イタリア、とりわけヴェネツィア

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの地図

15年以上前私が初めてヴェネツィアに行くに際して用意したのは、この街は迷宮都市で道に迷うのは当たり前、という話に恐れをなして、購入していたTouring Club Italianoの『Veneto, Trentino-Alto Adige, Friuri-Venezia Giulia, Emilia-Romagna』のヴェネツィア市街図を拡大コピーして貼り合わせ、運河と覚しき所は水色にマーカーして、ビニールのフォルダーに挟んで持って行きました。

一番最初に船(アリラグーナ便)で空港からサン・マルコ前(サン・ザッカリーア駅)に着いた時、初めての町とて様子は完全に分からぬまま、旧プロクラティーエ館のすぐ裏にある筈のホテル・サン・マルコに行くのに、ハリーズ・バーの方から大変大回りをして逆行し、それでも何とかホテルに辿り着けました。

迷わず到着できたのはこの白地図が、省略のない正確な地図であったことです。横丁などの本数を数え、道を曲がるたび迷わぬようにマーカーで地図に着色しながら行きました。旧プロクラティーエ館の下が通れるとは思っていなかったので、今にして思えば、よく辿り着けたものでした。

一週間ヴェネツィアを見て回り、歩きながら通った道に毎日日替わりで違った色でマーカーし、帰国日が近づいた頃には随分道を覚えたような気がして精神的に余裕が出てきたのか、少々大胆になり、道を間違えることは怖くなくなったようです。冒険心が湧いてきたのでしょう。

ホテルや旅行社、案内所が無料で渡してくれる美麗な地図は、ヴェネツィアという街のイメージ地図で、歩くための実用にはならないということです。その上、度々ヴェネツィア行をする結果となり、どうしても通り名を知りたくなり、全通り名が書かれている地図が必要になってきました。
ヴェネツィア地図
写真の地図が、初めて購入した物で全通り名が入っています。しかしこの地図は、一枚物の大きな地図ですので持ち歩きには不便な上、例えば私が二度目の語学学校通学時に借りたマッシモ先生のアパート傍の広場は、C.lle Due Pozzi とヴェネツィア語が伊語に翻訳されています[Due(伊語)=Do(ヴェネツィア語)]。そんな訳でこの地図は何度も破れ、何度も購入し直しました。

次に購入したのは持ち運びに便利な、ノート型ヴェネツィア地図でした。この地図も道の省略はないようなので歩きながら確認するのに便利でしたが、通り名の方は相当省略があります。しかし全紙地図と異なって破損の危険性は格段に少なく、全市域を歩きたいとヴェネツィア行の時は、必ず携帯しています。
ノート型ヴェネツィア地図
何度かのヴェネツィア行の中で、ある書店で見付けたのが次の『Calli, Campielli e Canali』(Edizioni Helvetia発行)です。これは地図というより書籍ですので、分厚く持ち運びには大変不便です。
『Calli, Campielli e Canali』
ヴェネツィアに手紙を書く場合、通り名は入れないで、カステッロ区の何番地というように書きます。この番地がこの地図には記載されており(全番地ではありませんが)、例えば「どこどこのレストランは何番地」とパンフレットにあれば、地図上でおおよその見当が付きます(ヴェネツィア全市の建物は、入口に必ず番地が表示されています)。

またこの地図では、著名な建造物等には番号がふられ、番号順に大運河沿いの建物以外等の簡単な説明もありますし、索引が完備していて、その索引表から逆に小広場や通りにも辿り着けます。

私のブログの地名等のアルファベット表記(ヴェネツィア式)は、この地図に準拠しています。例えば、カンナレージョ区(Cannaregio)→Canaregio、リアルト〜サン・マルコ広場間の通りメルチェリーア(Merceria)→Marzaria、サンタ・クローチェ区のサン・ジョヴァンニ・デコッラート(San Giovanni Decollato)教会広場→S.Zan Degola`等、伊語とは大分趣を異にする表現です。

ティツィアーノの兄弟子だったジョルジョーネは、ヴェネツィアでは Zorzon(ゾルゾーン)と呼ばれていることを知りました。
  1. 2010/12/18(土) 00:01:31|
  2. 地図
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Il filo d'Arianna

初めてヴェネツィアに行きたいと思った時、ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』のように船でヴェネツィア入りしたいと思い、資料を渉猟、マルコ・ポーロ空港からサン・マルコ小広場(Piazzetta S. Marco)の桟橋(S. Marco Molo)までアリラグーナの船便があることを知りました。

乗った船はリード(Lido)島に立ち寄り、その後サン・マルコ桟橋に向かいました。その日は快晴で、船上からの、海の税関、サルーテ教会、総督宮殿等の近づいてくる眺めは、一生忘れられないものとなりました(その時はどれがどれやら分かりませんでしたが)。

この街は迷宮都市と聞いていましたので、道に迷わないようにと『ガイド』(Touring Club Italiano)のヴェネツィアの地図のコピーを持って行きました。

サン・マルコ桟橋からその白地図を頼りに、入り組んだ道(intrico di calli)を曲がり角ごとにマーカーで印を付けながら、無事ホテルに辿り着くことが出来た時は感慨もひとしおでした。

そして1週間、街歩きをしながらその白地図に色変わりでマーカーリングをすると、迷宮をそれほど迷わずに六つの地区(sestiere)を巡ることが出来ました。この地図はホテルなどで呉れる省略だらけの地図とは異なっていました。

迷宮(ラビュリントス)は伊語でlabirinto, meandro, dedalo等が辞書にあります。

ギリシア神話の中で、ダイダロス(Dedalo)がクレタ島に作った迷宮に、閉じ込められた牛頭人身の怪物ミーノータウロス(Minotauro)の生贄として、テーセウス(Teseo)がやって来ます。

彼に一目惚れしたアリアドネー(Arianna)は、迷宮から地上に帰還出来る策をダイダロスから授かり、彼に教えます。彼は教え通り入口から糸玉の糸を伸ばしながら怪物の所に至り、退治して無事戻ってくることが出来ました。

その糸のことを伊語で、il filo d'Arianna(問題解決の手掛かり)と言い、私のヴェネツィア白地図は正にその糸玉でした。辞書には、デーダロ(Dedalo―ダイダロス)は彼の作った迷宮(dedalo)の意味、ともあります。

ヴェネツィアの街歩きには、全ての通り名の載った、無省略の地図が必携のようです。
  1. 2007/10/21(日) 22:47:55|
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プロフィール

Author:ペッシェクルード
初めてヴェネツィアに行ったのは十数年前。即一目ぼれ。
現地の語学学校に何度か通いました。
以来毎年のようにヴェネツィアを訪れ、イタリア各地にも足を伸ばしています。

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