イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――サンドとミュッセ(1)

ディアーヌ・キュリス監督の映画『年下のひと(Les enfants du sie`cle)』(1999)という映画を見たことがあります。この映画は、19世紀フランス・ロマン派詩人アルフレッド・ド・ミュッセ(1810.12.11パリ~1857.05.02パリ)と男性名ジョルジュを名乗る閨秀作家ジョルジュ・サンド(1804.07.01パリ~1876.06.08ノアン)がヴェネツィアに滞在したことを中心に撮られた映画でした。
年下のひと  『赤く染まるヴェネツィア』この映画の元となったと思われる2人の評伝が訳されています。『赤く染まるヴェネツィア――サンドとミュッセの愛』(ベルナデット・ショヴロン著、持田明子訳、藤原書店)です。著者はグルノーブル大学教授でサンド協会事務局長も務めた、サンド研究者だそうです。

この本によれば、名編集者フランソワ・ビュロが、2人の出会いを仕掛けたのが、1833年6月19日の文学晩餐会だったそうです。それはジョルジュが田舎で退屈至極の(彼女がピアノを弾いて聞かせると鼾をかいてしまうような)夫カジミール・デュドゥヴァンと別居して、モーリス(10歳)とソランジュ(5歳)を連れてパリへ出、彼女が文学に励んでいた時期だったのだそうです。

ジョルジュは小さい頃からイタリアに憧れていて、アルフレッド・ド・ミュッセと出会って間もなく、彼と共にイタリアに行くことにします。アルフレッドも彼女に劣らず、イタリアに興味を持っていました。サン・マルコ広場を《世界の大広間》と名付けた彼は、ヴェネツィアを次のように歌っています。

「サンド以上にミュッセはヴェネツィアを熱望している。この街は彼にとって子供の頃から想像のなかで細部まで築き上げた街であった。できる限り早く、この空想を現実のものとする必要を感じている。わずか19歳であった1829年、一度として目にしたことのないこの街を描き出し、驚嘆させはしなかったか? 

赤く染まるヴェネツィアに
一艘の舟とて動かず
一人の釣人とて水面(みなも)になく
いさり火もない

砂浜にただ独り坐し
大いなるライオンが持ち上げる、
澄み渡った水平線に
その青銅の脚を。

ライオンの周りに、
大船小舟がむれをなし、
輪になって眠る鷺にも似て

煙る水面(みなも)で静まり返る
そして旗々が
霧のなかに交差する
かすかに渦を巻きながら。

薄れゆく月が
その過ぎる額を覆う
星がきらめき 半ば
ヴェールのかかった雲で。(……)

そして年を経た宮殿も
荘重な柱廊も
騎士達の白い階段(きざはし)

そしていくつもの橋と通りも
陰うつな彫像も
風にふるえて
波打つ入江も

すべて口をつぐむ
兵器廠の銃眼で寝ずの番をする
長き矛槍を手にした
衛兵をのぞき。(……)」
  ――ベルナデット・ショヴロン『赤く染まるヴェネツィア――サンドとミュッセの愛』(持田明子訳、藤原書店、2000年4月25日)より

アルフレッド・ド・ミュッセ著『世紀児の告白』(小松清訳、岩波文庫)は、2人の恋をオクターヴとブリジッドと名前も、また所も変えて書かれたものだと言いますが、この本の訳者の《あとがき》はヴェネツィアのミュッセを次のように書いています。

「サンドは以前から計画していたイタリア旅行にひとりで出発しようとした。ミュッセは彼女なしではもう生活できなかった。恋の国イタリアへ行き、すべての過去を忘れ、新しい空の下で新しい生活を始め、自分も創作すると云ってサンドを説き伏せた。……

……ミュッセは病める恋人を旅室に残して、見物と新しい土地での歓楽に耽りはじめた。ついには自分は思い違いをしていた……お詫びをするが、あなたを愛していないと宣言して、二人の室の間の扉は閉ざされた。」
  ――『世紀児の告白』(小松清訳、岩波文庫、昭和28年6月25日発行)より

そんな中で、ミュッセが病に倒れ、サンドが病める子を看とる母親のように看護している期間中、彼の医者ピエートロ・パジェロとの間に恋が芽生えたのでした。しかしミュッセは病が癒えると、3人の間の完全な友愛を信じ、サンドをヴェネツィアに残し、一人パリに帰って行きました。

[この映画『年下のひと』の直接の原作となったと思われる小説が訳されています。フランソワ=オリヴィエ・ルソー『年下のひと』(吉田良子訳、角川文庫、平成十二年四月二十五日)です。2011年8月18日追記]
  1. 2009/12/12(土) 00:01:30|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは!
今夕、パリのモンソー公園をアップする予定ですが、中にミュッセの像があり、こちらの記事にリンクをさせて頂こうと、いつも後からのお願いですが、どうぞよろしくお願いいたします。

また後ほど、新しい記事を拝見に参ります。
  1. 2011/11/17(木) 10:31:32 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、こんにちは。
どういうパリになるのか楽しみです。私はパリはまだ一回訪れただけですし、ヴェネツィアの痕跡を探しに行っただけですので、殆ど何も知りません。もう一度フランクな気持ちで訪れてみたいと思っています。
モンソー公園、期待しています。
  1. 2011/11/17(木) 12:57:32 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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