イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア市内へ車の乗り入れ、罰金

昨日のLa Nuova紙は次のような事件を報道しています。

「  サンタ・キアーラ海岸通りに車で入り込み、旅行者は罰金

メルセデスの大きなステーション・ワゴンが救急車用の区域をローマ広場から降りてきて、サンタ・キアーラ・ホテル前の海岸通りを通過、驚く通行人の間をカラトラーヴァ(憲法)橋から下り、Actv(アチティヴ) のヴァポレット停留所前では徐行、そこに2人のラグーナ人(島の人)とピストルのケースに手を掛けた警察官が現われ、狼狽えた人間に止まれと命じた。

放心状態となり、ヴェネツィアがどんな町であるか全く無知の観光客は、2人の英国人(彼女は運転、彼は地図を持つナビ)で、驚愕のあまり説明するところは、ヴァポレットでサン・マルコ広場へ行きたく、その海岸通りに駐車出来るだろうと考えたという。

そこに通り掛かったヴェネツィア人達にとって、それは記念すべき写真であり、不朽となるビデオであって、それをPCネット上にアップ出来ることであった。直ぐに到着した警察官は先ずナンバープレートを取り上げ、2人の国籍等の身分を調べ、罰金のために送付した。その後、パリージ区間からローマ広場へ車を移動させた。

この種の事は初めてではなく、数週間前の明け方、ローマ広場の Actv 停留所前での駐車やサンタンドレーア海岸通りの Coop 傍の駐車、また酔っ払ったイエーゾロの若者が夜間カラトラーヴァ橋を車で渡り[橋完成間もなく、車が渡橋するビデオを見たことがあります]、サン・ジローラモ広場に至ったことがあり、告発された。……」

アンドレーア・ペリーニさんのアップされたビデオをご覧になれます。

ヴェネツィアはリード島をはじめ(リード~トロンケット間にフェリー運航)、本土からローマ広場までは自動車道が通じ、トロンケット地域そこから続くスタツィオーネ・マリッティマ地域までは車の運行が許されています。それ以外への領域には基本的に車やバイク、大人用の自転車等に至るまでの乗り入れは禁じられています。クリスマス・シーズン向けの子供用のメリーゴーラウンド等を組み立てる、どでかいクレーン車がスキアヴォーニ海岸通りを動き回る姿を見たことはありますが。
  1. 2014/06/29(日) 01:05:54|
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文学に表れたヴェネツィア――マリナ・ヴラディ

マリナ・ヴラディ(1938.05.10クリシー(仏国、オー=ド=セーヌ県)~ )と言えば、私にとってはアンドレ・カイヤット監督の仏映画『洪水の前』(Avant Le De’luge、1955)で日本御目見えが鮮烈な記憶として残っています。伊映画の記憶では逆に映画が落ち目になった時代、私の大好きな監督エットレ・スコーラの、マルチェッロ・マストロイアンニと共演した映画『Splendore(スプレンドール)』(1989)が今でも脳裏に焼き付いています。日本映画『おろしや国酔夢譚』(佐藤純彌監督、1992)で日本映画にも出演していることを、今回改めて知りました。
[初めてヴェネツィアに行った10年以上前、アッカデーミア美術館の傍に映画館がありましたが、現在はありません。現在チネマとしては、サンティ・アポーストリ広場北のジョルジョーネ劇場が思い出されます。]

その彼女が、ヴェネツィアを舞台にした小説を書いています。題してMarina Vlady『Le collectionneur de Venise(ヴェネツィアのコレクター)』(Editions Fayard、1990.05.)です。それ以前にも『Vladimir ou le vol arre'te')』(Fayard、1987.)とか『Re'cits pour Militza』(Fayard、1989.)といった小説をものにしているそうです。当然その後の作品もあるのでしょう。
Le collectionneur de Veniseこの物語は、次のような冒頭部分で始まります。冒頭部分を訳して見ます。
「アンジェロは、アート紙の写真を顔に被せると、掌で押し付けるようにして、唇、卵形の顔の輪郭、それから首筋や肩にまで触っていった。直に膚に触れると、湿った皮膚が指に抵抗を感じさせ、滑らかには動かない。彼を不快にするそのかすかなキシムような音(呼吸音、痙攣するような、吸い込むような音)のギスギスした抵抗感覚は、彼をいつも不快にしていたものだった。

当時彼には、同い年の友人達が近所の娘達を口説くのは、極当たり前の事をやっているに過ぎないと思われた。

苛立って彼は、その写真を向こうに押しやった。足をテーブル下の支えの横木の上に載せ、椅子の上で伸びをすると、勃起した物が直ぐ様縮こまるのが分かり、味気なく思った。

そんなに前のことではない、まだ思春期の頃、近くの映画館のスクリーンに映し出された、ボッテリと赤い唇をした、とても白い顔の女を見た時、下腹に一撃を受けた。彼には絵姿は思い浮かばないが、飛び跳ねる発条(ばね)を見たのだと思った。だから生身の女には欲望は湧かない、とぼんやり感じていた。子供の時、ある《遊び》をしながら、嘔吐しそうになったことがある。

彼が最初に欲望を目覚めさせたのは、貪るような口が歯に当たっていらいらしながら、その若い女中の腋の下の強い臭い、特に手で女の股ぐらを荒々しく触りながら感じた欲望だった。飢えの満たし方を知らない、襞々を沢山持った動物のように、それは何か輝かしいような、また湿り気や生き生きとしたものを持っているように感じられた。そしてその娘の高らかな笑い声が、彼を遠くまで追いかけてきて、恥ずかしさにボーっとなったのだった。

ある時――それは父の長い臨終の時のことだったが――彼を慰めようとした母の女友達に心の内を打ち明けたことがあった。本当の所、彼がやっている事を女々しいと馬鹿にして寛容ではなかった父、この雑とも言える男の早まった死を、その時彼はまるで悲しんでいなかったのだ(《さあ、準備万端整ったぞ、お芝居を始めよう》と命じたのは、舞台装置や登場人物の衣装を作ったのが息子だと勘違いした父で、アンジェロのマリオネッタ劇場のことを観客達に伝えながら、悦に入っていたのだった)。

問題のある友人のクリスティーナは、知人達にはティーナと呼ばれており、アンジェロをいつも庇ってくれていたのだが、最初大変驚いた。彼女の住むパラッツォ・コスタンツォは、新米のデザイナーの夢でもある、大自然を模した風情を持っていた。建物は二つの運河に面していた。一方は大運河に面して古い貴族的な姿を誇示し、もう一方はサンタ・マリーア小運河に向いて、偏に自分の事を姦しく喚いている気配があった。そして不義密通した後、逃げ出すのを容易にする、即ちよく知られているように、罪を犯した後の遊びの代償を容易にする、といった風の建物なのである。

全てが快適である。客間、各部屋、陰った太陽でもほの明るい廊下、和やかな色に剥げ落ちてしまった漆喰壁、高価な木材細工の幅広の木舞いを敷き詰めた床が、一歩ごとに鶯張りのような音を発する。
……。」
 ――マリナ・ヴラディ『ヴェネツィアのコレクター』(Editionsw Fayard、1990.05.)より
  1. 2014/06/25(水) 00:02:51|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ヴェネツィアの建物: ラービア館

サン・ジェレミーア教会の右にはその司祭館があり、更にラービア館があります。この館について、E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のように述べています。
サンティ・ジェレミーア・エ・ルチーア「1700年代の最も豪華な個人住宅の一つである。17世紀半ばに建築が始まり、繰り返し拡張され、18世紀前半までには現在の規模になった。多分アンドレーア・コミネッリの作品であり、サン・ジェレミーア広場に向かっての最後の拡張にはジョルジョ・マッサーリの名前が登場する。ファサードが三つあり、全てイストラ(Istria)半島産石の大きなブロックであり、富贍な装飾である。

大運河とカンナレージョ運河に面したファサードは、彫刻で飾られ、洗練された柱頭群はロンゲーナに対する称賛を示しており、1階部分の浮き出し飾りのある滑らかな切り石積みはドーリア式、イオニア式の扶壁柱と上の階のコリント式の扶壁柱という二つの様式を示し、その間に、連続的な露台で結ばれた大きなアーチの窓が開けている。屋階の卵形の窓と窓の間には、ラービアの紋章である鷲の彫刻がある。

広場に向いたファサードには、運河側の案が単純化されて採用されているが、より控え目で飾らないものとなっている。館のためとか装飾のためとか言っているが、途方もない費用を要したのである。事実、その素晴らしいフレスコ画は今日でもジャンバティスタ・ティエーポロの作品として輝かしいものであり、その世紀半ばアントニウスとクレオパトラの邂逅と宴の作品でこの中央大広間を飾ったのである。

大芸術家は非常に効果的な遠近法によるクァドゥラトゥーラ(遠近法によって実際の建築との区別が付きにくく描かれた天井画)で描くよう取り計らった友人ジェローラモ・メンゴッツィ・コロンナの傍に居る。特に興味深いのは、宴の場面でティエーポロは自画像を描いており、その左側の人物がメンゴッツィと考えられることである。

館は現在、RAI(イタリア放送協会)のヴェネツィア局所在地である。ラービア家はスペインから到来した家系である。ヴェネツィアでの商業活動で大変裕福になり、市民権を獲得し、多大な寄付で貴族になった[イラクリオン戦争(1645~69)の時、10万ドゥカート寄付をし、レッツォーニコ家等と共に貴族に参入(1687年)]。

館は一世紀後には見捨てられたが、ここで評判になったパーティがあった。あるラービア家の者が典型的なスペイン式の豊かさを誇示して、1500年代のキージ公の真似をしたのである。

宴終了後、40人の会食者を楽しませようと、宴に出された金の食器全てを運河に放り込み叫んだ。《ラービアであろうとなかろうと、何時でもラービアなんだ》。

しかしヴェネツィア人は特有のシャレで穏やかに笑い飛ばして言う。《後で召使いが運河の下に広げた網ネットで受けた貴重な食器を回収するのに一苦労した》、と。」
  1. 2014/06/18(水) 00:04:16|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
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文学に表れたヴェネツィア――ギ・ド・モーパッサン(2)

[続き]
「しかしこのように幾つかの非常に狭い運河は、時には快適であるが、奇妙奇天烈なのである。みすぼらしく崩れ落ちた古い建物が、色褪せて黒ずんだ壁面を水の上に映す。雨水の流れに浸されながら跪く乞丐(かたい)のように、ひび割れた靴の、汚れた足元に水が染み込む。
Tiziano Scarpa『Venezia e` un pesce』意識の中では水が溢れ返っているが、石の橋はこうした水を渡河している。二度ばかりfalsa と井桁のことを囲み記事にしたことがあった。巨大なパラッツォのある巨大都市をかつて想像したことがあっただろう。ことほど左様にこの海の古き女王の名声は赫々たるものである。

全ては小さくて、あまりにも小さくて、あなた方は驚くだろう。ヴェネツィアはおもちゃ、蠱惑的であるが貧相で壊れてしまった、古き芸術的おもちゃでしかない。しかし古き栄光の時代の誇りに満ちて燃えている。

全てが破壊されてしまったかのようである。全ては疲弊してしまった町を支えるこの水の上で崩れようとしているかのようだ。館は時代と共に崩れてきたファサードを持つ、湿気でうす汚れ、石と大理石を破壊する《ハンセン病》で腐食されている。

誰かが今にも倒壊しそうな、こんなにも長い間基礎の杭の上に立って、支えるのに疲れてしまった傍の壁にちょっと凭れ掛かった。突如、水平線が拡大し、ラグーナが広がった。右側に、かしこには家の立ち並ぶ島が立ち現われ、左側には感嘆に値するムーア様式のドキュメント、驚異的なオリエント風の優雅さがあり、壮大にして優美なる総督宮殿が立ち現われる。

サン・マルコ広場はパレ・ロワイヤル広場に似ている。この教会のファサードは張子作りのコンサート・カッフェのショーウィンドー風である。しかし内部は絶対的美を実感出来るものと言うに尽きる。描線と諧調を貫く調和、重厚な大理石の間で和らいだ光を発する古い金のモザイクが反映さすもの、数ある穹窿全体の素晴らしいバランス、そしてまた明確には言えない、何か神聖な物として創出されたものが、総体としてまた柱の間で宗教的雰囲気を醸し出す早朝の穏やかさの中で、はたまた眼を通して精神の中にもたらされる感性の中で、我々に理解出来る最も称賛に値するものが聖マルコによって作られたのだ。

しかしこのビザンティン様式の芸術品の比類なき傑作を刮目すれば、それは超越的なものであり、他の宗教的モニュメントと比較しながら鑑賞を始める。しかしこれは、北の海の灰色の果物の中に確固としてあるゴシック芸術の傑作、モン・サン・ミッシェルの大きな入江の中にスクッと立ち上がった花崗岩の巨大な宝石とは丸で違ったものである。

同じ条件ではないが、ヴェネツィアが《ヴェネツィア》となったのは《絵画》による。ヴェネツィアは美術館、教会、邸館などでも知ることの出来ないと思われる、第一級の画家の祖国であり、母である。ティツィアーノ、パーオロ・ヴェロネーゼの天才的閃きはヴェネツィアでしか現れない。

彼らは少なくとも、その才能、その豊饒さにおいて輝いていた。フランスでは不公平にして知られていないが、この芸術家に匹敵するカルパッチョ、別けてもティエーポロがいる。後者は、過去、現在、未来と続いて最高の天井画家である。人間の顔立ちの優雅さ、官能的な目線に酔わせる魅力的な陰影、芸術が精神に与える特異な酩酊、といった夢見るような魅惑を、彼のように壁面に描いた画家はいない。

彼は、Wateau や Boucher のように優雅で粋であり、とりわけ称賛に値する、太刀打ち出来ない、人を魅了する能力を持っていた。彼以外の誰かを、正当な判断で称賛出来るかどうか、それに耐え得る者は他にいない。

彼の構成の妙! デッサンの予期せぬ力強さ、豪奢さ、表現の多様性、色使いの独特の新鮮さは彼の手から生まれる。この計り知れない表現力から生まれた天井画の下で、ずっと過ごしていたいという止むに止まれぬ欲求を我々に生みつける。
ラービア館ラービア館はいわば一つの遺跡である。この大芸術家が残した最も称賛さるべき作品を見せている。彼は内部の大広間に描いた。天井、壁面に装飾、建築全てを筆で成し遂げた。主題はクレオパトラの物語、18世紀のヴェネツィアのクレオパトラ。

大理石の下、描かれた柱の背後、ドアを通り越し部屋の4面に広がっている。人物はモールディングの上に寝そべり、飾りの上に腕や足を伸ばし、魅力的に着飾った人々とここに集っている。

この傑作を所持する館は売りに出されたという。館内ではどんな生活があったのか。」
 ――Tiziano Scarpa『Venezia e` un pesce』(Universale Economica Feltrinelli、2000.04)から。次回はそのラービア館について。
  1. 2014/06/11(水) 00:01:03|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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第59回旧四大海洋共和国レガッタ――ヴェネツィア優勝

本日のヴェネツィアの新聞La Nuova紙は、毎年4市持ち回りで行われる、昨日の旧四大海洋共和国レガッタの模様を告げています。
漕舵手は8人「ヴェネツィアは、ジェーノヴァで昨日曜日午後行われた、第59回旧四大海洋共和国レガッタの競艇で優勝した。2位アマルフィ、3位ジェーノヴァ、4位ピーザ。緑のユニフォームのガレー船乗組員達は、最初は飛び出したアマルフィが先行していたが、第2セクションで追い付き、他にリードした。2番手のジェーノヴァとアマルフィを含めて、最終的には勝敗は頭の差だった。
 
ヴェネツィアが結局は勝者となり、過去58回のレガッタにこの新しい勝利で、32度の優勝となった。 ……」

2012年はアマルフィ、ピーザ(2013)、ジェーノヴァ(2014)と挙行されてきましたので、2015年はヴェネツィアでの開催予定です。来年6月には、この楽しそうなレガッタがヴェネツィアで観覧出来そうです。

新聞のキャプションをクリックすると、写真やヴィデオを見ることが出来ます。
  1. 2014/06/09(月) 13:00:00|
  2. ヴェネツィアの行事
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文学に表れたヴェネツィア――ギ・ド・モーパッサン(1)

先日4月30日に触れたティツィアーノ・スカルパはその著書『ヴェネツィアは魚だ』(Universale Economica Feltrinelli)の中で、アンリ=ルネ=アルベール=ギ・ド・モーパッサン(1850.08.05トゥールヴィル=シュール=アルクのミロメニル城~1893.07.06パリ)の紀行文『Venise』(1885.05.05)の、彼の伊語訳を巻末に掲載しています[モーパッサンは1885年4月4日、イタリアに向けてパリを発ちました]。題して『Venezia(Venise)』。その和訳を試みてみます[仏語を読みたい方は、次のサイトをどうぞ。Venise]
Tiziano Scarpa『Venezia e` un pesce』「ヴェネツィア! 詩人達に、より愛され、称えられ、歌われ、その賞賛者には更に羨望され、訪れる人はいや増し、著名となっていく、そのような町が存在するのだろうか?

ヴェネツィア! これ以上のものを夢想させる名前が、人類の言葉に存在するのだろうか? 優雅な町だとは言え、賑々しくも甘美である。直ぐ様、この名前は陽気な仮装行列の素晴らしい思い出や眼前一杯に広がった魅惑の夢物語を呼び起こしてくれる。

ヴェネツィア! この言葉だけがただ一つ魂を熱狂で揺さぶる。我々に内在する詩的なるもの全てを刺激し、我々の賞讃能力を自由に解き放つ。そしてこの特異な町に到着するや、出発前に学んだ眼が間違いなく更に惹きつけられるように熟視し、夢の如くに目を凝らし続ける。

何故かならば世界を経巡る人にとって、実際に見た風景と自ら抱くイメージをゴチャゴチャに混糅させない、なんてことは不可能に近いからだ。旅行者は嘘をついているとか、読者を欺いているとか非難される。否、嘘をついているのではなく、眼でというよりむしろ頭でものを見ているのだ。

我々を魅了した長篇物語、我々を感動させた20行ほどの詩句、我々を旅人の格別な詩情に誘ってくれる短編小説があれば充分だ。そしてそんな風に遥か遠くの、ある町での欲求に捕らわれたなら、この町は抗いようもなく我々を魅惑して止まない。

ヴェネツィア以外のどんな土地であれ、このように待ち伏せを企んでいたかのように熱狂を引き起こす場所は他にない。初めてかの有名なラグーナに漕ぎ入れて行った時、その時初めて我々の感情がラグーナに反応するのであって、幻滅するなどということはあり得ない。

読書した人、夢見た人、今入って行く町の歴史を知っている人、既に体験した人のあらゆる意見を知っている人は、概ね出来上がった印象を常に身内に携えている。愛すべきこと、無視すべきこと、称賛すべきことは熟知している。

先ず最初、列車は奇妙な井戸で蜂の巣状になった平野を走り抜ける。それは大洋と大陸が描かれた、ある種の地図と呼べるかも知れない。そうして本土が少しずつ姿を消していく。列車は走る、最初長い海岸線、直ぐに途方もなく長い橋を突き進む、海に投げ出されたかのように、かしこに立ち上がる町へ向かって、それは動く気配もない棺衣の上に、果てしなき海の上に高く聳える鐘楼やモニュメントの町だ。また時折、島の農園を耕す島民達が右手や左手に現れる。 

駅に到着する。運河岸には幾艘かのゴンドラが待機している。細身で長く黒い舟体には、不思議な、しかし豪奢な船首、光り輝く金属の舳先飾りが立ち上がっている。ゴンドラは栄光の歴史に輝いているのだ。

一人の男が旅客の背後に立ち、木製の、捻じれたある種の天秤である櫂1本で舟を操る。その櫂は右舷[のフォルコラ]で支えられる。粋であり厳格であり、愛すべきであるが好戦的でもある船頭。“デッキ・チェアー”に横になった旅人を甘美に揺り籠のように揺する。優しい椅子の座り心地、舟の快適な揺れ具合、緩急自在の船の速度は、予期せぬ甘い心地良さを与えてくれる。

人は無為の中で全て快調、休息し、周りを眺める、その動きに愛撫され、心身が抱擁され、突然に、はたまた絶え間なく、肉の快楽(けらく)が肉身を貫き、魂が深い至福に満たされる。

雨の降る時は、舟の中央に銅飾りで覆われ、黒い緞子を敷き詰めた、木彫のある小さな部屋[felzeのこと]が設えられる。死あるいは愛のミステリーがもたらされるか、時には狭い小さな窓の後ろに素晴らしい美女がいることに気付かされるかのようである。

大運河岸で下船しよう。最初、川が道であるとでも言うのか、むしろ開かれた暗渠であるかのようなこの町の景観に驚いていた。これは正に最初の驚愕が収まってから、ヴェネツィアが与える印象である。他の町では、住民にそんな狭い暗渠で船を航行させるよりは、汚い水の流れに蓋をしてしまっていることだろう。しかしこの地の冗談好きの技術者は、壁面をしっかり造って塗り込めた穹窿のような蓋など取り払ってしまったかのように思われる。 ……」 [続く]
  1. 2014/06/04(水) 00:08:34|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ヴェネツィアの祝祭: 2014年のセンサ祭

昨日のLa Nuova紙は、今年のセンサ祭について報じています。
海との結婚「伝統ある《海との結婚》を祝うセンサ祭が今年もやって来た。この祭には一連の行事があり、サン・マルコ湾とリードのサン・ニコロ岸の間の海上を活気付け、ラグーナを盛り上げる、ヴェネツィアの海との結婚式と色々の櫂漕競技で祭はピークを迎える。  

9時30分、サン・マルコ岸からリードへ船列は動き始めた。ヴェーネトの櫂漕協会の協力の下、伝統的な櫂漕船の列である。16時45分からサン・マルコ湾とサン・ニコロ岸の間の鏡のような海上で授賞式が挙行された。それに先立って、先ず最初に2櫂のプッパリーン舟による若者達の競争、続いて2櫂のマスカレータ舟による女性達の競争、最終戦は4櫂のゴンドラ舟による競争、があった。 ……」
――[La Nuova 紙のキャプションをクリックすると動画が見られます。]
  1. 2014/06/02(月) 13:46:59|
  2. ヴェネツィアの行事
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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