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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの現在: アックァ・バッサ(低潮)

日本では今夜はブルー・ムーンで皆既月食の日です。曇っていなければ、是非見たいと思っています。ところがこの現象でヴェネツィアは、大干潮に見舞われます。ヴェネツィアでは、御存じのアックァ・アルタだけでなく、むしろバッサ・アックァは大被害の危険性を孕んでいるのです。La Nuova紙をご覧下さい。
運河の浚渫「 ヴェネツィアは大干潮でブロック状態
――チェントロでは緊急船、救急船等が運航出来ない怖れ。潮の朔望という天文的影響で平均の潮高より60cm下る予定――

ヴェネツィアは大干潮の警告! 運河に現れる泥濘から来る悪臭だけでなく、町の救急不可能の怖れのためである。救急や緊急の運航は運河を素早く移動出来なければ意味がないが、救急船や警察のパトカー船が座礁してしまい、結果的に大被害に繋がるという事である。 ……」

大干潮ではなかったのですが、フェニーチェ劇場裏の運河の水を大運河から止めて泥濘の浚渫工事をしている時、直ぐ傍の消防署からの消防船が到達出来ず大被害になった、あのフェニーチェ劇場の事がまだ記憶にあります。 2009.03.07日のカーニヴァルで触れました。

大干潮については、2008.02.29日のヴェネツィアの街でも触れています。ヴェネツィアは高潮も干潮も市民の生活に大変な影響を及ぼします。
  1. 2018/01/31(水) 17:40:15|
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ヴェネツィアの現在: ぼったくり(4)

ヴェネツィアのぼったくりニュースの続きです。今日のLa Nuova紙からです。
Da Luca前で「 日本大使に対して、ホテル経営者達のお詫びの言葉
――Aveのトップは: 我々はこのレストランがヴェネツィアで観光業を営む者を代表していないことを明白にしなければなりません。ヴェネツィアはお客様に対するおもてなしと注意深い配慮を常々高める努力をしていますから――

ヴェネツィア旅館協会は、4人の日本人旅行者に降り掛かった事に対するお詫びとその辛い思いをローマの日本大使館に書き送った。その4人の日本人に、星4 or 5の豪華ホテルへ、無料で2泊してくれるよう申し出た。旅館協会はローマの日本大使館にお詫びの手紙を送り、同朋人が引き起こした事への怒りの表明をしたのだった。 ……」

ヴェネツィアは中世から他の街に先駆けて観光業に取り組んできた町です。例えば、エルサレムへの船旅の巡礼行のツアーを、仏国のマルセーユと張り合っていたそうです。船便待ちの期間、マルセーユに比して色々巡礼者への楽しみとか、企画する取り組みがあったそうで、来日したフランシスコ・シャヴィエルの同僚、イグナティウス・デ・ロヨラもエルサレム行のために、ヴェネツィアのインクラービリ同信会館で奉仕活動しながら便待ちをしていたそうですが、果たせませんでした。

ヴェネツィアはイタリア随一の安全な町として定評があります。大聖年の2000年以後ローマも変わったように思われますが、ヴェネツィアは真夜中独り歩きしていても安全だよ、と1994年訪れた時言われました。それはまだ安全のための街灯というものがなかった中世、通りの角々にあるマリア様を言祝ぐ小さな祭壇に燈明を入れ、通行者の便を図った昔から、観光と安全を期待していたのでは、と思ったりします。

ヴェネツィアお勧めのブログを書いている“おたく”の私には、ローマはいざ知らず、ヴェネツィアでこんな事が生じたことはショックでした。しかしこんな日本人向けのYoutubeのfilmがあります。《ヴェニスのゴンドラです。
  1. 2018/01/27(土) 05:35:07|
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ヴェネツィアの現在: ぼったくり(3)

本日のLa Nuova紙はブルニャーロ市長の声明を英語で発表しています。
料理ヴェニスではホスピタリティーとは聖なることである。我々は不誠実な輩を処罰するものである(英文) 
――超高額請求事件について、市長は出来るだけ多くの外国人、観光客に実際に接触すべく、全て英文でプレス・リリースすることで不正直者を処罰する、と宣言する――

怒り心頭のルイージ・ブルニャーロ市長は、1000ユーロ超の請求書が全て英文に訳されていたので、伊語にも移し変える。そしてこのニュースが世界を回り、世界の報道機関で伝播すれば、我々の言葉を理解しない人にも接触出来るとして英文を発表した。 ……」 [これ以後英文ですので、是非とも新聞の本文La Nuovaを読まれますように。]

ブルニャーロ市長は、来日した時2016.04.20日に新宿伊勢丹前、地下2階のヴェネツィア風レストラン《イル・バーカロ》で食事し、コメントを残しています。2016.04.22日にヴェネツィア市長ブルニャーロについて触れました。この事件発生により、ミラーノの日本領事館は、日本人目当てのこうした事件が起きないよう、イタリア政府に要請しています。
  1. 2018/01/26(金) 18:15:44|
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ヴェネツィアの現在: ぼったくり(2)

一昨日の“ぼったくり”のニュースを本日のLa Nuova紙は更に話題にしています。
ダ・ルーカクレジットのレシート「 これが1143ユーロ(約15万5千円)を支払わされたフライ料理。財務警察が捜査開始
――ダ・ルーカ(Da Luca)レストラン(サン・マルコ区)でふんだくられた4人の日本人学生は、領収のレシートを渡されていなかった。しかしクレジット・カードのレシートは保存していた。今や、2件目のぼったくりも発覚している。プリーモのパスタ2皿、セコンドのメインディッシュ1皿と2ボトルの水で350ユーロ(約4万7千円)――

上の写真に見るように、1143ユーロのクレジット・カードのレシートがある。これは4人の日本人学生がビーフステーキ3皿とミックス・フライ1皿の料理に、ヴェネツィア(サン・マルコ区)のレストラン、ダ・ルーカで支払ったもの。今や現地警察と財務警察が捜査に動き始めた。

レストラン、ダ・ルーカの料理に1143ユーロという超高額値段は、ツーリストの悲鳴から司法の手に渡った。事実、“4月25日グループ(Gruppo25Aprile)”のスポークスマン、マルコ・ガスパリネッティが告発を公にした後、その告発を地元警察に提示した。それは4人の日本人学生が超高額の料理に支払った後、ボローニャの財務警察に提示したものであった。 ……」

私のローマに住む友人が教えてくれた事ですが、ローマのレストランで料理を注文する時、必ず伊語のメニューも貰うことだというのです。一番騙されやすい英米人用の英語メニュー(日本語メニューも同じ)と伊語メニューの料金が違うことがよくあると言うのです。その話を聞いてから私は伊語メニュー、妻は日本語メニューを貰う習慣になりました。人の集まる観光地となると、フィレンツェでもどこでも油断大敵です。

追記: La Nuova 2紙によりますと、店主はヴェネツィアで財をなし、宿屋やslot等も経営するcineseだったそうです。薬物利用容疑で逮捕され、高額の罰金も科されるようです。ムラーノ・グラスを買いたい人は、安いmade in Chinaのムラーノ・グラス風もヴェネツィア本島の店には沢山出回っていますから、財布とよくご相談下さい。1994年以来ヴェネツィアに行く度に寄るリアルトの中国飯店は、マダムと知り合いとなり、中国がらみの他店の悪い評判時代を乗り越え、今も続いており、そんな話も聞かせて呉れました。もうヴェネツィアで生まれた息子さんの時代に移り変わろうとしているようです。
  1. 2018/01/23(火) 20:38:00|
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ヴェネツィアの現在: 暴利(ぼったくり)(1)

ヴェネツィアの現在をLa Nuova紙からどうぞ。
ミックス・フライ「 ビフテキ3皿とミックス・フライ1皿、ヴェネツィアで1100ユーロ(本日、1euro =135円)
――このラグーナの街を訪れた4人の日本人観光客に、サン・マルコ区で塩辛い(高価な)料理が何乗にもなった――

ヴェネツィアを訪れた、何も判らない観光客に対して、またしても強奪的大被害。メニューで注文した料理の値段をよく読まなかったかも知れない、現に訪れている街のことを過小評価したかも知れない、市長ルイージ・ブルニャーロの治安安定宣言がありながら、物価が安くないという“名声“もある。

“塩辛い(高い)パスタ“が何倍にもなったという報告(料理にちょっと手が滑って、塩が零れたという訳ではない)は、“4月25日グループ(Gruppo 25Aprile)から届いた。即ち4人の日本人観光客にビフテキ4皿とミックス・フライ1皿に、彼らの説明は当を得ているとして、観光ガイドに脅されて、最終的に1100ユーロを支払わされたと、あるレストランの亭主を告発している。《レストランのご主人さん、あなたのレストランは少々馬鹿高くて、我々全員の信頼は丸潰れです。》と書かれている。

このグループは語っている。《団体には3人の女学生もいた。節約のためにピッツァ1個か、余所で食べる時は乾燥パスタに決めていた。結果としてそこでは、3皿で350ユーロの乾燥パスタだった。この値段は既に知られたことだろうか》。

グループとしては参加を求める。Aepeは“良心的な”レストランを際立たせるべく3つの言語で案内ガイドを普及させているし、騙された観光客に無料電話で問い合わせるようサービス活動を活発にしている。

“もしAepeがそれをしなければ、カーニヴァル時には、我々はどうしたらいいのか“とグループのスポークスマン、マルコ・ガスパリネッティは言っている。」

ヴェネツィアで未だにこんな出来事があるようです。今年のカーニヴァルは2月3日~13日だそうです。ヴェネツィアに行かれる方は、こんな理不尽が身に降りかからないよう、くれぐれもご注意を。
  1. 2018/01/21(日) 22:25:48|
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ヴェネツィア: 水道管破壊

La Nuova紙は次のような事故を伝えています。
管の破壊「 水道管を船が破壊。週末、何千世帯で水無し状態
――日曜日もまた被害。カステッロ区とサンテーレナ島、サン・マルコ区とカンナレージョ区の一部の水道管は水がちょろちょろ。スキューバダイバー達が50cmの管の破れを修復作業。複雑に入り組んだ工事だった。―― 」

こういう事故は、ヴェネツィアならではのものでしょう。水の吹き上げる様子が新聞の動画で見て取れます。

また、語学学校通学時、道(calle)を歩いている時、道の甃をはぐり、下に埋まった便槽タンクの蓋を開け、バキューム船から延ばした管で満杯になった屎尿を船にバキュームしている風景を見たことがあります。ヴェネツィアは運河に垂れ流ししているという人がいますが、もしそうなら、とてもこの町に住めたものではありません。それ用の船が用意されています。
  1. 2018/01/14(日) 12:34:10|
  2. ニュース
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ヴェネツィアのベファーナ・レガッタ

1月6日に行われる、恒例のベファーナ・レガッタについてLa Nuova紙が伝えています。
戦うベファーナ達「 大運河での、ベファーナ・レガッタのスペクタクル
――勝者タイトルとして与えられる、“マランテガ(ベファーナ)”は愛称ティンブロの名のジャンニ・コロンボ――
[maràntega(ヴェ語)はベファーナ(老婆/老魔女)の事で、ここではベファーナ・レガッタの優勝者の賞の事のようです。]

2018年ベファーナのタイトルとして与えられる“ベファーナ”は愛称ティンブロのジャンニ・コロンボが勝ち取った。仮装しての競艇は、大運河で土曜日午前中スペクタクルの開始となった。

勝者と頭一つで競い合ったのは、サン・ヴィーオのリッカルド・ロマネッリ。3番手は任務中の“老婆”、スペチェネのジョヴァンニ・ロッスィ、4着はロベルト・パルマリーンで、“Principe(王子)”としてよく知られた人、しんがりは今年初めてエントリーしたマラガのフランチェスコ・グェーラだった。 ……」

[ベファーナ・レガッタについては、2011.01.01日の年中行事(1)や2014.01.07日の御公現の祝日で謂れ等触れました。]
  1. 2018/01/07(日) 13:03:59|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィア: パラッツォ・ドゥカーレ(総督宮殿)の盗難

昨日の新聞La Nuova紙は1月3日の事件について報道しています。
総督宮殿[写真はサイトから借用] 「 総督宮殿の数百万ユーロに及ぶ宝石類、盗まれる
――《ムガール(Moghul)とマハラジャ(Maharaja)の宝石》展の鋼鉄板で守られた宝石箱から、ダイヤモンドと金、プラチナのブローチ、首飾りが今朝(3日)、姿を消した――

ヴェネツィアの総督宮殿での展覧会に招かれていた、幾つかの宝石類が、宝石箱から盗まれた。1月3日朝10時頃、警報は鳴った。

現場で警察は、その首飾りは数万ユーロの価値があるだろう、と。監視カメラに映る映像では、2人の盗賊が侵入し、一人は宝石箱を抉じ開け、盗品をポケットに仕舞い込み、もう一人は彼を援護する。それは総督宮殿の投票室で展示されており、この日は展覧会最終日だった。

イタリアでは初めての展覧会で、AL THANI コレクション所有の、16~20世紀のインドの宝玉、宝飾品等が展覧会のために270点到来していた。 ……」

ヴェネツィアは、大ショック!!! La Nuova2で監視カメラの映像がご覧になれます。
  1. 2018/01/05(金) 00:03:30|
  2. ニュース
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ヴェネツィアの街案内(29): アルセナーレ近辺

(続き)
「聖フランキスクスの葡萄畑(教会―S. Francesco della vigna)――こうした事からこの町がワインとずっと深い関係を持っていたと考えると、興味津々である。既にティート・リーヴィオが古い人民Heneti あるいはEneti(即ちワインの人々)が名前をVeneti に変えたのだ、そして我々がこの飲み物と繋がっている絆について長々と語っている。通常はエーゲ海諸島やギリシアから輸入したワインが、我々の手になるワインより当時は好まれたということは興味深い。

街には名前に“マルヴァジーア酒”をうたった店の通りが沢山あったが、そこではこの酒を“grechetto”とも言い、甘口マルヴァジーア(ミサの儀式ではヴィン・サント(vin Santo)が使用される前に使われていた)とか、garba酒(辛口)とか分類された。こうした舶来のワインはカンディア(イラクリオン)やキプロスから到来したが、香味を添えるため、色々のスパイスや砂糖で味を調えた。ヴェネツィアの伝統文化の著名な研究者モルメンティによると、ヴェネツィアではこのワインは、salubri(体に良い)、stomacati(むかつくような)、cordiali(和やかな)、matricali(カモミッラ風の)、gagliardi(アルコール度が高い)、mezzani(アルコール度が並みの)、deboli(アルコール度が低い)と分類される、と。

本土側での共和国の力が拡大され、ヴェネツィア貴族の資金力の増加で、彼らの土地に好みが広がり、外国勢力の侵入が終わった後、ベネディクト修道僧達が既に活性化させていた生産をより洗練されたものとした。それ故最良のワインの生産が始まった。valpolicella(ヴァルポリチェッラ)、picolit(ピコリット)、vernaccia(ヴェルナッチャ)その他があり、ドイツやポーランドに輸出された。

ヴェネツィアでは相当量のワインが取引され(Riva del vin―ワイン河岸)、色々の組合が発生し、それには容器を移し替える人の組合、ワイン原酒販売業者組合、ワイン輸送販売者組合、ワイン小売業者組合等、結局1609年には一つの組合に歩み寄り、サン・スィルヴェーストロ広場のヴィン運河通りに近い所に本拠地を置いた。

我らがコースに戻って、再度橋を越し、サン・フランチェスコ大通りを行こう。直ぐ右にボンバルディエーリ軒下通りがある。中へ潜ると太い管の上に立つ聖バルバラを表す美しい盃が我々の前に現れる。サン・ジュスティーナ大通りに繋がる狭い通りへ行き、周りを見回すと、他にも状態の良い盃が二つ見付かる。
聖バルバラ[聖バルバラ、サイトから借用] ここには1500年代ボンバルディエーリ(砲手)信者会に所属していた人達が、自分達の住宅を建てたのだった。サンタ・マリーア・フォルモーザ教会にはパルマ・イル・ヴェッキオの祭壇画に描かれた彼らの守護聖女バルバラに捧げた祭壇が作られた。共和国末期頃は町の警備隊の役を独占的に請け負っていた。

サン・フランチェスコ大通りに戻り、そのどん詰まりまで行き、左へ曲がり、更に左へ曲がってオージョ通りへ向かう。ここでsottoportico(アーチ下を通過する空間)の上の高みに目をやると、左手に大理石の古い浮彫りがある。イストラ半島出身のヴェネツィア総督フランチェスコ・エーリッツォ(1631~46)を輩出したエーリッツォ家の紋章である。
エーリッツォの紋章[ドルソドゥーロ、サローニ埋立通りのエーリッツォ家の紋章。サイトから借用]  特に1470年、エヴォイア(Negroponte)の大使であり、かのBailo(オスマン帝国への大使)であったパーオロ・エーリッツォである。彼はトルコ軍から島を勇猛果敢に守った英雄である。一度はマホメット2世の軍を破ったこともあるが、2枚の木の板の間に結び付けられ、生きたまま鋸で切断された。

これらの像に感銘を受けた心と、今や終りに近付いた長い散歩で疲れた足とにもう一度活力を取り戻すために、以前、居酒屋Alle do Marie(アッレ・ド・マリーエ) があって、sarde al peperoncino(唐辛子の利いた鰯料理)が我々を元気付けてくれたものだが、経営者と店の様子が変わってしまった。しかしパン粥は美味しい。

左のオージョ通りの方へ行き、非常に狭い通りを左のバッフォ通りと呼ばれる道の交差点まで抜けて行く(このバッフォ通りはヴェネツィア語で風変わりな、エロティック詩を書いたジョルジョ・バッフォの一家に由来する)。狭い通りの終り近くで目線を上げて欲しい。目前の館の角に普通の窓のように窓が見え、硬い壁がそれを支えている風である。しかしその裏側には何もない。本物だという印象、現状のイリュージョン、どんな町にもある館、そして多分全ては絵空事、我々が今見つつある夢、だという事を我々に与えるだけの、正にそこに置かれた絵、舞台袖の垂れ幕を思わせる。
バッフォ小広場[左、バッフォ通りの奥まった所にあるバッフォ小広場。ジョルジョ・バッフォについては2012.09.01日のピエートロ・ブラッティや2016.12.08日のヴェネツィア街案内(13)等で触れてきました。]
ヴェネツィアとは非存在なるもの! ヴェネツィアとは素晴らしい舞台の袖から成立する、偏に劇場的なるもの。ヴェネツィア人とは非存在なるもの。ともすれば、かつて存在したやも知れず。今や真に美しき夢、夢そのもの。

今やあなた達は隠された智慧に接近している。今やあなた達は秘密の庭園を、そして厳然たる現実を飛翔して行くべき門を見出すことが出来る。あなた達は最早、旅人の巧まれた餌食ではない。あなた達は自らの感覚だけを信じて行動出来る。単に見るのではなく凝視すべきなのだ。

サン・テルニータ広場に入り、スッフラージョ橋、またの名をクリスト橋を渡ると道はアーチへと続く。この単独アーチもまた、明らかに無に開かれている。よく見て御覧、あなた方の目は外観を見透かすべく鍛えられたのだ。そのアーチの向こうには海があり、恐らくそのアーチは壮麗で軽快なラグーナの水彩画に向かって開かれている、と言っていい……。過ぎ去る時は、季節の色彩のように移ろい易い。

そこはヴァポレットの停船駅であり、その持てる名前以上の名前はないであろう、即ちチェレスティーア。急行の52番線と23番線の船は右へ行き、それには素晴らしい美点がある。それはアルセナーレの中を通過する事、そこで周辺に目を凝らし、空想を自由に羽ばたかせる。夢見る思いが終わる頃にはヴァポレットはサン・ザッカリーアに着岸する。 」 (終り)

[現在はこのアルセナーレ内を通過する路線は海軍敷地内ということでなのか、無くなりました。私が初めてヴェネツィアに行った1994年には、ムラーノ島に向かうヴァポレットがここを通過したので、船上から内部を見学出来ました。]

2018年が明けました。良い年でありますように願っています。長い間、ご高覧有難う御座いました。
  1. 2018/01/04(木) 00:04:07|
  2. ヴェネツィアの街
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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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