イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

Hotel(H)(ホテル・サン・マルコとホテル・ソフィテル)

初めてヴェネツィアに行った時、1週間滞在しました。最初の3日間泊まったホテルは、サン・マルコ広場の旧行政館(Procuratie vechie)の直ぐ裏、ファッブリ通り(Calle dei Fabbri)の入口にある、ホテル・サン・マルコでした。泊まった翌朝、サン・マルコの鐘楼の7時の鐘の音で叩き起こされました。頭上の鐘のように驚くほどの大音響でした。

後半4日間は、ローマ広場(Piazzale Roma)近くのパパドーポリ公園(Parco pubblico Papadopoli)隣、クローチェ運河(Rio de la Croce)沿いに建つホテル・ソフィテルに移動しました。そんな訳で、ヴェネツィアの東西を初体験ながら少しは歩き回り、多少ヴェネツィア街歩きの自信が湧いたような気がします。

ソフィテルの部屋のバルコニーからは、下のクローチェ運河、左端の大運河から右端のトレンティーニ広場(Campazzo dei Tolentini)まで見渡せましたし、廊下の反対側の突き当たりからは、裏のパパドーポリ公園の緑が目に和みました。

この公園は昔から公園だったのではなく、元々はこの地区の名前の起源となった、サンタ・クローチェ(S.Croce)教会があったのだそうです。しかし1810年、何故か教区教会としての役目が廃止され、民間の倉庫に転用され、建物そのものが崩れ落ちると、結局は市の公園となったようです。

このサンタ・クローチェ教会の在りし日の姿を日本人が描いていました。それが分かるまでに次のような経緯がありました。

友達となった仏人ベアトリスが、仏国で出版された大きな《浮世絵本》の中に、ヴェネツィアを描いた浮世絵があると見せてくれました。そしてその浮絵(うきえ、遠近法を使用した浮世絵)の手本となったカナレット(Canaletto、1697~1768)の都市景観画(veduta)を、彼女に案内されたサンタ・マルゲリータ広場(Campo S. Margherita)の一画にある骨董屋さんで見せてもらうことが出来ました。

この版画に使用された用紙は、ヴェネツィア人が着古した麻の衣類や麻の雑巾などから作られたのだそうです。新しい麻布で紙に加工するには、硬質過ぎて紙になりにくいということで、使い古して繊維の軟らかくなった物が求められました。当時はそうした古布を集め回るのが仕事の人もいたようです。その紙にはヴェネツィア製を示す《V》の字が透かしで入っていました。

帰国してその浮絵、歌川豊春(1725~1814)の版画のことを、ベアトリスの《本》に記されていた神戸市立博物館に問い合わせると、常設していないので、東京国立博物館(やはり常設していない)か、《アダチ版画研究所》で訊ねてみるように助言を頂き、アダチを訪ねてみました。そして当時の手法をそのままに再現して刷られた《複製》に、出会うことが出来ました。
『浮絵 紅毛(ヲランダ)フランカイノ湊鐘響図』アダチで教えて頂いたことは、歌川豊春が明和期(1764~72)頃、外国の遠近法を学ぶために、このカナレットの絵をヴィセンティーニ(Vicentini)が銅版画にしたものを手本に模写した、ということでした。題して『浮絵 紅毛(ヲランダ)フランカイノ湊万里鐘響図』です(Google のサイトで《浮絵 紅毛フランカイノ湊万里鐘響図》で検索すれば、当時の絵が見られます)。

この浮絵の手本になった絵の出自が判明(『カナル・グランデの景Veduta del Canal Grande』と題された作品)したのは、ケルンの日本文化館の岡野圭一氏のお陰だそうです。

頂いた資料のヴィセンティーニ(Vicentini)のことが知りたくて、イタリア文化会館の図書室で十数巻のイタリア美術史事典で調べさせて頂きました。"Vicentini" は存在せず、"Visentini"(ヴィゼンティーニ)が見つかりました。Antonio Visentini(1688~1782)は、美術、建築の教師をしながら、カナレットの景観画を銅版画(incisione)にする協力者だったそうです。
[Vicentini(ヴィセンティーニ)は思い違いだったようです。 ヴェネツィアでは“ヴィゼンティーニ(Visentini)”と発声します]。
ミアーニ・コレッティ・ジュスティ館左の、カ・ドーロ館左隣の大運河に面するミアーニ・コレッティ・ジュスティ館は、彼の手になる建物のようです。また数年前出版された、ヴィゼンティーニの銅版画を38点集めた Dario Succi『Le prospettive di Venezia―Dipinte da Canaletto e incise da Antonio Visentini―』 Grafiche Vianello srl / VianelloLibri では、絵の中で右岸に正面を見せるサンタ・クローチェ教会の景観を描いたこの版画は、"Prospectus ab Sede S.Crucis ad P.P.Discalceatos" と題されています。

当時、現在の絵葉書と同じように、ヴェネツィアのスーヴニールとして、ヴィゼンティーニのエッチングは売られていたのだと思います。あるオランダ人がヴェネツィアで買い求めたこの絵は長崎の平戸に到着し、豊春の眼前に現れたのです。

このことから、ヴェネツィアを描いた絵画の日本人の第1号は、鎖国時代の歌川豊春であり、彼の浮絵は、北斎の激しい日本的パースペクティヴの礎を築いていたに違いないと思われます。

追記=2009.10.24日のヴェネツィアと日本との関わり(1)でこれらの版画について触れました。
  1. 2007/11/10(土) 00:16:59|
  2. 絵画
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは。初めまして。
海外には一度も行ったことがないのですが、こちらのブログで、勝手に旅行気分に浸っております。
「浮絵 紅毛フランカイノ湊万里鐘響図」、検索したら、「アダチ」のサイトに当たりました。
これ、見たことあります。日本ではないけど西洋でもない、後ろの幕はどうなってるんだ・・・という不思議な印象でした。遠近感のせいだったのでしょうか。

「浮絵」は全然知らなかったので、「アダチ」の他にも検索してみました。浮世絵にはあまり興味がなかったのですが、これは面白いです。
西洋的遠近感の手法でヴェネツィアを描いた日本人第一号が歌川豊春、その後葛飾北斎に受け継がれ変容し、それが今度は西洋でジャポニスムを巻き起こす・・・。
影響というのは面白いものですね。

浮絵の展覧会が、表参道の太田記念美術館で10月に行われていましたが、終わってしまい残念です。いくつか絵が載っていたのでリンクだけ。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/dis0710.html

「アダチ」は目白にショールームがあるようなので、機会を見つけて行ってみます。
興味深い記事をありがとうございました。
  1. 2007/11/11(日) 12:07:28 |
  2. URL |
  3. キリコ #eSLToZDQ
  4. [ 編集 ]

コメント、有り難うございました。
早速『浮絵 江戸のパースペクティヴ』を覗いて見ました。
豊春の遠近法の習得への情熱が分かります。西洋画の真似絵のような不思議な絵は非常に楽しいです。
ブログの調子が悪く、お返事が大変遅くなりました。今後ともよろしくお願いいたします。
今後はブログの仕組みにも強くなって、例えば、今回の豊春の版画の元になった、ヴィゼンティーニの銅版画を掲載できるようになれればと思っています。
有り難うございました。
  1. 2007/11/14(水) 04:30:00 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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