イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ピアニスト、ルイーザ・バッカラ(2)

(続き)
「戦争中、広場にあった参謀本部が前線の兵站基地となっており、町に残る数少ないヴェネツィア人や前線から離れて避難している人々、市民病院で回復を待つ数多の戦争傷病兵の楽しみのために、ピザーニ館のベネデット・マルチェッロ音楽院のホールで定期的に幾つかのコンサートが開かれた。そうした活動に尽力する高名な芸術家達に混じって、ルイーザ・バッカラの姿もあった。中でも多分一番若くて、一番無名だった。

そんな彼女について、ジーノ・ダメリーニは次のように書いた。《ヴェネツィア生まれの大変若いピアニストは、戦争が勃発する前、ベネデット・マルチェッロ音楽院の最大の新星だった。勉強のご褒美に、ソリストとしてのキャリアーを凱旋するような、特別豪華なやり方で始めることが出来たのだった。》

それから19歳の春がやって来る。フィウーメ(現リエカ)占領の年である。ルイーザはヴェントゥリーナ事件でComandante(司令官――ダンヌンツィオのもう一つの添え名)を知っている。“ヴェントゥリーナ”とは彼が最後に獲得したオルガ・ブルンネル・レーヴィに与えた名前(実は最後から2番目)であった。しかし当時、彼は自分の書いた初期ヴェネツィアの悲劇『船』を映画に撮るためにイーダ・ルビンステインに関わっており、彼女を蔑ろにしていた。

しかしその事は“NO”である。最後から2番目ではなかった。更にまたヴェントゥリーナとの愛の“歴史”の間、満足することのない愛の渉猟者は、マリーア・ルイーザ・カザーティ・スタンパ侯爵夫人アーダ・コラントゥオーニ(ネリッサ)とも、愛の“歴史”を作ったのだった。彼女はヴェニエール・デイ・レオーニ館に住み、後に女優エーレナ・ドゥ・ヴノロスカであり、アンナ・モロズィーニ伯爵夫人であるペギー・グッゲンハイムとして住むことになる。……

その事はヴェントゥリーナとの“歴史”が長続きしたことを示している。事実それは17歳の1月(or 1917年1月)に始まり、ダンヌンツィオの中では、愛の継続は裏切りの数で計測される(多分“愛の逸脱”と称したケースであって、“裏切り”というと言葉が仰々しく、厳し過ぎるかも知れない)。

ヴェントゥリーナは自宅にルイーザ・バッカラを少し音楽をしませんか、と招いた。夕食にはガブリエーレ・ダンヌンツィオもいた。その時彼は彼女をしげしげと見た。彼女に手紙、贈物、本、花と贈るようになった。暑い夏の間、彼らは何度も会ったが、フィウーメ事件の始まる数日前の事、サン・ヴィダールのヴェントゥリーナの家でかなり形式的な出会いだったようである。
ガブリエーレ・ダンヌンツィオダンヌンツィオ(D'Annunzio)に(彼女もD'Annunzioの“D”を、“d”と小文字で書いた)《紹介されたいとは思いませんでした――更に続けて――詩人の理想というものは私にもあります。知るということ、男性というものを知るにつけ、評判というものは下がってほしくないのです。それはヴェントゥリーナが私にしたある種の裏切りのようなもので、演奏するように私を家に招待し、d'Annunzioに会わせる事をしたのです。》

後日(1919年9月9日のこと)詩人は、攻撃に出発した。即ち、愛しい少女の友は画家のグイード・マルッスィグ[1885年トリエステ生まれ]と共にルビンステイン家の正餐への招待から始まるのである。招待状はlei (貴女)で書かれていた。続いて、もう一つの招待状が届き、それは彼女の家であり、voi (あなた方)と書かれていた。我々にはもう一つ、10月1日の招待状があり、それはフィウーメからで、tu (お前)で書かれている。

中身に疑いの余地はない。《今度お前にいつ会えるのか。小さな、黒っぽい顔はどこにいる? 若い、野性的なすじを刻む、銀色に輝く髪はどこに? いつ再会出来るのか?……休戦時にお前の抱擁、僕の抱擁を考えながら打ち震えている。熱情の最後の夜のこと。お前に会えるだろうか?》 ……」 (続く)
  1. 2017/02/09(木) 00:05:44|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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