イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの鳥瞰図

娘が「好きな若冲を東博でやってるよ」と突然電話して来たので、慌てて東京国立博物館平成館に行ってきました。

伊藤若冲の『動植綵絵』のオンパレードでした。《皇室の名宝――日本美の華》と題した特別展で、御成婚50周年記念、御即位20年記念ということで宮内庁が所持する名宝の数々を展観したのでした。

『動植綵絵』は、若冲が相国寺に奉納したものですが、現在は天皇家が所持するものなので、こういう機会でなければ庶民は見られません。大変感動しました。

大変な人出で、とても絵を見る雰囲気ではありませんでしたが、それでも全然動かない人と人の間から絵の部分部分を見て回りました。今日は少し人が少ない、などの私語が聞こえたことからすると、何度も見に来ている人がいるようです。

若冲を見た後では、他の名宝は私にはどうでもいいようなものに感じられてしまいました。しかしそれらを見て時間を過ごしました。黒山の人だかりはこちらにはありません。
貝甲図池辺群虫図雪中鴛鴦図群魚図(蛸)紫陽花双鶏図閉館30分前に若冲の部屋に戻ると、人の姿が半減しています。館員に追い出されるまで若冲の絵の前にいました。私の好きな作品は、かつて出版されるや直ぐ購入した『奇想の系譜――又兵衛~国芳』(辻惟雄著、美術出版社、昭和45年3月1日発行)で知った『貝甲図』や『池辺群虫図』『雪中鴛鴦図』『群魚図(蛸)』『紫陽花双鶏図』等枚挙に遑がありません。

実は若冲の部屋に行く前に、『萬国絵図屏風』(8曲1双)という不思議な屏風絵を見ました。左隻の屏風は当時の世界地図を描いたもの、右隻は世界の都市図を描いたものでした(安土桃山~江戸時代、17世紀初期頃)。

説明によりますと、左隻の世界地図はオランダのブラウが1607年に刊行した大型の壁掛け世界地図、それを改訂したカエリウスの1609年版の世界地図等が原図になったと考えられるのだそうです。日本列島の形は大分違いますが、アメリカ南北大陸も描かれ、現代の地図に大分近くなっています。これらの絵は宣教師達が日本人に、将来西洋的な宗教画を描かせるための訓練として描かせたのではないか、と言われているそうです。

右の屏風絵は、平成8年の修理の際、『ローマ皇帝図集』に見られる皇帝図の下図が確認された、とかでポルトガルやインドのゴアをはじめ、ローマ、パリ、ロンドンなど世界の28の当時の都市が描かれているのだそうです。いずれにしても、これらの絵の元になったのはイエズス会の宣教師達が布教の道具として日本に持ち込んだものなのでしょう。

この都市図の中で私に直ぐ分かったのは、中ほどに描かれているヴェネツィアの鳥瞰図でした。魚の形で逆S字型の大運河が流れる図は、1572年刊の図(下に掲載)そっくりでした。もしかしてこの絵図が元になったのでしょうか。セーヌ川のシテ島らしきものが描かれたパリ(?)もありましたが、他は見当がつきませんでした。ヴェネツィアは当時も今もその形がそれほど変わっていないということです(島は拡張しようがないということ)。
『浮絵 紅毛(ヲランダ)フランカイノ湊鐘響図』以前歌川豊春の『浮絵 紅毛(ヲランダ)フランカイノ湊万里鐘響図』が、日本人がヴェネツィアを描いた第一号と書きました(2009.10.24)が、この屏風絵は更に古いものでした[直ぐ下のモノクロ図はヴェネツィアで1572年(右は1574年のもの)に出版された物、その右2図は今回展示の屏風絵です。絵柄が酷似しています]。2009.10.24日のヴェネツィアと日本との関わり(1)も参考までに。
ヴェネツィア鳥瞰図ヴェネツィア鳥瞰図万国絵図屏風ヴェネツィアやパリなど
  1. 2009/11/03(火) 00:01:24|
  2. 絵画
  3. | コメント:2
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コメント

有難うございます。 若冲を拝見に来ました。
本物を見たのは四国の金比羅山の華やかなもので、画集で見るのもそうですが、これは色が大変淑やかで、奥深いイメージですね。 やはり最初の池辺群虫図でしょうか、これが面白いです。 焦点の定まらないような感じで、そのくせ密で。

先日TVで、オバマ大統領の訪日ニュースがあり、久し振りに両陛下のお姿を拝見し、やはり結婚式当時からを覚えている身には、お年を召されたと思いましたが(自分の事は棚に上げ!)お元気の様子で安心いたしました。
有難うございました。
  1. 2009/11/26(木) 23:23:36 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございます。
今日は九段のイタリア文化会館で「フォスコ・マライーニ『随筆日本――イタリア
人の見た昭和の日本』翻訳出版記念の会」という集まりがあり、行ってきました。
ダーチャ・マライーニの父であるフォスコさんは、アイヌの研究のため来日した
文化人類学者で、写真家でもあり、日本を撮った写真展を何年か前に見ました。
イタリアが1943年日独伊の枢軸から外れると、収容所に入れられ、ダーチャも
日本で第二次大戦の終戦を体験しているはずです。そんな訳で、フィレンツェ
大学に日本語学部を作ったり、何かと日本との繋がりがあった人で、この本は
戦後の日本についてのドキュメントとして、多くの国で訳出され、日本での翻訳
は遅きに失したようです。2004年に亡くなっています。
  1. 2009/11/27(金) 17:44:48 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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