イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアのモエーカ蟹

先日(04.14)の新聞La Nuova紙はモエーカ蟹の季節の到来を告げています。
moeche[写真はサイトから借用]  「〝モエーケ″の季節が到来した。ヴェネツィアのラグーナで見られる料理
――4・5月、ラグーナのある種の蟹は脱皮して、柔らかくなる。何世紀もの間、人々はこの美味に溺れてきた――

正に王様の味! 自分に運ばれてくる時、涎を垂らし、舌鼓を打ってしまう。しかし〝モエーケ″と〝マザネーテ(masanete)″はラグーナ地域に生活する人々の典型的な料理であり、この産品だけを食している。

ブラーノやペッレストリーナ、トゥレポルティ、キオッジャは人々が蟹を捕獲する場所であり、そこで水の中に仕掛けた専用の木の籠で漁を仕掛け、祭りの料理を作ることが出来るように、春の温もりを辛抱強く待つのである。

ヴェネツィアのラグーナの蟹は独特で、4・5月の春と10・11月の秋に脱皮する。甲羅を脱ぎ捨て、柔らかくなる。この蟹を選別するために篩(tamiso)に掛ける。即ち、船上で三方に枠囲いのある長方形の台の上で選別される。〝モエーケ″は桶に入れられ、選を逃れた蟹は水に戻される。このやり方は言わば、漁はお相子勝負で、適した(枯渇しないように)、ラグーナの蟹のレベルが保持される。……

モエーケは料理の準備が整うと、フライにするためのレシピとしては、卵を存分に溶かした容器に生きたまま入れるのである。モエーケが卵を全部食べ終わると取り出し、フライ粉を塗し、フライパンの熱した油で揚げる。数分で蟹の裏側が黄色、表が赤くなったところで、油をよく切り、皿に盛り付ける。塩少々と白ワインのセッコで、さあ、召し上がれ。」

蟹(伊語granchio)はヴェネツィア語でgranzo(グランゾ、gransoのスペルも)。moleca(地中海いそわたり蟹の牡。牝はmasanetaで8~12月、特に10.10~11.05日が最も美味とされる)は、ヴェネツィア弁では母音の間の〝l″は無音になるので、moleca(モエーカ)と発声され、Lなしで〝moeca″[複数moeche]と書かれたりします。gondola(ゴンドラ)も〝ゴンドヤ″と聞こえたりします。日本ではソフト蟹とか英語式にソフトシェルクラブとか言っているようです。

残念ながらこの季節にヴェネツィアにいたことがなくて、未だにこの味を体験していません。
  1. 2016/04/18(月) 22:05:51|
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ヴェネツィアの食

食の細い私も、野菜と魚には興味があって伊語でどう言うか等、必死で覚えましたが、ヴェネツィアの伝統料理には言葉の問題もあって目を逸らしてきました。
Ricetta venezianaヴェネツィア料理大全『ヴェネツィア料理大全―食の共和国からのおくりもの―』(アルヴィーゼ・ゾルジ序文、ピーニ・アゴスティーニのレシピ、ルカ・ステッフェノーニ写真、中山悦子訳、JICC出版局、1993年1月5日)を知り、読んでみました。序文の中でゾルジの、16世紀、フランスのアンリ3世到来時のヴェネツィア人の料理での接待の描写が白眉ですが、ここでは現代に近い、食の事情を引用してみます。

「……第一次大戦後は、さまざまな新しい食習慣や食事時間がもたらされた。全国共通のものとなるスパゲッティなどのパスタ類やミラノ風カツレツをヴェネツィアでも食べるようになる。だが、いくつかの習慣は残った。

筆者が子供の頃に楽しみにしていたのはサン・マルティーノの日の“ペルセガーダ”(固いマルメロ・ジャム)である。この聖人の祝日(11月11日)には、騎馬姿の聖人をかたどったお菓子を子供たちに贈る。ヴェネツィアではそれをマルメロ・ジャムで作り、銀色の砂糖玉で飾るのである(香料入りケーキ、パンペパートで作ることもあった)。

それから11月2日の故人の日に食べたソラマメ型の《故人のソラマメ》は、乾いてパリッとしたアーモンド菓子である。焼きナシのほか小ダコなども、背中に銅製の大鍋を背負った行商人が、「熱いよっ、ゆでたてのアツアツ!」と声を上げて売り歩いたものだ(今ではこの銅鍋は骨董品ものなのだそうである)。

焼き栗や焼きイモも、よく道端で売っていた。リドの海岸で遊んでいて、カラメル売りの姿が見えると、我々子供たちは大騒ぎだった。「子供たち! カラメルのベーピが来たよ!」 これにははしゃがずにはいられなかった。果物を砂糖のカラメルでくるんだこの菓子は、今も道端で売っているが、贅沢な晩餐の飾りにも使われるそうである。

道で売っているものといえば、ほかにも“カラゴイ"(海の小カタツムリ)や“ガルーゾイ”(海のカタツムリ)などの美味な貝があった。これは、健康管理にうるさい、尊敬すべきヴィヴァンテ教授の指揮する市の衛生局が、やっとのことで追い払った。

その頃のヴェネツィアのトラットリアの多くはまだ、面白い発見の場であり続けた。歴史的に見ても、芸術、文学、そして料理の点からでもである。有名な《タヴェルナ・ラ・フェニーチェ》は、これまた有名なオッターヴィオ・ゾッピがやっていたが、マルセル・プルーストが友人の画家キース・ヴァン・ドンゲンとともに寄ったところである。

一方、“マガゼン”も“バスティオン”も失った庶民たちは、荒削りのトラーニを飲ませる“バカロ”に足を運んだ。 ……」
 ――『ヴェネツィア料理大全』(中山悦子訳、JICC出版局、1993年1月5日)より

一例《グリーンピースのリゾット》のレシピをどうぞ。
グリンピースのリゾットグリンピースのリゾットの写真  料理一覧料理一覧 2料理一覧 3ワインリスト
[上記ペルセガーダ(Persegada―ヴェ語)とは、甘い桃(persica(伊語)=persega(ヴェ語))の代わりに、かつてはヴェーネト一帯の農家の畑によくあったマルメロ(生食不適、marmelo葡語=cotogno伊語)で代用してジャムとして作られたため、名前だけが残ったものだそうです。2008.12.08日のS.Martinoも参考までに。]
  1. 2013/03/16(土) 00:02:19|
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食(2)

前回のブログ《食(1)》で書いたフォークについて、『食のイタリア文化史』(アルベルト・カパッティ、マッシモ・モンタナーリ著、柴野均訳、岩波書店、2011年2月25日)は次のように触れています。
『食のイタリア文化史』「……十四世紀のレシピ集のなかでただひとつ、ナポリの『リベル・デ・コクィーナ』にはラザーニャの料理法と味付けについて、次のようなこと細かな説明がある。発酵させた(これは例外的なものか、それともふつうなのか?)パスタの生地を薄く延ばして、指三本(の長さ)の四角形に切り分ける。これを茹でてから何層にも重ねながら、おろしチーズと(好みで)香辛料をふって味付けする。最後に、先を尖らせた木の道具で食べるようにという助言があるが、これはイタリアで早くからフォークが使われるようになっていたことをうかがわせる記述である。

イタリアでは十四世紀以後フォークはふつうに使われるようになっていたが、他のヨーロッパ諸国では十七、十八世紀になっても指を使う伝統を捨て去ることへの抵抗が残った。イタリアでフォークの普及が早かったのは、少なくともひとつにはパスタのように滑りやすく、また危険なほど熱くて《食べにくい》料理が食大系に組み込まれたことによるのだろう。……」

ヴェネツィアに関連しては次のような記述があります。
「ポーランドでの戦争を終えたアンリ3世を迎えてヴェネツィアの人々が準備した祝祭では、正餐のメニューについては何も伝わっていないが、砂糖細工に関する記述が残っている。全艦隊、きらびやかな旗、馬、ライオン、虎、主君を迎える大勢の人々、《教皇、王、枢機卿、統領》の胸像など、砂糖で作られた二百以上の細工物が二つのテーブルを占領した。

これは食べ物が会席者に記念として贈られるオブジェへと進化していった最終段階であった。砂糖やパイ生地、マジパンなどで作られた細工物は、地上のすべての産物に対する君主の政治権力を表現していただけでなく、俗世の空間、さらに歴史、神話、全ての創造物に対する君主の象徴的な支配を表していたのだ。……」
[2010.09.11日のフォースカリ館と2010.10.09日の文学に表れたヴェネツィア―ヴェローニカ・フランコで、ヴェネツィアでのアンリ3世について触れました。]

また最終章で肥満について次のように述べています。
「食に関する議論のなかで、肉体のもつ食欲が中心におかれていた時代がごく最近まであった。たくましい食欲とそれを十二分に満たすことのできる能力こそが、社会的威信のしるしであると同時に、健康の最上のしるし(と同時に手段)とされてきたのである。

栄養が行きとどいて丸みを帯びた腹は健康と豊かさおよび安定を伝えるものとされた。ある食卓を《脂ぎった(グラッソ)》と呼ぶのは、幸せな食卓と同じ意味だった。……」

しかし現在ではこの考え方は変化し、食養生学と医学から来る健康志向により、
「地中海式ダイエットなどの新しい神話を生み出した……消費者はどちらを向いてよいのかわからない。勘を頼りにカロリーやタンパク質、ビタミンの量を計算し、一週間ずっとリンゴを食べつづけたかと思えば、次の週にはバターを断ったりする。

その後そうしたダイエットにうんざりすると、たくさん食べることが健康につながっていた良き時代の素晴らしいバランスを思い出す。……」
  ――アルベルト・カパッティ、マッシモ・モンタナーリ著『食のイタリア文化史』(柴野均訳、岩波書店、2011年2月25日)より。

著者2人は食文化大学で教鞭を執り、スロー・フード運動に関わっている先生方だそうです。
台所単語集(1)台所単語集(2)料理用語単語集ガストロノミーア(gastronomia―料理法、食道楽)という伊語について。
1801年仏詩人 Joseph de Berchoux が『Gastronomie(美食術)』と題する長文詩を発表しました。古代ギリシア語《ガストロス(胃)》と《ノモス(規範)》を組み合わせて造語したのだそうです。その詩がエリダニオ・チェノマーノにより翻訳され、1825年『La Gastronomia ovvero arte di bel pranzare』として刊行されたことから、イタリアでもこの言葉の使用が始まったそうです。
  1. 2012/03/03(土) 00:02:47|
  2. ヴェネツィアの食
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食(1)(フォークについて)

NHKラジオ・イタリア語講座2011年4~6月に《イタリア・食のサロン(Salotto di Gastronomia)》という講座がありました。その中でフィレンツェのカテリーナ・デ・メーディチ(仏語カトリーヌ・ド・メディシス)[新教徒を抑圧して聖バルテルミの虐殺を黙認した]が1533年、後のフランス王アンリ2世に嫁ぎ、大勢の料理人や菓子職人を伴い、沢山の食材や食器・料理道具を携えてフランス入りをしたのだそうです。フィレンツェの料理が色々フランスに伝わったと思われますが、その中の一つにフォーク(伊語forchetta)もあったそうです。
NHKラジオ・イタリア語講座2011年4月古代ローマでは手摑みで食事をしたようです。ナツメヤシの実等いくつかの食べ物を取るための小さなフォークは昔もあったそうです。西ローマ帝国の没落と共にフォークの使用も途絶えます。

1003年[この当時は3月が一年の初月だったそうです]ヴェネツィアで、総督ピエートロ・オルセーオロ2世(在位992~1009)の息子ジョヴァンニに、ビザンティン帝国のコンスタンティノス8世[1025~28、その時はまだ帝位にありません。バシレイオス2世(976~1025)の時代]の姪マリーアが嫁いだ時の嫁入り道具の一つとしてフォークも持参し、ヴェネツィアで日の目を見たのだそうです。しかしその後、ヨーロッパの宮廷では引き続き使用されることはなかったと言います。

それは一つには、ビザンティンに対する偏見があったり、悪魔が地獄落ちした人間を貪り食うのに使った熊手(forca)と酷似していたということもあったそうです。いずれにしても2本歯等のフォークはレストラン等の厨房では使われていたそうで、2~3本歯等の歯は尖り過ぎていて、口に食事を運ぶには危なっかしいと思われたようです[フォークの歯、rebbio―伊語=branco―ヴェ語]。

人前で公然とフォークを使用した最初の人物は、カテリーナ・デ・メーディチとアンリ2世の息子アンリ3世で、とある居酒屋に立ち寄った時に使用したのだそうです。

ヨーロッパでフォークの使用が一般的になるのは1700年代になってからで、イタリアではそれ以前からパスタ料理のために定着していたそうです。現在使われている4本歯は1800年頃、ブルボン家のナーポリ王フェルディナンド4世の宮廷晩餐会で、庶民の食べ物だったヴェルミチェッリ(=スパゲッティ)を振る舞いたいと思い、侍従で技術者だったジェンナーロ・スパダッチーニという人がより食べやすく安全な4本歯のフォークを考案したと、吉川敏明『ほんとは知らない―イタリア料理の常識・非常識』(柴田書店、2010年3月15日)に出ています。
『イタリア料理の常識・非常識』フォークだけで食べるヴェルミチェッリ等ロング・パスタ類は元来庶民の食べ物だったとかで、上流社会の食卓に上ることはなかった故、賓客を迎える晩餐会などには正式な献立としてのることはなかったようです。

また現在、日本のイタリア料理店でお昼のランチにスパゲッティを注文すると、フォークとスプーンがセットで登場し、お客がスパゲッティをフォークで絡ませ、スプーン上で巻いて食べる風景を見掛けますが、私がヴェネツィアでファビアーナさんのプランゾに招かれた時、プリーモにスパゲッティを出すけれど、スプーンを使ってスパゲッティを食べるのはみっともないからやらないで、と釘を刺されました。スプーン上でフォークにスパゲッティをからめる行為は人前ではしてはならない、家庭内だけの児戯に類する作法(maleducato)のようです。

ヴェネツィアで4人でレストランに行き、全員がスパゲッティ・アッレ・ボンゴレを頼んだ時、カメリエーレが出来たてのスパゲッティを特大の皿に冷めないように大きな金属の蓋で蓋をし、サイド・テーブル(台車)を押して運んで来て、客の目前で4人の皿に装ってくれました[こういう風に客の前で蓋を取って供するのはヴェネツィア流のサーヴィスとのこと]が、それは片手にそれぞれフォークとスプーンを持ってのことでした。

上記の『イタリア料理の常識・非常識』によれば、シチーリアにはスパゲッティをスプーンも使って食べる、ある一地域があるそうで、その地のシチーリア人がアメリカに移民し、その作法をアメリカ人に教え、その教えがアメリカから日本へやって来て、普及したのではないかとしています。

いずれにしても、イタリアではスパゲッティ料理の時はフォークしか出て来ませんので、イタリアに行かれる方はフォークだけで食べられることをお勧めします。更にリゾットも4本歯のフォークで食べるのがイタリア式だそうで(3本歯では米が歯の間からこぼれます)、4本歯フォークで食べることの出来ないリゾットは、イタリア料理のリゾットの体をなしていないと、筆者のイタリアン・シェフは述べています。

[近年スーパー等で rucola をルッコラと書いた値札が下げてあったり(何故《ッ》が入るのでしょう?)、パルマ産のチーズ parmigiano-reggiano を、パルメザンと書いてあったりもします(英語風にはパーマザン・チーズ。パルマ産以外のチーズはパルミジャーノ・レッジャーノの呼称は使えない筈ですので、イタリアではパルマ産以外は英語を借用してパルメザン(パルマ風)とイタリア式に発音する、ということでもあるのでしょうか?)あるいは小学館の『伊和中辞典』がパルミジャーノ・チーズをパルメザンチーズとしていることに右へ倣えでしょうか、いずれにしても《食》の素人はどこの産かと混乱します。]    

2015.07.17日追記: 『フォークの歯はなぜ四本になったか』(ヘンリー・ペトロスキー著、忠平美幸訳、平凡社、1995.11刊―平凡社ライブラリー文庫化2010.01刊)という本が出版されていますが、上記のような歴史はご存じないのか書かれていません。著者の意向は、デザインは《形は機能に従う》のではなく《失敗に従う》という考えに集中しているようです。
  1. 2012/02/25(土) 00:03:45|
  2. ヴェネツィアの食
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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