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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア・ニュース

ヴェネツィアの新聞を拾い読みしていると、世界中どこも大変だということが実感されます。

ヴェーネト地方もイタリア各地も同様でしょうが、18時の閉店時間を遵守しなかったバールは、処罰の対象になるという記事と一緒に、
「商店もホテルも閉鎖され、観光客の居ないヴェネツィアでは、何かが失われつつある――ロックダウンのドミノ現象に商業は巻き込まれている。影響を受け易い経済構造なのである。アペリティーヴォの時間[夕方、夕食前の散歩でヴェネツィア人はバーカロやバールでスプリッツやオンブラを毎夕のように楽しんでいました]も、通りや広場は空である――」
と、新聞は活気のないヴェネツィアを詠嘆しています。新聞だって売れません。
image1 (4)[旧行政館アーケード、新聞より借用] 先頃TVで、吉祥寺の商店がシャッターを下ろしたままの所がある等の事を報道していました。ヴェネツィアでは観光客だけを相手の土産物屋が沢山ありますし、それ以外の店もあります。そうした店がシャッターを下ろしたままで寂しい限りです。観光客相手のホテルも営業が成り立たなくなっていると思われます。新聞が載せる動画には、サン・マルコ広場やメルチェリーア通りの商店が点々とシャッターを下ろした光景を映し出していました。あまりにも観光客に依存してしまったヴェネツィアです。

私が何度もお世話になったマウリーツィオさんのB&Bなど、どうなったでしょうか。彼は自分のB&Bの改造計画など抱負を語ってくれたものでした。故郷のスィチーリアのチェファルに戻ったのではないかと危惧しています。

かつてペストで人口が半減したヴェネツィアも、再度力を盛り返し、世界に冠たる共和国を創り上げた歴史があるのですが。
リアルトの集会[新聞から借用]  追記: この翌日(11月3日付)の新聞では
「フェースブックの呼び掛けで、レストラン店主、ゴンドリエーレ、一般店主、宿経営者、バール店主等が"la morte di Venezia"(ヴェネツィアの死)に抗議して、Dpcm(Decreto del Presidente del Consiglio dei Ministri―各省の長である首相の政令―生活関連以外の全ての生産活動、移動の一時停止令)に反対のための意思表示としてリアルトに集まった」そうです。皆、生きていくために必死です。人間、Perché si vive solo una volta. だからです。
  1. 2020/11/03(火) 22:56:45|
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モーゼ、アックァ・アルタに初機能する

今日のヴェネツィア新聞≪la Nuova≫紙(10.3日付)は、先日予告されていたアックァ・アルタ115cmに対応してモーゼが稼働して、ヴェネツィアで一番の低地であるサン・マルコ広場で冠水が無かったことを報道しています。Il Mose funziona ! 
水のないサン・マルコ広場[ヌオーヴァ紙から借用]  ラ・ヌオーヴァ紙を見ると、コロナヴィールス禍の中、アックァ・アルタの無いサン・マルコ広場で楽しむ人々を映す動画も見られます。10年以上も掛けて、漸くの成功です。故障なく続くことを祈るばかりですが、ヴェネツィア史上画期的な事件だったと思われます。という以上に、記念すべき歴史的事件でしょう。

≪ラ・ヌオーヴァ紙≫を要約しておきます。
初めてモーゼが立ち上がった、機能した、高潮がブロックされた
――78個の浮動する水門システムは、8時35分起動開始した。このシステムは1時間17分作業した。潮位は外海は120cmだったが、サルーテ岬では70~75cmに留まっていた。サン・マルコ広場、大聖堂には水はなし。町は“歴史的記念日”と称賛――

私自身の高潮初体験は、ヴェネツィアで語学学校通学のためアパート生活中の時でした。朝警告のサイレンが鳴り、火事だと思い違いをしたことを思い出します。モーゼ計画はヴェーネタ潟の自然を破壊するものだから、反対の署名をしてくれと頼まれたり、時々顔を合わすアパート近所のおばあさんにコーヒーを家で飲もうと誘われ、この計画は政治家どもが賄賂を貪り、実現しないという話やら、友人をイタリア旅行でヴェネツィア滞在中、次の宿へ移動が不可能になりそうになったり等々、思い出があります。

始まって何年経つのか調べていませんが、浮き上がるフラップゲートの外面の塗料は日本が請け負っているそうで、耐用年月は5年程だと聞いたことがあります。100年使用するとして、保全には相当な費用が掛かるのでしょう。写真で見る限り、ゲートの変色は既に目に見えています。ここに至るまでも、浮き上がらないゲートがあったりして、試行錯誤の連続でした。

veneziafiloとしては先ずは、御目出度う御座いました。

追記: 翌日の新聞によりますと、最終的にはサン・マルコ広場に水が若干出、踝辺りまで上がったようです。いずれにしても、モーゼ壁を稼働させ立ち上げる度に3600万円(30万€)の費用が発生する(その資金をどこから捻出?)そうですし、更に例のガラスの憲法橋の補修費が嵩んでいるように、整備・保全には費用が膨らむと思われます。また通常の潮位の時でも誤作動でモーゼ壁が起動したりもするようです。システムのより完全化に向けて、更なる整備・保全が求められるようです。
  1. 2020/10/04(日) 13:03:38|
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アックァ・アルタ(5)

今季、何回となく紙上を賑わしているヴェネツィア名物(?)のアックァ・アルタ! 損害も何億ユーロにも及び、観光客が面白がっている段階ではありません。事態はCodice arancio(緊急事態、コードオレンジ)で、サン・マルコ広場の甃の敷石が根元から剥き出しになり、破壊された状態になったそうです。

本日のIl Gazzettino紙は、先日平均海面上130cmに達した高潮がこの日には120cmに届き、サン・マルコ広場の粗面岩の敷石(masegna)が高潮で破壊されたと語っています。[masegna(ヴェネツィア語)=macigno(伊語)の意で、大理石ほど硬くない灰色の岩石だそうです。]

サン・マルコ広場の甃の敷石は、パードヴァの西に位置するエウガーネイ丘陵産の粗面岩で貴重な物と言われ、それがこの週のアックァ・アルタで土台から剥き出しにされ、壊れる事態となったという事態です。この広場の敷石は18世紀に遡るもので、1800年代末、一部は修復されたそうです。

現在ではくすんだ色の敷石となり、イストラ半島産の石で飾ったりされたようですが、何か安定性を欠く状態だったようで、今回の高潮で土台から浮き上がったり、割れてしまったり、細かく割れて波に浚われ、元の方形に戻らないもの等多々。

ThetisとKostruttiva協会がいち早く文化財保護局に提示したプロジェクトは、破壊された部分の修復を規定しており、黒く汚れた敷石から雨水の排出作用等を取り戻すために、これらの敷石それぞれを分類し直す作業から始まるだろう、と。予算は3千万ユーロ。

ガッゼッティーノ紙には日本語の広告が結構掲載されており、日本の読者が多くいるということでしょうか。
  1. 2019/12/22(日) 23:16:54|
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サン・ミケーレ島墓地への船の浮橋

イタリアは11月1日は《諸聖人の祝日(I Santi)》、11月2日は《故人の日(I Morti)》で、ヴェネツィア人は日本のお盆のようにこの日々にサン・ミケーレ島墓地にお参りします。本日のGazzettino紙は次のような記事を掲載していました。
サン・ミケーレ島への橋 サン・ミケーレ島への船の浮橋[右、1939年以前の写真から]
「 サン・ミケーレ島への船橋、1950年以来、絶えていた。一つの継承である
 
ヴェネツィア人はサン・ミケーレ島墓地へ、故人の菩提を弔いにヴェネツィア本島から歩いて行けるようにと、11月1日、70年振りにラグーナ上の船橋設置に奮闘した。何千という人達がサン・ミケーレ島への仮設の浮橋を渡った。それは1950年に設けられたのが最後だった。

この事を強く望んだのは市長ルイージ・ブルニャーロで、市のシンボル的な印として、古い伝統の復活を望んだのだった。

船の橋は住民のために設けられ、11月3日まで残ることになるだろう。――そしてカルタ・ヴェネツィア・ウーニカの所持者にも――更に(10日まで)旅行者にも渡橋可能となるだろう。

船の橋は400m以上あり、20ものモジュールから構成されており、マドンナ・デッラ・サルーテ教会やレデントーレ教会の祝日の時の奉納橋(ponti votivi)のために1年を通じて既に利用されているものである。」
[橋のヴェネツィア本島側が高くなっているのは、北回りのヴァポレット等が下を通過出来るように橋桁が高くなっているようです。]

ここに埋葬された人達については、2010.08.14日のサン・ミケーレ島に、また日本人埋葬者については、2008.11.29日の墓参や2010.08.14日の『獨逸日記』その他で触れています。 
  1. 2019/11/02(土) 23:59:45|
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ヴェネツィアのニュース

先日のヴェネツィアの新聞《Il Gazzettino》や《La Nuova》紙に次のような記事がありました。
カッフェ・ドーリア「 70年続いた歴史的バールが閉店。中国人がレストランに改装
ファッブリ通りに開店していたもの。ヴェネツィア人はここで美味のコーヒーやアペリティフを味わった。温かい態度でサービスされ、リアルトとサン・マルコの間に住む住民や職業人等、沢山の人々がここで出会った。

今日が、カッフェ・ドーリアが開店してから最後の日となる。ファッブリ通りとサン・ルーカ通りが交差する角に位置し、店の経営者アンドレーア・カヴァッリーンとリッカルド・フェッロは最も店に通ってくれた顧客達に対して、お別れの会を提供することにした。彼らはガッゼッティーノ紙を片手にブリオーシュでコーヒーを飲み、その日半ばには軽食・おやつ、夕方にはアペリティフ(各種スプリッツ)というバールの定番をここに見出していたのである。 ……」(Il Gazzettinoより)

「 サン・マルコ広場でカ・フォースカリ大学卒業生1148人の卒業式。一大スペクタクル
サン・マルコ広場での伝統的な卒業式がまたやって来た。カ・フォースカリの、優に1148人の卒業生が、友人や両親等と共に広場――学長ミケーレ・ブリェーズィ教授の前に――参集した。大式典である。

よくあることだが、新卒生の古典的丸帽(tocco)の放擲である、帽子の投げ上げの瞬間は、不思議な感である。今や大学の恒例となった式典の特別賓客はエンリーコ・メンターナだった。《我が国は非常に古い国家である。イタリアは強力な世代交代を必要としている。我々は諸君を熱狂的に支持している。》と著名なジャーナリストは訴えた。 ……」(Il Gazzettinoより)

またサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ(マドンナ・デッラ・サルーテとも)教会のお祭り(11月21日)を前に、サン・マルコ側からドルソドゥーロ側への渡河の橋、Ponte votivo(奉納橋)が完成し、総大司教の祝福を得て、自由に渡橋出来るようになったと《La Nuova》紙にあります。この仮橋はレデントーレ教会祭日のために架かる交通止めとなる仮橋と異なり、ヴァポレットが下を潜れるようにアーチの橋に設置されます。
  1. 2018/11/18(日) 18:43:31|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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