今季、何回となく紙上を賑わしているヴェネツィア名物(?)のアックァ・アルタ! 損害も何億ユーロにも及び、観光客が面白がっている段階ではありません。事態はCodice arancio(緊急事態、コードオレンジ)で、サン・マルコ広場の甃の敷石が根元から剥き出しになり、破壊された状態になったそうです。
本日の
《Il Gazzettino》紙は、先日平均海面上130cmに達した高潮がこの日には120cmに届き、サン・マルコ広場の粗面岩の敷石(masegna)が高潮で破壊されたと語っています。[masegna(ヴェネツィア語)=macigno(伊語)の意で、大理石ほど硬くない灰色の岩石だそうです。]
サン・マルコ広場の甃の敷石は、パードヴァの西に位置するエウガーネイ丘陵産の粗面岩で貴重な物と言われ、それがこの週のアックァ・アルタで土台から剥き出しにされ、壊れる事態となったという事態です。この広場の敷石は18世紀に遡るもので、1800年代末、一部は修復されたそうです。
現在ではくすんだ色の敷石となり、イストラ半島産の石で飾ったりされたようですが、何か安定性を欠く状態だったようで、今回の高潮で土台から浮き上がったり、割れてしまったり、細かく割れて波に浚われ、元の方形に戻らないもの等多々。
ThetisとKostruttiva協会がいち早く文化財保護局に提示したプロジェクトは、破壊された部分の修復を規定しており、黒く汚れた敷石から雨水の排出作用等を取り戻すために、これらの敷石それぞれを分類し直す作業から始まるだろう、と。予算は3千万ユーロ。
ガッゼッティーノ紙には日本語の広告が結構掲載されており、日本の読者が多くいるということでしょうか。
- 2019/12/22(日) 23:16:54|
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平川祐弘著『藝術にあらわれたヴェネチア』(内田老鶴圃、昭和三十七年十月二十日)という本を2011.05.07日のブログ《ヴェネツィア本》(1)で紹介しましたが、その中に次のような文章がありました。
「ヴェネチアを語るには美にたいする鋭敏な感受性を必要とする。雰囲気を感じる肌と、それを伝える筆とを持たねばならない。」
ルキーノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』を見、塩野七生さんの『海の都の物語』を読み、この町に憧れ、1994年の秋、初めてミラーノ・マルペンサ空港に降りました。ミラーノを2日観光、ミラーノ・リナーテ空港からヴェネツィアに飛び立ちました。当時はプロペラ機でした。ヴェネツィアではテッセラ空港からアリラグーナの船便でサン・ザッカリーア桟橋着。初のヴェネツィア入市が一応船(トーマス・マン著『ヴェネツィアに死す』には及びも付きません)ということで感激一入でした。丸1週間滞在し、すっかりこの町の虜になりました。1996年からも切れ目なくヴェネツィアです。
2000年からは、仕事のない月を選んで2~3ヵ月ずつアパートを借り6年間、伊語の勉強でヴェネツィア学院に通学しました。午前中はイタリア語勉強、午後はヴェネツィア街歩きということです。初めて借りたアパートが大運河に面したモチェニーゴ・ヴェッキア館だったこと、そしてこの館でジョルダーノ・ブルーノが館主ジョヴァンニ・モチェニーゴの裏切りで異端審問所に捕まり(1592)、ローマのカンポ・デイ・フィオーリで火刑(1600.021.17)により焼死した、その400年記念日当日(大聖年の2000.02.17)この館に滞在していたことが油を注いだようで、語学院通学は6年間も続きました。ヴェネツィアに行くと必ず顔を出すバールやバーカロも出来ました。
ヴェネツィア滞在中にローマ、スィエーナ、フィレンツェ、ボローニャ、パルマ等ほか、都市歩きもしました。それ以上に頻繁にヴェーネト各地は訪ね歩きました。“gita palladiana”といった趣です。そんな中で友人達のガイド役も幾つかやりました。イタリアが初めての友人達の目線は素直で、既に色かぶれの私の色目とは異なり、新しい発見があったりしました。
ヴェネツィア行の中でも、歌川豊春(1725~1814)の『浮絵 紅毛
(ヲランダ)フランカイノ湊万里鐘響図』という遠近法を表現した浮絵の手本となった、アントーニオ・ヴィゼンティーニの『Prospectus ab Sede S. Crucis ad P. P. Discalceatos.』の実物を骨董屋で見付け、手に入れた時の嬉しさは格別でした。




[左から、カナレットがデッサン(ウインザー城蔵)し、そしてその完成画(サイトから借用、ヴァージョンが色々あるようです)。更にそれをアントーニオ・ヴィゼンティーニが銅版画にし、その版画が江戸時代オランダ人(?)により日本に齎され、歌川豊春がそれを浮絵(prospettiva遠近法)の勉強のために模写したという経緯のようです。]
2007年に始めたヴェネツィア・ブログも10年を越し、かつて書いたもの、翻訳したものを読み返してみると、当然の如く誤りや思い違い、誤訳があり、嫌になります。その上引用し過ぎで、著作権上、越権行為と思われるやり過ぎが多々あると思われます。それ以上に誤訳というものは害毒です。“鋭敏な感受性”を欠いた者には、“それを伝える筆”力など生まれる筈がありません。誤訳行為は終りとしなければなりません。
- 2019/12/10(火) 08:12:09|
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今年はイタリアでは、ヴェネツィアもヴィアレッジョでもカーニヴァル・イヴェントは外では出来ないと思われます。こんな事は今までなかったpescecrudoヴェネツィアのカーニヴァル 2021年こんにちは、
カーニヴァルが中止になって残念ですが…
1/21のヴェネツィアのYouTube動画をみましたがショックでした。
観光客であふれていたあのサン・マルコ広場に一羽MINA新型武漢(コロナ)ウイルスcorona virus《アトリエのつぶやき》様
コメント有難う御座います。毎日ヴェネツィア・ニュースを覗いていると、どこの町では感染者何人、こっちの町では死者何人といった動きしかなくpescecrudo新型武漢(コロナ)ウイルスこんばんは!
あのような状況のイタリアを見るのは本当に心が痛みます。
友人、知人の近況を今聞くのを躊躇しています。
実際に何かをしてあげることが出来ない現実に不安mina (アトリエのつぶやき)令和元年むさしの想坊さん、コメント有難う御座います。
丸十年ヴェネツィアに触れていたいと、関連する事のみ書いてきました。
蓄積もなく、翻訳にのみ頼ってきたのですが、売り物ペッシェクルード