イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

Isola di S.Michele(サン・ミケーレ島)(I)

イタリアでは、11月1日は諸聖人の祝日(i Santi)、2日は故人の日(i Morti)で、日本のお盆のようにこの日を中心に墓参をします。その数日後、語学学校が休みの日曜日に、サン・ミケーレ島に詣でてみました。

北のラグーナ沿いのヌオーヴェ海岸通り(Fondamente Nove)のヴァポレットの停留所近辺では、この時期だけなのか(?)、日曜日も花屋さんが開店していました。サン・ミケーレ島にも花屋さんがあると聞いたので、手ぶらで乗船すると菊の花などを抱えた人達をちらりほらりと見掛けます。

次のサン・ミケーレ島の停留所で降りると、桟橋から墓場入口まではアックァ・アルタ(acqua alta、高潮)でかなりの深さに冠水しており、通れるように板が渡してありました。11月、12月は毎年アックァ・アルタでかなり水位が上昇するのです。

この墓島は、昔はヴェネツィア本島のあちこちに散らばっていた墓を、ナポレオンの命令で一箇所に集めることになり、この島とサン・クリストーフォロ(S.Cristoforo)島との間を埋め立て、一つにして1827年に誕生したようです。
サン・ミケーレ島墓地島の花屋さんで、根元を水入りの壜に漬けた真っ赤な薔薇2輪を買いました。音楽好きの私は、1本はストラヴィーンスキー、もう1本はディアギレフのためにです。ディアギレフはヴェネツィアに住み、バレエのプランを練り、パリ等でバレエ・リュッスの公演を行いました。そうしたバレエのために、彼はストラヴィーンスキーに作曲を依頼したのです。

ディアギレフはヴェネツィアで、恋人の男性ダンサー達に見守られながら亡くなり、この島のロシア正教徒が眠る一画に葬られました。

ストラヴィーンスキーがニューヨークで亡くなった時、自分を引き立て、世に送り出してくれた恩人ディアギレフの傍で眠りたいとの遺言があったらしく、遺体はヴェネツィアに運ばれ、ヴェネツィアで大変な葬儀が行われたことが、H.C.Robbins Landon、J.J.Norwich『Venezia--Cinque secoli di musica』(Rizzoli、1991) という本に書かれていました。

ストラヴィーンスキーの墓は案内の立札があり、それに教えられた区画で探すと、最奥に背の高い目を引く墓標があり、それがディアギレフのものでした。誰が捧げたのか、古ぼけたトウシューズが片方だけ置いてあり、持ってきた薔薇を捧げ、合掌しました。

右の少し離れた所に、ストラヴィーンスキーの真っ白の綺麗な平板石の墓が見つかりました。いつも誰かが掃除をして磨いている様子で、塵一つ落ちていません。妻のベラの墓が寄り添うように、同じく真っ白で並んでいます。薔薇を2輪しか用意しなかったのが悔まれました。

アメリカの詩人エズラ・パウンドもこの地で亡くなり、ここに葬られていると聞いていたので、別の区画を探しに行きました。結局発見出来なかったのですが、回っている最中、真新しい花やビニールに包んだ本などが置かれた墓が目に入りました。墓石には Joseph Brodsky と名前が刻まれており、生没年が、1940.5.24~1996.1.28となっています。

没年月日を見た時、ヨシフ・ブロツキーはヴェネツィアに居て、偶々フェニーチェ劇場の炎上した前日に亡くなったと思ったのですが、後で彼の『ヴェネツィア・水の迷宮の夢』(金関寿夫訳、集英社、1996)を読んでみると、ニューヨークで亡くなっています。

旧ソ連から亡命した(1972)ノーベル賞(1987)作家は死ぬ年まで、毎年ヴェネツィアを訪れた筈です。親類縁者の僅少の外国の地で亡くなった詩人をゆっくり眠らせるには、彼の愛したヴェネツィアにベッドを作って上げるのがいいと回りの誰かが画策でもしたのでしょうか、あるいはストラヴィーンスキーのように遺言が残されたのでしょうか(あと何本か薔薇を買ってくればよかった !)。
『ヴェネツィア』私の愛読書、この『ヴェネツィア・水の迷宮の夢』の原題は英語で『Watermark』、仏語版は『Acqua alta』、独語版は『Ufer der Verlorenen』、伊語版は『Fondamenta degli incurabili』だそうです。

明治時代、米欧を回覧した岩倉具視の一行がイタリア最後の訪問地ヴェネツィアに到着したのは、1873年のこと。イタリアで彼の一行に付き添った第3代駐日イタリア公使アレッサンドロ・フェ・ドスティアーニ伯爵と岩倉との話で、ヴェネツィアにヨーロッパ初の日本語を教える講座が開設されます(授業は仏語で行われたのだそうです)。

1909年(講座閉鎖)まで6人の日本人が先生として渡欧し、その内2代目教師緒方惟直は蘭学者緒方洪庵の第十子で、ヴェネツィアで亡くなり、ここに墓があるそうです。

私はまだ発見出来ずにいるのですが、入口の事務所で訊けば教えてくれると仄聞したので、次回のヴェネツィア行の時には、是非とも探してみようと思っています。

追記=サン・ミケーレ島については、2010.08.14日に文学に表れたヴェネツィア――パウンド(2)とサン・ミケーレ島で少し書き足しました。2008.11.29日の墓参と2009.11.07日のブロツキー(1)でも触れています。
  1. 2007/11/14(水) 00:07:58|
  2. ヴェネツィアの墓
  3. | コメント:4
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コメント

緒方はヴェネチアで恋に落ちたが、その女性との暮らしは日々の生活に窮するほど貧しく、森鷗外はじめ欧州在住の日本人が心配していた。
若くしてヴェニスで病死し、サン・ミケーレ島に埋葬された。

1976年ごろですが墓参したことがあります。小さなお墓でした。左奥の塀際だったように記憶していますが人に案内されて行ったので定かではありません。

案内してくださったのはヴェニス在住の日本人画家でした。冒頭の話もその方から教えて頂いたものです。

御参考までに。
  1. 2008/09/19(金) 02:29:33 |
  2. URL |
  3. JI #riYmEOQE
  4. [ 編集 ]

コメント、有り難うございます。
惟直がそんな貧窮の中で、ヴェネツィア生活をしていたとは知りませんでした。情報有り難うございました。
私の知識は、『ヴェネツィアと日本』(石井元章著、(株)ブリュッケ刊、1999.10.23発行)によるものですが、ヴェネツィアでの、世界初の日本語学校で日本語を教えた6人の先生達の苦労は、私の想像外にあります。
彼の墓は第二セクションにあると聞きました。次回ヴェネツィア行の時は、必ず辿り着こうと思っています。
コメント、有り難うございました。
  1. 2008/09/19(金) 10:48:51 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

追伸

緒方の住んでいた家も、外からですが、案内して頂きました。記憶が正しければ、「緒方が住んでいた」との表示がされていたと思います。かなりアバウトなのですが、小さな橋を渡った正面にありました。その小さな家の二階が住居だったとのことでした。

ある方のお供で同行したものですからあやふやな情報で申し訳ないのですが、御案内くださったのは別府貫一郎画伯だったと思います。緒方のことを本当によくお調べになっておられました。

30年ほど前になると思いますが、NHKが緒方のことを別府画伯の案内で放送したことがあります。お墓も取材していました。
  1. 2008/09/19(金) 13:35:53 |
  2. URL |
  3. JI #-
  4. [ 編集 ]

重ね重ね有り難うございます。
別府貫一郎画伯といえば、もう何年も前のことになりますが、かつて事務器のオリヴェッティ社が出していたCM誌「スパツィオ」のある号で、長い間ヴェネツィアで絵を描いておられた画伯がすっかり帰国された時、ヴェネツィアの事を対談者の陣内秀信先生となさっておりました。陣内先生はヴェネツィア建築大学留学中、よく画伯が住んでおられた大運河に面したバルヅィッヅァ館を訪ねられ、ワインを酌み交わされたそうです。
  1. 2008/09/20(土) 09:23:09 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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