イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

スローフード

私が伊文学者の中で一番多く読んだのは、チェーザレ・パヴェーゼのもの(晶文社から全集が出る予定だったのに中断。現在装いも新たに美麗な全集が岩波書店から刊行中)でした。彼は1908年トリーノの南、サント・ステーファノ・ベルボに生まれ、1950年トリーノ、ポルタ・ヌオーヴァ駅前カルロ・フェリーチェ広場にあるホテル(Roma e Rocca Cavour)のある一室で服毒自殺してしまいます。
『Tra donne sole』彼の原作『Tra donne sole』からミケランジェロ・アントニオーニ監督が脚本化した映画『女ともだち(Le amiche)』を見たのは新宿に出来たアートシアター初期の頃だったと思います。この台本は『Tra donne sole』(Cesare Pavese, Einaudi Tascabili)にも収録されています。エレオノーラ・ロッシ・ドラーゴの熱烈なファンだった私は見逃す訳にはいきませんでした。

パヴェーゼの生まれ故郷の周辺、アスティ(Asti)、アックィ(Acqui)、アルバ(Alba)の三角地帯を含むモンフェッラート(Monferrato)地方はピエモンテ州でも有数のワインの産地とガイド本にあります。この地域に、今や世界各地に広まったスローフード運動が発祥し、その大学まであるそうです。

昨年この大学を卒業した友人の娘さんが、その卒業式で地域のいくつかの新聞社にインタビューされ、「娘が新聞に載った記事を送ってきたので読んでみて」と私に切抜きを送ってくれましたので、この場にちょっとその訳文を載せてみます。

スローフードというのは、直接ファーストフードに対置するものではなく、また有機農業や無農薬産品ということでもなく、それらを含めて地産地消を考慮に入れながら、土地の産物(出来るだけ上質を)、それも土地の風土に根付いた生産方式で産し、郷土の社会性を高め、地域を活性化していく食品の利用を促進するものだと知りました。この大学はアルバ市の西、ブラ市のポッレンツォに所在します。

「ファビオーラ・パルメーリ記者
 日本からポッレンツォへ――スローフードに開かれた大学での4年間、今や卒業――

2004年夏、東京生まれのMIZUHO H.はサン・フランシスコの大学で会話学を修め、料理への情熱からクーネオ県のポッレンツォに開かれて間のない、スローフードのための、初めての食科学研究大学の存在をPC上で見付け、知識と職を求めてやって来た。

その歩みは精神力の賜物だった。4年間の勉強後《子供達への食の教育――マリーア・モンテッソーリ・メソッドに則り》という卒論で、彼女は美学教授ペルッロの下、卒業に漕ぎ着いた。彼女の辿ってきた魅惑的な道は、スタイルや考え、味覚、インターナショナルな文化に対する興味を抱かせ、特に――彼女が微笑みながら気楽に伊語から日本語になったりして語ったように――『私は次に漕ぎ出す船を捜しているんです。それはこれからの人生の事であり、研究課題についても考えました。スローフードや大学で考えた事は、正しく私のためになっていました。』

更に『私は多文化ということを考えています。いつも多くの事を学びたいと思っていました。ここポッレンツォでは、沢山の事が学べる可能性があります、特に食品について。いずれにしてもそれは完璧です。』

東京、サン・フランシスコ、パリ、ローマのような大都会での生活の後、ピエモンテの小さな村での、ここ数年の生活はどうでしたか?
――『ポッレンツォでの生活は気に入っています。今一人住まいですが快適です。大学では世界各地からの人に会いました。生産者、土地の人、先生、学生仲間全てから刺激を貰い、新しい見方を教えられました。』

この新生なったばかりの大学の生活や組織は満足いくものでしたか?
――『全体として見れば、満足出来るものだったと言えます。もっとより良く出来る事柄は確かにありますが、この大学と私が一緒にやって来たことは大変素晴らしいことでしたし、こうしたコースのパイオニアの最たるものでした。私はパルマ近郊のコロルノの支部でも1年間学びました。そこで英語での食品と会話のマスターの学位も得ました。』
『モンテソーリの発見』子供達のためへの食品の教育とマリーア・モンテッソーリの哲学についての研究の後は、どういう方向を目指しますか?
――『ここイタリアで働くことです。書くことが好きなので雑誌や新聞に《食》の評論を書きたいのです。将来米国か日本に帰るかも知れません。それまでにパリ近郊のプチ・ホテルの経営の助言にもうすぐ出かけます。それからトリーノには何度も赴くことにしています。いずれにしても、どこであれ、私の基本テーマは常に、子供達に熱い視線を向けた文化と食との坩堝の中にあります。』」
  1. 2009/07/18(土) 00:07:01|
  2. | コメント:3
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コメント

恥かしながら私はスローフードとはファーストフードに対するものだと漠然と思っていたので、ペさんの記事を読んで眼が開きました。ミズホさんのように一人でしっかりと自分だけの道を歩いている人がいるのはすばらしいですね。
また、私の家内の妹はモンテソーリのディレクターをやっており、私の二人の子供たちも小さい時はモンテソーリに通っていました。
ぺさんのブログを読むたびに私は少しづつ賢くなってゆきます。ありがとう。
  1. 2009/07/20(月) 21:01:10 |
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  3. Septembger30 #-
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  1. 2009/07/22(水) 06:10:43 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

september30さん、コメント有難うございます。
モンテッソーリのことは、名前を知っているだけでした。子供達の内部にある自発性や
活動性を感覚的に刺激して、発達させていく、といった彼女の教育理論で育てられた
子供達は、才能や感性を伸びやかに育てられることなしに済ませてしまわれた、日本
ではありがちの多くの子供達に比して、生き生きとした表情で、明らかに才能豊かな
人間らしく思われるに違いありません。
  1. 2009/07/23(木) 04:16:41 |
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  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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