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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア話

飽きもせずヴェネツィア関連の書を読んでいて、一寸気が付いたことを書いてみます。

ある本の中で、ゴルドーニが書いた本で、『秘書三部作』という題名が登場しました。余り聞いたことのない題名なので、私の知らない作品だろうと思っていました。しかし、気になって、私が題名を知っている、手元にある Carlo Goldoni 『La trilogia della villeggiatura』を取り出してみました。この本の譯は『避暑の三部作』です。『秘書三部作』には、三作目の喜劇にベルナルディーノ伯父さんという憎たらしい老人が登場するとあり、『避暑の三部作』の第三作目《避暑からの帰還―Il ritorno dalla villeggiatura》には《Bernardino zio di Leonardo》という人物が登場します。
避暑三部作これはやはり『避暑の三部作』の誤りでしょう。原著者は間違えないでしょう。翻訳されたものを出版前に校正した校正者も間違えないでしょう。翻訳者も翻訳できる人ですから間違えないでしょう。皆間違えていないのに間違いが生じた。何故か? 思うに、翻訳者がPCで文字を変換して文章を作成した時、避暑と変換すべきところを秘書と変換して読み返さず、印刷所に渡したという、我々がPCで能くやっているようなことだったと思われます。

今一つは、イタリア通で、ヴェネツィアの事もよくご存じの方が、ヴェネツィアに特有の名前《アルヴィーゼ》について、この名前は守護聖人とは関係ないし、アルヴィーゼという名の教会も広場も船着き場もない。しかしこの名を聞けば他国人は、ヴェネツィア人と直ぐ繋げて考える、と本の中で書かれていました。

私は語学留学した、ある年、カンナレージョ区のトレ・アルキ橋の傍のアパート[オーナーは有名な Pasticceria"Rosa Salva"のご主人で、お宅に伺ったこともありました]を借りて、サンタ・マルゲリータ広場の語学校まで通っていました。その時は、市の西地区、カンナレージョ、サンタ・クローチェを中心に、開いている教会を探して歩いたものです。閉鎖された教会、曜日と時間によって開く教会があるのです。カンナレージョの北の西端、例えば Fondamenta de la Secca S. Girolamo の北海岸通りのベンチで休んでいると、傍の近代建築のアパートの住人と思しき小母さんに、お前は何をしているのかと尋ねられ、何もしていないので返答出来なかった思い出等があります。"Solo guardando la terraferma."と言ったかも知れません。
サンタルヴィーゼ教会1280px-Chiesa_Sant'Alvise[写真はサイトから借用] 地図を見れば、サンタルヴィーゼ(Sant'Alvise)があります。私は運河 Rio de S. Alvise に架かった橋 Ponte S. Alviseを渡り、広場 Campo S. Alvise に面した教会 chiesa de S. Alvise に入ったことがあります。殊更な教会の印象はないのですが、この教会にも入ることが出来たという思いは残っています。

ですから、サンタルヴィーゼという名の教会はヴェネツィアにないと断言されると、私としては大変な戸惑いに襲われます。私自身もこのヴェネツィア・ブログで今まで誤りを何度か書いたことがあるのは、後で読み直して確認出来ました。知識の取入れ様も量も時とともに変わっていきます。その時は真実と思い違いしていたとか、色々な誤解があります。引用も書き写し間違いをしたりしないように、最大に注意するしかありません。

サンタルヴィーゼ教会については、2016.05.12日の街案内(4)でも触れています。
追記: 『Calli, Campielli e Canali』という地図帳にサンタルヴィーゼ教会についての簡単な説明がありますので、紹介しておきます。
「サンタルヴィーゼ教会――vulgo S. Alvise と呼ばれるこの古い教会は、アントーニア・ヴェニエールの贈呈により、1388年修道院とともに創建されたのだが、彼女はトゥールーズの司教聖ルイ[S. Lodovico Vescovo di Tolosa]をイメージしていたので、教会はこの聖ルイに奉献された。
[S. Lodovico Vescovo di Tolosa(トローザ司教聖ロドヴィーコ)とは、日本ではトゥールーズ司教聖ルイ(St. Louis de Toulouse―ルイ・ド・トゥールーズ(1274~1297))と呼ばれ、ナーポリ王カルロ2世の息子。仏語でルイ(Louis)は伊語でLodovico/Ludovico、Luigi であり、ヴェネツィア語では Alvise (アルヴィーゼ)となります。]
calli,campielli e canali1430年に建て直され、1600年末頃に修復されたが、1300年台後期のゴシック式ファサードの原型を留めている。大門には聖アルヴィーゼの彫刻(15世紀初頭。写真正門上のアーチの中)がある。典型的な修道院教会で、ジョヴァン・バッティスタ・ティエーポロの若き日(1738~1740)の画布2作品がある。」
  1. 2020/10/26(月) 00:26:59|
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モーゼ、アックァ・アルタに初機能する

今日のヴェネツィア新聞≪la Nuova≫紙(10.3日付)は、先日予告されていたアックァ・アルタ115cmに対応してモーゼが稼働して、ヴェネツィアで一番の低地であるサン・マルコ広場で冠水が無かったことを報道しています。Il Mose funziona ! 
水のないサン・マルコ広場[ヌオーヴァ紙から借用]  ラ・ヌオーヴァ紙を見ると、コロナヴィールス禍の中、アックァ・アルタの無いサン・マルコ広場で楽しむ人々を映す動画も見られます。10年以上も掛けて、漸くの成功です。故障なく続くことを祈るばかりですが、ヴェネツィア史上画期的な事件だったと思われます。という以上に、記念すべき歴史的事件でしょう。

≪ラ・ヌオーヴァ紙≫を要約しておきます。
初めてモーゼが立ち上がった、機能した、高潮がブロックされた
――78個の浮動する水門システムは、8時35分起動開始した。このシステムは1時間17分作業した。潮位は外海は120cmだったが、サルーテ岬では70~75cmに留まっていた。サン・マルコ広場、大聖堂には水はなし。町は“歴史的記念日”と称賛――

私自身の高潮初体験は、ヴェネツィアで語学学校通学のためアパート生活中の時でした。朝警告のサイレンが鳴り、火事だと思い違いをしたことを思い出します。モーゼ計画はヴェーネタ潟の自然を破壊するものだから、反対の署名をしてくれと頼まれたり、時々顔を合わすアパート近所のおばあさんにコーヒーを家で飲もうと誘われ、この計画は政治家どもが賄賂を貪り、実現しないという話やら、友人をイタリア旅行でヴェネツィア滞在中、次の宿へ移動が不可能になりそうになったり等々、思い出があります。

始まって何年経つのか調べていませんが、浮き上がるフラップゲートの外面の塗料は日本が請け負っているそうで、耐用年月は5年程だと聞いたことがあります。100年使用するとして、保全には相当な費用が掛かるのでしょう。写真で見る限り、ゲートの変色は既に目に見えています。ここに至るまでも、浮き上がらないゲートがあったりして、試行錯誤の連続でした。

veneziafiloとしては先ずは、御目出度う御座いました。

追記: 翌日の新聞によりますと、最終的にはサン・マルコ広場に水が若干出、踝辺りまで上がったようです。いずれにしても、モーゼ壁を稼働させ立ち上げる度に3600万円(30万€)の費用が発生する(その資金をどこから捻出?)そうですし、更に例のガラスの憲法橋の補修費が嵩んでいるように、整備・保全には費用が膨らむと思われます。また通常の潮位の時でも誤作動でモーゼ壁が起動したりもするようです。システムのより完全化に向けて、更なる整備・保全が求められるようです。
  1. 2020/10/04(日) 13:03:38|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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