イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――カザノーヴァ(2)

『カサノヴァ回想録』の中で特に有名な箇所は、それまで脱獄した者のいないピオンビ監獄からの、よく知られた脱獄の一節でしょう。

運河に落下して死ぬことを恐れるソルダーチを後に残し、カザノーヴァはバルビ神父と屋根への穴を抜け、急勾配のピオンビの屋根に向かいます。

「こうして決行の時が来た。すでに月影はなかった。わたしはバルビ神父の片方の肩に綱を、もう一方の肩に彼のぼろ着の包みをかけてやった。そして、自分も同じようにした。そして二人ともチョッキだけとなり、頭に帽子をかぶると開いた穴の方へ向かった。

 そしてわれらは、外に出て、空の星を仰ぎ見た(ダンテ『神曲』)

わたしが先に出て、バルビが後に続いた。ソルダーチが屋根の穴までついてきたので、わたしは彼に鉛の板を元どおりにし、それから聖フランチェスコに祈ってくれと言った。

まずひざをつき、四つん這いになったわたしは、矛を片手でしっかりとつかみ、腕を伸ばして、板の継ぎ目に矛を突きさし、板を一枚剥がした。そうしてめくり上げた板の縁を四本の指でつかみ、屋根の頂までよじ登ることができた。

バルビはわたしについてくるのに、わたしの半ズボンのベルトを右手の四本の指でつかんでいた。だからわたしは、重い荷物を引きずる駄馬の辛い役目をはたさなければならなかった。しかも、濃い霧でしっとりと濡れて滑りやすくなった屋根の急斜面なのである。
……
やっとの思いで十五、十六枚の鉛板を乗り越えると屋根の頂に着いた。わたしはほっとして脚をひろげ、頂に馬乗りになった。バルビもわたしを真似た。わたしたちはサン・ジョルジョ・マッジョーレの小島に背を向けていた。

そして正面二百歩ばかり先には、サン・マルコ教会の丸屋根がいくつも見えていた。この教会は統領官邸の一部であり、統領の礼拝堂にほかならなかった。これほど立派な礼拝堂をもてる君主はまずないだろう。
……
あらまし一時間ほどかけて屋根のいたるところを這い回り、調べ、確かめたが無駄だった。綱の端を結びつけられるようなところはひとつも見つからなかったのだ。……このときのわたしが置かれていた位置からすれば、大胆さが必要だったが、どんな向こうみずも許されなかった。
……
ちょうどこのとき、夜半を告げるサン・マルコの鐘が鳴ったが、この鐘の音はわたしの心を激しくゆすり、わたしを押し潰しかけていた困惑の状態から救い出してくれたのである。その鐘は、まさに始まろうとしているこの日が万聖節[11月1日]であり、この日はわたしの守護聖人――わたしにもそういう聖人があるとするなら――の祭日であることをわたしに思い起こさせた。そして、わたしの聴罪司祭の予言がわたしの胸に思い浮かんだ。

しかし正直なところ、とりわけわたしの気力を振るい立たせ、わたしの肉体的な力を実際に高めてくれたのは、わが敬愛するアリオストから受けた《十月の終わりと十一月の初めのあいだに》というあの託宣だった。

鐘の音は、行動せよとわたしに語りかけ、勝利を約束する神意のように思われた。わたしは腹這いになり、小さい格子の方へ首をつきだし、矛を窓枠の中へ押し込み、格子全部をそっくり取りはずすことにした。その作業はわずか十五分ほどですみ、はずした格子は天窓のそばに置いた。窓ガラスをこわすのはなんの造作もなかった。……」
  ――『カサノヴァ回想録2 脱獄の巻』(ジル・ペロー編、大久保昭男訳、社会思想社現代教養文庫、1986年5月30日発行)

彼はその後世界を回り帰郷出来た時、カステッロ区のサンティ・ジョヴァンニ・エ・パーオロ(ヴェネツィア語、サン・ザニポーロ)教会前のサン・ザニポーロ大通り(Salizada S.Zanipolo)に続くバルバリーア・デ・レ・トーレ(Barbaria de le Tole)通りの6673番地に住まい、共和国の密偵として生計を立てたようです。
  1. 2009/07/11(土) 00:00:10|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:8
<<スローフード | ホーム | 文学に表れたヴェネツィア――カザノーヴァ(1)>>

コメント

こんにちは! 
ああ、かの有名な脱獄場面を書いていただけました。 有難うございます!
あのピオンボ(ピオンビが正しいのでしょうか?)から脱獄した、とは読んでも、こういう状況を読むのは初めてでした。
脱獄を決めるまでも、面白そうですねぇ。
  1. 2009/07/13(月) 00:15:11 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございます。
何を隠しましょう、私も彼の脱獄の件をちゃんと読んだことはありませんでした。
今回図書館の検索であれこれ探してみましたら、これが見つかりました。
彼は『回想録』を仏語で書いていますので、『Memorie scritte da lui medesimo』
(Garzanti i grandi libri)の伊語版を勉強のために、彼のヴェネツィア時代だけを読んだ
ことがありました。
  1. 2009/07/13(月) 11:27:03 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

カザノヴァはイタリアやヴェネツィアとは関係なく、私には最も興味のある歴史上の人物の一人ですが、ペッシェクルードさんの記事にカザノヴァの記載が思いがけず少ないのでなぜだろうと思っていた矢先でした。ヴァディアム監督の「輪舞」も含めてカザノヴァの映画はすべて見たつもりでしたが、今回の記事で初めて、実在した人間としてのカザノヴァが浮かび上がってきました。「カザノヴァ回想録」は私は読んでいませんが、今後の課題とします。ありがとうございました。
  1. 2009/07/15(水) 18:11:31 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

september30さん、コメント有難うございました。
カザノーヴァの話とは違うのですが、身の回りの整理をしていたら(先行く身をお許し
下さい)、マル・ワルドロンとジャッキー・マクリーンの「Left Alone」をテープに取った
物が見つかり、今日聞いていました。泣けてきました。
september さんが米国に出立する時の、幸主催の送別会があった頃、私はジャンヌ・モロー
主演の『エヴァの匂い』という映画を度々見た記憶があります。このヴェネツィア映画の
中でモローはビリー・ホリデーの『柳よ、私のために泣いておくれ』のレコードを何度も
掛けていました。マル・ワルドロンはビリーのピアニストだったですよね。             
  1. 2009/07/16(木) 10:17:39 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

「Left Alone] ・・・懐かしいです。この曲は確かワルドロンの自作ではなかったかな? それからオーネット・コールマンの「Lonly Woman」覚えてますか? 前衛派のコールマンがまだ前衛になりきれていない頃のレコードで、寂しい女の性的な欲求不満のようなものが、吠え付くような生々しいサックスの叫びで訴える、一度聞いたら忘れられない演奏でした。
  1. 2009/07/16(木) 15:11:39 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

こんにちは! 
お二方のコメントを拝見していましたら、ジャンヌ・モローの話が出てきて、懐かしく・・。
先日、ジャンヌ・モローが、マタハリを演じた映画のDVDを手に入れ見ましたら、お相手は、ジャン・ルイ・トランティニアンでした。 
懐かしかったのですが、まして先日、ピエール・カルダンがニュースに出て、彼トゥレヴィーゾ出身で、ピエロ・カルディーニをフランス風に、カルダンと。
顔をつくづく見ても、一つもかっての面影がなく、丸顔になって・・!
ジャンヌ・モローとのロマンスの写真を、若い日に心ときめかして眺めた事を思い出し、改めて自分の年も振り返ったことでした。 ああ!!
  1. 2009/07/16(木) 21:59:07 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

september30さん、よく覚えています。
ソウスケ氏がマンボさんにレコードを貸し、彼が豚の悲鳴だ、と言ったことも。
とにかく「Lonly Woman」の独特の音を聞いた人は忘れられないと思います。
「Left Alone」のジャケットを見ると、ビリーのformer pianistだったMal Waldron
が彼女にこの曲を捧げています。近年来日したヘレン・メリルがラジオで話して
いました。ビリー・ホリデーの会に行ったのが自分のプロ・デビューのきっかけ
だったと。そして彼女とデュエットで歌うテープを流してくれました。
  1. 2009/07/17(金) 02:09:37 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

shinkaiさん、度々有難うございます。
femme fataleな女を演じたら天下一品のジャンヌ・モロー。ジョセフ・ロージー監督の
『エヴァの匂い』もそんな映画で、総督宮殿の右端角からカメラが左へパンしていくと
ピアッツェッタのキャッフェ・キオッジャ(現在もジャズ演奏のキャッフェで、ベーシストの
ロベルトと知り合いになりました)の外テーブルに座るモローが映ります。これが映画
の始まりで、終りは全く逆にそのテーブルに座るモローからカメラは右へパンして総督
宮殿右端角でFINとなりました。
ピエール・カルダンがトゥレヴィーゾの人とは! パリ・ガイドを読んでいましたら、
書店のGalignaniは、16世紀からヴェネツィアで出版業を営んでおり、1802年パリ創業
した老舗書店で、現在は7代目だそうです。そんなパリも一度は覗いてみたいと
思っています。
  1. 2009/07/17(金) 03:08:30 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア