イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ハーマン・メルヴィル(1)

私にとってアメリカ文学の傑作と言えば、ヘミングウェイの作品群ですが、それよりも前の作品にメルヴィルの『モービー・ディック(白鯨)』があります。彼はこの1851年に発表された作品以後、厭人的傾向が強まり、56年には気分転換のために、ヨーロッパ、オリエントを旅したと年表にあります(ジョン・ヒューストン監督、グレゴリー・ペック主演の映画『白鯨(モビー・ディック)』を思い出します)。

ハーマン・メルヴィル(1819.08.01ニューヨーク~1891.09.28ニューヨーク)は、その旅行中ヴェネツィア滞在もしたらしく、1857年発表の『イタリア日記』の中に、ヴェネツィア滞在記があり、Zeppelin, citta` raccontate da scrittori シリーズ中の『Venezia』(Valerio Bispuri, Luciano del Sette 編)に、そのメルヴィルの《ヴェネツィア滞在記》の伊訳が載っていますので、訳してみます。
『Venezia』「4月5日、日曜日。サン・マルコ広場で朝食。3本の旗竿にはためくオーストリア旗。広場の素晴らしさ。太陽が降り注ぐ中、寺院の姿が輝いている。ご婦人方、花屋、演奏家達、アドリア海産の貝殻の呼び売りらが歩き回っている。また煙草屋。私はMindelのアーケイド下のベンチに腰を下ろしている(鐘楼の蔭、その下を歩き回る心地良さ。鳩の群に餌をやる人々)。

ゴンドラに乗る。ナポレオンが欲しがった庭園。ヴェネツィアの東端の公園(ニューヨーク・マンハッタン南端のバッテリー公園のような)。ラグーナ(潟)の美しい眺めとヴェネツィア本島の脇にある島々。リード島、そこから見るヴェネツィアは美しい。とりわけ総督宮殿、等々。アドリア海の海岸まで砂浜を散歩。静かな海。広い、長い砂浜。

アルメニア修道院まで海藻だらけのラグーナを渡る。世界から逃れるのに感嘆すべき隠れ処であり、ラグーナの中で静かな眠りにつける。リード島は、荒れ狂う大波のような人生に立ち向かう防波堤である。

庭園、修道院、回廊など矩形の広がり。図書館の窓からの眺め――島々、それは遠くの町。

アルメニアの高貴の司祭と長い髭の老人の肖像画。古い手動印刷機。トルコのメダル。手稿聖書。帽子。8人の信者と司祭。素晴らしい僧服。それは、薔薇色の絹布で飾られた窓を通して、煌めく水面に反射して燦々とした陽光の下、輝いているのが見える。 ……」(続く)
  1. 2014/11/27(木) 00:03:59|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ヴェネツィアの現在: マドンナ・デッラ・サルーテ教会のお祭り

今日は、ヴェネツィアではマドンナ・デッラ・サルーテ教会のお祭りの日です。本日のLa Nuova紙がそのことを伝えて呉れます。
サン・マルコ広場からサルーテ教会までの行列「 マドンナ・デッラ・サルーテ教会のお祭: 何千人という人々の行列
本日はヴェネツィアにとって、最も待ち望まれた祝日である。ラグーナと本土側の信仰のある人・ない人を一つに纏める日。昨夜ある彗星が輝く光跡を発して音もなくサルーテ教会に入っていった。彗星とは若者達であり、サン・マルコ広場から灯明を掲げ、行列を組んで奉納の橋を渡り、ヴェネツィア人が最も崇拝している聖域に至った。

総大司教モラッリャが口にする"felicita'(幸福)"という言葉を聴くために何千もの人が駆け付けた。《若い人の大群には不十分だが、ここにはかつて1600の灯明があった》とある物知りが鼓舞するように語った。

司教は、直ぐに脇道で近道することを考えたり、ピノッキオが好きだった幸福の国のような安楽な生活、おもちゃの国やデブ少年(omino di burro―脂肪を摂取し過ぎる?)といった安易な状態に繋がることではなく、真実の、喜びの歩みを一歩一歩進めようではないか、と若者達に語り掛けた。」

サルーテ教会のお祭りについては、2011.03.26日の年中行事(11)や2012.08.11日のパトリシア・ハイスミスで触れています。
  1. 2014/11/21(金) 22:45:27|
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ヴェネツィアの歴史: カッシオドルス書簡(537年)

ルカ・コルフェライ著『図説 ヴェネツィア』(中山悦子訳、河出書房新社)の巻末の年表中、538年の項には「カッシオドルスの書簡(ラグーナの住民に言及する最古の資料)」とあります。ジョヴァンニ・ディステーファノ著『ヴェネツィア史 421-1099』(Supernova刊)の537年の項には次のような記事があります。
ヴェネツィア史 421-1099「537年= カッシオドルス(伊語Cassiodoro、490-583)はコスタンツァーロのスクィッラーチェ生まれのラテン語作家で、東ゴート族の王ウィティギス(伊語Vitige、536-40)の秘書官であったが、ヴェーネト人(i venetici)の地方に到来し、イストラ(Istria)半島からラヴェンナまでワインやオリーヴ・オイルの運搬を依頼し、結果、この地域が海上交通に優れていることを称賛した。

この派遣のお陰でカッシオドルスは、近隣のヴェーネト人と知り合い、彼らを観察して、『カッシオドルス書簡(Lettera di Cassiodoro)』として知られる貴重なドキュメントを遺した。その中で、島の住民達とは、豊富な海産物の一つ、魚類を餌とする水鳥のようなものだと言っている。

そして貧富の別なく同じような家で、同じような生活態度で共存しており、お互いに連帯し合って、特に製塩に励んで生活している。そのことで塩製品以外の物を購入することが出来る、と。

カッシオドルスの証言は、海上活動の有り様を明らかにする意味で重要である。それは護岸工事によってラグーナ内部に作られた運河での航行、ラグーナ内に出来た航路を遡航して昇った川での航行や、また沿岸航海、更にアドリア海の対岸までの航海、即ち彼らが、船乗り達の船が辿る《果てしない空間》と呼んでいる海、その開かれた空間の向こうのイストラ半島の海岸まで横断することであった、と。」
  1. 2014/11/20(木) 00:03:41|
  2. ヴェネツィアの歴史
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ヴェネツィアの建物: グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館(2)

また一方、ルッソ著『ヴェネツィアの館』(1998)は、このグッソーニ館について次のように言っています。
ヴェネツィアの邸館「グッソーニ家のためのミケーレ・サンミケーリ案によるこの建物は、1500年代半ばのヴェーネト・ビザンティン様式で建てられたものである。今日では消滅してしまったファサードのフレスコ画は、ティントレットに依頼されたもので、フィレンツェのメーディチ家の墓のためにミケランジェロが彫った『曙(Aurora)』と『夕暮(Crepuscolo)』にインスピレーションを得て描いた二つの作品がそれである。あと二つは『アダムとイヴ』と『カインとアベル(アダムとイヴの息子達)』の絵に霊感を得たものであった。
『曙』と『夕暮』[フィレンツェ、サン・ロレンツォ教会メーディチ家礼拝堂の聖具室のミケランジェロの彫刻『曙』『夕暮』『昼』『夜』の内、豪華王孫ウルビーノ公ロレンツォの廟墓を飾る2点の彫刻]
グッソーニ家は11世紀初頭ヴェネツィアに到来した。その時サンタ・ソフィーア教会建設に尽力した。一家には沢山の人物、即ち騎士、元老院議員、ヨーロッパの宮廷に派遣された大使らが数多く登場する。

マルコ・グッソーニは、総督エンリーコ・ダンドロと共に、ザダル(クロアティア―伊語Zara)の制圧、1204年のコンスタンティノープル(Costantinopoli)の占領に参軍した。

1735年元老院議員ジューリオの死で、1500年代の居館は妻のファウスティーナ・ラザーリと娘のジュスティニアーナに二等分して遺された。

娘については特に、ベルガモの貴族フランチェスコ・タッシス伯との愛の逃避行、そしてその非合法の結婚で知られる。事実ジュスティニアーナは、1731年12月16日の日曜日、一人ゴンドラで逃げ出し、別の船で待つタッシス伯の元へ急いだ。郵便馬車でパードヴァに着き、一人乗りの2輪馬車で逃亡を続け、ヴェネツィア共和国の国境を越えた。

《同夜、教区司祭と証人の面前で》結婚式が執り行われ、同伯は十人委員会にその旨を書面で何度か告げた。しかし十人委員会はその事を決して承認することなく、彼の逮捕令を発した。伯爵は、不服従ということで追放され、ジュスティニアーナはヴェネツィアに戻り、ピエーロ・マリーア・クルティと結婚した。

色々の所有者の手を経て、館はユダヤ人の裕福な実業家チェーザレ・デッラ・ヴィーダの手に渡った。館の名前はそこから来ているが、その後、財務省直接税調査局の在所となった。」
  1. 2014/11/13(木) 00:06:18|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
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ヴェネツィア大学卒業式

本日のLa Nuova紙を見ると、前日ヴェネツィア大学の卒業式があった模様です。以下、新聞より。
広場に舞うtocco「 大学帽(tocco)と長靴: アックァ・アルタ(高潮)中のサン・マルコ広場で1000人の卒業生
――伝統ある卒業式で1039名という最高の卒業生数。演台には新学長ブッリエーズィ初登場。栄誉ある招待客にリッカルド・ドナドーン。

1039名という、過去最高の卒業生がサン・マルコ広場で祝福された。アックァ・アルタの中、色とりどりの長靴スタイルで式に臨んだ。H Farm の創設者リッカルド・ドナドーンが名誉ある招待客として招かれた。彼はその講演でデジタル文化世代を評価したのである、若者達はその能力によって、必ずや世界を変革していく、と。

新学長ミケーレ・ブッリエーズィが演台に立つのは初めてである。彼は卒業生達に、大学であれ実業界であれ、学び研究する姿勢を継続して欲しい、と語った。

卒業式は、大学帽を宙に舞わせ、大歓声で幕を閉じた。」 
新聞のキャプションをクリックすると写真等をご覧になれます。

ヴェネツィア大学については、2008.01.09日のヴェネツィア大学と2010.09.11日のフォースカリ館をご覧下さい。

今年は10月末から度々アックァ・アルタがサン・マルコ広場に襲来しているようです。La Nuova 2紙を覗くとサン・マルコ広場を行くカヌーの姿があります。アックァ・アルタについては、2008.10.26~2013.01.26日に書いたアックァ・アルタ(1~3)もご参照下さい。
  1. 2014/11/09(日) 17:00:15|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィアの建物: グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館(1)他

ズリアーン館を過ぎると、ルオーダ館となります。これは1600年代の建物で、2階3階の中央部分に三連窓というセルリアーナ式の開口部を持つファサードに典型的な特徴を見せており、両脇にそれぞれ矩形の片面窓を従えています。
グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館他その右隣は19世紀に改築された16世紀の建物カーザ・ヴェッルーティです。更に右隣は、グッソーニ・グリマーニ・デッラ・ヴィーダ館で、E.&W.エレオドーリ著『大運河』(1993)は次のような事を述べています。

「この美しい建物の建築は、およそ1548~56年のものと考えられており、フランチェスコ・サンソヴィーノはミケーレ・サンミケーリの作品としているが、その帰属については研究者全員が認めている訳ではない。

2階3階の中央部に露台付きの四連窓がある高貴な姿を見せている。ピアーノ・ノービレの開口部はドーリア式柱で窓が枠取りされ、アーチを描くペディメントが上部を飾る二つの片面窓が脇を支える。

ファサードはヤーコポ・ティントレットが花のモチーフとメダル風の肖像画のフレスコ画で全面を描いたが、今や失われてしまった。しかしアントーニオ・マリーア・ザネッティによる、そのエッティングが残され、1760年代『フレスコ画による各種絵画』として出版された。今日ではヴェーネト州の州庁の所在地である。

グッソーニという古い一族はヴェッルーノ出身で、1020年サンタ・ソフィーア教会を建立した。この分家は今やフランケッティとなっている館の中のサン・ヴィターレに居を構えた。

1569年5月、オーストリア神聖ローマ帝国皇帝の弟カール(Carlo)大公が、彼に敬意を表して行われた豪華なレガッタを中央バルコニーから観戦した。館は彼のフレスコ画と潤沢な美術作品のギャラリーで著名である。

この一家の男系は、1735年の元老院議員ジューリオの死で絶えた。彼はこの館の半分を遺産として妻のファウスティーナ・ラザーリに、半分を娘のジュスティニアーナに遺した。娘は1731年ベルガモ伯フランチェスコ・タッスィスとヴェネツィアから逃亡したため(二人はその後結婚はしたのだが)、厳しい物議を醸した。ジュスティニアーナは夫に先立たれ、1736年ピエートロ・クルティと再婚したが再び独り身となり、1747年亡くなった。

そこでファウスティーナは全館の唯一の相続人となり、グッソーニの姓を冠する必要から、建物を一家族用に改築した。ジローラモ・ミーニオ・グッソーニは、1798年グリマーニ家に館を売り払い、グリマーニからヴィーダ家が1816年購入した。」
  1. 2014/11/06(木) 00:05:41|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
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プロフィール

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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