イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

パードヴァ大学

ボローニャ大学に継いで古い、パードヴァのパードヴァ大学(1222年創立)、またの名を、同地に元々 Bo`[伊語でbue(牛)の意]という名の旅籠が建っていたために、ボ大学とも呼称されるこの大学に、解剖教室(Teatro anatomico)とガリレーオ・ガリレーイが講義した講堂があるというので、見学に行ったことがあります。

構内の壁面に夥しい数の紋章(stemma)が掲げられ、その形、デザイン、色の美しさと面白さに見蕩れてしまいました。ここで学んだ、歴史に名を残す人達の家の物が沢山あるのだそうです。

解剖教室は1594年、アクアペンデンテのファブリキウス(伊名ジローラモ・ファブリーツィオ)が設計して造らせた物だとかで、非常に独特の構造をした楕円形の階段教室で、それはそれは興味深いものでした。TVで見たボローニャ大学の物とは大変趣が違います。

ヴェネツィアにもサン・ジャーコモ・ダ・ローリオ広場(Campo San Giacomo da l'Orio)の一隅に、1671年に建てられた解剖教室の建物が残っています。

『Calli, Campielli e Canali』という地図には次のような事が書かれています。
「古くから医師という職業には解剖学は大変重要であった。1368年には既に大評議会は、医者、外科医に年に1度は解剖現場に立ち会うように定めていた。1669年元老院は医師達に、サン・ジャーコモ・ダ・ローリオ広場に土地を与え、1671年に現実に解剖教室が建てられた。この教室はヨーロッパでも最も美しいものの一つと言われ、3層からなる楕円のその階段教室で、医師達は解剖の実際を観察した。1800年まで活用され、その年の大火で焼失した。直ぐに再建されたが、現在はヴェーネト州が使用している。」

更にガリレーオ・ガリレーイが講義した教室がそのまま残されていると聞くと、あの時代にタイム・スリップしたような陶然とした混乱状態に囚われました。彼が教壇に立ったその教場は、今でも会議等に使用される非常に豪華な物で、大切に維持されているのがよく分かります。

2階のガリレーオのその教場を見学して階段を下りてくると、正面にエーレナ・コルネール・ピスコーピア(Elena Corner Piscopia、1646~84)の白い彫像がありました。彼女はボ大学を卒業(哲学科)した世界初の女性なのだそうです。

ヴェネツィア大運河右岸(サン・マルコ湾を背にして)の、現在市庁舎として使用されている、カルボーン運河通り(Riva del Carbon)の互いに隣合った建物、ロレダーン館=ファルセッティ館の、左側のロレダーン館左の壁面に次のような碑が掲げられています。
エーレナ・ルクレーツィアの碑「ここで1646年、世界で初めて大学を卒業した(1678年6月25日)最初の女性エーレナ・ルクレーツィア・コルナーロ・ピスコーピアが生まれた。」
[コルナーロ(Cornaro)は、コルネール(Corner、ヴェネツィア式)の伊語式呼称]。

当時、多分あったに違いない周囲の偏見の中で自らを完成させた女性が居たと、そこに異様な存在感を感じて、ロレダーン館の脇道、カルボーン通り(Calle del Carbon)を通る度にこの碑文を眺めたものでした。

ロレダーン館の更にリアルト橋寄りには、ダンドロ館があります。コンスタンティノープル(Costantinopoli)を第4次十字軍と共に占領した総督エンリーコ・ダンドロ(1108~1205)が生まれた邸宅で、1523年11月25日の大火で焼失しました。1551年には劇作家で、風刺文学者であったピエートロ・アレティーノ(1492~1556)が引っ越してきました。

日本では彼の『ラジオナメンティ――女のおしゃべり』(結城豊太訳、角川文庫、昭和56年6月30日)が出版されています。辛辣な毒舌家で、恐喝的な文章で権力者達を攻撃し、金品・美術品等を手に入れ、ペンのゆすり屋と称されたそうです。友人だったティツィアーノが『ピエートロ・アレティーノの肖像』(フィレンツェ、ピッティ美術館)を描いています。
ピエートロ・アレティーノの肖像ベンボ像[左、ピエートロ・アレティーノ、右、ピエートロ・ベンボの各像]  更にその左隣には赤いベンボ館があります。詩人・文学者ピエートロ・ベンボ(1470~1544)が生まれた邸館です。ルクレーツィア・ボルジャやカテリーナ・コルナーロの友人でもあった詩人は、ラテン語に代わる文学語としてダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョを生んだトスカーナの言葉をイタリア語として提唱したことで知られています。枢機卿に選ばれるとローマに行き、メディチ家出身のレオ10世に仕え、その地で亡くなりました。墓はローマのサンタ・マリーア・ソープラ・ミネルヴァ教会にあるそうです。ティツィアーノ画『ピエートロ・ベンボの肖像』(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)があります。
  1. 2008/08/31(日) 01:06:21|
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コンメーディア・デッラルテ(3)

ヴェネツィアで、興味津々のコンメーディア・デッラルテの役柄を絵にした絵葉書を買い集めました。その中から幾つかのキャラクターの説明を列挙してみます。
中央の黒いマントがパンタローネパンタローネバランツォーネアルレッキーノ
パンタローネ(Pantalone―ヴェネツィア生れ)=口うるさいヴェネツィアの商人で、欲深の吝嗇家。ヴェネツィア弁での分別臭い言動が滑稽である上に、直ぐに老いらくの恋に走る。高鼻の仮面に真赤な上着とズボンをピッタリと身に着け、黒いたっぷりとした長マントを纏い、ピストレーゼという短刀を差す。

ドットール・バランツォーネ(Dottor Balanzone―ボローニャ生れ)=ボローニャ弁を話す。自分の知識に自惚れて鼻に掛けている。論理もない意見に可笑しなラテン語の引用を一杯に散りばめて、大学教授面でいかにも偉そうな身振りで語る。

アルレッキーノ(Arlecchino―ベルガモ生れ)=抜け目のない追従者の下僕役。主人の陰で策を巡らし、人をからかう機敏さがある。色々な色のツギハギだらけの衣装に、毛の生えた黒い仮面、兎の尻尾を付けた帽子にバタッキオという棒を手にする(他に愚鈍で野卑で馬鹿馬鹿しいタイプもある)。」
ブリゲッラメネギーノジャンドゥーイア
ブリゲッラ(Brighella―ベルガモ生れ)=目先の利く下僕役。詐欺師的な口達者で長広舌を振う。

メネギーノ(Meneghino―ミラーノ生れ)=ジャンドゥーイアとステンテレッロの3者は、その地に合わせて変えられる同じ役柄。気分、性格、長所・短所を取り込んで、かつては大成功を収めた役柄。

ジャンドゥーイア(Gianduia―トリーノ生れ)=特徴的性格はないが、ピエモンテ方言を使う役柄で演じられる。」
ステンテレッロメーオ・ペタッカ(Pataccaは誤植)プルチネッラ
ステンテレッロ(Stenterello―フィレンツェ生れ)=ハチャメチャな衣装で登場。機敏で辛辣な科白を吐く。

メーオ・ペタッカ(Meo Petacca―ローマ生れ)=プルチネッラのローマ版。その可笑しさは文章やシラブルのおかしな倒置や、当時の主たる言葉の繰り返しが引き起こす典型的な言葉遣いや身振りにある。

プルチネッラ(Pulcinella―ナーポリ生れ)=多分最古の仮面役で、悪巧みが激しいが、陽気そのもの。お人好しでぼやき屋。不躾ではあるが才気に富んだ科白を吐く。」
スカラムッチャタルターリャパンクラーツィオ
スカラムッチャ(Scaramuccia―ナーポリ生れ)=カピターノ・ファンファローニャやカピターノ・スパッコーニと同類。非の打ち所のない勇敢な遍歴の騎士と偽っている。その報いは、臆病と無教養というお里が直ぐに知れてしまう。

タルタッリャ(Tartaglia―ナーポリ生れ)=顔一面の眼鏡。どもるので更に見っともない。薬屋、公証人というまともな役柄は激しいからかいの対象である。

パンクラッツィオ(Pancrazio―プーリア生れ)=ナーポリ演劇では欠かせない存在。愚痴ばかりこぼす老人で、耄碌しているので残酷な悪戯の犠牲になり易い。」
ジャングルゴーロペッペ・ナッパ(Beppe は誤植)コラッリーナ
ジャングルゴーロ(Giangurgolo―カラーブリア生れ)=古い原型は相当変化し、ハッタリ屋で文無しの兵士役になった。自惚れが嵩じると危険な存在になるが、恋愛沙汰では常に敗北者。

ペッペ・ナッパ(Peppe Nappa―シチーリア生れ)=ぶらぶらだらけていても機敏である。怠惰で無気力なシーンで動き回ると、彼の評判のお人好しと大喰らいが原因で、災難が頻発する。

コラッリーナ(Corallina)=中世の終りと共に女達は、古代ローマのティトゥス・マッキウス・プラウトゥスの喜劇の先輩達のように、ポピュラーなキャラクターを身に帯びて舞台に戻ってきた。彼女は抜け目がなく、悪賢く、自らに絶対の自信を持つメイド役の象徴である。」
レーリオイザベッラコロンビーナ[上掲載の図版と本文3枚ずつはセットになっていますが、左最下段の図版は左からレーリオ、イザベッラ、コロンビーナです]
その他、役柄は枚挙に遑がないようです。例えば仮面を付けない男性の恋人役には、フォルトゥーニオ(Fortunio)、フルヴィオ(Fulvio)、レーリオ(Lelio)、オラーツィオ(Orazio)、オッターヴィオ(Ottavio)、女性恋人役では、フラミーニア(Flaminia)、イザベッラ(Isabella)、オリヴィエッタ(Olivietta)、スィルヴィア(Silvia)、召使役に、コロンビーナ(Colombina)、ズメラルディーナ(Smeraldina)、ヴィオレッタ(Violetta)等。

またザンニ(Zanni)というのは頭が鈍いか狡猾で、決まってどの場面にも馬鹿げた事を持ち込む滑稽役の下僕で、アルレッキーノやブリゲッラ以外にトゥルッファルディーノ(Truffaldino)、トゥリヴェッリーノ(Trivellino)、スカピーノ(Scapino)、ペドゥロリーノ(Pedrolino)、メッゼッティーノ(Mezzettino)、フリテッリーノ(Fritellino)、コヴィエッロ(Coviello)等限りがありません[『コメディア・デラルテ』(コンスタン・ミック著、梁木靖弘訳、未来社、1987年刊)という本には夥しい量の役柄が挙げてあります]。

[ヴェネツィア語では、Pantalone→Pantalon、Arlecchino→Arlechin、Truffaldino→Trufaldin、Stenterello→Stenterelo 等となります] 
  1. 2008/08/24(日) 00:30:24|
  2. 大道芸
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コンメーディア・デッラルテ(2)

ベアトリスに紹介されたベッタ(Elisabetta)は、初めて出会った時は絞りの羽織を着て現れ、驚きました。日本の着物が大好きだと言っていました。

ミラーノ生れの製本家で、トリーノで製本の技術を教える学校で先生をしている人でした。大変なお喋りで、自分のことを attaccabottoni(他人のボタンを糸で付け終わるまで決して離さないという意味で、大変なお喋りのこと)だと言い、ヴァポレットの中でも、直ぐに隣に座った人に話し掛け、口が動き始めると止まりません。

彼女はヴァカンスでヴェネツィアに来訪、ジュデッカ島に部屋を借りていました。前回書いたVDVの夏の演劇祭の一環で、"Calli e Campielli" と題された、隠されたジュデッカ島の再発見という演劇的パフォーマンスがあるから、来ないかと彼女に誘われ、ジュデッカ運河を渡りました。

すっかり暗くなると、コンメーディア・デッラルテのアルレッキーノとドットーレの案内で島巡りが始まりました。あちこちに篝火や照明が点けてあり、ある場所でアルレッキーノの語りと演戯があります。

Corto Maltese という名の人物は、『Corto Sconto』等のヴェネツィア・ガイドでヴェネツィアでは著名の案内人のようですが、彼に扮した役者が現れた場所では、火吹き男や踊り手の演戯がありました。

長い狭い通りを抜けていくと、ジャーコモ・カザノーヴァ所縁の修道院があり、普段は入れないある中庭に既に照明が施され、幻想的な雰囲気が醸し出されています。Hic sunt leones!(物陰にライオンが!)  カザノーヴァ所縁の修道女の語りがあり、獣に扮した仮面の男女の異教的な舞踊が披露されました。

最後に案内されたのは、ユンガンス(Junghans)広場にあるパンタスキーン一座の劇場前でした。劇場の3階から2本の布紐を垂らし、アクロバットの役者がその布の中からそれぞれ現れ、宙空の布紐で2人アヴェックで軽業のダンスを披露します。

全パフォーマンスが完了すると、広場一角に宴席が設けられ、この催しに参加した人々にワインやチケーティのサーヴィスがありました。こういう夏の宵の温かなおもてなしって嬉しいですね。コンメーディア・デッラルテのパンタスキーン座を知ったのはこんな経緯でした(かつてアヴォガーリア通りにコンメーディア・デッラルテ一座を探しましたが、どうしても発見出来ませんでした。時期の問題だったのでしょう)。

場所が分かったので、改めてコンメーディア・デッラルテを見に行きました。8ユーロと入場料が格安なのは、サン・マルコ区のサン・ベネデット教会傍のペーザロ館《フォルトゥーニ(Fortuny)美術館》のジュデッカ島にあるフォルトゥーニの布工場が資金援助をしているからだそうです。
ジュデッカ島のフォルトゥーニアルレッキーノ/ドン・ジョヴァンニ題して『Arlecchino/Don Giovanni』。この芝居はパリのテアトル・イタリエンヌで1697年まで何度となく再演を繰り返し、その後1716年からコメディ・イタリエンヌ劇場でルイージ・リッコボーニによって板に乗せられたという、大成功を収めた劇作品なのだそうです。

私のこの種の演劇体験は1995年の夏、日本での第11回《東京の夏》音楽祭での、仏人カウンターテナー、ドミニク・ヴィス一行の『マドリガル・コメディ』という仮面音楽芝居を新大久保のパナソニック・グローブ座で見たのが嚆矢でした。これはオラーツィオ・ヴェッキ作曲『アンフィパルナーゾ』やアドリアーノ・バンキエーリの『ヴェネツィアからパードヴァへの船旅』を元に作られた、コンメーディア・デッラルテのキャラクターを使った仮面音楽劇で、綱の曲芸まである楽しいものでした。

この年の9月、フェッルッチョ・ソレーリが来日しました。鎌倉芸術館大ホールで催されたそれは、ミラーノ・ピッコロ座のゴルドーニ『二人の主人を一度に持つと』とは別ヴァージョンでした。彼の鍛え抜かれた肉体が若々しくトンボまで切り、そのスピードとリズムある演技は感動的でした。
「コメディア・デラルテ」コメディア・デラルテ  『アルレッキーノ』アルレッキーノそして1999年にはミラーノのピッコロ座としてのソレーリの『二人の主人を一度に持つと』がやって来ました。コンメーディア・デッラルテの即興性は皆無とは言え(見ているとそれを感じてしまいます)、ジョルジョ・ストレーレルの計算し尽くされた演出でのアルレッキーノやパンタローネで、大変刺激的な素晴らしい演技は筆舌に尽くし難いものがありました(それと前後してソレーリのコンメーディア・デッラルテ演技の絵解きのサーヴィス一人舞台もあり、大変楽しく勉強になりました)。

Youtube にアルレッキーノを演ずるフェッルッチョ・ソレーリの二人の主人を一度に持つとの有名な場面があります。
  1. 2008/08/17(日) 00:05:00|
  2. 大道芸
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コンメーディア・デッラルテ(1)

8月の晴れた日々、日中の日差しは痛いように暑くても、建物の日陰に入ると涼しいと感じるほどで、ヴェネツィア人が "Che afa !"(何という蒸暑さ)と言うほど、日本人として蒸暑さを感じませんでした。潟(ラグーナ)の中の島で湿度はあっても、日本ほどではない気がいたします。

そんな暑い日も夕方になると、一天俄かに掻き曇って雷鳴を伴った嵐になることがよくありました。そんな雷がサルーテ教会の書庫を直撃し、建物が壊れ、書籍が四散する事故があり、友人になった、サン・ラッザロ・デッリ・アルメーニ教会付属図書館の古書の修復が仕事の仏人のベアトリスが、このサルーテ教会の壊れた本の修復にも招請されたと話してくれたことがあります。

その彼女が、VDV(Venezia da vivere――体験都市ヴェネツィアとでも訳しましょう)と称する文化活動として、有料・無料で演劇、音楽、展示等の行事をラグーナ内の各地で行っていることを教えてくれたので、その予定パンフレットを探し、手に入れました。

リード(Lido)島の奥マラモッコ(Malamocco)のマッジョーレ広場(Piazza Maggiore――リード島では広場は campo ではありません)で屋台を組んで行われた無料の『D'Amore rapito』というコンメーディア・デッラルテの催しには、ベアトリスが案内してくれました。

ヴェネツィア語やベルガモ語で演じられているに違いないこの手の芝居は科白は分からなくとも、大まかな粗筋が辿れ、それも奇想天外な話でしょうから、急転直下の逆転劇(colpo di scena、peripezie)があれば、ドタバタ的中世喜劇が楽しめます。昔から伝わるコンメーディア・デッラルテの梗概の定型化したもの(canovaccio)は1000余りもあるのだそうです。

この催しの一環でムラーノ島のサンティ・マリーア・エ・ドナート教会の後陣を舞台背景に行われた古曲の合唱を聴きに行った時、合唱団の一員として、語学学校で私のイタリア語の先生であり、暫く会っていなかったステファーニア先生が歌っているのが分かり、演奏会後、声を掛けると、教会事務室の一隅で開かれた、ワインやチケーティでの団員達の慰労会にまで呼ばれ、旧交を温めてしまいました。恋人の男性や母上にまで紹介されました。

VDVパンフレットにあるアルセナーレ内部の Teatro alle Tese での有料の演劇を見に行ったところ、会場入口の係りの人に何故か間違えられ(伊語を間違えたに違いありません)、期せずして、アルセナーレ構内最奥部の広場で催された《火のパフォーマンス》に立ち会うチャンスが舞い込んできました。これは絶好のチャンスですので、普段は入場出来ないこの内部を見学して回りました。

パンフレットの予定に出ている『Arlecchino militare』という題のコンメーディア・デッラルテは、サント・ステーファノ広場(Campo S.Stefano)の一角、ベネデット・マルチェッロ音楽院前の都合よく四方を取り囲まれたピザーニ(Pisani)広場に仮設の舞台が組まれ、入場料も10ユーロという安さでした。

芝居が始まる前、入場すると、街歩きで《隠れたヴェネツィア》を案内説明してくれる、語学学校のマルコさんに出会い、"Quant'e` piccolo il mondo !" (世間って、狭いんだ)と思ったことでした。ヴェネツィアって、やっぱり狭い街だということでしょう、本土の町のように城外に広がっていける余地など皆無ですから、中世以来そのままの街なのです。
  1. 2008/08/10(日) 00:01:46|
  2. 大道芸
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ヴェネツィアの大道芸人(2)

前回書いた、サン・マルコ広場の特設屋台上で演じたコンメーディア・デッラルテの芸人達は、かつてはヨーロッパ中を巡歴して、最終的にパリまで行ったと言います。『伊賀越道中双六』の《落ち着く先は九州相良》とばかりパリへ向ったのは、万に一つうまく行けば、パリのコメディ・イタリエンヌ座の舞台に立つことが出来るかもしれないという、思いがあったからかもしれません。
サン・マルコ広場で演じられるコンメーディア・デッラルテのお芝居[カーニヴァル時、サン・マルコ広場の仮設舞台で演じるコンメーディアの役者達] 流民の徒として各地を巡業して回る旅の一座の中には、女芸人(attrice)が娼婦(bagascia、baldracca、bardassa、battona、etera、fante、lucciola、lupa、marca、meretrice、prostituta、puttana、scrofa、sgualdrina、troia、venditrice d'amore 等呼称は多いです)も兼ねたりしたこともあったようで、そうした旅芸人達に類した職業名を辞書から集めてみました。

acrobata(綱渡り芸人、軽業師)、alchimista(錬金術師)、ammaliatore(魔術師)、antagonista(敵役)、aruspice(腸卜占師)、astrologo(星占師)、attore(役者)、augusto(燕尾服を着た道化師)

ballerino/a(舞踊家)、 ballerino da corda(綱渡り芸人)、bancarellista(露天商)、bandista(バンドマン)、borsaiolo/borseggiatore(掏摸)、brillante(二枚目、陽気な喜劇役者)、buffone(道化師)、burattinaio(手遣い人形師)

cantambanco(演歌師、辻芸人)、cantante(歌手)、cantastorie(物語詩等を街角で歌う演歌師)、cantatore(歌い手)、cantautore(シンガーソングライター)、canterino(14~15世紀の騎士道物語等の演歌師)、cartomante(トランプ占師)、cavallerizzo(曲馬師)、chiromante(手相見)、ciarlatano(香具師)、ciurmadore/ciurmatore(山師)、clown(クラウン)、comico(喜劇役者)、comodino(端役)、comparsa(エキストラ)、contorsionista(スネークショー芸人)、controfigura(スタンドイン)

danzatore(踊り手)、divinatore(占師)、domatore(調教師)、dulcamera(山師)

eccentrico(即興で風刺歌を歌い、滑稽な小話をする芸人)、equilibrista(バランスを取り、綱渡り、組体操等をする軽業師)、esecutore(演奏家)

fachiro(魔術等を行う大道芸人)、fantagista(ウィットある話や唄を即興的にこなす芸人)、fattucchiere(妖術師)、fenomeno(サーカス等の見世物的人間)、figurante(仕出し、エキストラ)、funambolo/funambulo(綱渡り芸人)、furto con destrezza(掏摸)

giocatore(賭博師)、giocoliere(軽業師、曲芸師、奇術師、手品師)、giullare(中世の旅芸人、吟遊詩人)、grafologo(筆跡観相師)、guaritore(祈祷師)、guitto(最低のどさ回り芸人)

illusionista(奇術師)、imbonitore(呼込み屋、的屋)、impresario(興行師)、improvvisatore(即興詩人)、incantatore(魔術師)、incantatore di serpenti(蛇遣い)、indovino(易者)、ipnotizzatore(催眠術師)、istrione(道化役者)

macchietta(道化、三枚目)、mago(魔術師、占師、奇術師)、maliardo(妖術師)、mangiafuoco(火吹き芸人)、mangiatore(種々な物を飲み込んで見せる芸人)、marionettista(傀儡師)、malioso(魔術師)、maschera(コンメーディア・デッラルテの仮面役者)、mattaccino(道化師)、menestrello(ミンストゥレル)、mezzano(女衒)、mimo(パントマイム役者、道化師)、musicante/musicista/musico(音楽家)

negromante(巫術師)   occultista(占星術・錬金術・降神術等を使う人)

pagliaccio(道化姿の道化師)、pantomimo(パントマイム役者)、pellegrino(巡礼者)、pierrot(ピエロ)、piromante(火占師)、pitonessa(女占師)、predicatore(説教師)、prestigiatore(奇術師、手品師)、profeta(占師)、protagonista(主役)、puparo(シチーリアの操人形師)

raffiana(遣り手婆)

saltimbanco(軽業師、道化師、香具師、山師)、sibilla(女占師)、sonatore(演奏家)、speculatore(山師)、spirista(交霊術師)、spogliarellista(ストリッパー)、stregone(祈祷師)、strillone(街頭でニュースを怒鳴りながら売り歩く新聞売り)、strimpellatore(下手な演奏家)、strumentista(器楽奏者)

tagliaborse(巾着切り)、teurgo(妖術遣い)、tragico(悲劇役者)、tramagnino(パントマイム役者、曲芸師)、trapezista(空中ブランコ乗り)、trovatore(南仏のトゥルヴァドゥール)、troviero(北仏のトゥルヴェール)

veggente(易者)、ventriloquo(腹話術師)、volteggiatore(馬の曲乗り芸人、輪乗り芸人)

フェデリーコ・フェッリーニ監督の映画『道』が思い出されます。
(イタリアには、各家々を回って芸をし、金品を貰う日本の門付芸のようなタイプはあったのでしょうか?)
  1. 2008/08/03(日) 19:10:54|
  2. 大道芸
  3. | コメント:2

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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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