知らぬ人とすれ違い、ここはどこか訊いた。しかし2人は返答もしなかった。

その時再度、周りを見ると、一つの教会に気が付いた。何度も聞いていた話のお陰で、サン・マルコの教会のように理解され、結局それがどこか分かった。何と、何と、そこはエジプトのアレクサンドリアだった。
棗椰子[棗椰子、サイトから借用] その時近くにあったナツメヤシから実の付いた小枝をちぎり取って上着の下に隠した。それから急いで元の道を引き返し、サンピエロータに乗って帆の下にうまく隠れ、7人の魔女の帰りを待った。待つも程なくして女達はお喋りしながら笑いこけて帰って来た。もしかしたらそれは魔女達の安息日の宴のようなものであったのか、あるいは悪魔達と何か約束でも交わしていたのか。

舟に乗り、自分の場所に腰を下ろすと、仲間を率いる老魔女が例の呪文を唱え始めた。《一番手開始、二番手開始、三番手開始……八番手開始》 そして高らかな声で嘲笑いながら付け加えた。《あんた達、猥らな女が一人、子供を孕んだんだ。》

約1時間半の飛行で、サン・マルコ広場の大鐘楼が直ぐに突然現れた。ヴェネツィアに帰還したのである。舟はフォンダメンタ・ノーヴェに停まって通常通り繋がれた。魔女達は下船すると立ち去った。

ニコロも降りると、この旅の戦利品、今までこの町では未見で、新鮮な未熟の棗椰子の小枝を握り締めた。それは彼の驚天動地の旅を証明する証だった。こうして皆彼の話を信じた。神父は彼の舟を聖水で清めに行き、以来魔女には使われることはなかった。

ブラーノ島では同じような話が伝わっており、詳細には異同があるが、本質は同じである。舟は輸送の人の物ではなく、漁師の物であり、当然ブラーノ島に係留された。魔女の数も7人ではなく12人である。飛行の呪文も、当然13番まで数え、飛行はエジプトのアレクサンドリアではなく、コンスタンティノープルである。この二つのもののオリジナルのヴァージョンはどういうものか、誰も正確には知り得ない。

あるヴァージョンによれば、この伝説から派生したものがあるかも知れないと言っておかねばならない。事実若いニコロは彼の舟を使った7人の魔女達の中に、ほっそりと元気溌溂した表情で、然るべき部位はちゃんとした曲線美を備えた、好感の持てる、一番若い魔女に気付いていたようである。こうしてエジプトのアレクサンドリアへの飛行後、帰還した夜、立ち去るのではなく、少し打ち解けた気持ちを抱いて魔女達に付いて行こうと決めた。」 (3に続く)
  1. 2016/07/27(水) 00:00:00|
  2. ヴェネツィアの伝説
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ヴェネツィアの伝説: ノーヴェ海岸通りの7人の魔女(1)

以前ヴェネツィアには幽霊話が似つかわしいと、そんな伝説を幾つか書きました。今回は魔女のお話です。M. ブルゼガーン著『ヴェネツィアの神話伝説』(Newton Compton editori、2007.10)から次のお話をどうぞ。
Marcello Brusegan『ヴェネツィアの神話と伝説』「伝説が伝えているのは、カンナレージョ区のフォンダメンテ・ノーヴェに沿って、かつて7m以上もあるラテン帆を張った素晴らしいサンピエロータという美しい舟を繋いでいると、誰かが繋舷した場所を移動させてしまうというような事がよくあったということである。ということは、舟が舫っている時は特に監視の目を光らせていた(それはヴェネツィアの古い俚諺 barca neta no vadagna――もし舟が綺麗に清掃してあれば、最近漁に出ていないから櫂は水に浸かっていない、の意――を無視してのことである)。

《サンピエロータ舟: 独特の型の舟でこう呼ばれ、たっぷり6~7mの大きさと変化があり、誕生したのもペッレストリーナ海岸のサン・ピエーロ・イン・ヴォルタ地区が起源である。ラグーナの古い舟の中でも比較的最近の物で、19世紀から作られるようになった。櫂かラテン帆で運行され、典型的な形をしている(元々起源であった流線型のサンドロ舟(sandolo)に比べて胴が膨らみ、幅広になっている)。ラグーナでのちょっとした漁のために生まれたもので、波が荒れる度に左右され、港の入口に避難する。》(囲み記事より)
sanpierotasanpierota%20Venezia[サイトから借用]  [ウィキペディアで説明を補強しますと、《ヴェーネタ潟伝統の木製平底、潟での漁用としての起源の舟。舳、艫に漕ぎ手2人、あるいは艫の1本櫂、又はヴァレザーナと言う2本櫂漕、あるいは外部にモーター付き、あるいはラテン帆で進む。帆は主墻に掲げるスパンカー(主帆)とマスト上に飾り帆を着ける、か、舳の板の上の帆柱にフォアスル帆で形成される。サンドロ舟の進化形で、そのラインはトーパ舟(topa)のようで、舟身も似て短く幅広で浅い。波を受ける舳は高く、広い。製造もトーパ舟に似て簡単、舟体は火で形の湾曲を求めることなく、板の柔軟性をそのまま生かしている。》]

舟はよく磨かれた板で蓋がされ、舷側は青と赤で色が施され、最大帆のスパンカーは黄色地に赤と黒の罫線が入り、最小帆のフォアスルは白と橙色である。結局、運河というものは譬え大きいものでなくとも見たくなるものであるし、特に風が横風で強く、小止みなく吹いた時など、帆で〝手綱を引き締め、トロットで進む″ことが出来る。
ブリコラ頁サンピエロータはニコロの情熱そのものであり、運び屋と呼ばれ、彼にはこの舟ほど価値あるものは何もなかったから、殆ど熱狂的な思いで舟を扱った。だから所有者(paron)ニコロにとって、ある朝、夜間知らない内に誰かがそれを使ったと気付いた時、それは彼にとって青天の霹靂だったというのは驚くに当たらない。傷が付いたとか汚れたとかではなく、パリーナ(palina=運河に立つ1本棒の繋舟用の杭、一方bricola(ブリコーラ)は数本セットの潟の航路標識用の杭)に舟を繋ぐ繋舟用の索の結束法が、彼が常々やっている方法とは異なっていた。

ところで何が起こったのか? 明確な解答には至らなかった。それだけではなく、何度も毎週終わり驚くべき事が繰り返された。酷過ぎた! そしてニコロは今や調べる時と思い、こんな悪ふざけの張本人を現行犯逮捕しようと決めた。如何にして? 近くの隠れ家に潜んでいるだろう者を上手く見つけ出す方法も、このならず者を現場で捕獲する方法も思い浮かばなかった。

長い間待った。深夜の鐘の時、何かが起こった。襤褸を着て、汚らしい女が7人、海岸通りをお喋りしながら、下品に笑い転げ、舟を舫った桟橋に近付いていった。一人ずつ大袈裟にサンピエロータに飛び乗った。6人は3人ずつ大鍋のような台に腰を下ろし、一番長老と思しき7番目の老女が艫に座り、舵を掴んだ。

マストロ・ニコロは誰か悪党に出遭ってもどうしていいか分からなかったし、7人の女に遭うなど思いも寄らなかったので、混乱のあまり、自分の正体がばれるのを恐れて、この際自分のなすべき事は何だろうと思っていた。

その間、舟上では2人の女が舟の舫いを紐解こうとしており、舵を握る長老が呪文を唱え始めた。それは《一番手開始、二番手開始、三番手開始……》 そして《七番手開始》 で終わった。その時舟は船脚を進め始め、宙空に持ち上がり、南の方向に軸足を向けた。

《何て事だ! この女達、魔女だ!》 ニコロは呆然と恐れ慄いて思った。《神様、この邪悪な者からお守り下さい》 そう言いながら十字を切った。恐ろしさのあまり、一晩中倉庫に隠れていたが、夜明け前、舟は飛んで行き、彼の桟橋には戻って来なかった。

その後戻って来ると、魔女達は宙空から下りてじゃれ笑いしながらお互いの肩を叩き合って、海岸通りを慌ただしく遠ざかって行った。

あぁ、哀れなニコロ! お前は何をなすべきか? 何が口に出して言えるか? 誰にこんな驚くべき体験を話せるか? 誰も信じないに違いない、皆は彼が気が違ったと思うだろう。事実こんな風に事は起ったのだ! 彼が見た夜間の体験を語った人全ては、彼の顔を見て嘲笑したのであり、教区の警官や神父達は彼を不憫に思った。

しかし事はそれだけでは済まなかった。魔女の一団もあの彼の美しい舟を勝手に使うことを許さなかったので、あの7人の魔女がどこへ行くのか探るために、勇を鼓して舟の中に隠れてみることにした。……」 (2へ続く)
  1. 2016/07/14(木) 00:03:13|
  2. ヴェネツィアの伝説
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ガリバルディ通りの幽霊(2)

(続き)
「この事は直ぐに忘れられてしまったが、数週間後の事、この彫像の傍に近付いた若いカップルが、赤い影に脅かされた。引き続いて別の人もそんな事に遭遇した。そうした人々の中には、頭を打たれ、怪我をした人もあった。
Marcello Brusegan『ヴェネツィアの神話と伝説』このエピソードがある不安を引き起こし始めた。そうしてこの地区の住民は、ある種の警戒パトロールをすることを決めた。監視員達は、誰か悪ふざけをする者を取り押さえて、止めさせようと願った。しかし監視員の誰かが彫像に接近した時、例の赤い影が彼を後ろへすッ転がした。

しかしこの時は、直ぐ様消え去ることがなく、目前に、正に赤い上着の軍服姿のガリバルディの像という形となって顕れた。この瞬間、誰もこの人物が分からなかったが、全員一瞬精神的混乱の後、ある声が上がった。《ジュゼッペだ、ジュゼッペ・ゾッリだ》 1838年生まれのあの若いヴェネツィア人。

彼は志願兵として千人隊の遠征に参加し、出発したのだった。そして将軍ジュゼッペ・ガリバルディの双肩を、その死後も見詰め、威風堂々、有望な兵士だった。
マッキアイオーリジュゼッペ・ガリバルディ[左、2010.01.16-03.14日東京都庭園美術館であった『イタリアの印象派 マッキアイオーリ』展の図録。右、その時来日したシルヴェストロ・レーガ画『ジュゼッペ・ガリバルディの肖像』。マッキアイオーリ派については下記をご参照下さい]
伝説は語り続ける。この顕現の後、全ての地域住民はガリバルディの彫像の双肩にもう一つの像、ヴェネツィア人の〝ガリバルディ″の像を追加するよう、圧力を掛け続けた。彼は将軍の像の上で、銃で武装し、警戒怠りない。その時以来、通行人に対する接触は無くなった。

もしかしたら、夜間、銃が一度以上盗まれるのを見たガリバルディの像が、その顕現で通行人達に周知させたのかも知れない。」

『赤い影』という、ヴェネツィアが舞台の英国の恐ろしい、しかし美しい怨霊映画がありました。ヴェネツィア映画で簡単な説明をどうぞ。ヴェネツィアには幽霊話は似合うのかも知れません。

[マッキアイオーリ派: 図録中、権威フランチェスカ・ディーニ氏が22ページに渡って豊饒の解説をされていますが、お急ぎの向きには次の簡潔的確な説明をどうぞ。
――著者: 中島水緒氏: 1850年代半ば、イタリアのリソルジメント(国家統一運動)を背景にトスカーナ地方で生まれた絵画の流派のこと。フィレンツェのカフェ・ミケランジェロに集った画家たちが時代精神を表わすのにふさわしい新たなリアリズムを愛国主義のもとに標榜。アトリエでの入念な仕上げを説くアカデミズムの教えを放棄し、自然の光を生き生きとした状態で定着させるべく色斑で描写した。

こうした描法は1862年、フィレンツェの新聞『ガゼッタ・デル・ポポロ』により、イタリア語で「しみ」「斑点」を意味する「マッキア(macchia)」に由来する「マッキアイオーリ(macchiaioli)」という造語で揶揄されたが、画家たちはこの呼称をあえて受け入れた。外光への強い関心はフランスの印象派に先立ち、1855年のパリ万国博覧会を通じてもたらされたミレー、コローなどバルビゾン派の作品からの影響がうかがえる。

またマッキアの使用は、16世紀ヴェネツィア派のティツィアーノやジョルジョーネが現実の印象を素早く捉えるのに筆触をあらわに描いたことからもインスピレーションを得ている。独立戦争に参加したメンバーの夭折、1870年のローマ解放による国家統一を経て、当初は政治的色合いの強かったグループも個別の主題に移行。

T・シニョリーニはフィレンツェとその近郊の自然風景を、S・レーガは穏やかな家庭生活と女性像を得意とし、G・ファットーリは統一後も解消されない社会的・経済的格差への幻滅から、質素な農村風景、牛や馬といった家畜を繰り返し描いたほか、単調な仕事に従事する兵士の姿など戦争の裏側にあるもうひとつの現実に眼差しを注いだ。――マッキアイオーリから引用させて頂きました。]
  1. 2015/12/17(木) 00:05:20|
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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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