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イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア街案内: サンタ・クローチェ区

前回、サンタ・ルチーア駅のあるカンナレージョ区を歩きました。今回はサイト、街案内の中の大運河対岸のサンタ・クローチェ区を歩きます。

「サンタ・クローチェ区の魅力は、小さいけれど大きいと言える。ピアッツァーレ・ローマを出発して、我らが“宝探し”の旅の第1目的地は、サン・スィメオーン・ピッコロ教会である(教会が開くのは午前中、あるいは宗教行事が行われている間)。1728~38年の間に建造されたが、その構造で人目を引いた。特にローマ大広場(Piazzale Roma)に到着すると、最初の目立つ建物である。
サン・シメオーン・ピッコロ教会[鉄道駅側からの教会。サイトから借用]  大運河に面し、サンタ・ルチーア鉄道駅のほぼ真正面にある。鐘楼は倹しい規模でヴェネツィア最低の高さ(ほんの3mの高さ)、内部には最後の審判からキリストの受難までの死のテーマを描くフレスコ画がある。興味深いクリプタがある(聖具室係の案内で参観可能)。

この教会を後にして、サンタ・クローチェ区内部に入り、600mほど離れた次なる目的地、サン・ジャーコモ・ダッローリオ広場へ向かう。ペンマ館の外にはみ出した露台を見たかったのだが、改築のために工事用の保安ネットに包まれてしまった。独特で魅力に富んだ広場や小広場の市の建物に信を置いて又のチャンスを期待しよう。
サンタ・クローチェ区近くの何軒かの家のグループにアクセスすることが出来るが、これはかつて周りを運河で取り巻かれていた、独立した区域で並行した小さな通りから辿り着くことが出来る。Rio Terà de l'Isola(島の埋め立て通り)で囲われた区域である。

次の目標は、サンタ・マリーア・マーテル・ドーミニ教会である(午前中のみ開場)。暗くて狭い通りに隠れたように位置し、同名の広場にある。内部にはティントレットの傑作がある[ティントレットとして知られるヤーコポ・ロブスティ(1519.04.29ヴェネツィア~1594.05.31ヴェネツィア)はヴェネツィア共和国市民で、イタリア人画家であり、ヴェネツィア派を代表する大画家の一人で、イタリア・ルネサンスの最後の大画家と呼べるだろう。綽名のティントレットは布の染色師であった父の職業に由来する]。
右、ゴッズィ館[サンタ・マリーア・マーテル・ドーミニ教会側から見た同広場。奥右の館は、劇作家カルロ・ゴッズィの生家。カルロ・ゴッズィについては、2019.02.10日~ カルロ・ゴッズィ(1~4)で触れています。]

その絵は左の内陣の奥に掲げられた傑作『聖十字架の発見』である。」
  1. 2021/02/28(日) 23:25:17|
  2. ヴェネツィアの街
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ヴェネツィア街案内: カンナレージョ区(2)

(カンナレージョ区街案内の続き)
「次の目的地はディエード通り2386/A番地で、そこに同名の館があり、裁判所である。大門の脇には蝙蝠のように翼を広げたメフィストフェレス的獅子が置かれている。サンタ・フォスカ運河に架かる橋は独特で、あまり見かけないものである。橋の上を注意深く見ると、四つの足跡があり、“サンタ・フォスカ橋の足”と呼ばれている。その足型は、かつて戦争橋として知られた、その印としてのもので、対立する2ティーム間の古い闘いの跡を思い出させる。橋が激しい戦いの戦場で、不運な戦闘員は殴られ蹴られて運河に転落した。
ガブリエール・ベッラ画『サンタ・フォスカ橋の棒戦』[ガブリエール・ベッラ画『サンタ・フォスカ橋の棒戦』]  ここから約300mの所に有名な“ヴェネツィアのカズィノ”(賭博場)があるので、もし門が開いていれば一目見て、ファサードの魅惑的な姿に魅了されてみよう。そしてマッダレーナ教会に向かおう。同名の広場にあって、セレニッスィマ時代最後に建てられた宗教施設である。ひとつ独立した建物。手元の地図が教えてくれる、玄関門の上に三角形の興味津々の眼の、フリーメーソンのシンボルが嵌め込まれているのに気付く、と。

教会にはトンマーゾ・テマンツァ(Tommaso Temanza、1705.03.09ヴェネツィア~1789.06.14ヴェネツィア。建築家、作家、技師「)の遺体が埋葬されており、彼はヴェネツィアの最初のフリーメーソンの一人であったアンドレーア・メンモの影響を受けた。他にもフリーメーソンの印がこの教会にはあり、保管されているが、展示されていないため、残念ながら見ることは出来ない。

ストラーダ・ヌオーヴァは言わばヴェネツィアの主要な幹線道路の一つであり、そこでは高級品の店が軒を連ねる。その一つに我らが“宝探し”の目的地、“黄金のヘラークレースの香辛料”店がある。ヴェネツィアの香水技術にインスピレーションを得た香水の高級品を提供する“ヴェニスの商人”(ストラーダ・ヌオーヴァ、2233番地)店の親切な女店員に、オリジナルの店の造作を愛でるため、入店の許可を貰おう。そしてこの素晴らしい場所に残る古い壺やその他を見せて貰おう。

ここは3世紀前の重要な香辛料の店であった。高価な材料で作られたバロック様式の家具や彫刻が沢山あり、単に薬剤師向けのものだけでなく、インテリ貴族、聖職者、文化人が文化交流のサロンとして集まれる貴重な場所として造られた。ここではガレノス派医学の治療薬や世に評判の高い薬が用意されており、“サンタ・フォスカの奇跡の丸薬”として能く知られた店であった。

芳香馥郁たる香料によって、更に魅了されてしまう独特の雰囲気は、ヴェネツィア、香辛料商人、ヴェネツィアの薬の歴史に繋がっていく過去を夢見させる……しかし現実に戻ろう。もう一つのヴェネツィアを発見しなければならない。店の大変親切だった店員さんに礼を言い、次なる目的地に向かう。

あまり詩的ではないが、ヴェネツィアの現実の中では正に真実なのだ。オーロ通りを行くと、同名の歴史的な館がある。道の中ほどに美しい芸術的な樋が見える。そして優雅で洗練された柱頭とその飾り。トラゲット運河通りの、大運河に面したカ・ドーロのファサードは美しくエレガントである。

興味深い掻き絵が保存されている。円柱の上部に鼠(pantegana)の絵が引っ掻いた線画で描かれ、ヴェネツィアでは一人当たり5匹の鼠がいることを思い出させる。残念ながらヴェネツィアが能く考えねばならないという現実は、ヴェネツィアの地形と猫族が姿を消したことに原因がある。

ここから少し行き、サン・カンチャーノ教会の傍のトラゲット軒下通りに、1864年の“大氷結”を思い出させる引っ掻き文字が柱に刻まれている。この刻み文字はヴェネツィア人が氷の上を歩きながら、厄除け(お守り)を手に入れることが出来たことを証明しており、迷信或いは伝説で《錨に触った人は墓の島に通じる、運河の向こう岸にトラゲット(渡船)で渡る必要がなくなると考えられ、言わばまだ死なないの意である。この通りに触れることは、死から遠ざかる一種のお守りということになる。》

テースタ通り方向へ行くため、東にちょっと逸れると、6216番地で我らが“宝探し”の旅の次なる目的地に至る。“死刑執行人の家の頭”である。伝説によればこの頭は、15世紀に実際の死刑執行人が住んでいた住居を示していた。開けた口の中に死刑に関するものが投げ込まれた。

サン・カンチャーノ教会近くの薬屋の直前に、注意深い人なら舗装された道に穴があることに気付くだろう。これはヴェネツィアで作られた有名な薬、毒消し(Theriaca Fina)を作るための材料を砕くための乳鉢を設置する場所だった。

次の目的地、サンタ・マリーア・ノーヴァ小広場5999番地に、洗練された、美しい館がある。カ・ベンボ=ボルドゥで、そこにはHomo Selvaticusの彫刻がある。それは古代ローマの森の神を思い出させる。"el vecio pien de peo"(毛むくじゃらの古代人)と呼ばれ、貴族のジャンマッテーオ・ベンボが欲しがった彫刻である。この彫刻には色々な説があり、ある人は謎かけのように錬金術を想定した。」 (カンナレージョ区、終わり)
 
文中の説明の図版については次のサイト、街案内をご参照下さい。
  1. 2021/02/22(月) 23:20:59|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:0

ヴェネツィア街案内: カンナレージョ区(1)

PCを見ているとヴェネツィアの6つあるセスティエーレ(区)の街ガイドがありましたので、紹介してみます。先ずは電車で到着する人が最初に足を踏み込む、サンタ・ルチーア駅のあるカンナレージョ区から始まります。

「カンナレージョ(ヴェ語canaregio)区の名前は、葦が繁茂していた場所だったということに起因しているとか、区を横切るレージョ(Regio)運河に由来するとか言われるが、いずれにしても、6セスティエーリの中では最も多様な側面を持っている。観光的な区域を紹介したいが、それは屋台の店、店屋、レストランで特徴付けられる場所であり、ヘブライのゲットのような独特な場所とは異なり、それは人が群がり、賑やかな、あるいは静かで、魅惑的なコーナーでもある。

ピアッツァーレ・ローマから出発しよう。サンタ・ルチーア鉄道駅を過ぎると、大運河から少し逸れていき、カンナレージョ運河に向かう。グーリェ橋を渡り左へ、ゲットへ向かう。この区で最も特徴ある地域である。
Campo%20del%20Ghetto%20Nuovo,%20Venezia[ゲット広場]  素晴らしい料理"kosher"を提供するレストラン"Gam Gam"傍の軒下通り(ソットポルティコ=ヴェ語sotoportego)を抜けていく。昔の雰囲気、独特な感じで“古”と“新”のゲットを特徴付けており、ヴェネツィアに居るのだとは迚も思えない。文字や店、独特の産物は流離の民のものであり、自分達の伝統と異種の文化を持つ共同体のものであることを物語っている。

我々の興味をそそるものは、ユダヤの菓子、それにはゲットのお菓子屋のショーウインドーに美味しそうに飾られている"impade"や無酵母のパンケーキ、その他特別のスペチャリタである。古い本やヘブライ語の新しい文書、シナゴーグとユダヤ人及び体験したホロコーストの犠牲者に纏わる過去の記念すべき碑は、ゲット内部で直ぐ視認出来る。
ホロコースト[サイトから借用。ホロコーストの記念物]  新ゲット広場の巨大燭台はユダヤの祭り"Chanukah"("Hanukkah")のシンボルであり、光明祭あるいは8日間の燈明祭であり、この年は12月24日に始まった。この広場の向かい側に1980年日付のホロコーストの記念物がある。

ゲットを後にして、カンナレージョ区の興味深い一角へ、我らが宝探しに邁進しよう! 次なる目的地はモーリ運河通り(フォンダメンタ)の、ゲット出口から約500mの、地番3399番地の“棍棒を持つヘーラクレース”の彫像である。この高肉彫りの像はティントレットが晩年住んだ家(1594年)のファサードにある。
ティントレットの家ヘーラクレース[左、三連窓の館がティントレットの家。右、サイトから借用、そのファサードのヘーラクレース像―近年痛まないように屋根が付けられたのでしょうか?]  棍棒を持つヘーラクレースはティントレットに纏わる伝説について語っているが、それはティントレットの長女マリエッタを騙して連れ出そうとした魔女の話で、ティントレットがこの妖術使いを棒の一撃で撃退したという興味深いお話である。壁面に残る穴は、唯一の逃げ道だった場所で、魔女は猫に化けてその穴に逃げ込んだ。ティントレットは棍棒を持つヘーラクレースを彫って、その穴を埋めたという。

カンナレージョ区の静かで、閑静な、観光的ではない区域に向かおう。次なる目的地はミゼリコルディア教会である。同名の運河通りにあり、橋から能く見える。単純な河岸ではない、一つのファサードの額縁である。多分別の建物用に設計されたものだろう。この少し先の3598番地に1600年代初めの、建築家バルダッサッレ・ロンゲーナ(ドルソドゥーロ区のサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会の建築家)に帰属するLezze館がある。
レッゼ館錬金術の浮彫[サイトから借用。左、レッゼ館、右、錬金術の浮彫]  この建物はヴェネツィアの“哲学者の居宅”と考えられており、錬金術のシンボルを持つ浅浮彫が壁面にあり、立ち止まって能くご覧になって頂きたい。稀に見る興味津々の物である。必ずや、"Voarchadumia"と呼ばれた錬金術師の秘密の団体がヴェネツィアに存在したことを認めるに違いない。1450~1490年に活動し、続く世紀も活動したのだった。

Lezze館の浮彫は、“ヴェネツィアの錬金術”の秘密に繋がる、過去の沢山あるシンボルの一つである。……」(2に続く)
  1. 2021/02/14(日) 00:10:59|
  2. ヴェネツィアの街
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ヴェネツィアの書店

私が嘗て学んだヴェネツィアの語学学校の、マッシモ先生からのEメールが、この1月に届いていました。ON-LINEで各国の語学生と繋がって、オンライン授業をやっているのだそうです。学校閉鎖になってはいなかった! マッシモ先生は私が初めて語学校通学時に、先生の部屋を借りたこともあり、心配していました。ワクチン接種も順調らしいし、モーゼが機能してサン・マルコ広場が水浸しになることも減ったようです(高潮の設定が高めだったらしく、完璧に水が出ないという訳にはいかないらしい)。

自宅に籠るには読書が最適と、ジョヴァンニ・モンタナ―ロ著『ヴェネツィアの本屋さん』という本からの引用だそうです。2月に入り、ヴェーネト地方はコロナ禍はイエローゾーンに緩和されたらしいです。
「……ヴェネツィアのサン・ジャーコモ・デッローリオ広場とテントール通りの角に小さな本屋さんがあり、そこは何が起ころうとも未だに存在しているということで人を驚嘆させる書肆の一つである。しかしながら、ゲリラを戦う兵士のように根強く、王女のように優雅な、そうした店というのはどんな町にも存在するものである。そんな書店は皆同様に見えるかも知れないが、ここは入店してしてみると判るが、他店とは同じではないのである。
サンタ・クローチェ区このサン・ジャーコモ・デッローリオの書店は部屋が二つで、ミーノース王がミーノータウロスを幽閉した迷宮(ラビュリントス)内でのように迷ってしまう可能性がある。木製のくすんで頑丈な書架では、何万という言葉の群れが大洋の魚類のように、壁面との間で互いを追い掛け回している。

店主はヴィットーリオと言う。40代を越したとは誰にも気付かれず、ずっと若そうに見える。山の中、今や過疎地となったカドーレの山村に生を享けた。ドロミーティの町には、嵐のような力強さと陽も暮れなんとする時の気後れした優しさがある。ヘーラクレースのように強靭に、隅々にまで書籍の詰まった書架の間を事も無げに移動する。しかし一旦書を手にするや、子をあやすが如き手付きである。

今や時代遅れの、市松模様のフランネルのシャツ(私は笑ってしまった)で、彼はそれしか着ないのである。ボロボロのジーンズのズボンを穿き、頑丈なドタ靴を履いている。腕捲りすると、前腕に刺青、斜視の獅子の皺だらけの脚が覗く。ヴィットーリオは美男子である。が、ある種の男達のように、その事に気付いておらず、その事を知るにはその事を言ってくれる女性を必要とする。

毎日髭剃りした顎、ボクシング選手のような胸、読書の習慣を実行に導く無頓着、食後何かが気掛かりのように毎日着火する煙草の火の煙。

今はそうではないが、かつて彼の店に能く通ったことがある。ヴィトーリオは経済学を学びに19歳の時ヴェネツィアにやって来たが、卒業証書(ラウレア)を手にすることは出来なかった。サン・マルコ広場の美術館に勤務するアイルランドの娘に出会った。彼女が2度彼にキスをした。1度目は二人に恋を芽生えさせ、その後彼女は彼と別れるに当たって、彼にメルヴィルの本を贈った。

彼は書物というものにそれ程馴染んでいなかったが、その夜、彼女を引き留めようとするかのように直ぐに『モビー・ディック(白鯨)』を読み始めた。そして今までこんな風に読書をしたことがなかったことに気付いた。

突如、自分が操船を指揮し、捕鯨用の銛を油で磨き、救命ボートのベンチを洗っているように思われた。彼には日に日を次いで生活が膨張して、魅惑的になり、そして人生がより能く、以前より何がしかが理解されるように思われてきた。

彼は大学を辞め、リード島の店に仕事を見付けたが、それは敢えて家から遠くの場所を選んだ。リーヴァ・デ・ビアージョの停留所からヴァポレットでの通いは、毎日2時間の読書が可能だった。そして譬え望まずとも、またお気に入りでない本を選んだとしても、ヴァポレットの窓からの眺めは同様に素晴らしく、アメリカや鯨の見付かる大洋が想像出来た。

あの大陸が彼を引き付ける。RothやDeLillo、MastersやWhitman、AusterやEllisと話し始めた。そしてある期間、合衆国東北部メイン州に住むことを夢見た。しかし出発はしなかった。ヴァーモントの薪置きの小屋を奇麗に片付けねばならないような身形をし続けているからである。

20代からヴィットーリオは、サン・ジャーコモ広場の本屋さんである。書店は彼の事をモビー・ディックと呼称する。譬えアイルランドの娘の事をもはや考えないとしても、またここには海があり、ナンタケット(Nantucket)の大洋は存在しないとしてもである。

彼は少し離れた所に住んでいる。そこで学生時代からずっと生活してきた。解剖裁判所の屋根裏部屋である。そこからヴェネツィアの赤っぽい屋根、フラーリ教会、フェニーチェ劇場の大きな図体が見渡せる。彼の生活は自ら望んだものである。書店主であるためには、人は裕福になることは無用だが、本屋のために人は生きるのではない。彼に仕合せかい?と問わねばならないとすれば、ヴィットーリオの方はそうだよ(Sì)と応えるかも知れない。

今や彼は慕われている存在でもあるのだ。」

サン・ジャーコモ・デッローリオ広場とテントール通りは地図下部に位置しますが、テントール通りを南へ下ると向かって右側にヴェネツィアで一番美味しいと言われたピザ屋さんがありました。更に下って橋手前を左に行くと、ポンテ・ストルト(曲がった橋)、そして鐘楼が途中で切られて民家に転じた風情が見られます。

2014.11.27日のブログでヴェネツィアのハーマン・メルヴィル(1~2)について触れています。
  1. 2021/02/07(日) 00:30:12|
  2. 書店
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プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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