2000年1-3月に、ヴェネツィアで初めて語学学校に入学しました。
1ヵ月半の間借りたアパートは、ヴァポレットのサン・トマ(S. Toma`)停留所の、大運河の対岸真正面にある、モチェニーゴ館(Ca’ Mocenigo)でした。サン・トマ駅から見ると、左から「イル・ネーロ(黒)」「ヌオーヴァ(新)」「ヴェッキア(旧)」と3棟のモチェニーゴ館が並んでいます。
借りたのは右側のカ・ヴェッキア(Ca’ Vecchia)の1区画でした。マルコ・ポーロ空港に着いて、空港からタクシー船で案内され、大運河の表玄関から入館した時は、大変な感激でした。やって来るまでは、大運河に面した貴族の館に住むなどという実感は全然なかったからです。
初めてのアパート生活となると、食品等の買物その他のために周りの地理を覚えることが先決です。アパート生活中、鍋の蓋の摘みのねじが紛失した時、探し当てた金物屋さんにピッタリの物がありました。今ではその店も無くなり、ヴェネツィアの人々が土産物屋ばっかりが増えていくと嘆く気持ちが、よく分かります。
学校のあるサンタ・マルゲリータ広場(Campo S. Margharita、私の参照している地図は、Helvetia出版『Calli, Campielli e Canali』で、ヴェネツィア語を多用しているようです)へは、近くのトラゲート通り(calle del Tragheto o Garzoni)から、トラゲット(traghetto、渡し舟。当時700リラだったでしょうか)で渡河するのが早かったのですが、アッカデーミア橋を渡って通学しました(所要時間10分)。
それを機会に、大運河に面した館のことを書いた本を買ってきて読んでみました。Raffaella Russo著『Palazzi di Venezia』(arsenale editrice、1998)という簡単な文庫本です。
ナーポリで異端の嫌疑をかけられ、1576年に逃亡し、アルプス以北の国々(北イタリアからジュネーヴ、パリ、ロンドン、ウィッテンベルク、プラハ、フランクフルトと漂泊)を放浪していた哲学者ジョルダーノ・ブルーノは、1591年ヴェネツィアにやって来ます。ジョヴァンニ・モチェニーゴがそれを聞き付け、彼を自分の館に招待します。ジョヴァンニは錬金術の秘密を彼から教わろうとしたのでした。
哲学者にはそれは無理なことだったので、ジョヴァンニは「Cristo e` tristo.(キリストは邪悪だ)」「Niuna religione gli piace.(宗教は好きになれない)」等を口にしたとして、彼は異端者だ、とヴェネツィアの異端審問所に訴え、彼はこのカ・ヴェッキアで捕らえられます。
ローマに送られ、7年の刑を言い渡されますが、「異端思想」を捨てなかった(non ha abiurato)ため、1600年2月にローマのカンポ・デイ・フィオーリ(Campo dei Fiori)広場で火炙りの刑に処されます。
初めは快く招いてくれた人間が、後で裏切って自分を死に追いやった、その者の家の中庭に、火刑になった日に幽霊となって現れるという噂がすぐに立ち、言い伝えとなっていると書かれています。
その日学校から帰ると、復習をしながら伊語の音声に慣れるため、RAIのヴェネツィア放送を聴いていました。ジョルダーノ・ブルーノの名前が何度も繰り返されたので注意をして聞いていると、その日17日は彼の命日で特別番組が放送されていたのでした。
その日は深夜までワインなどをすすりながら、中庭(大部荒れていましたが相当に広く、狭いヴェネツィアの土地に比し、中庭を広く持てるのは貴族の誇りなのでしょう)を凝視していたのですが、東洋人に人見知りをしたのか、彼は姿を見せてくれませんでした。
2000年の大聖年、それも彼の死後400年回忌に彼の運命を決定的に左右した館に滞在したことで、私はそれ以来ヴェネツィアという町に非常に不思議な因縁を感じています。
ローマのカンポ・デイ・フィオーリは、毎日(日曜日を除く)午前中、野菜、肉、魚などの市場が立ちます。ジョルダーノ・ブルーノは今では自分が処刑されたその広場で銅像となって、ローマ人の活気ある日常生活を眺め下ろしていますが、自分の思想は間違っていなかったと思っているに違いありません、故ヨハネス・パウルス2世(1978-2005在位)はガリレーオ・ガリレーイに下した教皇庁の判断は誤りだったと認めたのですから。
- 2007/11/07(水) 00:05:39|
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テニス部に入る子が増えたように思います。誠之助pescecrudoヴェネツィアを撮した映画(1)ペさん、石井のクンちゃんと会ったんですか!
彼はテニス部のキャプテンをしていた時に私とペアを組んで個人、団体の両方で1年間全優勝しました。
私が生意気だということSeptember30ヴェネツィアを撮した映画(1)september さん、石井のクンちゃんと言えば、もうだいぶ前のことですが、妻の友人が、知ってる人を連れてきたよと言って、
北里病院の同僚だったクンちゃんを連れて家に現pescecrudoヴェネツィアを撮した映画(1)紺屋町で私もいろいろと思い出しました。テニス部で1年上級だった石井のクンちゃんの両親がやっていた「レナウン」という洋装店。それから現在鳥大医学部の学長をやっていSeptember30ヴェネツィアを撮した映画(1)September さん、色々な事を思い出しました。
紺屋町の、Y子さんが住んでいた辺りは子供の時の遊び場でした。あのヴェネツィアのように狭い入り組んだ路地は鬼ごっこ(旅鬼pescecrudo