イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの観光客

4月1日の読売新聞に次のような記事が出ていました。「世界遺産《観光客多すぎ》――イタリア 環境や景観 影響深刻」と。ヴェネツィアにあまりにも多くの観光客が訪れるので、町が駄目になって終うかもしれないと、現地の人も危惧を抱いています。私自身もそんな危惧を抱かせる、その他大勢の観光客の一人です。

文面に「……ベネチア市統計局によると、2004年に同市中心部を訪れた観光客は約175万人だったのが、14年は約260万人と5割増に。これは市の人口(26万5000人―何年の人口か記載なし)の約10倍にあたる。……」とあります。

何年も前、鞄を買った鞄屋の小父さんは、観光客が多過ぎて問題だ、と吐き捨てるように言っていましたが、親切にヴェネツィアの事を教えてくれました。そう言いながら、今度はいつ来ると、リピートの要求でした。2年後のカーニヴァルに行った時は、町が人で溢れ、ファッブリ通りでは動けない状態になり、あっちへ行く流れとあっちから来る流れがぶつかって、このまま人が蝟集すれば狭い通りで潰されると危惧したのですが、流れがピタリと止まり、30分後には流れ始め、広場に出た時はホッとしたものでした。ある現場一点に人が集中していくということではないのです。

かつてサン・マルコ広場でピンク・フロイドの野外コンサートがあった時は、集まった人が30万人と言われ、トイレの施設などほんの僅かでしょうから、翌朝は、ヴェネツィア全市が芥の山で、街を奇麗に戻すのに1ヵ月以上掛かったそうで、市は二度とそういう事は許可しないと言われています。しかしヴェネツィアはイヴェント都市であり続け、観光客を呼び続けています。

そういう事を厭がってか、町の人口は着実に減少しています。知り合ったファビアーナ達は、ヴェネツィアに生まれながらメーストレに移り住んでいましたが、またヴェネツィアに戻って来ました。住民がゼロになれば、それは正にヴェネツィアがテーマパークになるということです。色々難しい問題があるのでしょう。
[ヴェネツィアの人口については、次のブログヴェネツィアの人口をご覧下さい。]

しかし数字的にはどうなのか、分かりませんが、今年のカーニヴァル体験からすると、かつて体験した時よりも、人出は少なかったという、肌の感覚です。何かが変わりつつあるような感じを受けました。
ホテル・ダニエーリ前の賑わいリアルト橋を望んで[左、ホテル・ダニエーリ前、右、リアルト界隈] 3月18日のLa Nuova紙は次のような事を書いています。
「 2000年から今日まで、ベッド数の増加にはチェックが利かない
――ベッド数5万以上、宿泊者数1000万人に対して、チェントロ・ストーリコでは3万5千(30%アップ)。無登録の旅行者用アパート、B&Bは数に入れない――

ベッド数5万以上、宿泊者数1000万人に対して、チェントロ・ストーリコでは3万5千(30%アップ)。無登録の旅行者用アパート、B&Bは数に入れない。チェックや年間観光客数から零れてしまう雪崩現象。

《観光客の正確な数とは? 我々には分からない。》 数ヶ月前、市の認めるところである。その上CosesとAptは観光に関わっていながら、資料がない。唯一の資料は、ベッド数が聖年の2000年から今日まで急激に増えたということである。チェックするには、認可がうまく機能していないので、目標が定めにくいということである。

しかし例えばトイレを設置し、ホテルへの依存を強めれば、可能であろう。近年パラッツォの[ホテルへの]模様替えも増えている。」

チェントロ(中心部)に宿泊可能者数が年間1000万としても、日帰りの人はそれ以上に多いと思われます(何年か前、両方合わせて2000万人位ではないかという記述を読みました)。私が初めてヴェネツィアのカーニヴァルに行った時は、カステルフランコに泊まりました、ヴェネツィアで宿がなければ、帰っておいで、と。ヴェネツィア本島に泊まれない旅行者はパードヴァ等近隣に泊まります。その日電車でヴェネツィアに向かった時、同じ車両に扮装した20人ほどのアジアーゴの人がいて、既に出来上がっており、飲め飲めとワインを勧められました。駅で一緒にカメラに収まって呉れました。こういうヴェネツィア観光客は多いでしょうね。
  1. 2017/04/04(火) 18:30:09|
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ヴェネツィア版《愛の南京錠》

若者に人気のある作家フェデリーコ・モッチャ(Federico Moccia)の小説『Ho voglia di te』(2004)が映画化されて(『その愛を走れ』(2007))以後、若者達に爆発的に広まった、愛の誓いとして南京錠を橋の欄干等に施錠して、鍵は河に捨てて、去る風習で、積もり積もったその重みでローマのミルヴィオ橋の街灯は倒れ、パリのボザール橋(Pont des Arts)の金網は崩れたそうです。

ヴェネツィアでは2013.06.05日に書いたブログ美化運動のように、電動チェイン・ソーで全てを切断し、撤去しました。世界遺産の町ヴェネツィアの景観を守るために、市当局は必死のようです。永遠を誓って橋に緊縛された愛は、数日後(?)愛よりも強力な電動チェイン・ソーで、町の美化のために汚らしく切断され、ごみ処理される運命にあるようです。現在、現行犯逮捕されると、ヴァポレットの無賃乗車の罰金よりも高額な金額が科されるそうです。その記事がLa Nuova紙に再度ありました。
愛の南京錠「 ヴェネツィアは100㎏の《愛の南京錠》を撤去した
――地元警察の3ヶ月のチェックの結果: 橋についての“警告”以後の新しい事態――

3ヶ月ちょっと前の、100㎏の南京錠のことと、私服警官と共に《愛の南京錠》現象に反対する、そのキャンペーン(ヴェネツィアでは橋への施錠は初めて禁令となった)は、二つの事態へと移り、違反者には罰金を科すことになった。

ヴェネツィアの橋の欄干に施錠する悪しき風習に反対しようと、現地警察は活動を続ける。作家フェデリーコ・モッチャの『Tre mesi sopra il cielo(『Ho voglia di te』がその続編となる、とか)の映画化作品の一般公開後に生まれた現象である。

地元警察の手術は、警察分署長フラーヴィオ・ガスタルディの協力の元、カステッロ区に興味を湧かせ、特にグレーチ橋、サンタントニーン橋、ピエタ運河橋、この橋の欄干の850弱の南京錠は、剪断器で切除された。その錠は重さが区々で、各々500g位の二つに切断された。……」
  1. 2016/09/25(日) 22:20:08|
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観光客の礼儀

ヴェネツィアの新聞La Nuova紙は、この夏の観光客の傍若無人を嘆いています。町はリードのように海水浴場やピクニック場ではなく、市民の規律ある生活の場なので、一市民としてのあるべき礼儀を求めています。
海浜にあらず「 観光客への“十戒”: 《ヴェネツィアを蔑ろにしないで下さい》
――グループのメガホンは叫んでいる“我が未来のヴェネツィアは、市を周知するためのキャンペーンに期待して、印刷や掲示をするために商人達を呼び寄せている――

ヴェネツィアでは鐘楼の日陰等でピクニックをすること、自転車やスクーターで街を乗り回すこと、サン・マルコ前等のラグーナに飛び込むこと、等々全て禁止で、もし誰も気付いていないなら、それをどうやって観光客に伝えるか? しかし良識も教養も助けにはならない。処罰する前に、余りにも度を越した人や不注意極まる人に、覚醒して貰わねばならない。……」
……
La Nuova 2》、《La Nuova 3》、《La Nuova 4等々観光客の条例違反が多々あったようです。

サン・マルコ広場での禁止事項については、2009.03.14日のブログカーニヴァルで触れました。
  1. 2016/08/29(月) 18:19:49|
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サン・マルコ寺院

昨日の新聞La Nuova紙は、次のようなニュースを掲げています。
サン・マルコ前の賑わい「 サン・マルコ、寺院に回転ドア到来
――内部に300人以上はNO、入口でテレカメラで各人がチェックされる。このセキュリティ・システムは鐘楼にも適用される――

ヴェネツィアのサン・マルコ寺院に複数の回転ドアが導入される。この人数計測のバリアー装置を決定したのは、教会の代理人トップのカルロ・アルベルト・テッセリーンである。

曰く、《我々の目的はあらゆるアクセスに対応する事であるが、誰であれ回転ドアとテレカメラで計測され、チェックされて入院可能となる事を確実にしたいのである。寺院と入場者の安全の為である。》

サン・マルコ寺院代表のエットレ・ヴィーオは、建築家マーリオ・ピアーナに仕事を依頼し、人数計測装置を導入する。《それは寺院内であらゆる瞬間、300人以上人が居ない事をチェック出来る最新のシステムである。サン・マルコは教会であって博物館ではない。寺院と入場者に危害を加えようとする危険を避けるため、警察と合意の選択である。……」

こういった装置はヴァティカンの大聖堂や美術館でも導入されているのでしょう。昨年10月ローマに行った時、感じました。ますますアクセスに時間が掛かる事が予測されます。常にPCで予約を取っての行動が必要になるでしょう。予約用紙を持参する人は、即入場可能でしたから。
  1. 2016/02/21(日) 12:01:17|
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テロ事件

先日パリで、計画的なISの同時多発テロに巻き込まれ、ヴェネツィア出身の、ソルボンヌで学ぶヴァレーリアさんが亡くなり、今日のPC上のTVで、母上が娘を語り、サン・マルコ広場で蝋燭の哀悼の行列があった模様が流されました。
ヴァレーリア、弟と[ヴァレーリア(Valeria Solesin)さんと弟] 宗教とは他者を思い遣り、憐れむもの、と思う私は、他者を傷つける、彼らが原理とする宗教とは単なるテロの別名と思うしかなく、もうパリには行けないな、と思いました。この度、ヴァティカンに行った時も、彼らが標的にする所には一切近付かないつもりでいたのですが、遂、出向いてしまいました。
  1. 2015/11/17(火) 22:02:01|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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