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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの現在: リベルタ橋事故

今日のLa Nuova紙は昨日の事故について述べています。
遮断されたリベルタ橋徒歩でヴェネツィアへ「 鉄塔倒れ、ヴェネツィアへの出入り交通は8時間遮断
――突風が日曜午前中、道路標識の鉄塔を引き抜くようにリベルタ橋に倒し、交通が麻痺した――

突風はリベルタ橋の道路標識の鉄塔を倒し、8時間に渡ってヴェネツィアから出る・入る通行を断った。通行回復には19.20分まで要した。トラム電車も止められた。即ち鉄塔は電線を切断し、いわゆる“スィルーロ・ロッソ(赤いナマズ)”は月曜日午後まで運行出来ない。 ……」

バスに閉じ込められた観光客達は徒歩でヴェネツィアに向かいました。それ以後マルコ・ポーロ空港に到着した観光客で、バス便で向かう人達はメーストレ駅に送られ、そこから列車でヴェネツィアに向かうよう指示されたようです。鉄道は鉄塔で遮断されなかったのです。ヴェネツィア入りするには、空港から出発するアリラグーナの船便が中世以来の伝統的ヴェネツィア入りのやり方ですが、この利用者はこんな事故とは無関係でした。アリラグーナの船便については、2009.09.12日のトーマス・マンで触れました。
  1. 2018/02/26(月) 12:55:00|
  2. ニュース
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ヴェネツィアの現在: アッカデーミア橋修復

昨日のLa Nuova紙は、次のような事を伝えています。
アッカデーミア橋修復「 アッカデーミア橋、修復始まる。中央部は通行止め
――人の通行は脇の跨線橋となる――

市の時間予定計画に従い、アッカデーミア橋の修復作業が進行中である。公共事業評議会事務局は、橋下のアーチと足場の組み上げ後、木製の上張りを取り外し、橋内部の金属構造の浄化を始める事を周知させる。

明、2018年2月20日火曜日9時から、橋中央部の通行は禁じられ、脇の跨線橋の通行へと移行する。このやり方で、舗装面や階段、欄干の除去という、橋上部の工事が続行可能となる。 」

ヴェネツィア大運河に架かる4つの橋(リアルト橋1591年、2011.08.13記。スカルツィ橋1934年、2011.08.20記。アッカデーミア橋。憲法橋[カラトラーヴァとも]2008年、2014.09.23記)のうち、アッカデーミア橋は唯一木製だった(1986年金属支柱を導入し、補強しました)のです。木製の理由について、2010.04.17日のアッカデーミア橋で触れています。
  1. 2018/02/20(火) 12:25:06|
  2. 未分類
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ヴェネツィアはカーニヴァル中

昨日のLa Nuova紙は次のような事を報道しています。
レンツィ・ロッソ「 ヴェネツィア、平和へのメッセージを携えたレンツォ・ロッソの鷲の飛翔
――サン・マルコ広場でのカーニヴァルのディーゼル・ブランドの企画者は、世界の平和が突発するよう願った――

2018年ヴェネツィアのカーニヴァルで“鷲”を纏った“ディーゼル社”のパトロン、レンツォ・ロッソのサン・マルコ広場への飛翔。舞台に降り立った彼は、“君に必要なのは愛なんだ”の曲に乗って、ドナルド・トランプ大統領と北朝鮮のキム・ジョン・ウン(金正恩)最高指導者の愛を叫んだ。 ……」

私が初めてヴェネツィアのカーニヴァルで鐘楼から飛び降りてくるのを見たのは、10年以上も前それは有名なアメリカのロック歌手でした。その時は"ANGELO"と書いてありましたが、男性の場合は“鷲の飛翔”と呼ばれ、ヴェネツィア6区からトップに選ばれたマリーアの飛翔は“天使の飛翔”と呼ばれることになったのでしょうか。
  1. 2018/02/12(月) 20:12:05|
  2. ヴェネツィアの行事
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ヴェネツィアのカーニヴァル2018

2月4日のLa Nuova紙は、大群衆の中でのテロを恐れたヴェネツィア政庁のチェック活動の中での、2018年のカーニヴァルのイヴェントの模様を次のように伝えています。
Ejisa Costantini[衣装デザインは、日本のTVでも紹介された事のあるステーファノ・ニコラーオさん]
「 ヴェネツィア、天使の飛翔は2万人の観客に
――サン・マルコ広場への入場制限は初の試み。早朝からチェックが入った――

輝く太陽が微笑み掛け、将来への願いと平和を希求してのスペクタクルは、今朝サン・マルコ広場で“天使の飛翔”を2万人の人が見上げた(con il naso all'insù)。

エリーザ・コスタンティーニ、19歳は2017年度の“マリーア”で、11時を少し回ったところで、大群衆に囲まれたサン・マルコ広場に向かって、鐘楼から降り立った。これは初めての入場制限ではあったが、昨年の2倍の観客。 ……」

“マリーア”については、2009.01.24日のマリーア祭の1~3で、その謂れに触れました。
  1. 2018/02/05(月) 12:01:04|
  2. ヴェネツィアの行事
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北海道古平町豊浜トンネル崩落事故

北海道古平町豊浜トンネル崩落事故を知ったのは、ヴェネツィアのザッテレ海岸通りの戸外のテーブルで食事している時でした。その事故は1996.02.10日午前08.10分頃だったそうです。

実は昨日、所ジョージさんのダーツの旅で、ダーツが北海道の古平町に命中しました。その時私は外出する直前で、番組を見ずに終わりましたので何も言えませんが、この町についてある記憶が残っていました。

ヴェネツィアのザッテレのレストランで昼食をしている時(前方にレデントーレ教会が望めます)、隣席の仏人夫婦(仏語が聞こえました)が、TVで見たと英語で話しかけて来ました。《昨日オッカイド(北海道)で地震があり、岩が落ちてバスを潰し、子供達が死んだ》と。帰国して調べてみると地震ではなく、北海道古平町豊浜トンネル崩落でバスに乗っていた20人の若い人達が圧死した事故でした。ダーツの旅でそんな事が思い出されました。

この仏人夫婦には、翌日街歩きをしている時、サン・マウリーツィオ広場でまた出会い、今度は"Bonjour"と挨拶しました。そんな“えにし”がまた不思議でした。

我々夫婦は1996年、初めてのヴェネツィア・カーニヴァルを見学に、2月初めにはヴェネツィアに到来し、既にその時焼失したフェニーチェ劇場を見ていました。焼失前にこの劇場でオペラを見たいと思っていましたが、叶いませんでした。出発前、2年前に知り合ったミラーノのマルコが、お前の好きなヴェネツィアの劇場が全焼したと手紙で知らせてきました。焼失後4日で届く超速達便で、イタリア出発前に届きました。イタリアにしては、そのスピードは摩訶不思議!
[フェニーチェ劇場焼失については、2009.03.07日のカーニヴァル 1で触れました]

1996年のカーニヴァルは現在のものと大分異なっており、隔世の感を覚えます。1979年に仮面のカーニヴァルのイヴェントを始められたコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキ(中世の貴族の若者がこの名称で街を活性化していたそうです)のメンバーであったサンタ・マルゲリータ広場のロバートさん達はもう広場におられません(イタリア語学校はこの広場にあります)。

ヴェネツィアのカーニヴァルは2018.02.03~2018.02.13日だそうで、既に開始しています。私の初カーニヴァル体験の一端を書いてみました。
  1. 2018/02/04(日) 23:59:08|
  2. ニュース
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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