イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ヘミングウェイ(2)

彼が1950年に発表したこの『河を渡って木立の中へ』は、発表時、批評家達に新しいものが何もない等、非常に評判が悪かったそうです。しかし私には、彼がヴェネツィアという町を舞台に、大変楽しんで書いたように思われます。それまで行動を描いてきた彼が、全体を楽しい会話で埋めているのが、Veneziafilo の私には新鮮です。

彼は主人公の大佐に、《ヴェニスはおれの町だ》とか、《おれが死んだらあそこに埋まりたいな》とか語らせます。《18歳の時初めて見て以来》、ヴェニスはヘミングウェイには大変気に入った町だったと思われます。しかし彼はこの小説に対する批評家達の酷評に応えるかのように、1952年『老人と海』を書き、1954年ノーベル文学賞を授けられました。
サルーテ教会へのお詣りの浮橋。Alvise Zorzi『Venezia ritrovata』から借用サルーテ教会への votivo 橋が架橋された時の右脇のグリッティ・パレス・ホテル(ピザーニ・グリッティ館)。帽子や服装の古さ、ゴンドラに設置されたfelce(felze、felse―屋根)から古い写真であることが分かります。

「キャントウェル大佐がグリッティ・ホテルの玄関を出たとき、外にはその日の最後の陽ざしがあった。広場の向こう側には、まだ陽があたっているが、ゴンドラは、広場の風あたりの強い側でなごりの日光のあたたかみにふれるよりは、グリッティの建物の蔭で風をよけているほうがいいらしい。

 それを目にとめてから、大佐は右へ向かって広場を歩きだし、右手にのびている鋪道のほうへ進んで行った。向きを変えると、ちょっと立ちどまって、サンタ・マリア・ジリオの寺院を見た。

 なんという卓抜な、緊密な、しかも、いまにも空たかく飛び去りそうに見える建物だろう、と彼は思った。おれは小さな寺院が、P47[第2次大戦中活躍したアメリカの単発戦闘機のこと?]に似ているとは、いまのいままで気がつかなかった。この寺が、いつ建てられたか、誰が建てたか、調べてみなければならぬ。畜生っ、おれはなんとかして一生、この町を歩きまわっていたいものだ。

おれの一生か、と彼は思った。何たる愚劣なギャグだ。猿轡(ギャグ)でもかませるほかはないギャグだ。絞め殺すほかはない首だ。よせよせ、元気を出せ、彼は自分に言った。《病的》なんて名のつく馬が、競馬で勝ったためしがあるか。
……
 すると橋の石段をのぼりながら、彼は疼痛を感じ、向こう側の石段をおりかけると、二人の美しい若い女に気がついた。二人とも美しい。帽子はかぶらず、貧しそうだが、しゃれた装(なり)をしていて、髪を風に吹かせ、ひどく早口におしゃべりしながら、ヴェニス女らしいすらりとした脚を大股にはこんで、石段をのぼってくる。

それを見ながら大佐は自分に言った、この通りの窓を見てあるくのはやめて、つぎの橋を渡ったほうがいい、そして広場を二つ越してから、いつものとおり右へ曲がって、まっすぐ行けばハリイの店だ。」
  ――『ヘミングウェイ全集7巻――河を渡って木立の中へ・他』(大久保康雄訳・他、三笠書房、1973年12月30日発行)

彼は自分の小説の中でも、よく通ったハリーズ・バー(バール)のことに言及しています。ヴェネツィアが気に入ったからに違いありません。ヴェネツィアの書店[ルイージの店]で偶々彼のこの作品の伊語訳の本を見付けましたので、読んでみました。
Ernest Hemingway『Di la` dal fiume e tra gli alberi』(伊語訳とまえがき Fernanda Pivano, una cronologia un'antologia di giudizi e una bibliografia 付き, Scrittori del Novecentoシリーズ、Oscar Mondadori, 2005)
Hemingway『Di la` dal fiume e tra gli alberi』「イタリアのヘミングウェイ翻訳者、92歳のフェルディナンダ・ピヴァーノ(引用はイタリアに好奇心記事のまま)がこの8月18日に亡くなった」――そうです。このニュース記事については次のサイトをご覧下さい。2009.08.19日のイタリアに好奇心。この本はフェルディナンダ・ピヴァーノではなく、《Fernanda Pivano 》が伊訳し、まえがきを書いています。
  1. 2009/08/22(土) 00:03:17|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:5
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コメント

こんにちは!  
そうなのです、先日本屋で教えていただいたこの「河を・・」と「海流の中の・・」を買って戻った翌日のニュースでした。
翻訳者の名前など普通見ませんよね。
で、ニュースでヘミングウェイなどアメリカ文学の紹介翻訳をした、と言い、彼と一緒の写真が映ったのです。
あれ? と思い、本を見ましたら、彼女でした。
少し因縁を感じ、好きな「海流の中の・・」から、抜粋して読んでいます。

ヘミングウェイの文章の中で、自分の考えとの対話 というか、あれがいつも面白い、と思うのです。
自分をいつも確かめていますね。 ただ、考えた、思った、だけではない部分の表現法、これを新鮮に感じます。

面白いブログを、紹介していただきました! 読みに行きます。
  1. 2009/08/21(金) 17:40:02 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございました。
偶々ヘミングウェイを選んだ時期に、フェルナンダさんが亡くなるというのは
私も奇妙な因縁を感じました。
私が読んで一番気に入った長編は『日はまた昇る』でした。『われらの時代』等
の短編(集)は、それ以上に好きだったものです。『武器よさらば』や『誰がために
鐘は鳴る』などは映画を見たので読んだと思います。
やはり最高だったのは『老人と海』です。青色のカバーに包まれた本だった
『海流のなかの島々』は読んでいません。早速探しに行きます。
  1. 2009/08/23(日) 03:26:00 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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ペさんの記事を読んでいて思い出したのは、1966年に出たA.E.Hotchner の「Papa Hemingway」です。実は私は大学では仏文に籍を置きながら、あのころはアメリカ文学に夢中でした。この伝記は面白くて何度も読んだ (もちろん日本語訳で) のを覚えています。
  1. 2009/08/26(水) 20:42:32 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

september さん、コメント有難うございました。
『パパ・ヘミングウェイ』は確か、早川書房から出たのではなかったかしら、私が
彼の伝記で読んだ唯一のものです。あの頃は手当たり次第に彼の作品を読みま
した。パリに集まるアメリカ人等の話を読み、当時はパリに憧れていました。
「モーニン・ウイズ・ヘーゼル」等を聞きながら、さすがパリだ、なんて。
  1. 2009/08/27(木) 07:29:18 |
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  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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  1. 2009/08/28(金) 15:46:54 |
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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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