イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ナザーリオ・サーウロ広場

ヴェネツィアの広場には次のようなものがあります。この町の顔であるサン・マルコ広場のPiazza、その隣接した潟寄りの小広場 Piazzetta、バスの発着所であるローマ大広場 Piazzale、サン・マルコ広場以外の広場は大きいものが Campo、より小さいものは Campiello、もっと小さい空間は Corte と呼ばれることは、大抵の人が御存知と思います。[リード島では広場は全て piazza で、campo の言い方はありません]。

ヴェネツィア街歩きは、この各種の広場を結ぶ通り(Calle)を辿ることになりますが、得てしてその途中には太鼓橋(Ponte)があり、そこは狭い通りから開かれたような空間でもあり、見晴らしの利く橋の上に出るとホッとして、時には下をゆっくり音もせず進んでいくゴンドラに目を休めます。そしてお互い観光客同士手を振り合ったりすると、旅人の連帯感を感じます。

広場の名前は San の付いた教会名を冠した広場が目に付きますが、特に Corte のような小さな広場は教会名とは関係ないようです。私が借りたアパートの直ぐ傍の広場は、カステッロ区の二つの井戸広場、カンナレージョ区の Paludo(伊語 palude 湿地?)小広場、それからサン・ポーロ区のストゥーア小広場でした。
ナザリオ広場ナザリオ碑[サイトから借用] そうした広場の中で、例えばサンタ・クローチェ区のサン・ジャーコモ・ダ・ローリオ広場西の "Campo dei Tedeschi ora volgarmente detto Nazario Sauro" (俗にナザーリオ・サーウロと呼ばれるドイツ人広場)という不整形の、人通りの少ない大きな広場は、日本では殆ど聞くことのない人名が通称となっており、広場には彼の記念碑が掲げられています。

「夜明けから解放されたイストラ(伊語Istria)で胸躍らせる高まりの中、君、ナザーリオ・サーウロよ、ヴェネツィアは君を心から受け入れ、君の英雄的心に恍惚としている。君の事をイタリアに伝える。1922年3月22日」

どんな人か知りませんでしたので事典で調べてみました。
「1880年9月20日カポディーストリア(現、スロヴェニアのコーペルKoper)生~1916年8月10日ポーラ(現、クロアツィアのプーラPula)没  愛国者にして軍人。イタリアの未回収地域併合主義(irredentismo)の代弁者。イタリア王国海軍大尉で、オーストリア・ハンガリー帝国により、裏切者として処刑された」
と、ヴェネツィア人ではありません。当時、オーストリア・ハンガリー帝国領であったイーストリア(旧ユーゴのIstra)半島に生まれた彼[国籍はオーストリア]は、アドリア海海上で船乗りとして働いていました。
ナザリオ像[サイトから借用] 「第一次世界大戦の始まる前は、トルコ支配下で独立を模索するアルバニア義勇軍のために、武器を調達したり、運んだりする仕事に心より邁進していた。1914年大戦が勃発すると、列車でヴェネツィアに到着、オーストリアに敵対するイタリア王国海軍に入隊した。パイロット役の海軍大尉として魚雷の任務等に就いた。

1916年ヴェネツィアで潜水艦に乗船、フィウーメ(現、クロアツィアのリエカRijeka)攻撃に出動した。途中イーストリア半島のクァルナーロ(現、クヴァルネルKvarner)湾入口のガリオーラ岩礁で船が座礁した。潜水艦は壊れ、離礁不能で小舟で脱出したが、敵駆逐艦に拿捕され、投獄された。
 
ポーラの海軍軍事法廷で裁判が行われ、オーストリア・ハンガリー帝国に対する裏切り[伊人ではあるがオーストリア国籍]の罪で、1916年8月10日ポーラの軍事刑務所で絞首刑が執行された。

サーウロは『ピアーヴェの唄』という民謡で、グリエルモ・オベルダンとチェーザレ・バッティスティとともに歌詞に取り上げられ、人々に記憶されている」

大変な愛国的英雄ということでしょう、市庁舎のロレダーン館の玄関口にも、彼の顕彰碑が掲げられているそうです。
  1. 2008/09/28(日) 00:43:21|
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ヴェネツィアの狭い通り

ヴェネツィアに行く度に街歩きを続けています。当地で購入したガイドやエッセー等を帰国して読み、次回の新しい探索場所を探し、その場所に行ってみます。

ヴェネツィアの橋は、かつてはほとんど全てが欄干のない物だったそうで、現在唯一残る欄干のない橋、キオード橋(P.Chiodo)のことを読みましたが、なかなか見付けられずにいました。街歩きの最中、偶然にそれを見付けられたのは、やはり常々そんな目線で街を見ていたからに違いありません。その橋はサン・フェリーチェ運河通り(F.S.Felice)の北の端に架かっていました。

この橋はドイツ映画『逢いたくてヴェニス』(ヴィヴィアン・ネーフェ監督)の一場面にも登場し、実際は館と通りを繋ぐ橋なので通り抜けは出来ませんが、道と道を結ぶ橋という設定で撮られていました。
キオード(釘)橋 トルチェッロ島悪魔の橋[右、トルチェッロ島にも悪魔の橋(P.del Diavolo)という欄干のない橋があります。]
また陣内秀信先生のヴェネツィアについての文章を読み、非常に狭い通りと言われるストレッタ通り(Cl.Stretta)を検分に行きました。文字通り狭い(stretta)小路で、近くのストゥーア小広場にアパートを借りた時、メジャーを持って行き、実際に測ってみました。アルブリッツィ(Albrizzi)小広場側は110cm 強ありましたが、サンタポナール運河(Rio de S.Aponal)側は65cm と極端に狭くなっています。

アパート直ぐ近くの乳房橋前のカ・ボッラーニ(Ca' Bollani)のコルテ(庭)裏のラフィネリーア(Rafineria)通りは、最初は道とは思えませんでした。しかし道の標識が掲げてあります。下の方は67cmと狭いのですが、肩から上の部分は56cmと更に狭く、頭をぶつけそうです。

この道を、知り合ったミラーノ人のベッタに見せると、そんな狭い通りなら自分も知っていると案内してくれました。ザッテレ運河通り(F.Zattere allo Spirito Santo)のスピーリト・サント教会の方へ抜けていくモナステーロ(Cl.del Monastero)通りです。測ってはいませんが、擦れ違いは難しいにしても、上記の通りほど狭くはありません。

サンタ・ルチーア駅近くのホテル・プリンチペは、かつてヴェネツィア観光の時、宿泊したホテルでした。その正面玄関の真向かいの建物の軒下風な小路は、最初《通り》とは思えなかったのですが、ちゃんと標識が出ています。ターリャ・ピエートラ(Ramo del Tagiapiera)通りと。やはりその狭さに驚いて、メジャーを持って、取って返し、寸法を測ってみました。68cm 程の道幅しかない袋小路です。

サン・ジャーコモ・ダ・ローリオ教会西のカ・ズスト大通り(Salizada de Ca' Zusto)とオルセッティ小広場(Campiello Orsetti)を結ぶカ・ズスト通り(Ramo de Ca' Zusto)が狭隘だと聞き、メジャーを持って測りに行きました。両進入口は76-77cm程ですが、中程は65cmと狭まっています。それでいて、便利のいい抜け道ということでしょう、人の往来が結構頻繁です。

サンタ・マリーア・ヌオーヴァ(S.Maria Nova)広場北のペストリーン(Pestrin)通りの《チェーア》という古い食堂(trattoria)の左脇を進んで行った先にある、運河で行き止まりになるヴァリスコ(Cl.Varisco)通りは、目を見張る偏狭さでした。入口は54cm という群を抜く狭さです。

迷宮のようなヴェネツィアのことですから、まだまだ刮目に値するような狭い通りがあるに違いありません。

追記=後に、2度目に借りたアパート近くのアルセナーレ傍のド・ポッツィ広場のバーカロを訪ねた時、映画『ベニスで恋して』で主人公ロザルバが探偵に追い掛けられる場面で使用された、直ぐ傍のグラーナ軒下通りと脇のオッキオ・グロッソ通りを見に行ってみました。この l'Ochio Grosso 通りは一番狭い箇所で57cm でした。
Grana 軒下通りとOchio Grosso 通り[左側の狭い通りがl'Ochio Grosso 通り]
  1. 2008/09/21(日) 00:40:15|
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ヴェネツィアのフォンダメンタ(運河通り)

ヴェネツィアは町の成立史が独特のため、地域等を示す名称が他のイタリアの町とは大いに異なります。

町の地域を指すquartiere(区)を、ヴェネツィアは六つに区分けするため sestier というのに始まって、borgoloco(カステッロ区の S.Severo と S.Lorenzo の各運河通りを結ぶ通りの独特の呼称)、calle(路)、calesela(小 calle)、campo(広場)、canal(大運河)、corte(小広場)、fondamenta(潟や運河に面した路)、piscina(潟や運河を埋め立てた広い道)、ponte storto(捩れ橋)、ramo(2本の路を結ぶ短い通り、袋小路のことも)、rielo(小さい短い rio)、rio(運河)、rio tera'(rio を埋め立てて出来た路)、riva(運河に面した通り)、ruga(商店街、メインの通り)、salizada(賑いのある広い舗装道路)、sotoportego(建物の下がトンネル状に通れる路)等々です。

例えばフォンダメンタについて地図で見ると、北の潟に沿ったフォンダメンタ・ヌオーヴェ(F.Nove)は非常に長い海岸線です。カンナレージョ区の3本の東西に伸びた運河に沿ったフォンダメンタは、センサ運河通り(F.de la Sensa)は長い通りですが、他の二つは長い道が一直線に続いていますが、呼称は橋で区切られた間ごとで変わっているようです。

カンナレージョ運河に沿った両岸の運河通り、右岸はカンナレージョ運河通りですが、左岸は北がサン・ジョッベ(S.Giobbe)、南がサヴォルニャーン(Savorgnan)の二つに分かれています。

地図で見ていると、長いとばかり思い込んでいたフォンダメンタが、ヴェネツィアの錯綜した街路の中では、大変短いフォンダメンタもあることが分かりました。

そのことに最初に気付いたのは、美しく再建されたフェニーチェ劇場の運河側を見ていた時でした。フェニーチェ橋があり、対岸がマリーア・カッラス(Maria Callas)運河通りとなっていました。以前はラ・フェニーチェ運河通りと表示されていたと思います。偉大だった歌手を記念して改名されたのでしょう。

この30メートル足らずの短い通りは橋で繋がっているだけで、言わば袋小路(vicolo cieco)となっています。同じくフェニーチェ劇場裏のサン・クリストーフォロ橋(P.S.Cristoforo)から始まる、同名のフォンダメンタも短い道程です。

その他短いものとしては、カンナレージョ区のサン・マルクオーラ教会裏の、サン・マルクオーラ運河(Rio de S.Marcuola)に沿ったストルト(Storto)運河通り、サンタ・マリーア・ヌオーヴァ(S.Maria Nova)広場北のヴィドマン(Widmann)運河通り、この広場に直接繋がるピオヴァーン(Piovan)運河通り、またサンタ・クローチェ区のサン・ジョヴァンニ・デコッラート(S.Zan Degola`)広場に繋がるラ・キエーザ(La Chiesa)運河通り、あるいはサン・ポーロ区のサン・トマ教会脇の同名の小広場からサン・トマ橋(P.S.Toma`)までのサン・トマ運河通り等があります。

最短と思われる運河通りは、サン・ポーロ広場から北へベルナルド(Bernardo)通りを抜けると、修復なった秀麗なベルナルド館前のベルナルド館(Ca' Bernardo)運河通りではないでしょうか。測ったことはありませんが10メートルほどの長さです。
  1. 2008/09/14(日) 01:25:20|
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ヴェネツィアの教会

初めてヴェネツィアに行き、ゲットを訪れたついでにその近辺、カンナレージョ区を歩き回った時、街角の壁面に貼られた標識(ヴェ語nizioleto)に"Canaregio"とあり、浅薄で慌て者の私は《イタリア人は相当いい加減だ》と短慮に早合点してしまいました。伊語 Cannaregio が Canaregio(ヴェネツィア式表記)と゛ n ゛が一字欠けていたからです。

その後ヴェネツィア行をした時、サンタ・クローチェ区のサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会の前を通り掛り、持っていた地図とは異なり、教会前のプレートには S.Zan Degola` と書かれていることに気付いた頃から、ヴェネツィア語が気になるようになりました。

2度目の語学留学をした時は、カステッロ区の造船所の西側にあるド・ポッツィ広場傍のマーニョ通り(Calle Magno)にあるアパートでした。アパートの持主マッシモ先生に広場の名前の Do(ヴェネツィア語)=Due(伊語)と教わり、《二つの井戸広場》と分かりました。

因みにヴェネツィア語(伊語)で数字1⇒10を並べてみますと、uno(uno)、do(due)、tre(tre)、quatro(quattro)、sinque(cinque)、sie(sei)、sete(sette)、oto(otto)、nove(nove)、diese(dieci)だそうです。

サント・ステーファノ広場は言わば丁字の岐路に当たりますから、アジア人であることが明瞭な平たい顔の私にまで道を尋ねる旅行者がいました。隣のサンタンジェロ広場で擦れ違い様に訊かれたことがあります、この広場はサンタンジェロ広場ではないのか、と。

その中年の女性の指差す先には、壁面に "Campo S.Anzolo" と標識(nizioleto)が貼ってあります。彼女の手にするガイド本は仏語版のようでした。Angelo(天使)は伊語、Anzolo はヴェネツィア語で、同じ意味というつもりで説明すると、私の片言英語が理解出来たのか、彼女は Merci と去って行きました。

この2月ヴェネツィアの教会全てを巡ってみようと、東のサンテーレナ教会から西のサンタ・キアーラ教会まで、午前中であれば開いているかもしれないと歩いてみました。有料のものも含めて3分の2は入れたでしょうか(公共施設等に変わったものや消滅したものもあります)。ヴェネツィア語=伊語の形で、名称の違いのある教会名を列挙してみます。

Sant'Agiopo=S.Giobbe  Sant'Agostin=Sant'Agostino  Sant'Alvise=S.Lodovico  Sant'Antonin=Sant'Antonino  Sant'Anzolo=Sant'Angelo  Sant'Anzolo Rafael=Sant'Angelo Raffaele  Sant'Aponal=Sant'Apollinare
S.Bartolammeo=S.Bartolomeo   S.Basegio=S.Basilio  S.Beneto=S.Benedetto  S.Boldo=Santi Ubaldo e Agata
S.Canzian=S.Canciano/Canziano  S.Cassan=S.Cassiano  La Celestia=S.Maria Celeste
S.Domenego=S.Domenico  S.Dona`=S.Donato
S.Fantin=S.Fantino  S.Felise=S.Felice
S.Geminian=S.Geminiano  Gesuati=S.Maria del Rosario  Gesuiti=S.Maria Assunta  S.Gioachin=S.Gioacchino  S.Gorgon=S.Gorgonio martire
Sant'Isepo=S.Giuseppe     S.Lio=S.Leone
S.Marcilian=S.Marziale  S.Marcuola=Santi Ermagora/Ermacora e Fortunato martiri   
S.Maria del Carmine=S.Maria del Carmelo(パレスティナのカルメル山)  S.Maria Zobenigo=S.Maria del Giglio  S.Matio=S.Matteo  S.Moise`=S.Mose`
S.Nicoleto=S.Nicoletto  S.Nicolo`=S.Niccolo`
S.Pantalon=S.Pantaleone  S.Paternian=S.Paterniano  S.Polo=S.Paolo  S.Provolo=S.Proculo
S.Rasemo=Sant'Erasmo
S.Salvador=S.Salvatore  S.Sebastian=S.Sebastiano  S.Servolo=S.Servilio  S.Stae=Sant'Eustacchio  S.Stin=Santo Stefanino
S.Ternita=S.Trinita`  S.Todaro=S.Teodoro  S.Toma`=S.Tommaso apostro  S.Trovaso=Santi Gervasio/Gervaso e Protasio
S.Vidal=S.Vitale  S.Vio=Santi Vito e Modesto
S.Zan Degola`=S.Giovanni Decollato  S.Zangrisostimo=S.Giovanni Grisostomo  S.Zaninovo=S.Giovanni Nuovo  S.Zanipolo=Santi Giovanni e Paolo  S.Zorzi=S.Giorgio  S.Zuane Novo=S.Giovanni in olio  S.Zulian=S.Giuliano

S.Maria Gloriosa de' Frari 教会の frari(複数)は、frar(単数)=frate(修道士)またfratello(兄弟)の意味だそうです。
  1. 2008/09/07(日) 01:26:07|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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