イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ニコロ(Nicolò)、ニコーラ(Nicola)、ニッコロ(Niccolò)

先日、サン・ニコロ・デイ・メンディーコリ教会について書きましたが、Nicolòという名前は、質屋、パン屋、旅行者の守護聖人名で、Niccòla, Nicòlas, Nicòlo, Nicolào, Nìcolo, Nìccolo等(上記を含め)色々変化形があり、それに-ettoや-ino(縮小辞)が付く形もあります。ジュゼッペ・ピターノの名前辞典からNicolaの項を訳してみます。
名前辞典「Nicola(古形はNicolao、その後Nicolò、Niccolòとなる)は、そのオリジンは非常に古い。羅典語のNicolau(m)を経てイタリア語に至ったが、元々はギリシア語のnikào(=vincere)とlaòs(=popolo)が元で、意味する処は人民の中の勝者である。この名前は、聖ニコラウスがバーリの守護聖人になったことから、特に南部で流布し、バーリでは12月6日が祝祭日である。

伝説によれば、聖ニコラウスはコンスタンティヌス大帝時代のリュキア(Licia)地方のミュラ(Mira)の司教であった[リュキアは小アジアの古代地名で、Caria、Pisidia、Panfilia等を含む地域]。トルコ軍が到来し、62人の兵士が異教徒の襲撃にも拘らず、聖遺物を持ち出し、バーリへ運ぶことが出来た。

聖ニコラウスは全キリスト教地域で最も著名な聖人の一人であり、北欧の国々での聖ニコラウスあるいはサンタ・クロースが毛皮で裏打ちされた帽子を被り、贈り物の詰まった籠を背負った、イタリアのバッボ・ナターレ(Babbo Natale)と同定されている。この同定は聖ニコラウスが特に貧しい人や子供達に対して特別優しいという事から来ている。

ニコーラがロシアからの名前であると考える人がいるが、この名が全オリエントで特に崇拝されている事実から見て、それは間違っている。ロシアには彼に捧げた教会が一杯ある。そうした地区での名前の遷り変りは、文学作品やロシア史での数多くのニコライ(Nicola)に寄るのである。そしてロマノフ王朝の2人の著名なツァーリ(皇帝)、ニコライ1世とニコライ2世がある。2世は1917年3月2日のロシア革命により退位させられ、皇帝一家は全員1918年7月17日処刑された。

5人の教皇がこの名前である。歴史家ニッコロ・マキアヴェッリ、天文学者・物理学者ニコラウス・コペルニクス[羅典式―伊語式Niccolò Copernico―ポーランド式 Mikołaj Kopernik、ミコワイの“l”は/が重なる波国文字]、彫刻家ニコーラ・ピザーノ、ニッコロ・デッラルカ、ニコーラ・ダ・レーイダ、ニコーラ・ディ・バルトロメーオ・ダ・フォッジャ、画家ニッコロ・デッラバーテ、ニッコロ・ディ・リベラトーレ(通称ラルンノ)、ポルターユの創始者サン・ゼーノ・ア・ヴェローナ、人文主義者ニッコロ・ニッコリ、古代ギリシア歴史家ニコラーオス・ダマスケーノス(Nicola Damasceno)、文学者・愛国者ニッコロ・トンマゼーオ[1848年ダニエーレ・マニーンと共にヴェネツィアをオーストリアから解放しました]、マッシモ・ダゼッリオの小説『ニッコロ・デ・ラーピ』の主人公。

ニコライ・ロストフはトルストイの『戦争と平和』の登場人物である。ニコレットは仏国中世の歌物語『オーカッサンとニコレット(Alcassino e Nicoletta)』の恋人(女奴隷)役である。トルディ・ミクローシュ[Toldi Miklós―洪国は日本式姓・名の順]はハンガリーのドラマや詩歌の主人公で、その大衆性はヤーノシュ・アラニ[『トルディ』の3部作があります]がハンガリー気質の殆どシンボルとならしめたものである。

現代人では、歴史家ニコーラ・トゥランファーリァ、歌手ニコーラ・ディ・バーリとニコーラ・アリリアーノ、ファッション・デザイナーのニコーラ・トゥルッサルディ、哲学者ニコーラ・アッバニャーノがいる。

聖ニコラウスの祝日は12月6日で、ニコロ等、この名を持つ人の聖名祝日である。

この名前の変化形と外国での綴り: Nicolino、Nicolina、 Nicoletta、Coletta、Nico、Nicolào、仏国―ニコラ(Nicolas)、ニコル(Nicole)、コラン(Colin)、コレット(Colette)、英国―ニコラス、ニック、独国―ニコラス(Nicolas)、ニコラウス(Nicholaus)、ニクラウス(Niklaus)、クラウス(Klaus)、蘭国―ニコラース(Nicolaas)、丁国―ニルス(Niels)、瑞国―ニルス(Niels)、洪国―ミクローシュ(Miklós)、波国―ミコワイ(Mikołaj)、西国―ニコラス(Nicolás)、葡国―ニコラウ(Nicolau)、露国―ニコライ(Nikolay)、スラヴ―ニコレンカ(Nikolenka)、ニキータ(Nikita)」
  1. 2018/05/03(木) 11:44:31|
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イタリアの名前: ジョルジョ/ジョルジャ

私がヴェネツィアで見た、大好きな画家と言えば、ヴィットーレ・カルパッチョですが、特にカステッロ区にある小さな同信会館サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニにある聖ゲオルギウスが竜を退治する絵は私にとって最高です。三度は見に行きました。パリに行った時、ギュスターヴ・モロー美術館に行きました。最上階のメイン大広間で見たのは、モローが愛したに違いない画家カルパッチョの『聖ゲオルギウス、龍を退治する』の原寸大の模写絵が飾られていることでした。
『竜を退治する聖ゲオルギウス』ギュスターヴ・モローの模写この絵はリビアの都市シルシャを通り掛かったゲオルギウスが人間の肉を好む竜の生贄にされようとした王女の命を救った話を描いたものだそうです[詳しくは『黄金伝説』(ヤコブス・ウォラギネ著、前田敬作・今村孝訳、平凡社文庫、1~4巻、2006.05.10~)でどうぞ]。同じ主題の聖ゲオルギウスの竜退治の絵がサン・ジョルジョ・マッジョーレ島の修道院にもあることを最近知りました。それは修道院の奥深くに飾られているそうですから、一般人には見ることは出来ませんが。

ジュゼッペ・ピッターノ著『名前辞典』(Sonzogno、1990年3月)はゲオルギウス=伊語Giorgioについて次のように語っています。
名前辞典「この大変有名な名前Giorgio /Giorgia は、下流階級の出である。事実ギリシアの農民、百姓を意味する gheorgo's に由来する。意味はそうだが、この名は竜に捕らわれた王女を、その竜を殺して救った聖人伝説が知れ渡ったお陰で、大変な幸運に恵まれた。

このため聖ゲオルギウスは騎士や十字軍士の守護聖人で、ラッファエッロやカルパッチョ、ドナテッロその他の画家達によって、竜を槍で刺し殺す姿で描かれた。

歴史上、この名を冠した有名な人物は満ち溢れている。ボヘミアの王、ブルガリアの2人のツァー(ツァーリ)、ロシアの12人のツァー、イギリスの6人の王、ギリシアの2人の王等。宮廷以外では、フランス革命時の山岳党のジョルジュ・ジャック・ダントン、画家としてはジョルジョ・ヴァザーリ、ジョルジョーネと通称されたジョルジョ・バルバレッリ(ヴェネツィア語ではゾルゾーン)、ジョルジョ・モランディ(伊画家、1890-1964)。

米国初代大統領ジョージ・ワシントン、仏国作家ジョルジュ・サンド、英国詩人ジョージ・バイロン、独国生まれ音楽家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(帰化した英国ではジョージ・フレデリック・ハンデル)、仏国推理小説家ジョルジュ・シムノン、現代作家ジョルジョ・バッサーニ(1916~2000)、歴史家ジョルジョ・スピーニ、シンガーソングライター、ジョルジョ・ガベール、政治家ジョルジョ・ラ・ピーラ、画家ジョルジョ・デ・キリコ、作家ジョルジョ・アルベルタッツィ、女優ジョルジャ・モール、演出家ジョルジョ・ストレーレル(1921~1997)、ファッション・デザイナー、ジョルジョ・アルマーニ、詩人ジョルジョ・カプローニ。

その他、ジョージ・バーナード・ショー、ジョルジュ・ベルナノス、ジョージ・オーウェル、作家ジョルジョ・マンガネッリ、ジョルジョ・サヴィアーネ、ジョルジョ・ボッカ、漫画家ジョルジョ・フォッラティーニ、昆虫学者ジョルジョ・チェッリ等。

教会はジョルジョ/ジョルジャを4月23日に聖名祝日として祝います。

外国名としては、ジョルジュ、ジョルジェット、ジョルジーヌ(仏)、ジョージ、ジョージーナ(英)、ゲオルク、イェルク、ゲオルギーネ(独)、イアグン(デンマ)、ホルヘ(西)、ジョルジェ(葡)、ユーリイ、ゲオールギイ、イーゴリ(露)

伊語の変形: Giorgetto、Giorgino(男)、Georgia、Giorgetta、Giorgietta、Giorgina、Georgina(女) 」

ヴィットーレ・カルパッチョについては、2012.10.27~02012.11.10日カルパッチョ(1~3)で触れました。
  1. 2015/05/21(木) 00:02:19|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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