イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの街案内(17)

(続き)
「サン・カンチャーノ教会の脇を過ぎて、この広場を後にして、サン・カンチャーノ橋を渡り、右へ。“デ・ラ・カゾーン”のソットポルティコを左へ、このcasonの名称は監獄を意味し、この辺りは出獄者が住んだ地域であった(それ程重罪でなかった犯罪者達の溜まった場所だった)。

左へ行き、直ぐ右へヴァルマラーナ通りの方へ、そして更に右へ進むと狭い迷宮状となり、そこはそこで行われていた活動を思い出させる職業名の人達がいた場所で、最初、ポスタ(郵便)・フィオレンティーナ通りと呼ばれ、後、ポスタ・フィアンドラ(フランドル)通りと呼ばれた。ここは外国郵便物の事務所、正確にはフィレンツェ郵便物の宿があった場所であり、15世紀から神聖ローマ帝国の郵便業務をやっていたトゥルンとタクシス(Thurn Und Taxis)家の住居と事務所があった。

ヴェネツィアの郵便はリアルトのベッカリーエ(Beccarie)通りに事務所があり、そこは現在“アッレ・ポステ・ヴェーチェ(Alle Poste Vece―古い郵便の意)”というレストランであるが、続いてサン・モイゼのバロッズィ小広場に越した。
ポスト・ヴェーチェポスト・ヴェーチェ内部[左、ポステ・ヴェチェ、リアルト・ペスケリーアの入口、右、その内部。ポステ・ヴェーチェは現在はレストランだけでなく、上の階がホテルになっています。]

ヴェネツィアは1500年代から既にコンスタンティノープルと月一で郵便業務が組織されており、市内も外国とも郵便活動は行われていた。ラ・ポスタ・デ・フィアンドラ通りの端の方で、ヴァルマラーナ小広場(=古ヴィチーン・カ・バローン・タクシス小広場)に向いた館と繋がる大きな二つの門が塗り込められて壁面となったのが興味深い。

この二つの大門を後にして、先へ進もう。左へ曲がりフォルノ通りからバルバ・フルタリオール埋立通りへ出る。左へ曲がり、我々の右の八百屋さんの屋台の向こう右をスペツィエール通りへ曲がろう。サルトーリ橋を越え(もしお望みならば海岸通りを左へ曲がると20メートル程行った建物の壁にサルトーリ病院の大理石の美しい浮彫り(1511年)がある)、直進方向セリマーン大通りを行き、橋を越えるとジェズイーティ(イエズス会の意)広場である。

我々の左手にはゼーン館が建っている。ヴェネツィアの有名なその名前から、14世紀の有名な船乗りの名前が思い起こされる。海の隊長カルロはキオッジャ戦争の時の英雄であり、ニコロとアントーニオの2人の兄弟は自分の費用で軍艦を作り、現在カナダのニューファンドランドのラブラドールと呼ばれているドロジェーオ(Drogeo)を発見した(1390年――コロンブスのサン・サルバドル島発見は1492年)。館はフランチェスコ・ゼーンの案で建てられたが、ファサードがヤーコポ・ティントレットとアンドレーア・スキアヴォーネのフレスコ画で全面を覆われたことが思い出される。

左に見える、4本の特徴的な煙突を備えた一角には、13世紀のクロチーフェリ(慈善宗教団体)の古い病院とオラトリオ(小礼拝堂)があった。一方右の区域には修道院と教会があり、クロチーフェリの聖マリアに捧げたものであった。

Ospedalieri(マルタ騎士団の事)という当時の騎士修道会は、巡礼者を助けることを決めており、教皇庁と多くの慈善家の援助の下、全ヨーロッパに約200の病院を作った。クロチーフェリの元の教会は建て直され、1729年バロック様式で完成した。

内部はタペストリー風を見せる嵌め木細工のような大理石の素晴らしい仕上がりで、天井は一面、金箔のスタッコ細工で飾られ、色々な作品の中には、クロチーフェリの歴史に関わる、パルマ・イル・ジョーヴァネの絵画以外に、美しいがあまり知られていないティツィアーノの作品『聖ラウレンティウスの殉教』がある。

15世紀以来女性用の慈善院(現在も存続する)に変更されていた、4本の煙突のある病院の内部には、有名な物として、修道会の歴史に関わる、パルマ・イル・ジョーヴァネの絵画シリーズのあるオラトリオがある。クロチーフェリの教会内部には、皇帝(Basilio/Basileus)から贈られた聖バルバラ(ニコメディア[トルコ北西イズミット]の聖処女)の遺骸が収められている。この聖遺物のためにクロチーフェリは長い間、総督ピエーロ・オルセーオロ2世から贈られた幾つかの聖女の遺体を保有してきたトルチェッロの修道女達と争った。
[聖バルバラについては、2011.04.02日のヴェネツィア年中行事をご覧下さい。]

ボールで練習に励むサッカー場の奥に、ムラーノ島やサン・ミケーレ島を含むラグーナ北が見える。フォンダメンタ・ヌオーヴェに出よう。このフォンダメンタ(海岸通り)は1589年頃作られた。1546年の元老院の決定によれば、サンタ・ジュスティーナからサンタルヴィーゼまで行けるはずであったが、結局はサッカ・デッラ・ミゼリコルディアで止まってしまった。

反対側は、現在そこで行き止まりなのだが、サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャとを結ぶ橋(1820年壊れた)があった。先を急がないなら、海岸通りを左へ行ける所まで行くと、正面にCasino degli Spiritiが見える。 ……」 (18へ続く)

Casin degli Spiriti については20.11.12日のコンタリーニ・ダル・ザッフォ(1、2)をご覧下さい。                                                                                 
  1. 2017/04/06(木) 00:05:16|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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