イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ヘミングウェイ(1)

ヴェネツィアを愛した作家の中で、最右翼に座る人は誰なのだろうと考えました。ヴェネツィアに関心を持ったヴェネツィア生まれではない文学者は、皆それぞれの視点でこの町を眺めていた筈です。

ヴァッラレッソ(Vallaresso)通りのサン・マルコ停留所(以前はヴァッラレッソと停留所の壁面には書かれていました)直前にある、ジュゼッペ・チプリアーニが始めたハリーズ・バー(バール)は、ヘミングウェイが常連だった“バール”として殊に有名です。
ヘミングウェイ[PCサイトから借用] アーネスト・ヘミングウェイ(1899.07.21イリノイ州オークパーク~1967.07.02アイダホ州ケチャム)はヴェネツィアを愛し、彼の小説でも登場するホテル・グリッティやトルチェッロ島のロカンダ・チプリアーニ等に長期滞在したようです。そうした背景で小説『河を渡って木立の中へ』(1950年)が書かれたようです。

「《真正面がトルチェッロだ》と大佐は指さした。《西ゴート人に本土を追われた人民が住んだのが、あそこだ。その人民があそこに見える四角い塔のある教会堂を建てたのだ。むかしは、あそこに三万の住民がいて、彼らの主をたたえ、あがめるために、あの教会を建てたのだ。

それからあの教会を建てたあとで、シーレ河の河口が泥でふさがったが、大洪水で形が変わったかして、いままでおれたちが通ってきた土地がすっかり氾濫し、そこに蚊がわき、マラリアが発生して、あそこの住民を襲った。

このままでは、みんな死んでしまいそうになったので、長老たちが集まって、どこか蚊を防げる健康な土地、西ゴート人やロムバルディア人や、その他の部族に襲われない土地へ、船で漕ぎ出すことになった。そういう部族は海軍をもっていなかったからだ。

トルチェッロの青年は、みんな立派な漕手だった。そこでみんなが自分たちの家の石を全部、ちょうど、いましがた見たような艀に積んで運んで、そうしてヴェニスの都を建てたのだ》
……
《それがトルチェッロの青年たちなのだ。そんなとても我慢づよい若者ばかりで、しかも建築にいい趣味をもっていた。彼らはカオルレという海岸の小さな村からきた。だが彼らは奥地の町や村の人々が西ゴートに襲われたとき、それらの人々を、みんな呼びよせた。

そのころアレキサンドリアへ武器を密輸出したのもトルチェッロの一青年で、その若者は聖マルコの遺骸のありかをさがし出し、不信心な税関の番兵どもの目を逃れるために、新鮮な豚肉の荷の下へそれを隠して、こっそり運び出した。

この若者が聖マルコの遺骸をヴェニスへ運んだので、聖マルコがヴェニスの守護聖徒になり、その名にちなんだ大寺院がここにあるのだ。だが、その時分には、ヴェニスは遠い東方と貿易をしていたから、建築は、おれの趣味に合う美しいビザンチン式だ。トルチェッロで最初に建てたほどのものは、その後はできなかった。それがあのトルチェッロだ》」
  ――『ヘミングウェイ全集 第七巻――河を渡って木立の中へ 他』(大久保康雄訳他、三笠書房、1973年12月30日発行)

ヘミングウェイについて書くに当たって、この作品が文庫にないのは知っていましたので、PCでも調べてみました。検索が足りなかったのか、ヴェネツィアとの関連でこの『河を渡って木立の中へ』について書いている人が見当たりませんでした。日本ではこの作品に対して関心が薄いのでしょうか。
  1. 2009/08/15(土) 00:04:15|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:4
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コメント

こんにちは! 嬉しいです!!
「河を渡って・・」は読んでおらず、こちらに来てから、あの辺りの家にヘミングウェイが住み、この作品を書いたことを知り、興味を持ちつつも・・。 先日のマラーノ・ラグナーレで、あの辺りと知ったのでした。

狩りの話と聞きましたが、ヴェネツィア賛歌の部分もあるのですね。 
ええ、トルチェッロの教会は、本当に美しい!
今のトルチェッロは、余り住人もおらず、さしずめサンテラーズモの青年たちが、ここに描かれた感じでしょうか?
  1. 2009/08/14(金) 21:10:36 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございます。
彼はトルチェッロ島のロカンダ・チプリアーニに長期滞在したそうですから、
特にこのヴェネツィアの原点になった島には、愛着があったと思われます。
この場面はトリエステからヴェネツィアにやって来る途中、本土側からこの島
を見ながら自分の愛したヴェネツィアについて部下に語って聞かせる所です。
話はヴェネツィアでの、若いイタリア女性とのやり取りが中心で、ラグーナで
の猟の場面はそれほどでもなかったと思います。
かつてこの本を読んだ時は、ヴェネツィアのことなど頭に入ってきませんでした。
ですから近年ヴェネツィアで、Hemingwayの本を見つけたので読んでみました。
『Di la` dal fiume e tra gli alberi』(Scrittori del Novecento, Oscar Mondadori)
です。会話が多く読みやすいので楽しい本でした。
日本語訳では、昔の三笠書房の全集を探すしかないようです。

  1. 2009/08/15(土) 03:13:59 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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「河を渡って・・・」は私の好きな小説ですが、最初何よりもまずその題名に魅せられました。"Across the River and into the Trees".  何と美しい題名でしょう!!
後で知ったのは、この文句はアメリカ南北戦争のかのストーンウォール・ジャクソンの最後の言葉だったのですね。
  1. 2009/08/16(日) 03:25:10 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

September30さん、コメント有難うございます。
今回この作品を取り上げるに当たって、色々読み、ご指摘の南北戦争時の将軍の
言葉であることは知りましたが、将軍の名前も最後の言葉であったことも今知り
ました。ヘミングウェイはこの言葉が相当気に入っていたに違いありません。
私がかつてこの作品を読んだ時も、septemberさん同様に題名の美しさに魅かれ
ての事でした。
話は違いますが、septemberさんが撮られた、2009.06.06のブログのVeniceの
写真の内、「Venice(27)黒い窓」の場所を見たように思っていて、ずっと気に
なっていました。先日ピントがぴったり合い、ほっとしました。
駅からリアルトに向かう広い通りをしばらく行くと、右に運河の脇に円形の教会
(サンタ・マッダレーナ教会)があり、その前から右の広場に向かってシャッターが
切られていました。
  1. 2009/08/16(日) 09:16:06 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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