イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア等の船・舟

2008年度用年中行事のパンフレットに、AVT(=Associazione Vela al Terzo)協会について書いています。
帆の色々[(4)の Vela al Terzo は、日本ではラテン帆と呼ばれているようです] 「2008年、ヴェネツィアの AVT 協会は創立以来満20年を迎える。2007年の素晴らしい写真展の際の《共和国大統領レガッタ》、マーリオ・マルツァーリに捧げた競技会時、サン・マルコ湾に100以上もの船が集まった大会の成功後、協会はその大会で生まれた方向性を確定的なものとし、ラテン帆の伝統についての書籍発刊でお祝いを締めくくった。

毎年協会は、帆や櫂のクラブと協力して十幾つかのレガッタを立ち上げてきた。ラグーナやアドリア海北部海岸沿い(ロマニョーラ[ボローニャ南部]海岸からイストラ半島まで)の帆走である。

AVT はラグーナ・ヴェーネタ(ヴェーネタ潟)やこの海の伝統についての知識を広め、とりわけこの環境とその特異性を守ることに意を注いでいる。

協会はラグーナの典型的な船が消滅しないようにと、何人かの心ある人達の肝煎りで1988年4月15日に創立され、その目的で毎年、心あるヴェネツィア人の老いにも若きにも、関心を呼び起こしており、280艘以上に帆船番号を贈呈している(既に10艘以上の船が受領している)。

その中には船橋のある batelo a pisso da pesca(伊語 battello a pizzo da pesca)、遊覧用の sanpierota(潟の漁船で、S.Piero(Pietro) in Volta ではこう呼ばれる)、topetta、sandolo、bragagna、mussetto そして bragozzo である。

協会はアルセナーレ湾の傍に場所を確保し、そこに航海用の基地を設置し、ドックを設けた。」

ヴェネツィア共和国は海運国でしたから、船に対する思いは強烈です。ヴェネツィア独特の船など色々あるようです。文献などで拾った船名を列挙してみます。船は二大別し、人用は gondola、荷物用は barchetta と呼ばれるそうです。 
ヴェネツィアの船の古いイマージュ昔の写真から[古いヴェネツィア絵ハガキより]  balotina(ヴェネツィア語)=レガッタ用の軽い舟で、4人で漕ぐ。  barca(伊語)=短艇。  barco(伊)=複数のマストを持つ帆船。  bastimento(伊)=貨物船。  batelo(ヴェ)=battello(伊)=広義で平底の船。荷物用。  battana(伊)=平底の小舟で、sandolo や peata がある。  bissona(ヴェ)=8本櫂の祭礼用大型ゴンドラ。  bragagna(ヴェ)=3本マストの船。  bragozzo(伊)=キオッジャの2本マストの平底漁船。bragosso とも。  brigantino(伊)=2本マストの帆船。  brulotto(伊)=16世紀の敵船焼き打ち船。  bucintoro(ヴェ)=総督が儀式などに使用した御座船。bucentoro、bucentario、bucentauro とも。  burchielo(ヴェ)=burchiello(伊)=ブレンタ川等で建築廃材などを牽引する手漕ぎの運搬船、渡し船。  burcio(ヴェ)=burchio(伊)=北イタリアの川・湖で櫂や帆で動く平底の運搬船、渡し船。
カナレット画『センサの日、サン・マルコ小広場に帰還したブチントーロ船』[センサの日、サン・マルコ小広場に帰還したブチントーロ(ブチェントーロ)船]  caicco(伊)=カイク型帆船。  canoa(伊)=カヌー。  canotto(伊)=ボート。  caorlina(ヴェ)=平底の小型舟で典型的な運搬船であるが、レガッタ等で使用。地名 Caorle に由来。  caracca(伊)=14~17世紀の武装帆船。  carabo(伊)=中世の帆掛け船。  caravella(伊)=15~17世紀、スペインやポルトガル人が用いた3本マストの快速帆船。  cargo(伊)=貨物船。  catamarano(伊)=双胴の帆船。カタマラン船。  chiatta(伊)=河川等で使う鉄製や木製の平底の運搬船。大運河の第4の橋、憲法橋の橋梁設置の時には資材運搬で活躍しました。大運河の幅いっぱいの大きさのためフォースカリ館前の屈曲部を曲がるのに大変な時間を要したのをアッカデーミア橋から眺めていました。  cocca(伊)=中世の3本マストの大型帆船。nave tonda とも。  cutter(伊)=カッター(1本マスト小型帆船)

disdotona(ヴェ)=ラグーナの櫂漕船の中では最長の全長24メートルで、18人で漕ぐ。 

feluca(フェラッカ)=2本マストの小型船。  fregata(伊)=1750~1850年頃の木造の海軍快速帆船。  fuoribordo(伊)=船外モーター取付船。  fusta(伊)=14~17世紀地中海の櫂と帆で進む海賊船で、ガレー船より小型。
le barche 1le barche 2  galia(ヴェ)=galea(伊)=ガレー船。中世から18世紀まで用いられた。帆と櫂で運行した商船、軍艦。  galiazza(ヴェ)=galeazza(伊)=大型ガレー船。  galeone(伊)=大型ガレー船。  galera(伊)=ガレー船。  goletta(伊)=スクーナー。  ganzaroli(ヴェ)=30櫂の船で、昔、石弓射手らをその訓練のためにリード島に運んだ。  gondola(ヴェ)=gonda とも。conca というラテン語が語源かもしれないという説がある。ヴェ語では母音に挟まれた《l》は無音になりがちでゴンドヤと聞こえたりする。  gondoleta(ヴェ)=小さなゴンドラ。  gondolin(ヴェ)[ゴンドリーン]=2本櫂の細身のレース用のゴンドラ。  gozzo(伊)=小型の帆掛け船。

imbarcazione(伊)=小舟、渡し船。  lancia(伊)=巡航船。  liburna(伊)=古代ローマの軍用快走帆漕船

margarota(ヴェ)=レガッタ用の6人漕ぎの軽い舟。  mascareta(ヴェ)=サンドロの繊細な軽い型で、女子のレガッタ用にも使用。舟長は漕ぎ手の人数により6~8メートル。  motobarca(伊)=モーターボート。  motocisterna(伊)=液体輸送発動機船。  motolancia(伊)=発動機艇。  motonave(伊)=トルチェッロ島などに行く2階建ての高速のモーター船。  motopeschereccio(伊)=トロール船。  motoscafo(伊)=ヴェネツィアを周回したり、ムラーノ島に行ったりする小型のヴァポレット。  motosilurante(伊)=哨戒艇。  motovedetta(伊)=小型哨戒艇。  motoveliero(伊)=機帆船。  motozattere(伊)=上陸用舟艇。  mugin(ヴェ)=?   mussetto(ヴェ)=? 

natante(伊)=船。  nave(伊)=船舶。  navicello(伊)=トスカーナ沿岸で用いられる2本マストの帆船 

panfilo(伊)=ヨット。  paranza(伊)=ラティンセール小型漁船。  peata/peatona(ヴェ)=重い商品等を運ぶのに容量の大きい丈夫な平底船。  peota(ヴェ)=屋根が付いて大変見栄えのする大型櫂漕船。  pescereccio(伊)=漁船。  puparin/pupparin(ヴェ)[プパリーン]=ゴンドラの形に従った非常にエレガントな舟。

sabionera(ヴェ)=船に安定を与え喫水を深くするためのバラストの砂を運ぶ舟。  saltafossi(ヴェ)=アックァ・アルタ時でも街中まで入れる、平底の小さな舟。  sandolo(伊)=1~4人漕ぎの底の平らな軽い小舟。sandalo とも。多目的だがヴェネツィアでは狩猟使用。  sandolino(伊)=1~2人用の平底の小舟。  sanpierota(ヴェ)=典型的な軽量の漁業用の平底船。ラテン帆あるいは櫂漕で運航。ペッレストリーナ近くの S.Piero in Volta での通称。  sciabecco(伊)=中世、地中海を航行した3本マストの小型帆船。  scialuppa(伊)=カッター、小舟。  s'ciopon(ヴェ)[スチョーポン]=サンドロの最小タイプの舟で、mascareta より軽く、100kgを越えない。元々狩猟用でラッパ銃から来た名前と思われる。カルパッチョの『潟での狩猟』で見られるという。  scoazzera(ヴェ)=堆肥を作って土地を肥沃にするために、集めたゴミ(家庭ゴミを含めて)をヴェネツィア以外の土地に持って行く船。

tartana(伊)=地中海の小型帆船。  topa(ヴェ)=topo に似た潟での家族の船遊び用に生まれた舟。ラテン帆を張った物は漁業に使用。  topo(ヴェ)=漁業用の船で、獲れた魚を運ぶための弓形の船。  topetta(ヴェ)=topo の小型船。  trabacolo(ヴェ)=trabaccolo(伊)=2本マストの漁船。  tragheto(ヴェ)=traghetto(伊)=ゴンドラに似た運河の渡し船。
topatopo[《Barche a Venezia》のサイトから借用] usciere(伊)=中世の荷物船で、特に馬等を運んだ。

vapoletto(伊)=水上バス。  vasselo(ヴェ)=vascello(伊)=3本マスト(trealberi)の戦闘用帆船。
船1船2船3[ヴェネツィアで活躍しているモーター船にはヴァポレット以外に、タクシー、救急艇、消防艇、清掃(ごみ)船、警察船、霊柩船、各種運搬船、各種モーターボート(漁業用、個人用等)、屎尿バキューム船など用途によって色々あります。

ヴェネツィアの屎尿は垂れ流しになっていると喋っている人がいましたが、私自身の体験は、とある通りで敷石をはぐり、通りの下に埋め込まれた大きな浄化槽にゴムのバキューム管を差し込んで溜まった屎尿を、バキューム船に吸い込ませて処理する清掃員の姿を見たことです。垂れ流しにしていたら、とても生活出来る臭いではない上に衛生上も最悪です。]
  1. 2011/02/26(土) 00:03:05|
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ヴェネツィア年中行事(7)

2007年のパンフレットによりますと、5月22~25日(日)第22回マルコ・リッツォッティ杯(XXII Trofeo Marco Rizzotti)を懸けた帆船競技が行われたそうです。世界五大陸から参加した20チームにより、ヴェーネト海岸で闘われました。これは第1回のイタリア・カップ(1°Coppa Italia)となったようです。
マルコ・リッツォッティ杯その他5月24日(土)には、ヴォガエウローパ(Vogaeuropa)という櫂漕のイヴェントがあり、ヴェネツィア人、パードヴァ人、トレヴィーゾ人等、特にオーストリア、ドイツ、フランス、オランダ、ハンガリー、スロヴェニアからも参加者があり、パードヴァ市を中心に川や運河を使っての櫂漕だったそうです。
ヴォガエウローパ登場した舟には、dodesone(12人漕ぎ?)、diesone(10人漕ぎ?)、bateoni、gondoloni、caorline、gondole、sandoli、mascarete(全て複数形)と多彩だったようです。

6月に入ると、かつての大海運共和国であったアマルフィ、ジェーノヴァ、ピーザ、ヴェネツィアの都市間で、4都市対抗のレガッタ競技が争われます。毎年4市持ち回りで会場は変わります。競技に先立って、歴史的な、伝統的船での時代行列が繰り広げられます。

6月14・15日(土・日)には、第1回カジノ・ディ・ヴェネツィア 大チャンピオン大会(1°Casino` di Venezia Gran Gala` dei Campioni)が行われました。これは2年前のローラー・スケートのイタリア選手権大会の成功を受けて、ヴェネツィアのホッケー・クラブ協会が、今後の躍進を願って、国際的関心を呼ぶに違いないイヴェントを多くのスケート愛好者に提供しようというものです。即ち《カジノ・ディ・ヴェネツィア――スケート芸術選手権大会》です。

6月15日(日)には、第9回カヴァッリーノ・トゥレポルティ櫂漕パーリオ(9°Palio Remiero delle Contrade di Cavallino Treporti) がありました。この大会は、かつてあった、その海と櫂漕の歴史を蘇らせました。
カヴァッリーノ・トゥレポルティ櫂漕パーリオ「過去には潟や運河、川を、沿岸の野菜や果物を満載したカオルリーナが行き来していた。野菜栽培農民の間では競争があり、リアルト市場に一番乗りして産品を出来るだけ有利に売ろうと櫂を漕いだのである。

今日《パーリオ》はこうした人達の心を蘇らせ、世界で唯一の町であるヴェネツィアへの愛が成せる、ヴェネツィア漕ぎのチャンピオンと共に、我々にこの素晴らしい教訓を伝えてくれる。

協会誕生から今年は8年目であり、初回からヴェネツィア漕ぎ、ラグーナ環境の評価、地域の伝統の再発見といった事を普及する目的があった。……」

その他6月には、サン・ペッレグリーノ・クッキング・カップ(S.Pellegrino Cooking Cup)というイヴェントもあります。
サン・ペッレグリーノ・クッキング・カップ「2007年には海神ネプトゥヌス(Nettuno)が、この大会の参加者に大きなフォークを進呈した。そのフォークは料理とレガッタに挑戦するシェフやヨット乗りを手助けして呉れ、そのクッキングは年間を通じて最もショー的な見物となる。

シェフと《夢の船》はヴェネツィアに集まり、その世界で唯一のレガッタの中では Scotta(帆脚索あるいはゆがくの意)という言葉は全乗組員をパニックに陥れるかもしれない。

無風状態は料理人には助けになり、orzate[船首を風上に向けること]やstrambate[スパンカー(三角帆)を一方の舷側から他方へ移動すること]等をしなくても、料理作業そのものを華々しく演出して登場出来る。

《サン・ペッレグリーノ・クッキング・カップ》のチャレンジ・トロフィーの銀のフライパンは、参加者の羨望の的であり、最少時間の帆走で最良の料理を完成させたヨット乗りに贈られる。……」
  ――全て2007年に書かれた『2008年度行事予定』より引用しました。
  1. 2011/02/19(土) 00:00:36|
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カーニヴァル(3)

2月はカーニヴァル・シーズンです。ヴェネツィアのジャンニが今年も東京にやって来ました。彼は私の伊語の先生がヴェネツィア大学に留学した時、師のアパート等の面倒を見て呉れた人でした。元々東洋に興味があったそうで、毎年のように日本(中国も)にやって来ます。そんな訳で師に会いに来たジャンニと知り合いました。彼のヴェネツィアの店はサン・マルコ広場からサン・モイゼ教会に向かう繁華街サン・モイゼ通り(Salizada S.Moise`)の右側にある土産物屋さんです。日本語も少し話します。一軒しかないから直ぐ分かります。

カーニヴァルには彼の店は開店しますので、彼のヴァカンスは常にカーニヴァルが始まる直前の期間です。NHK・TVで今年が第3回《日本におけるイタリア》年である故なのか、先日2002年放映の番組《世界の謝肉祭: ヴェネツィア編》が電波に乗りました。懐かしいコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキの人達の顔が映っていました。ある年の2月、3回目のカーニヴァル体験をしました。
Il Volo del Turco(o dell'Angelo)サン・マルコ広場の仮面サン・マルコ広場の舞踏 語学学校に通学していた時、サンタ・マルゲリータ広場の、語学学校の真向かいにあった本屋さんは、ヴェネツィア関連の本や美術本を割引で販売しており、よく訪れたので、店主のドナートさんと口を利くようになっていました。

2月初め、カーニヴァルの始まる前のある日サン・ポーロ広場に通りかかった時、テント小屋を造っていました。何を作っているのかと近づくと、ドナートさんの顔があり、中も見て行きなさいと案内してくれました(帰国して録画していたNHK・TV番組『あのカザノヴァが甦る―ベネチア仮面の謝肉祭』を見ると、カザノーヴァ劇を企画するグループの人達の顔の中に彼の顔もありました。語学学校左前方にある仮面師のグェッリーノ・ロヴァート(Guerrino Giano Lovato)さんもこのグループの人です。グェッリーノさんの店の真向かいにはこのグループの作業場がありました。焼失したフェニーチェ劇場復元に当たっては美術関係で大変尽力されたそうです)。カーニヴァル中に上演する楽しいヴァラエティ・ショーだというので、即、席を予約しました。

それはコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキの人達の企画した『昔の展示室《バウータ》』と題されたカザノーヴァの罪を問うといった内容のお芝居でした。かつて存在した同名のグループ名を現在に名乗るこの人達が、1979年に町興しで始めたのが、この仮面のカーニヴァルだったと聞いたことがあります(カーニヴァルの様相がそれ以前とまるで異なってしまったようです)。リーダーのルーカ・コルフェラーイ(Luca Colferai)さんは、TVの中でCompagnia de Calza "I Antichi"の Calza をカルザと発音されていました。

最前席がいい、と妻が言うので選んだ席はその日の唯一残った席で、当日そこに着席してみると、役者達や舞台道具等の通過する口の脇で、また傍近く居た男性は白髪の人品骨柄卑しからざる品格の人で通りかかる人達全てが「Buona sera, professore」等と挨拶していく、ひどく目立つ席でした。中央が丸く開けられた円形劇場です。

劇が始まると、危惧したように最初の狂言回しのおかまを装った進行役の役者が一番目立つ席の私の膝に腰を下ろし、笑いを取っていました。私にはヴェネツィア語など何も分かりません。多分一番笑いを取りやすい東洋人など、近くにいなかったのでしょう。

罪を問われた白い義眼のカザノーヴァが何故か女装して表れ、私の前に椅子を置き、collana (首飾り)をはずしてくれと要求します。強い脂粉の香りが指先の動きを狂わせ、女性の首飾りの鎖の装着のメカニズムが中々分かりません。時間が掛かるものですから、ブタカン(舞台監督)の人が傍に張り付いたのが分かった時、全てが判明してさっと取りはずせました。Ecco fatto !

お芝居が終わった時はホットしました。終了するとカザノーヴァ氏が舞台でシャンソンを歌い始め、このカザノーヴァの若き時代の役の影武者(全身真っ黒の黒子)だった黒いネットを被った青年が、まず妻の前に跪いて踊りを所望して連れ出し、それにつられて観客達も踊りの輪に入っていきました。私もこのグループの女性に踊りに連れ出され、メヌエット(minuetto)を踊らされましたが、ステップを知らないので1曲で解放して頂きました。もの皆、踊りで終わるのです。

席に戻ると、例の傍に座っていた品のいい《教授》に、礼を言われる筋合いはないのにと思ったのですが、にこやかに今夜は有り難うと礼を言われました。この人はこのコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキの相談役か何か偉い人だろうと思ったことでした。

テント小屋の片隅にバールが設けてあり、妻が帰ってくるまでスプリッツ・コン・ビッテルを飲んでいました。暫くたって妻が戻って来て、カザノーヴァ青年の後、傍に居たあの先生とも踊り、「お礼を言われたわ」と言います。やっぱりあの人はこのグループのお偉いさんだったのです。

NHKのTVに登場した白目のカザノーヴァ役の役者さんやこのグループの人達、また私とメヌエットを踊ってくれたこのグループの若い女性らの顔を画面で見る度に、目の裏が熱くなってきます。
ガブリエール・ベッラ画『ピアッツェッタでのカーニヴァルの最終木曜日の祭』かつてのカーニヴァルでは、このガブリエール・ベッラ画『ピアッツェッタでのカーニヴァル最終木曜日の祭』に描かれたように、人間ピラミッド等がメイン行事だったようです。
  1. 2011/02/12(土) 00:00:24|
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ヴェネツィア年中行事(6)

第34回ヴォガロンガ(Vogalonga――櫂漕マラソン)は、5月11日(日)に行われました。頂いたパンフレットから引用してみます。

「ヴェネツィアの漕ぎ手にとってだけでなく、ヴォガロンガはこの季節に欠かすことの出来ないイヴェントである。前年の秋には乗組員を決める等、議論が始まる。クラブ《フォレステ協会》は何ヶ月も前から、舟の収容場所確保、ホテルは前年から情報を流し、予約活動に余念がない。

僅かな時間だけの行事であるが、このために多方面に渡る組織が、34回を数えるこの祝祭行事に、世界中の何千という漕ぎ手に参加してもらおうと活動している。

毎回同じ中身で行われたのではない。第1回からすれば非常な変貌を遂げた。特にヴェネツィア人の態度と関心の度合いが大いに変わった。

当局は最初大袈裟に宣言し、何年かの間、決定的に後退する措置を公表しながらも、細々ながら多くの矛盾を抱えて続けてきた。そして潟の猛烈な波を何とか鎮めるための努力も大した結果も見せず(波動との闘いに敗れたということ)、その時以来、観光客が押し寄せるようになったということで収益も必然的に上がった。

櫂漕は多くの面で、危険で困難なものとなり、開催不能となりつつあるように見えた。今や何世紀にも渡って画家や芸術家達によって不滅のものとなったラグーナ(潟)の状況については、静かな水面は本当に少なくなった。多くの水域で、外海で舟を漕ぐよりも困難で、大変な状況になっている。

しかしラグーナに舟で漕いで出かけるということは、運命への挑戦、無礼な行為に対する闘い、環境や記念すべき事、町の海での何世紀にも渡る伝統的な生活法を実現する市民の権利、それらを無視するということはあり得ない。

この時よりヴェネツィア人の無関心、諦め、放棄、怒りといったものが、時の流れの中で変化し、その数を大幅に減らしてきた。そして更に執拗にこの櫂漕マラソンにのめり込んできている。参加者の舟が変化してきた。ますますボート漕ぎ(canottaggio)、カヌー(canoa)が増えてきている。そしてこの分野では技術的な革新が見られるのである。

古いギグが、大部分がガラス繊維で出来た新しい船体としての一歩を残した。それは大抵の場合2人漕ぎで、強力な広がりを見せている。カヌーもまた技術的な革新を伴って、追従している。新しいラインの船体である。ドラゴン・ボートやポリネシアのカヌーも現れた。数年前は単に興味津々だった物が、現在一段と増加し、色取り取りになってきている。

この競技の風景は変わりつつある。益々船体の低い舟が増え、広い船体で旗を掲げた船上に立って漕ぐ人が益々減って舟が均一化しつつあると言えるかもしれない。

この曲がり角通過の後、ヴェネツィア人が自分達の手で、自分達のために、自分達のラグーナのために、自分達の町のために始めたこの行事への参加者数は、徐々にヴェネツィア人に取って代わりつつある《フォレステ協会》と共に増加し始めた。

2008年も白髪の人達の参加がきっと更に増えるだろう。残念なことは若い青年男女の支えがないかもしれないことである。幸いな事に、ヴェネツィア方式の櫂漕、ヴェネツィアという町のこの表現がイタリアや世界各地に愛好者を見出しており、少なくとも彼らは、この素晴らしい力強いスポーツ(環境の将来を、コースを、水に映える色の摩訶不思議を見つめ続け)を伝え続けるだろう。」 ――『2008年度行事予定』から

Wikipedia に Vogalonga の歴史が書かれていますので訳出してみます。
「ヴェネツィアの櫂漕愛好家達によって行われた1974年11月11日のレガッタの際、伝統を見直し、潟の波による破壊や波動に対抗するキャンペーンを張るために、ヴェーネトの全ての櫂漕愛好家のためのレガッタを立ち上げたいという案が登場した。
ヴォガロンガ[サイトから写真借用]  そしてその発起人が生まれた。中でも当時の『ガッゼッティーノ』紙の主幹ラーウロ・ベルガモ、更にトーニ・ローザ・サルヴァとジュゼッペ・ローザ・サルヴァ(2人は《ヴェネツィアを守れ》の第一人者だった)。

1975年1月26日、この意図がヴォガロンガ設立の公式の通達となり、委員会に支持され、市民の前に表明された。コースは約30kmで、サン・マルコ湾や大運河などヴェネツィアの中心を通ること、ブラーノ島やムラーノ島、その近くを通ること、カンナレージョ運河からヴェネツィアに入り、大運河を通ってサルーテ岬をゴールとすることが検討された。

最初のヴォガロンガは1975年5月8日のセンサの日に挙行された。大砲の祝砲で総督宮殿前に集合した全ての舟は出発した。

第1回大会から既に500艘の舟に約1500人の漕ぎ手が参加した。ヴェネツィアやヴェーネトの色々な町、また他の地方からの乗組員も参加していた。

大会は成功し、ヴォガロンガは次第に世間に認められ、参加者は増大していき、2008年には1600艘の舟に6000人以上の登録者を数え、櫂漕者は今や全世界から、それも櫂漕用のあらゆるタイプの舟を見るに至った。

失格した漕ぎ手を除き、ゴールした全参加者に記念メダルと参加証明書が渡される。しかし時に協会から、ボーナスの賞が抽選で与えられることがある。」
  1. 2011/02/05(土) 00:03:54|
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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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