イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――カルロ・ゴルドーニ(3)

18世紀のヴェネツィアはかつての栄光の時代の残照の中で、頽唐する輝きを見せますが、前世紀と特徴的に変化した様相の一つに、作家や作曲家、画家達が国外に出掛けて行ったことがあります。戦争もなく、平和な時代だったと思われますが、やはり17世紀よりは貿易活動も鎮静化し、国力が衰えてきたことが背景にあったと思われます。

ゴルドーニは彼の改革運動に反対の立場を表明するP. キアーリやC. ゴッズィとの争いに敗れた形で、パリへ逃れました。カザノーヴァは脱獄でこの町を後にしますが、一度は許されて帰郷します。結局はボヘミアのドゥックスで貴族の図書館の司書をしながら亡くなりました。

ロレンツォ・ダ・ポンテ(1749チェーネダ(ヴィットーリオ・ヴェーネト)~1838ニューヨーク)はヴェネツィアでの荒れた生活が災いして追放され、ウィーン、ロンドン、アメリカと落ち延びていった形です。ニューヨークで彼の台本によるモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』等の上演を企画し、アメリカ初演(1817)の記録を残しています。この3人は回想録を残しました。

ヴィヴァルディはヴェネツィアでの人気が落ちたと思ったのか、皇帝カール6世を頼ってウィーンに行きますが、頼みの綱の皇帝が死去、貧窮の中に亡くなりました(1741年)。哀れなことに無縁墓地に葬られたことが判明したのは、200年後のことでした。

ジャンバッティスタ・ティエーポロ(1696~1770)はヴェネツィアを後にした後、1767年から亡くなるまで、マドリードで王宮の天井画を描いたりしていました。カナレット(1697~1768)はヴェネツィアで亡くなりましたが、1746~56年ロンドンに滞在して、英国の景観画を描いています。

ゴルドーニの1750年の作品『コーヒー店』(3幕)の牧野文子氏の日本語訳があります。コーヒーは当時のモダンな流行で、まだ庶民が誰でも飲めるほど安くはなく、生活に余裕のある人だけのものだったようです。

塩野七生著『イタリア異聞』(新潮社、1982年7月15日発行)の《大使とコーヒー》の章によりますと、1585年トルコ帝国駐在大使ジャンフランコ・モロジーニが故国に「トルコ人は cave'e と呼ばれる種から取った、煮え立っている黒い色をした飲物を飲むのです。この飲物は飲む人の頭をはっきりさせる効果があるとか」と報告書を送っているそうです。

暫くしての帰国時、モロジーニはその種を持ち帰り、少しずつこの魅惑的な飲物はヴェネツィアの上流社会に広まります。そして1638年サン・マルコ広場の回廊の一画に、ヨーロッパで初めてのコーヒー店が開店し、それを切っ掛けとして直ぐにヴェネツィアでコーヒー店の流行が始まったそうです。

サン・マルコ広場に1720年にフロリアーノ・フランチェスコーニ(Floriano Francesconi)によって始められたカッフェは、日本のTVインタビューに店の代表のジュゼッペ・ウルソッティ氏が、「ヴェネツィア式の言い方[語尾の o の脱落]で、フロリアーンと呼ばれるようになった」と答えていましたが、現代まで延々と続く世界初のカッフェであることはよく知られています。
[2012年追記――ヴェネツィアのコーヒー文化は直ぐパリに飛び火し、キャフェ文化の華はパリで開花します。パリのコメルス・サンタンドレ通りのキャフェ《プロコープ》はシチーリア人フランチェスコ・プロコーピオが1686年に開業したもので現在も続いています。ここが最古のコーヒー店なのでしょうか。]

劇作家や役者達が集まるので有名だった、劇場近くの《メネガッツォ》というコーヒー店はゴルドーニも常連だったそうで、カナレットやロンギ等の画家達もこの店に出入りしたとか。

イタリアでは、かつて淑女がカッフェに入るのははしたないと考えられて、ローマやフィレンツェのカッフェに入っている女性は、外国人か淑女ではない女だったと言われています。しかしヴェネツィアにはそんな偏見はなかったようです。
『ゴルドーニ傑作喜劇集』「コーヒー店(三幕)=三幕とも変わらず、舞台は同じヴェネツィアの小さな広場――第一幕
舞台面は建物に囲まれた四つ辻のある小さな広場で、その正面に三軒の店があり、手前が幾らか広い往来になっている。中央にコーヒー店、右手に床屋、そして左手に賭場でもある娯楽店が並んでいる。それらの店の上には、手前の道路を見下ろす窓をもった娯楽店に属した小部屋が幾つかある。俳優は、この二階の小部屋に上がって、窓から顔を出したり往来を見下ろしたりすることが出来る。床屋の側に、道をはさんで踊り子の住んでいる家があり、娯楽店の側には、実際に開けたての出来る扉と窓のついた宿屋が見える。
第一景  リドルフォ(コーヒー店主)、トラッポラ(コーヒー店給仕)、その他の給仕たち

リドルフォ   さあ、みんな、しっかり、 ちゃんとやるんだぞ。敏速かつ丁寧に、綺麗にしてお客さんたちを迎える用意をするんだ。普通お店のひいき客ってのはな、そこの店のサー ビスのよしあしで決まるんだからな。
トラッポラ  旦那さん、本当いいますとね、こんな朝早く起きたんでは、 わっしの性に合わんのでして、何もやれませんよ。
リドルフォ  だがな、やっぱり早く起きなくちゃならん。みなさんにサービスをしなくちゃな。旅に出掛けていく人たちは、朝早くからやってくる。働くもんや船乗り、水夫たちはな、みんな朝早くから起きるからな。
トラッポラ  人夫らふぜいがコーヒーを飲みにやってくるなんて、ほんとに笑わせられますよね。
リドルフォ  誰もがな、他人のすることを一応はやってみたがるもんだよ。そいつがひところは、あのブランディだったのが、近ごろではコーヒーが流行ってるってわけだ。
トラッポラ  毎朝わっしがコーヒーを運んでいくあの家の奥さんね、あの人いつもわっしに薪をちょっとだけ買ってきてくれと頼むんです。それでいて、高くてもやっぱりコーヒーは飲みたがるんですよ。
……」
  ――『ゴルドーニ傑作喜劇集 扉/コーヒー店』(牧野文子訳、未来社、1984年6月8日発行)

この本の《あとがき》がゴルドーニ最期の模様について触れています。フランス革命の犠牲者となったフランスの詩人アンドレ・シェニエ(1762~94)の弟ジョゼフ・シェニエは、公衆指導委員会の委員の一人でした。1792年7月25日以後、王女達の伊語教師としての給与を停止され、困窮の極みにあったゴルドーニのために、彼は年金を贈与する案をフランス革命議会で通過させ、その吉報を彼自身ゴルドーニに届けたのですが、時既にして遅し、ゴルドーニはその生涯を閉じていたのです。

ジョゼフが、第二の故国としてフランスを愛した詩人ゴルドーニを我がフランスは忘れてはならないと言って、フランス国民革命議会で弁じていた丁度その時刻頃に恐らく息を引き取っただろうという話が伝わっているそうです。結局年金は妻のニコレッタが受け取ることが出来ました。

作曲家ジャン・フランチェスコ・マリピエーロ(1882.03.18ヴェネツィア~1973.08.01トレヴィーゾ)は、ヴェネツィアに育った故か、『三つのゴルドーニの喜劇』というオペラで、この『コーヒー店』『不平たらたらのトーデロ氏』『キオッジャのいざこざ』の三つを纏めたオペラを作っています。
  1. 2009/10/10(土) 00:05:06|
  2. ヴェネツィアの演劇
  3. | コメント:2
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コメント

こんばんは!  そうですか、18世紀のヴェネツィアから、既に没落寸前のヴェネツィアから、こんなにたくさんの人々が抜けて行ったのですか。
ゴルドーニの最後も、詳しく、・・ 外国での晩年が幸せであるなら良いのですが、・・彼のみでなく、なんとなく辛くなる人もありますね。 

それにしても、この「コーヒー店」の広場の設定、大変面白いですね! 階上の窓からも顔を出したり、と言うのが、興味深いです。 
それに、この人間模様の語り口。 薪をちょこっと買うのにコーヒーを、とか、いかにも庶民のお喋り、覗きですねぇ。
広場の設定で、映画の「裏窓」にも通じるなぁ、と思い出しました。

楽しいです、有難うございます。
  1. 2009/10/13(火) 21:01:58 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございました。
外国に仕事を求めて飛び出して行った人達はかなり居たのではないでしょうか。
回想録のような記録を残さなかった人達のことは我々日本人には、なかなか
分かりません。
ヴェネツィア生まれではありません(ヴィットーリオ・ヴェーネトのチェーネダ
生まれ)が、ヴェネツィアを追放されたダ・ポンテはウィーンで活躍します。
サリエーリと反目しトリエステに行き、生涯の妻英人のアンナ・セレスティーナ・
グラールと結婚し、パリを目指しました。途中ドゥックスでカザノーヴァに会う
とパリではなくロンドンに行くように助言され、ロンドンに行ったのですが、
ここでもうまくいかず、妻の母が渡っていたアメリカに行くことになります。
アメリカでの伊語教師の生活も苦しかったように思われます。
  1. 2009/10/14(水) 09:22:41 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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