イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

カッコウとホトトギス

2012.03.10日に Cucu`, cucu`, eccomi![居ない、居ない、バー!]を書きましたが、cucu` は隠れん坊で《鬼さん、こちら、手の鳴る方へ》の意でも使われるそうで、この言葉はカッコウの《ククー、ククー》=《カッコー、カッコー》という鳴き声の意でもあります。

《無能無芸にして只此一筋につながる》のはひたすらヴェネツィアについて(誤りを含めて)書くことですが、先日偶々《ほととぎす》を和伊辞典で引くと《cuculo(カッコウ)》とあり、更に調べてみるとホトトギスは、カッコウ類の一種のホトトギス目ホトトギス科の鳥(カッコウも同目同科同類)であり、伊和辞典ではホトトギスもカッコウも cuculo です、日本の図鑑では別の鳥扱いになっていますが。日本で言うホトトギスはヨーロッパには飛来しないのでしょうか。

伊語 cuculo(or cuculio)は、仏語 coucou、英語 cuckoo、独語 Kuckuck、西語 cuco、ヴェネツィア語 cuco 等です。2012.04.01日に書きましたヴェネツィア映画『旅情』は、原作が『ウェスト・サイド・ストーリー』の作者 Arthur Laurents のヒット劇作品『The Times of the Cuckoo(カッコーの季節)』で、その映画化だそうです(英語ではホトトギスは Eurasian little cuckoo と辞典にあります)。

カッコウもホトトギスも、カッコウ類の鳥には、托卵という習性があるのだそうです。ホトトギスの托卵相手は特に鶯が多く、この鳥は巣作り、抱卵、育雛は一切行わない詐欺師のような怠け者だそうです。卵の色がよく似ており、鶯の巣に卵を置くと代わりにそこにある一卵を飲み込むかくすねて持ち去ります。抱卵で雛が孵るのに自分の卵より日時が長い鳥の巣を狙って托卵するのだそうです。

ホトトギスの雛が先ず誕生するとその雛はそこに在る自分以外の卵一切を巣から排除して、仮親からの餌を独り占めします。同時に2卵が孵った時にはホトトギスの雛とその巣の雛との熾烈な戦いが始まります。というより、体の大きなホトトギスの雛が、一方的に戦う意思のない鶯などの雛を巣から追い出す恰好なのでしょう。当然追い出された雛の運命は明確です。そんな体も大きな雛に鶯の親鳥は餌を与え続けるのが不思議です。
郭公の雛とオオヨシキリ[ウィキペディア《托卵》より借用。郭公の雛に餌を与えるオオヨシキリ] こうした、この鳥の悪辣な生態が判明したのは近年のことなのでしょうから、こんな居直り強盗のような生態を知っていれば、奈良時代の昔からこの鳥を愛でるというということがあり得たでしょうか。

初夏を告げ、田植えの時期を知らせる鳥として愛されてきたホトトギスは万葉集の昔から、古今集、新古今集等と歌われ続けてきた鳥としても一番多く取り上げられてきた鳥だそうです。日本人に一番愛されてきた鳥だったということでしょうか。

そういう歴史がある故か、ホトトギスの漢字名等は次のように多いのです(辞典以外の書からも、異名、別称を含めて探してみました)。

時鳥、(山)郭公、不如帰、子規、子雋(雋の偏に鳥の旁で作る字―しき)、催帰、帝魂、蜀魂(しょっこん)、霍公鳥、沓手鳥、早苗鳥、卯月鳥、賤子鳥、橘鳥、更に、杜鵑[とけん]、田鵑、盤鵑、杜宇、買危(危の偏に鳥の旁を付けた字―ばいき)、雟周(攜から手偏を取った字―けいしゅう)、沓乞、謝豹、單圭(この2字の單圭にそれぞれ鳥の旁で作る字―たんけい)、そして四手(死出)の田長(しでのたおさ)、冥土の鳥、魂迎え鳥、時つ鳥、鶯の養子、あやめ鳥、夕かげ鳥、いもせ鳥、うない鳥、等。この鳥の歴史の深さを感じます。
[PC には余りにも正字がないので、ない漢字を言葉(偏と旁)で説明してみました。]

日本では千載集から百人一首に選ばれた《ほととぎす鳴きつるかたを眺むれば、ただありあけの月ぞ残れる》という藤原実定の歌が一番人口に膾炙しているだろうと思われます(私が記憶している唯一のホトトギスの歌)。歴史書によく取り上げられる《なかぬなら殺してしまへ時鳥 信長》《鳴かずともなかして見せふ杜鵑 秀吉》《なかぬなら鳴まで待よ郭公 家康》の対比は、知らない人はいないのでは、と思います。
ホトトギス草[ホトトギス(杜鵑草、郭公草、油点草)という草もあるようです] 私にとって伊語の cuculo と言えば、同じホトトギス科カッコウ類のカッコウ(郭公、閑古鳥、呼子鳥、合法(がっぽう)鳥、布穀(ふふ)鳥、かっこ鳥、等)を歌った宮澤賢治の『セロ彈きのゴーシュ』の一節が先ず思い浮かびます。
『宮澤賢治全集 10巻』「……いきなり天井の穴からぽろんと音がして一疋の灰色の鳥が降りて來ました。床へとまったのを見るとそれはくゎくこうでした。
《鳥まで來るなんて。何の用だ。》ゴーシュが云ひました。
《音樂を教はりたいのです。》
 くゎくこう鳥はすまして云ひました。
 ゴーシュは笑って、
《音樂だと。おまへの歌は、かくこう、かくこうといふだけぢゃあないか。》
 するとくゎくこうが大へんまじめに、
《ええ、それなんです。けれどもむづかしいですからねえ。》と云ひました。
《むづかしいもんか。おまへたちのはたくさん啼くのがひどいだけで、なきやうは何でもないぢゃないか。》
《ところがそれがひどいんです。たとへば、かっこう とかうなくのと、かっこう とかうなくのとでは聞いてゐてもよほどちがふでせう。》
《ちがはないね。》
《ではあなたにはわからないんです。わたしらのなかまなら、かっこうと一萬云へば一萬みんなちがふんです。》 ……」
 ――『宮澤賢治全集 10巻』(筑摩書房、昭和四十二年十月二十五日)《セロ彈きのゴーシュ》より

ヴィヴァルディ作曲の『カッコー』(RV335)を YouTube でどうぞ。『カッコー』です。
  1. 2012/08/04(土) 00:36:25|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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