イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ヘルマン・ヘッセ(3)

ヘルマン・ヘッセヘルマン・ヘッセ像、サイトから借用
「 ピアツェッタ     
     
古い時代の金貨がきらめきながら
緑の絨毯を静かにまろびゆくように
そのように緑の波のやわらかなうねりに
幾千もの小さな黄金の炎が点々と輝き
合間には波にゆられてたわむれるように
遅い夕暮れのスミレ色の輝きが漂い
それらの中にはまるで王侯の印章のように
金色の巨大な地球儀がくっきりと映っている
間近な島に建つ教会は屋根をつらねて
青黒い空に鋭いシルエットをなして聳え立ち
その背後には、見えずとも気配を漂わせながら
早くも若い月がおずおずと銀色の光を放っている
サン・マルコ広場から聞こえてくる音楽は
惑うようにくぐもり、風の中に闘いながら
あるいはひととき澄んだ音となって響きわたり
あるいはゴンドラ乗り場に次々と寄せくる波の
しばしば激しく泡立ちながら
最上段まで打ち寄せるざわめきにかき消される
これまで僕の心を虐げていた苦しみは去り
はるかな夢と歌の中に退いて
僕が携えてきた困窮と苦しみも
美しい夜の中に高く響いて消えてゆく
ひそやかに柔らかな快感が訪れきて
おもねるように僕を包みこみ
心を占めていた憧れは遠のいて
雲が漂いゆくようにやさしく溶けてゆき
ゆたかな諧音となり、夢となり、歌となる
それは容易に得られた美しい時の獲物
そして純粋な今が僕を胸に抱き寄せる

 ヴェニスへの到着

音もなく流れゆく暗い運河よ
見捨てられた入江よ
灰色に連なる古めかしい家よ
ゴチックの窓よ、ムーア風に飾られた戸口よ

深い夢に打ち負かされ
死に寝かしつけられて
ここでは時が眠っている
そして一切の生の気配の何と遠いことだろう
ここで僕はただひとりきり
古い路地をめぐりゆこう
松明に照らされたゴンドラ乗り場に足を止め
曇りガラスの窓を覗き込み
薄闇の中で子供に返って
こわごわと胸をときめかせよう

 憂鬱――ヴェニスの墓の島で

美しい時が僕の手から流れ落ちてゆく――
僕は孤独な船人、くる日もくる日も船を進め
悲嘆にくれる沈黙の潮には島影のひとつとてない――
今日は暗い望みの駆り立てるままに
僕は墓の島へとやってきた
恐ろしい世界――逆巻く波が大音響を立て
忘却の岸辺に打ち寄せては砕け散る
ここに憩う者たちよ
忘れられ、嘆かれることもなく、街から遠く離れて
生の欲望にあえぐ街人がおまえたちを尋ねることもなく
おまえたちの場所を尋ねることもない
おまえたちは僕の同胞、私の親しい兄弟
生から切り離され、はるかな波の領域に移されて
おまえたちは憩っている
そのように僕は誰にも知られぬ異国の旅人として
かくも近々と熱く流れゆく生への橋も知らず
名前もなくさまよいを続けてきた
その途方もない嘆きには
味わわれなかった日々の輪舞が揺らめいている――
おまえたちのように僕もいつか消えてゆき
益もない巡礼の重荷を降ろして休むだろう (1903/04頃)」
 ――『ヘルマン・ヘッセ全集 16 全詩集』(日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会編、臨川書店、2007年4月30日)
  1. 2014/08/28(木) 00:02:38|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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文学に表れたヴェネツィア――ヘルマン・ヘッセ(2)

2014.02.05日にヘルマン・ヘッセについて書きました。彼の全詩集を繙くと、その中で最長の詩は『ヴェニスのゴンドラの語らい』と題する詩で、彼のヴェネツィアに対する思いがその事だけで伝わって来ます。
『ヘルマン・ヘッセ全集』「 ヴェニスのゴンドラの語らい
       Ⅰ
さあ、貧しい僕らがいつか王族になり
それぞれに宝物をひとつ求めるとしよう
それを交換して僕らの身を飾るのだ
さあ、考えてみよう、何にしようか――
僕が君に選ぶのはネックレス
はるかな東洋で採れた真珠のネックレス
内に重厚な光を宿しながら
オパール色にきらめく真珠のネックレス
それらの真珠を贅沢につらねて
端には笑うようなルビーをいくつか置こう
それは君の胸を飾るすばらしい星となって
競うように君の美しさを引き立てるだろう
ルビーの真中には古い金のプレート
そこに細やかに彫り込まれて輝く姿は
あらゆる伝説の中で一番愛されている女神
泡に濡れて波間から浮かび出るヴィーナス
女神の美しさは君自身の美しさそのものだ

お返しに僕はガラスの花瓶がほしい
それはほっそりと背の高い花瓶
表面には海のように緑色に輝きながら
リド島の浜辺にそそぐ陽光のようにきらめき
その光に百もの色彩がたわむれて
一時も休みなく虹のように揺れるのだ
それはあらゆるガラスの中の奇跡
作るのはムラーノの最高のガラス職人
昼も夜も骨身を削って励みつつ
色彩の奇跡が夢のように花を咲かせ
彼の一番豊かな夢が炎と燃え立って
この世ならぬ姿があふれ出るだろう
それから今日のように暖かい夕べに
その花瓶はめずらしい音を響かせ
僕らがふたりして静かに耳を傾けていると
やがてその音から歌が立ち昇るだろう
それは見知らぬ時代の物語のように
見知らぬ美しい響きのゆったり流れゆく歌
魔法の幸福の中に深々と心を浸して
どんなに内気にこがれる望みもかなえてくれる
聞いているかい、ジーナ、聞いていないのかい
ほら、もう岸辺からメロディーが流れてくる
僕らの花瓶の千もの色彩が群がって
めくるめくような輝きを放っている
太陽はレデントーレ教会の向こうに傾き
重々しく熟して血のように赤く燃えている
ラグーンは広々と燃えさかる野原となって
咲き乱れる赤いバラのように輝きながら
あらゆる色彩のきらめく贅を尽くした祭りを祝い
言葉もなく見とれている僕らを華々しく圧倒する
もうガラス職人の手を煩わせることはない
だってほら、ここに僕の花瓶が輝いているのだから
そしてどこか青い海の向こうに
君のネックレスも見つけられるだろう
      Ⅱ
何を夢みているの――そう君は尋ねるのかい
昨日、僕らはふたりして死んだのだ
白い衣をまとい、白い花をほつれた髪にさして
僕らは黒いゴンドラに乗って海へと進んでゆく
遠い鐘楼から鐘の音が鳴りわたり
その音も次第に弱まりつつ
やがて船底にざわめく波の音にかき消されて
僕らはさらに海の彼方へ運ばれてゆく
数々の船が天に突き上げるマストを立てて
水平線に黒々とやすらうところへ
漁師の小船が赤や黄色の湿っぽい帆を上げて
一層深々と輝いているところへ
青い大きな波がさかまくところ
荒くれカモメの住んでいるところへ――
水の扉の青々と開いた口を通って
僕らの軽い小船は深々と下ってゆく
珊瑚の木々が不思議なかたちをして
広々とした空間をうめつくし
ひそやかにほのめく貝のなかに
青白い大きな真珠が妙なる光を放っている
臆病な銀色の魚が淡く輝きながら
色彩の痕跡を残して僕らのそばを通りすぎ
その後には金と赤の細い尾をした魚の群れが
さらに鮮やかないろどりを添えて泳いでゆく
僕らは深い深い海の底にうっとりと夢みながら
時には鐘の音が風のそよぎのように聞こえて
僕らに呼びかけるように思えるだろう
けれどもその遠い歌を僕らは理解できない
その歌の語り告げるのは
僕らが遠い昔に立ち去った狭い路地
僕らがかつて知っていたもの
僕らがかつて見つけた道――
ひとつの通りを、ひとつの教会を
ゴンドラの呼び声といくつかの名前を
はるかな昔に幾度も耳にしたそれらを
僕らはいぶかりながら思い出して
まどろむ子供のように微笑みながら
もの言わぬ唇を動かすだろう
そして僕らが回らぬ舌で言う前に
その言葉は忘却の中に沈みゆき
夢のような死へと落ちてゆくだろう
僕らの上に大きな船がすべりゆき
暗い帆船が色とりどりの帆を広げるだろう
大きな鳥が太陽の日ざしを浴びて飛び
漁網が水に浮かんできらめくだろう
頭上には高々と清らかに青い空が広がり
太陽が晴れやかに輝くだろう 」   ……(Ⅲ~Ⅵ省略) 
 ――『ヘルマン・ヘッセ全集 16 全詩集』(日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会編、臨川書店、2007年4月30日)より
  1. 2014/08/21(木) 00:00:32|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ヴェネツィアでゴンドラでの死亡事故後、1年

本日のLa Nuova紙を見ると、昨日は1年前にあったゴンドラでの死亡事故の命日だったそうで、追悼式があったそうです。
リアルトで「 大運河事故1年後、《フォーゲル一家の近親者達》
――ヨアヒム・ラインハルト・フォーゲル(50歳)ミュンヘン大学刑法学正教授が、休暇で家族とゴンドラを楽しんでいる時、アチティヴ(ACTV)のヴァポレットとの衝突事故に巻き込まれ死亡し、1年になる。リアルトでゴンドリエーレ達が冥福を祈った――

ゴンドリエーレ達は今朝、フォーゲル教授が1年前落命した時刻にリアルトに集まった。彼はゴンドラで一家と楽しんでいる最中、ヴァポレットとの衝突事故に巻き込まれ、死亡。妻と息子達は無事だったが、娘は大怪我を負った。

この悲劇を追悼するため、50人ほどの Pope 達は事故の場所に集まり、一家を乗せたゴンドラの操舵手ステーファノは花束を捧げた。サン・サルヴァドール教会の教区司祭ドン・マッスィミリアーノが祭司し、数分間の黙禱を捧げた。 …… 」  ――新聞の画面をクリックすると動画がご覧になれます。

今日の新聞La Nuova 2は他にも船の衝突事故を報じています。船同士の接触・衝突事故は多いようです。

タクシーと小舟が衝突し、若者4人が海に投げ出された――7人が事故に巻き込まれ、少年1人が病院に搬送された。小舟は転覆し、消防隊員が救助した。――」

尚、2013.08.17日のブログで昨年の事故の模様とアレッサンドロ・マルツォ・マーニョ著『ゴンドラの文化史』(白水社)について触れました。それによると、この事件はゴンドラ史上初の死亡事故だったようです。次のブログをどうぞ。ゴンドラ
  1. 2014/08/18(月) 13:04:22|
  2. ニュース
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ヴェネツィアの建物: マルチェッロ館

ガッティ・カザッツァ館からサン・マルクオーラ運河、ヴォルピ館を過ぎると有名なヴェンドラミーン・カレルジ館に至ります。この館については2014.02.26日に賭博場のヴェンドラミーン・カレルジとして書きましたので、そちらをご覧下さい。

更に右岸を進みますとマルチェッロ館となります。E.&W.エレオドーリ著i『大運河』(1993)の説明は次のようになっています。
マルチェッロ館他「17~18世紀初頭に建てられた。アーチ型の五連窓は高く細い円柱で支えられ、明るい露台がアクセントとなっている。玄関の二つの大門と各ピアーノ・ノービレに通じる独立した形の階段は、多分2家族用として設置された。1686年有名な作曲家ベネデット・マルチェッロはここで生まれた。」

M.・ブルゼガーン著『ヴェネツィア人物事典』(Newton Compton Editori、2006)はベネデット・マルチェッロについて次のように紹介しています。

「音楽家(1686.6.24/7.24/7.31/8.01ヴェネツィア~1739.7.24/7.25ブレッシャ)[生没年月日は色々あるようです]
彼には音楽家でもあった兄アレッサンドロがあり、貴族の出である。パードヴァ大学法科を卒業し、四十人委員会に入る。1738年までポーラ(現クロアツィアの Pula)のヴェネツィア共和国施政官を務め、同年ブレッシャの財務官に任命された。

ガスパリーニとロッティに学び、音楽と文学の分野で活躍した。作曲家として著名となり(音楽の第一人者と言われた)、詩篇に基づくジェローラモ・アスカーニオ・ジュスティニアーンのテキストにより、8巻からなる荘厳なる作品『Estro poetico-armonico(詩的・諧調的霊感)』(1724~26)は、その他のマドリガルや室内歌曲のような声楽曲とともに、彼がドラマティックなアクセントを持つ力強さを表現出来る音楽家であり、バランスの取れた作曲家であることを示している。

1710年のオラトリオ『ユーディット(Giuditta)』(ユダヤの寡婦。アッシリアに包囲された町を救うために、ネブカドネザルの総大将ホロフェルネスの祝宴の席で彼の首を切り落とす)や5楽器によるコンチェルト集、チェンバロとフルートのソナタ集などの数少ない器楽曲も重要で、多分オペラ『公認の信仰(La fede riconosciuta)』は、詩人としても優れていた彼が書いたものと思われる。また彼が1720年頃、匿名で出版した『当世流行劇場(Teatro alla moda)』は、当時のヴィヴァルディを筆頭とするオペラ界を強烈に諷刺したものとして知られる。

現在のヴェネツィア音楽院(サント・ステーファノ広場一隅のピザーニ館)は、彼の姓名を冠して、ベネデット・マルチェッロ音楽院と称している。」
[2008.12.27日のサンタンジェロ劇場で『当世流行劇場』について触れています]

同じく作曲家であった兄アレッサンドロの作曲した『オーボエ協奏曲』第2楽章は、《ヴェニスの愛》として、頓に有名になりました。
  1. 2014/08/14(木) 00:04:27|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
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シャンソン

今日の新聞を見ていましたら、仏国シャンソン歌手のイヴェット・ジローが97歳で亡くなったそうです。1955年に初来日し、’99年まで毎年のように来日した親日家だったそうです。厚生年金ホールのコンサートを思い出します。御茶ノ水駅前に、“ジロー”というシャンソン喫茶店がありました。イヴェットさんの冥福を祈ります。
ジローイタリアお宅になる前、第2外国語で仏語を勉強していた私は、近年パリに行った時、確認したいと思って見に行った、アポリネールのミラボー橋のことを思い出します。彼女の唄『ミラボー橋』を聞いていたからでした。歌詞を暗唱していたので、川面を見下ろしながら口遊みました。彼女の唄Le pont Mirabeaudを Youtube でどうぞ。

その他シャンソンと言えば思い出す歌手が彼女以外にもあります。前にもちょっと触れましたジョルジュ・ブラッサンス、そしてレオ・フェレらです。パリについてはパリ(1)、ブラッサンスについてはYoutubeの去年の雪、今いづこを、参考までにどうぞ。

今でもよく聞くコラ・ヴォケール(Cora Vaucaire)は、私にとってシャンソンのザ・ベストです。新宿・伊勢丹前にあったアート・シアターで見た映画『かくも長き不在(Une aussi longue absence)』の中で、イタリア出身という役柄でイタリア訛りの仏語を話すアリーダ・ヴァッリの女店主と浮浪者ジョルジュ・ウィルソンが彼女の喫茶店で、ジュークボックスの音楽でダンスをするシーン。流れる歌は、コラ・ヴォケールの唄『Trois petites notes de musique』です。私にとって、最高の仏映画でした。YouTube で、コラの歌をどうぞ。Trois petites notes de musique、日本題『小さな三つの調べ』。 

その他ムルージー(彼の小説が戦後翻訳され、素敵でした)、ジャン=ロジェ・コシモン、シャルル・アズナヴール等、聞きました。アズナヴールは聞くたびに、何故か映画『Tirez sur le pianiste』が思い出され、『Que c'est triste Venise(悲しみのヴェニス)』を聞きながら、思いをヴェネツィアに馳せます。Youtube でQue c'est triste Veniseをどうぞ。
  1. 2014/08/10(日) 17:07:09|
  2. 音楽
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文学に表れたヴェネツィア――ロバート・クーヴァー

ロバート・クーヴァー著『老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰る』(斎藤兆史・上岡伸雄訳、作品社、2012年9月30日)という作品を読みました。読み始めるや原作も読まなくてはと急遽『ピノッキオの冒険』も改めて読み直しました。
『老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰るピノッキオの冒険「……《それならさ、中世以来例のない葬式を出そうじゃないか! 九世紀には、有名な二人のプロの遺体泥棒が、香水をつけた籠に盗んだ聖マルコの遺体を入れてアレクサンドリアから持ち帰り、それ以後全世界がうらやむほどの興行収入を上げたろう! ああ、素敵な葬式だったろな! 集まった人の数を考えてごらんよ! すごい市場だぜ! それ以来弔問客が跡絶えないんだから! 映画の宮殿が現われた現代に至るまで、壮麗さにおいて比類なき霊廟に納められたその芳しいお骨なんか、大帝国の種になったようなもんだからね!

それどころか、朽ち果てることのない福音伝道者たちによってこの島々に与えられた神聖な香は、未だにふとした風の向きで馥郁と漂い、改めてあの手の早い旅商人、祝福されたならず者たちへの感謝の念を呼び起こす! そしていま、ねえピノッキオ、もし今度は君の番だというなら、現代においてほかに例を見ないような送別の式を挙げると約束するよ!……》
……
《……そこにはフェニーチェ劇場オペラのオーケストラが待ち構えていて、我らがリッカルド・ワーグナーの名作の中から『ジークフリートの葬送行進曲』を演奏して、大学者、芸術家、政治家、神学者、銀行家、大工、映画俳優、叩き上げの大富豪、それから世界中の社会改革家などの会葬者から成る葬送隊を出迎え、一行は厳かに並木道と法律家通りを下って追いはぎ街に向かい、さらにフューセリ運河に沿ってカッレ・デイ・ピニョーリ、すなわち松の実通りに差しかかり――さて、そこからは君を記念するための通りだ! あそこはいいよ! と言ってる間に、ここはサン・マルコ広場――ああ! こりゃちょうどよかった! 着いたよ!》
……
……三つのカフェの楽団が今朝は一斉に演奏しており、その気紛れな不協和音に混じり合うかのように町中のおびただしい鐘が鳴りわたり、やかましい音楽が再生され、商人たちが口笛を吹き、鷗が鳴き、船が警笛を鳴らし、広場に叫び声と笑い声が響き、近くにある大時計の機械が軋み、そしてそのすべての音が、まるで一つのけたたましい声となって潟の水面にぶつかったかのように反響している。

耳を失った彼にも聞こえるその声は、現在という時の支配を高らかに宣言しているかのようだ。彼の頭上では、黒光りする艶と伝説的な性器ゆえに俗に《ムーア人》として知られている二体の巨大なブロンズ像が、こわばった体を回転させて朝の時間を叩き出し、その下では、サン・マルコ寺院のシンボルである有翼の獅子が開いた本の上に石の足を載せ、銅でできた聖母と幼子が小さなテラスに立っており、さらにその下では、大きな顔の十二宮時計が、容赦なく時を粉々に砕き、歴史を一種の壁画に変えながらも、その穏やかな回転によって永遠を賛美している。……
……
《待った! じゃあ、マルチアーナ国立図書館はどうだい? ついこのあいだ、不平を言ってたじゃないか。遠い島にはすぐに連れて行ってくれるのに、向かいのマルチアーナには行けないって!》《でも、ベッリーニはない――!》

《糞ベッリーニは明日だ! 今日はペトラルカ! キケロにプリニウス! マルコポーロの遺書にフラ・マウロの地図! グリマーニ抄本だ! ベッサリオンの写本だ!貴重な書物が百万もあるんだぞ、ピニ、売却してなければだが! 言うまでもなく、ティツィアーノの“叡智”はどこかに掛かっている。それにドゥカーレ宮殿の金箔の広間にある不滅の“哲学者の回廊”だ! たまらないだろう?》
……」
 ――ロバート・クーヴァー著『老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰る』(斎藤兆史・上岡伸雄訳、作品社、2012年9月30日)

『ピノッキオの冒険』で最後には人間になることが出来たピノッキオは、アメリカに渡り、ノーベル賞を2度も受賞する西洋文化のオーソリティとして、百歳を超え、生まれ故郷イタリア、それもヴェネツィアに戻ってくるというピノッキオの後日談です。

パロディ小説としてのそれは、文章の出来不出来に全ての面白さが掛かっていると思われます。直喩、隠喩、換喩、提喩、風諭、寓喩などの表現法を、“です”調、“だ”調、“である”調、体言止めなどで、擬人法、象徴法、対句法、倒置法、反復法、省略法、両刀論法などを駆使してブラック・ユーモア的世界を語ろうとしています。饒舌が狂騒的に、悪い冗談、でっち上げ、減らず口、罵詈雑言、その他ある事ない事、言いたい放題が言葉遊び的に、ハチャメチャに疾走します。
  1. 2014/08/07(木) 00:05:40|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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