イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア年中行事(5)――ブチントーロ船

2008年の《センサ祭(Festa della Sensa)》は5月4日に行われました。頂いた行事予定から訳出してみます。

「ヴェネツィアの大祭としての《主の昇天祭(ヴェ語Sensa=伊語Ascensione)》は、メディアにも観光にも煩わされず、ヴェネツィアにとって正に唯一で正統的な祝祭として残されてきた、といえるだろう。

責任ある委員会にとってこの数年、アドリア海の覇権の獲得のための軍事的勝利という栄えある歴史の思い出は、国の歴史に常に内在していた、基本的かつ重要な宗教的要素と分かち難くあり続けた。

センサ祭は、沿岸地域との対話が取り戻されて実り豊かになりつつある。何世紀もの間、その地域の産物、発展・強化を断固として推し進める住民達が、その協力で貢献してきたのである。

総督の指輪の保存のために選ばれた地域の人々の熱狂的な反応は、当局の形式的な理解を遥かに超越して、ヴェネツィアという名前が今日なお、文化面、芸術面、行政面において貴重なものである、と強調している。それは何世紀もの間、明らかであった軍事力のためではなく、一千年以上共和国をヨーロッパの大国として自認していた統治者達の賢明さ、力量、先見の明の然らしむるものであった。

歴史の再構築、場所と人々の間の対話が開始され、最近、総督船《ブチントーロ(Bucintoro)》の再建が具体化に動き出した。それはヴェネツィアの力と栄光の表明であり、センサ祭の中心をなす精神である。

自分や家族、またペッレストリーナ島の多くの人々の人生を海や船、乗船ということに結び付けてきたある功績あるヴェネツィア人は、1797年にナポレオンに最後のブチントーロ船が破壊された、その船の再建を何度となく試みただけでなく、その名前と絵姿を利用しようとしてきた。

試みは今日まで、ヴェネツィア人の支援も当局の援助もなく、ヴェネツィアではよくあるように市外から心ある尽力が見られるようになっている。

出来るだけ早く実りあるものにしたいという熱望があったのだが、報道されるこの大プロジェクトへメディアが高い評価を下すようにと働き掛けても、まだまだ無視され、何年も孤独にこの重要な伝統を活気あるものにしたいという人達の行動は未だに、適切に報いられていない。……」 ――『2008年度行事予定』より
アントーニオ・ストーム画『ブチントーロ船の出航』フランチェスコ・グァルディ画『リードのサン・ニコロを出港するブチントーロ船』カナレットの最初のスケッチ(イギリス、ウィンザー城蔵)カナレット画『センサの日、サン・マルコ広場に帰還するブチントーロ船』
カナレット画『センサの日、サン・マルコ小広場に帰還したブチントーロ船』ヴィゼンティーニ板刻画『ブチントーロ船のサン・マルコ広場への帰還』[上左、センサの日の、アントーニオ・ストーム画『ブチントーロ船の出航』、上中左、フランチェスコ・グァルディ画『リードのサン・ニコロを出港するブチントーロ船』部分、上中右、カナレットの最初のスケッチ(イギリス、ウィンザー城蔵)、上右、カナレットの完成画『センサの日、サン・マルコ小広場に帰還したブチントーロ船』、下左、カナレットの別ヴァージョン、下右、そのカナレットの絵をヴィゼンティーニが板刻した物]


センサの日直後の日曜日は、ヴェネツィアの《海との結婚式(Lo sposalizio del mare)》です。総督はブチントーロ船でリード島のサン・ニコロ(S.Nicolo`)教会から漕ぎ出し、沖のアドリア海の入口で結婚指輪を海に投げながら次のように誓ったのだそうです。「Ti sposiamo, o mare nostro, in segno di vero e perpetuo dominio.」。

最後に建造されたブチントーロ船は、長さ30メートル、幅6メートル、42本の櫂を160人で漕ぐ、黄金で飾られた豪華なものだったそうですが、1797年共和国を占領した略奪者ナポレオンによって破壊され、現在に残っていません。

かつては主の昇天の祝日当日に行われ、誓いの印も金の指輪だったのですが、1978年に復活した後は、日時も直後の日曜日に変更され、誓いの印も月桂樹の首飾りに変わったのだそうです。

《海との結婚式》の起源については、2010.04.24日に書きましたアッカデーミア美術館中の、1177年、カリタ修道院に隠れ潜んでいたロランド・バンディネッリ(教皇アレクサンデル3世)についての逸話をご参照下さい。
  1. 2011/01/29(土) 00:03:12|
  2. ヴェネツィアの行事
  3. | コメント:2

ヴェネツィア年中行事(4)

4月25日はヴェネツィアの守護聖人の聖名祝日、聖マルコの祝日です。Giuseppe Pittano『Dizionario dei nomi propri(名前辞典)』(Manuali Sonzogno, marzo 1990)に《マルコ》についての記述がありますので、引用してみます。
「マルコはラテン名 Marticus(戦いの神マルスの)に由来。それ故1年の第3番目の月名と同義である。Marcus と Martius は Mars の二つの形容詞形である。ローマ暦の1年の3番目の月は正に戦争の神に捧げられたのである。

《マルコ》の名は非常な幸運を意味し、それはローマ時代のパレスティナのヘブライ民族でもそうであった。聖ペテロと聖パウロの弟子であり代弁者であったマルコは、4人の福音史家の一人である。

伝説によれば、彼はエジプトのアレクサンドリアで殉教したという。彼の骨は828年、2人のヴェネツィア商人が盗んで、食料品を一杯に積み込んだ大きな籠の下に隠して、持ち去った。こうして聖人の遺体はヴェネツィアに到着し、聖マルコは町の守護神となり、世界で最も美しい教会の一つ、サン・マルコ寺院に保管されている。
ジェンティーレ・ベッリーニ画『サン・マルコ広場の祝祭行列』部分[ジェンティーレ・ベッリーニ画『サン・マルコ広場の祝祭行列』(部分)。この日(4月25日)の行列は大変華麗でヨーロッパではよく知られていたものだったそうです。]

マルコの名を持つ多くの人の中には、ローマの有名な雄弁家マルクス・トゥッリウス・キケロ(Marco Tullio Cicerone)、ローマ五賢帝の一人マルクス・アウレリウス(Marco Aurelio)、ヴェネツィアの探検家マルコ・ポーロ(Marco Polo)、アメリカの小説家マーク・トゥエーン(Mark Twain)、イタリアの政治家マルコ・ミンゲッティ(Marco Minghetti、1818~86)とマルコ・パンネッラ(Marco Pannella、1930~ )、15世紀のボローニャの画家マルコ・ツォッポ(Marco Zoppo)、ダンテが、その昔の《雅な心》のシンボルとして『神曲』煉獄篇第14歌で引用したマルコ・ロンバルド(Marco Lombardo)等。

また現代人としては画家マルク・シャガール(Marc Chagall)、映画監督のマルコ・フェッレーリ(Marco Ferreri)[日本公開は『最後の晩餐』『ありきたりな狂気の物語』など]、マルコ・ベッロッキオ(Marco Bellocchio)[日本公開『肉体の悪魔』『新肉体の悪魔(蝶の夢)』(私の大好きな映画)、『夜よ、こんにちは』等]など。

文学作品の中で思い出されるのは、マルコス・デ・オブレゴン(Marcos de Obrego'n)である。スペインの作家にして音楽家だったビセンテ・エスピネル(Vicente Espinel、1550~1624)の有名なピカレスク小説『従者マルコス・デ・オブレゴンの一生(La vita dello scudiero Marco de Obrego'n)』の主人公である。

マルコ・イヴァノヴィチ・ヴォロチョフ(Marco Ivanovic' Volochov)は、ゴンチャロフ(Ivan Gonc'arov、1812~91、ロシアの作家)の小説『断崖(Burrone)』の登場人物で、このニヒリスティックな革命家は不正や偏見と闘うのである。

マルコの名前を持つ人は、福音史家マルコに捧げられたこの日、4月25日の聖名祝日にお祝いをする。」
  ――ジュゼッペ・ピッターノ『名前辞典』(Manuali Sonzogno、1990.03)より

Marco の変化形には、Marchetto、Marchino、Marcolino、Marcuccio、二重形 Marcantonio、女性形 Marca、Marchina、Marcolina、Marcuccia。

同名の外国人名には、英 Mark(マーク)、Marcus(マーカス)、独 Mark(マルク)、Markus(マルクス)、仏 Marc(マルク)、西 Marco(マルコ)、Marcos(マルコス)、葡 Marcos(マルコス)、蘭 Marcus(マルクス)、瑞 Marcus(マルクス)、希 Markos(マルコス)、露 Mark(マルク)等。[欧州では例えば、独の Markus は伊国では Marco、西国では Marcos 等と呼び変えるのが原則です。それ故 Mark Twain は伊国では Marco Twain とも書かれたりします。]

サン・マルコ寺院ではこの日ミサが執り行われます。そして女性には真紅の薔薇の花を捧げる風習があります。捧げる人は、妻、母、娘、祖母、恋人、友人など全ての女性です。この日は教会の前などでも花屋が真紅の薔薇を売り、薔薇を売り歩く外国人の花売り等も沢山見掛けます。知り合ったパーオラは、夫と長男を事故で同時に亡くしたのでしたが、残された次男のジャーコモがこの日には薔薇を呉れると嬉しそうでした。

この風習の由来として、《総督の娘に恋をした下級貴族の若者がその誠意を総督に示そうとトルコとの戦いに出征し、致命傷を受け、白い薔薇の茂みに倒れ込み、周りの純白の薔薇を血で赤く染めた。瀕死の青年はその薔薇の一輪を手折って従者に託し、愛する人に届けてくれるように言い終えて、事切れた》という話が伝わっているそうです。

2008.11.02~2008.11.22日のヴェネツィアの聖マルコ伝説(1)~(3)に聖マルコについて書いています。ご参考までに。
  1. 2011/01/22(土) 00:04:00|
  2. ヴェネツィアの行事
  3. | コメント:4

ヴェネツィア年中行事(3)

2008年3月9日(日)には、《第10回女操舵手のレガッタ(10°Regata delle Donne)》が行われたそうです。この競技は、6人漕ぎのカオルリーナで争われるものです。

レガッタはその船の重さ等から、伝統的に男の専有物と考えられてきましたが、1999年に Canottieri Giudecca と Canottieri Bucintoro が、女性には実現不可能と考えられていたものを市の女子センターの協力の下、男子の伝統を壊して始められ、レガッタ・カレンダーには今やキッチリ定着したものとなり、10年続いているそうです。彼女達は、"Marzo Donna"の名誉を賭けて闘います。
カオルリーナでの訓練同じ船でのチャンピオン・シップを3回以上受けた勝者達は、より若い操舵手達にもチャンスを与えたいという大会事務局の考えでエントリー出来ませんが、若い女性達も一度は先輩の優勝者達の胸を借りる機会が生じます。

出発は3月9日(日)の朝11時で、いつものレガッタ・コースで争われますが、ゴールは54人の漕ぎ手が集まれるサルーテ教会前広場であり、優勝トロフィー"Sandra Zennaro"杯は前年の勝ち組達の手から直接、新優勝者達に手渡しされるそうです。

3月16日(日)には《灯台競走(Corsa dei Fari)》が行われました。この大会はヴェネツィアとスポーツに対する愛から Alvise Vitturi が企画したもので、この年は彼を記念して行われました。
「灯台競走」の模様より多くの参加者があるようにと、違う三つの距離の、非常に美しい展望のコースが用意され、トレヴィーゾ~パードヴァ・マラソンの準備大会の意味もあり、参加者は自分に合わせてコースが選べます。現在、開催日とその美しいコースをこの分野のカレンダーの中でより強固にしようと奮闘中です。
「橋を上ったり下りたり」大会4月13日(日)には第30回《ヴェネツィアの橋、上ったり降りたり(30°Su e Zo per i Ponti di Venezia)》がありました。これについては、2008.04.25日に第30回《Su e Zo per i Ponti(橋を上がったり下りたり)》(1)大会と2008.05.16日に第30回《Su e Zo per i Ponti(橋を上がったり)》大会(2)として書きましたのでそちらをご覧下さい。
[4月25日の聖マルコの祝日については次回に書きます。]

5月3・4日(土・日)にはヴェネツィア・ゴルフ・クラブの《金小獅子賞(Leoncino d'Oro)》マッチが行われました。

これはイタリア・ゴルフ界の期待の星である若い人達向けの国レベルでの重要なイヴェントの一つだそうです。試合は国内ランキングにも関わるもので、1日18ホール、計36ホールで闘われます。1990年1月1日以来継続している試合だそうです。

このイヴェントは、当時若者のクラブ活動の責任者であったマーリオ・レアルディーニによって創設されました。貴重な Trofeo Giovanile Nazionale を賭した闘いとしてヴェネツィア市が後援し、イタリア北東部の試合として、albo d'oro(受賞者名簿)に記載されるのが誇りです。

5月4日(日)《アッティーリオ・スパーニオ記念(Memorial Attilio Spanio)》が行われました。これは競争ではなく、競歩選手だったアッティーリオが属していたヴェネツィアの二つの団体《アルピーニ・スポーツ・グループ》と《サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ協会》が彼を記念して始めたイヴェントで、既に5年続けられているそうです。
「アッティーリオ・スパーニオ記念」大会彼は難病のため46歳の若さで亡くなり、2002年に彼と選手活動を共にしていた友人達の、大人も若者もスポーツを通じて友好を深めてもらいたいという呼び掛けで、そして白血病やリンパ腫で苦しむ人達を助けたい(初年度からヴェネツィア白血病・リンパ腫撲滅協会の強力な協力がありました)とヴォランティアの人々が貢献している催しです。

くねくね曲がりくねったカステッロ区の道がコースで、今でも《宝石の指輪(or 宝石の如き井桁の意?)》と呼称されるこの地区の美しさを愛でながら、走ったり散歩したりしようというものです。2007年の場合、大人・青少年には9km以上、小さい子供達のためには1km強のコースが用意されました。200人の参加があり、沢山の子供達の参加は大会に特別の熱狂を与えました。
  ――『2008年度行事予定』より
  1. 2011/01/15(土) 00:01:58|
  2. ヴェネツィアの行事
  3. | コメント:0

ヴェネツィア年中行事(2)

イタリア国民の祝日は、辞書によれば次のようになっています。
●1月1日元旦(Capodanno)、●1月6日御公現の祝日(Epifania)、●4月25日イタリア解放記念日(Anniversario della Liberazione d'Italia)、●5月1日メーデー(Festa del lavoro)、●6月2日イタリア共和国創設記念日(Anniversario della Fondazione della Repubblica Italiana)、●8月15日聖母被昇天の祝日(Assunzione della Beata Vergine Maria)、●11月1日諸聖人の祝日(Ognisanti)、●12月8日無原罪の聖母マリアの祝日(Immacolata Concezione)、●12月25日クリスマス(Natale)、●12月26日聖ステパノの祝日(S.Stefano)。

さらに宗教行事としての移動祝祭日があります。基本日となる復活祭は、春分の日(3月21日に固定)後の最初の満月直後の日曜日で、4月となることがしばしばです。

●灰の水曜日(Ceneri、復活祭から40日+日曜日=46日前の水曜日)、●復活祭(Pasqua di Resurrezione)、●復活の月曜日(lunedi` dopo Pasqua)、●主の昇天(Ascensione、復活祭から40日目の木曜日)、●聖霊降臨祭(Pentecoste、復活祭から50日目の日曜日)、●キリストの聖体(Corpus Domini、復活祭から60日目の木曜日)。

11月1日の諸聖人の祝日の次の日は故人の日(i Morti)で、ヴェネツィアの人々はこの時季に墓の島サン・ミケーレ島などに墓参をします。11月4日は、かつては第一次大戦の戦勝記念の祝日として祝われていたそうです。

仮面の祝祭として有名になったヴェネツィアのカーニヴァルは、2011年は復活祭が4月24日、2012年(閏年)は4月8日、2013年は3月31日になりますので、各々カーニヴァル最終日(martedi` grasso―灰の水曜日の前日)が3月8日、2月21日、2月12日となります。

ヴェネツィアではその12日も前からサン・マルコ広場の開廊に電飾の明かりが点ります。サント・ステーファノ広場などでは仮面屋さんや貸衣装屋さん等が沢山店開きをします。サン・マルコ広場では仮設の舞台で、コンメーディア・デッラルテの喜劇が演じられたりします。街中、仮面で仮装した人達で賑わうのはあまりにも有名です。
サン・マルコ広場で演じられるコンメーディア・デッラルテのお芝居[サン・マルコ広場に仮設された舞台の仮面のコメディアン達] かつてヴェネツィアでは主の昇天の祝日(Sensa)に海との結婚式が行われていたそうですが、現在はその直後の日曜日に変更になりました。

ヴェネツィアの2月の行事について――2008年にはディエッレッフェ(Dielleffe)フェンシング・クラブ主催の第31回《フェンシング・ヴェネツィア市杯戦》が、アルセナーレの中にある G.Gianquinto Palasport で2月15・16日に行われました。これは世界選手権に繋がっていく大会です。
フェンシング大会「第31回ヴェネツィア市カップ」フェンシングに関して、私には次のような思い出があります。初めてイタリアに飛んだ時、最初の町ミラーノのスフォルツァ城の中庭で、偶々隣に座っていたマルコと話を交わしました。彼は日本人を知っていて、声を掛けてきたのです。

ミラーノに、オリンピックの金メダリストが造った有名なフェンシングの道場があり、中央大学の学生2人が春休みに修行に訪れ、そこに通っていたマルコは彼らと友達になったのです。そして彼らをミラーノの北の町ブリアンツァの自宅に招き、泊めたのだそうです。

帰国して、日野市南平にある中央大学体育系学生寮に、彼に教えられた名前を尋ねて行きました。うまく2人の剣士に出会うことが出来、撮ってきた彼の写真を見せると懐かしがって、マルコはフェンシングは下手だったけれど、マンマの手料理は大変おいしかったと思い出を語ってくれました。

その年の中央大学は、2剣士の活躍にも拘わらず、大学選手権では法政大学が優勝しました。
[2012年追記: 近年この大会にオリンピック2位に輝いた太田雄貴選手が出場しましたが、上位入賞はなりませんでした。]
  1. 2011/01/08(土) 00:03:10|
  2. ヴェネツィアの行事
  3. | コメント:0

ヴェネツィアの年中行事(1)

ヴェネツィアを観光される旅行者には、年間に幾つかあるイヴェント(manifestazione/festa)に合わせて、旅程を組まれる人は多いことでしょう。私の場合、二度目の時は1~3月の移動祝祭日であるカーニヴァルに合わせました。その日は偶々、フェニーチェ劇場焼失直後にフォーカスが合ってしまいました。無残な劇場前に立つと、弔意の花束が山のように玄関前に捧げられていました。数日後には縄が張られ、もう劇場前には進めなくなっていました。
焼失したフェニーチェ劇場正面焼失したフェニーチェ劇場の、現在の裏口焼失したフェニーチェ劇場裏の運河の浚渫[フェニーチェ劇場の裏側の運河を覗くと、ヴェステ運河(R.de le Veste)、ヴェローナ運河(R.de la Verona)には大運河口で水が堰き止められて水がなく、ヘドロの浚渫をしていました。これでは消防艇が消火に来れなかったことが分かります]

最近の日本の旅行ガイドも充実して、各種の祭の説明と月日等が紹介されており、7月のレデントーレ祭や9月の歴史的レガッタ等はガイドに合わせて、ヴェネツィア詣でをしました。

PCのサイトを見ると、去る11月には《オリエンテーリング》競技があったようですが、2007年に頂いた年間行事一覧には掲載されていませんから、新しい行事なのでしょうか。この頂いた2008年度行事予定一覧でヴェネツィア行事の一年を駆け足してみます。
2008年年間行事予定一覧1月1日《謹賀新年 Auguri di Capodanno》
パンフレットから:  「イタリアを展望しても、かなりユニークで、全く独特の催しである。観客達の面前で、元旦早朝の寒中水泳は、最近かなり知られるようになった。
正月の寒中水泳寒中水泳に参加する人々、少なくともその大部分の人は、この特別の朝に偶々この寒中水泳をするのだが、ここリードでは、10月1日~4月末日の間ずっと、何年も前から大勢の人が泳いでいた。1977年に始まった《越冬するヴェネツィア人(Ibernisti veneziani)グループ》の構成員――年間の活動を達成してディプローマを獲得した会員と見なされている――は現在では70人(男45人、女25人)に達した。

その他の会場では近年、催し物が人々の心に訴えかけ、新年の挨拶交換の出会いの場の浜辺として、少しずつ変貌を遂げてきた。泳がなくとも参加する人々は数千人と増加し(2007年1月1日の記録=小雨模様にもかかわらず、2万人以上の参加者だった)、かなりの人がイタリア人・外国人観光客だった。

集いが、熱く、親しみが持てるようになるべく、新年の典型的なお菓子類等が振る舞われた[lenticchie(レンズマメ)、cotechino(豚の肉、皮、脂で作ったコテキーノ・ソーセージ)、vino(ワイン)]。そんな中でウィンナー・ワルツが踊られた。」

1月6日《ベファーネのレガッタ(Regata de le Befane)》
このレガッタ(2008年は第30回)の始まりは次のようだったそうです。サン・ロッコ小広場靴屋の主人イータロ・ビアンケットとレガッタ仲間であったフラーリ大通りの女性下着店店主のエンツォ・リナルドはよく冗談を言い合って、お互いの仕事に活気を与え合っていました。かなりの年齢になってから、櫂漕のことで一方が他方を嘲笑しました。

結果、2人が大運河で仮面を付け、仮装してゴンドラ漕ぎの競争をすることになり、友人たちが集まり、大声援の中、2人の闘いが行われました。その時、この争いが《regata de le befane》と呼ばれ、満55歳以上の人が参加する一風変わった競技となり、メディアにも取り上げられ、人々の関心を呼んできたそうです。
ベファーネのレガッタこの競技の優勝者には《Befana dell'anno》の称号が与えられるそうですが、4人の漕者は《Bucintoro》協会会員の手で前年10月に4人の漕ぎ手がタイム計測で選出され、この1月6日の《御公現の祝日》に優勝戦が競われるのだそうです。最近は年金者に合わせて、年齢制限を上げるとか、ヴェネツィア人以外も参加できるようにするとか、参加幅の見直しがされているとか。

1月6日《ベファーナ競走(Corsa dea Befana)》
「来年もマラモッコの協会が、1975年から地域活性化のために始めた、文化的・スポーツ的催しの一つ、子供向けの《Corsa dea Befana》が行われる。
ベファーナ競走マラモッコ町の後援により、2月5日には子供たち向けの音楽や仮面の催し事が予定されており、マラモッコの子供たち(malamocchini)のみならず、リードやヴェネツィアの子供たちも招かれる。」
  ――『2008年度行事予定』から
  1. 2011/01/01(土) 00:04:52|
  2. ヴェネツィアの行事
  3. | コメント:10

カウンタ

カレンダー

12 | 2011/01 | 02
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア