イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ジョナサン・ホルト

『カルニヴィア1 禁忌』(ジョナサン・ホルト、奥村章子訳、早川書房、2013年9月15日)という推理小説があります。物語は次のように、いきなりヴェネツィアで始まります。

「プロローグ――ヴェネツィア 一月五日
ツーストローク・エンジンの小型ボートは、舳先にわずかなしぶきを散らしながら静かに船着き場を離れた。スロットルを握るリッチは、狭い船着き場にひしめく小さな釣り船や開店休業状態のゴンドラを避けて、巧みにボートを操った。仕掛けた籠にカニがかかっているかどうか確かめにいくというのを口実に、リッチは毎晩、ラグーナに出ていた。彼がときどきカニよりはるかに金になるものを手にするのを知っているのは、ほんの数人だけだった。誰かがこっそりボートでやって来て籠を沈めた場所を示すブイにくくりつけていった、青いビニールシートで覆った包みを引き上げているのを知っているのは。

ジュデッカ島を出てしばらくすると、リッチは背を丸めて煙草に火をつけながら、《もう大丈夫だ(E sicuro.)》と、小さな声で知らせた。
…… 」
カルニヴィア巻末の《解説》で、文芸評論家の池上冬樹氏がこの作品を次のように紹介されています。
「……
物語はまず、殺人事件をほのめかすプロローグのあと、非番の女性刑事が、一月の祝日の夜、ヴェネツィアの居酒屋で男を物色している場面からはじまる。イタリアには警察がいくつもあり、もっとも大きいのは内務省所属の国家警察と国防省所属の憲兵隊で、後者の刑事部のカテリーナ・ターボ大尉がある男をその夜の相手にしたいと考えているとき、携帯が鳴り、死体が発見されたといって呼び出される。

現場に駆けつけると、頭を撃ち抜かれた死体が教会の前に横たわっていた。どうやら高潮にのってラグーナから流されてきたようだった。冬はもともと潮位が高く、しばしば街が水浸しになり、数十センチ水没するのも珍しくなかった。運河の水が歩道にあふれるために死体も流れ着くのだ。

奇妙なのは、被害者が女性で、カトリック教会の祭服を着ていることだった。カトリックでは女性は司祭になれない。しかも腕にオカルトのシンボルとおぼしきタトゥーがあった。 ……」
  1. 2017/02/23(木) 00:12:54|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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文学に表れたヴェネツィア――タニス・リー

タニス・リーという英国の作家が『ヴェヌスの秘録』第1巻《水底の仮面》(柿沼瑛子訳、産業編集センター、2007年3月31日、他第4巻まで)が出版されています。このシリーズ第4巻《復活のヴェヌス》(2007年6月30日)のあとがきで、訳者は次のような解説を書いています。
水底の仮面ヴェヌスの秘録、2,3巻復活のヴェヌス「……本作『復活のヴェヌス』は四部作を締めくくる作品でもあり、ここでこのシリーズについても少しお話しておくことにします。このシリーズはいずれも水上都市ヴェヌスを舞台にしていますが、これはもちろんイタリアのヴェネチアがモデルになっています。役者もかつてヴェネチアに三回ほど滞在したことがあるのですが、車というものが存在しない街のたたずまいには、かつて某文豪が語ったように、どことなく夢のなかの街のような、日本に帰ってきてからも、はたしてあれは現実にあったのだろうかと思わせるような、どこか幻想めいた雰囲気があります。幻想が紡ぎ出す現代の語り部タニス・リーにとっても、これ以上に舞台としてふさわしい場所はないでしょう。

まず第一巻『水底の仮面』は十八世紀初頭のヴェヌスが舞台になります。ある事情からヴェヌスのスラム街に身を落とし、今は怪しげな錬金術師の弟子として鬱々たる日々を送る、怒れる貴族の青年フリアン。彼は仮面をつけた美女エウリュディケに出会い、恋に落ちてしまいます。そして彼女を巡る謎、とりわけ彼女に捧げる歌を残して死んだ、ある青年作曲家の歌を巡って、ヴェヌスのもっとも影の領域へと足を踏み入れていきます。謎の仮面ギルド、錬金術、蘇生する鳥と、いかにもリー好みの素材を駆使した冒険ロマンスが展開されます。……

第二巻『炎の聖少女』はさらに時代をさかのぼり、ちょうどフィレンツェでサヴォナローラらによる宗教改革運動がまっさかりだったころの中世ヴェヌスが舞台になります。火を呼ぶ能力のある奴隷の少女ヴォルパが、醜い世俗の権力に翻弄されながら、本人もまったく与り知らぬうちに聖女とされていくという、どこかジャンヌ・ダルクを思わせるストーリーですが、さらに彼女と、神以外の何者をも愛することのない氷のようなキリストの戦士との、およそあり得ぬ恋の物語になっています。……

第三巻『土の褥に眠る者』はルネッサンス最盛期のヴェネチアが舞台の華麗なる復讐譚であり、タニス・リーの作品に共通して流れるテーマである〈輪廻〉と〈変身〉がもっとも色濃く出た作品であるともいえます。墓堀人バルトロメの口を通して語られる敵対するふたつの名家をめぐる血なまぐさい復讐の年代記。主人公のベアトリクサとシルヴィオは対立するふたつの家というだけでなく、さらには人間と幽霊という世界にも隔てられた、いうなれば二重の意味での「ロミオとジュリエット」なのですが、このふたりの恋の行方と、さらに全編に流れる残酷美は、まさしく血とエロチシズムの作家であるリーの真骨頂といえるでしょう。……

そして第四巻であり、シリーズ最後の本作品『復活のヴェヌス』では一気に時代は未来に飛び、すでに水没し、海中ドームの中の水中都市として保存されているヴェヌスが舞台のSF仕立てになっています。昔の死人を再生させるという一大プロジェクトにより、未来のヴェヌスによみがえった古代ローマ時代の女性剣闘士と、十七世紀の作曲家、そして避け難い運命に導かれてヴェヌスにやってきた、暗い影を負うミュージシャンのピカロと、常に怒りに燃えている古代学者のフレイド、この四人の運命がクアルテットのごとくからみあいながら、最後にヴェヌスの運命おも含めた壮大なクライマックスを迎えることになります……。」
  ――タニス・リー著『ヴェヌスの秘録』第4巻《復活のヴェヌス》(柿沼瑛子訳、産業編集センター、2007年6月30日)“あとがき”より
  1. 2017/01/26(木) 00:04:12|
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文学に表れたヴェネツィア――メアリ・ホフマン

メアリ・ホフマン著『ストラヴァガンザ 仮面の都』(乾侑美子訳、小学館、2010念7月4日)という児童書を読んでみました。すらすら読めます。現実のヴェネツィアを“ベレッツァ”、イタリアを“タリア”と名付けた架空の国のお話です。《訳者あとがき》から引用してみます。
『ストラヴァガンザ』「遠くアドリア海をのぞむイタリア本土から船で、浅緑の波のゆれるラグーナを行くと、やがて波の向こうに丸い教会の屋根や尖塔が見え、きらめくような美しい町があらわれます。水の都とよばれるヴェネツィアです。

二十一世紀のロンドンに住む少年ルシアンは、ふと手にした手帳を持ってねむりにつき、気づいてみればこのヴェネツィアに来ていた――。ルシアンはそう思ったのですが、そこはヴェネツィアではなく、ヴェネツィアそっくりの、でも町のあちらこちらに魔法の力が働く都ベレッツァで、しかも時は十六世紀でした。不思議な手帳がルシアンに、時空をこえる旅をさせてくれたのです。

ラグーナに囲まれたベレッツァは、ヴェネツィアではないとはいえ、二つの都はそれぞれの歴史も、住む人々の気質も、風習も、建物や風景も、微妙に重なり合います。物語の中ではそれがおたがいにうつし合い、反射し合って、ちょうど、この物語に出てくる「ガラスの間」の幻影のように、どれが実像でどれが虚像なのか、すべてが夢のようにとけ合ってしまいそうな、不思議な世界が現出します。  

読者は現実と幻影の間を行ったり来たりするうち、いつの間にか魔法の世界に引きこまれてしまう――もしかすると、めまいにも似たこの不思議な感覚こそ、本書の最大の魅力かもしれません。

ベレッツァという都の美しさ、不思議さには、本書の中でふれていただくとして、ここでは、現実世界のヴェネツィアをちょっとのぞいてみたいと思います。

ヴェネツィアは水の都、波間にうかぶ夢の都、と人は言います。本土から少しはなれた島にある町、ではありません。ラグーナとよばれる干潟が多いとはいえ、まぎれもない海の中に、人の手で木の杭を無数に打ち込み、石を運んでつくりあげた町です。小さな島をいくつもつなぎ、島と島の間の水路を道がわりにして、大聖堂をつくり、館を建て、ここを拠点として地中海交易にのりだしました。

中世のある時期、ヴェネツィアは、ヨーロッパでもっとも栄えた都市の一つであり、商業だけでなく、学問や美術や文化の中心でもありました。裕福な商人たちが肩で風を切って歩いていたことだろうことは、シェークスピアの『ベニス(ヴェネツィア)の商人』の舞台になったことからもうかがえます。

中世のヨーロッパ社会は、いろいろな意味で、東方世界の影響を受けていました。交易品のほかにも、学問や文化や、そうしておそろしい病気までも、東からヨーロッパに入ってきました。その玄関口だったのが、ヴェネツィアです。ヴェネツィアは死のイメージの濃い町でもあります。夢の都ベレッツァでも、ペストの流行で住民の三分の一が亡くなっています。……」
  1. 2016/12/22(木) 00:10:41|
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文学に表れたヴェネツィア――篠田真由美著『水冥き愁いの街』

篠田真由美さんの『水冥き愁いの街(みずくらきうれいのまち)――死都ヴェネツィア 龍の黙示録』(祥伝社、平成18年5月20日)というノン・ノベルの、壮大なスケールで描く吸血鬼伝説《龍の黙示録》の一冊に、ヴェネツィアを舞台にオドロオドロした物語が展開します。筋は直接読まれることとし、氏のヴェネツィア知識の豊富な一端を以下に若干引用させて頂きます。

「……イタリア語で広場は通常ピアッツァという。だがヴェネツィアでピアッツァの名をもって呼ばれるのはピアッツァ・ディ・サン・マルコのみで、市内に散らばる大小の広場はすべて本来は畑の意味を持つカンポの名が当てられる。水路が道の代わりであったヴェネツィアでは、家は基本的に水路に入り口を向けて建てられ、中央に残された土地は耕作されて畑になっていた。高密度の都市となり、畑が消えて何百年経とうと、過去に由来するヴェネツィアの地名が変わることはない。
水冥き愁いの街唯一のピアッツァ、サン・マルコ広場は昔もいまもヴェネツィアの中心だ。市場や芝居小屋が立ち並び猥雑な活気に溢れていた共和国の時代から、観光都市として整備され街全体が生きた美術館と化した現代まで。」
……
「ここはヴェネツィア本島の東端近く、サン・ピエトロ島と呼ばれる地域だ。
都市の中核である魚形の本島は、実のところ橋で繋がれた数十の小島の集合だ。呼び名は『運河』でも、土地に水路が掘削されたのではなく、浅い泥と砂の潟(ラグーナ)を流れる天然の水流を残して、その周囲を埋め立てて土地にしたもの、それがヴェネツィアなのだ。

魚の尾びれの中央部、旧国立造船所の東に正方形をやや崩したような形のサン・ピエトロ島も、ただ二本の橋でそれ以外の地域と結ばれる。島の中心部に建つのは、サン・ピエトロ・イン・カステッロ聖堂。それに隣接する旧総大司教宮殿の中の一室で、女ふたりのひそやかな交歓が行われている。

サン・ピエトロ・イン・カステッロ聖堂は、ローマ・カトリック教会における職制の中でも非常な高位である総大司教の座のある教会、カテドラーレである。

ヨーロッパを旅した人間なら、中心部の繁華な広場に面して信仰の中心である司教座聖堂(カテドラル)と、政治の場である市庁舎や王宮がそびえるのが中世からの都市の典型であると気づいたことであろう。ところがヴェネツィアのカテドラルは中心どころか、訪れる人も余り多くない東端部に置かれている。

サン・マルコ広場に金色燦然たる正面を向けて、共和国の政治を司った元首宮殿に並んで威容を誇るサン・マルコ大寺院は、しばしば誤解されるがカテドラーレではない。いかに著名ではあっても、教会内のヒエラルキーではそれは元首の私的礼拝堂という位置づけになる。
[サン・マルコ寺院がヴェネツィア大聖堂と呼ばれることになるのは、共和国がナポレオンに滅亡させられ(1797年)、総督の私的礼拝堂ではなくなり、1807年司教座が置かれたことに始まります。カトリックでは司教座が置かれた教会は大聖堂(Duomo)と呼ばれ、それ以外は単に教会(chiesa)ですので、例えばアッシージの聖フランチェスコのサン・フランチェスコ教会は、守護聖人聖ルフィヌスのアッシージ大聖堂より格段に巨大でも“教会”です。]

事実サン・マルコ大寺院の運営は、政府が選んだ役人によって行われ、集まる莫大な寄付にヴェネツィア総大司教は一切手をつけることが許されなかった。つまりこれほどにかつてのヴェネツィア共和国での、政教分離、より正確にいうなら教皇庁からの独立を形で示す事実もないのだった。」
……
「共和国が繁栄を極めた時代、もっとも重要な祭典は『海との結婚』、壮麗な御座船に乗った元首が舳先から結婚の指輪を投じて、共和国と海との祝福された繋がりを確認するものだった。祭りとは決して個人的な楽しみごとではなく、国の内外に向かって発信する優れて政治的な表現だったのである。

謝肉祭と仮装、仮面が盛んになり、訪れる外国人にも知られるようになっていったのは18世紀、オスマン・トルコとの戦いに敗れてすべての海外領土を失い、欧州貿易の拠点としての地位を手放して、いわば優雅な晩年を迎えた末期のことだった。辛うじて独立国の体裁を保ち、未だ他国の支配を受けないで済んでいるというだけの。

その時代のヴェネツィアの仮面祭りは、教会暦における四旬節前の一週間程度、つまり本来の謝肉祭の期間だけでなく、いくつかの中断期、たとえば降誕祭前などを挟みながらおよそ年の半分は続いていたという。……」
  1. 2016/09/22(木) 00:05:20|
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文学に表れたヴェネツィア: マーリオ・ソルダーティ

マーリオ・ソルダーティとは、如何なる作家なるや。Zeppelin, citta` raccontate da scrittori 『Venezia』(I libri di diario)では、次のように紹介しています(1906.11.17トリーノ~1999.06.19テッラーロTellaro[ラ・スペーツィア湾に面する])。
『Venezia』Mario_Soldati[ヴェネツィア・リードにて。イタリア・サイトから借用] 「マーリオ・ソルダーティは1906年トリーノに生まれた。1924年僅か18歳で、喜劇『Pilato』で作家デビューした。続いて1929年短編集『Salmace』で批評家の注目を集めた。同年合衆国に移動し、1931年までコロンビア大学で教えた。その間の事は、文学日誌『初恋、アメリカ』(1935)に凝縮している。

1931年には映画に接近し、文学にインスピレーションを得た一連の映画『Piccolo mondo antico』『Malombra』『Policarpo ufficiale di scrittura』『La provinciale』等を監督した。続いて、長編小説的筋書きの物を出版した。それは推理小説的要素とグロテスクな要素を兼ね備えており、引き摺り込まれるような物語的構成で描かれており、辛辣なエスプリと鋭い皮肉に満ちている。

著名な作品に次のものがある。『Le lettere da Capri』(1953)、『Il vero Silvestri』(1957)、『Le due Citta`』(1964)、『La sposa americana』(1978)、『Rami secchi』(1989)、『La finestres』(1991) 」
河の女[サイトから借用]  日本では、ソルダーティはソフィーア・ローレンの『河の女』の監督・脚本家として等、映画関係で知られた人のようです。その他和訳された小説に『偽られた抱擁(Le lettere da Capri)』(清水三郎治訳、講談社、1959)や『現代推理小説全集 第14巻《牝狼/窓》』の『窓』(飯島正訳、東京創元社、1959)、『現代イタリア短編選集《雲の上の足跡》』(大久保昭男訳、白水社、1972)等々。本邦未訳ですが『La seggiolina del Florian』というヴェネツィアを舞台にした短編もあるようです。

それではこの本の本文を:
「随分前から、真冬ヴェネツィアで何日か過ごしたいと願っていた。滞在を楽しむためだ、この町とは正に、平和で、静寂で、過去の栄光の貴族的寂しさに満ち、甘美なのだった、が現在においても、やはりそうなのだ。商業の仕事で訪れる多くの外国人に壊されてしまった別の季節の魅力、且つ乱痴気騒ぎ可能な、且つバクーニンの集団生産主義的な、あるいはまた嘘偽りの騙し打ちの面白さ。
……
幸いなことにヴェネツィアでも雨が降っていた。サン・マルコ広場までヴァポレットに乗船した。食堂を探しに通りをうろつく前に、宿に行き、荷物を置き、部屋を決めて置きたかった。

全ては、予想し夢見ていたことだ。モロズィーン広場、スペツィアーレ橋、ラルガ通りがあった。雨が降っている。船の明かり、商店の看板の明かりが偶々消えずに点いたまま、平たい壁に映えている。

生き物の姿はない。かしこには、サン・モイゼ教会のファサードがひっそりした雨の向こうに烟って、霞んでいる。 」
 ――『La messa dei villeggianti』(モンダドーリ社、1959)
  1. 2016/04/14(木) 00:05:34|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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