イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ヨシフ・ブロツキー(1)

イタリアでは11月1日が万聖節(Ognissanti)、2日が故人の日(I Morti)なので、ヴェネツィア人は11月は花を抱えてサン・ミケーレ島に墓参をします。私も語学学校通学中、11月中旬にこの墓地の島に行ってみました。2007年11月14日サン・ミケーレ島にも書いたことですが、今回写真掲載が可能になったので再度書いてみます。
サン・ミケーレ・イン・イーゾラ教会 ヴェネツィアで亡くなったと仄聞していたセルゲイ・ディアギレフの墓と、その彼に世話になったストラヴィーンスキー(ニューヨーク没)が、「死んだ時は彼の傍に葬って欲しい」との遺言で彼の墓近くに埋葬されたということなので、その墓に詣でたのでした。

島に渡った時は11月の事でもあり、アックァ・アルタで墓地入口まで水位が上がっており、停留所からは板の橋が架けてありました。ストラヴィーンスキーの墓は案内の看板が出ていることもあり、直ぐに見つかりました。

ディアギレフの墓の棚の上には、二つの古びたトウシューズが片方ずつ置かれていました。彼の墓の右、少し離れた所にストラヴィーンスキーの墓が、しょっちゅう誰かが掃除をしているのか、美しい真っ白の墓石で、同じ作りの妻のベーラの物と並んで2人は眠っていました。『ヴェネツィアと音楽――五世紀の栄光』(H.C.ロビンス・ランドン、ジョン・ジュリアス・ノリッジ著、畑舜一郎訳、音楽之友社、1996年6月20日発行)によりますと、彼のヴェネツィアでの葬儀は厳粛かつ壮大な式典となったそうです。
ディアギレフの墓に置かれたトウシューズスラヴィンスキー夫妻の墓ストラヴィーンスキーは、自分のオペラ『夜うぐいす』(1914年)、『狐』(1922年)、『マヴラ』(1922年)、オラトリオ『オイディプース』(1927年)等をパリで初演しています。オペラ『道楽者のなりゆき(『遊蕩児の遍歴』の訳もあり)』は、1951年9月11日にわざわざフェニーチェ劇場で彼自身の指揮で初演するというほど、ヴェネツィア好きになったようです。

その足でヴェネツィアで亡くなったアメリカの詩人エズラ・パウンドの墓を探しましたが、見つかりません。捜し回っていると真新しい墓にビニールに包まれた本(詩集でしょうか)などを捧げた墓がありました。墓碑銘にはJoseph Brodsky(1940.05.24~1996.01.28)とあります。
ヨシフ・ブロツキーの墓死亡年月日からすると、彼はフェニーチェ劇場が炎上した前の日、亡くなったのです。毎年冬、訪ヴェネツィアの詩人は愛したこの地で亡くなったものと思いました。しかし後で彼の本『ヴェネツィア――水の迷宮の夢』(金関寿夫訳、集英社、1996年1月22日発行)を見ると、ニューヨークで亡くなっています。1972年に国外追放になった詩人は、ストラヴィーンスキーのようにヴェネツィアで眠りたいという遺言でもあったのでしょうか。

「……この町で初めてヴィヴァルディ・ウィークを開くのに一役買ったのが、確かオルガ・ラッジ[グローヴ音楽事典の《アントーニオ・ヴィヴァルディ》の項目を執筆したヴィヴァルディ研究家、またエズラ・パウンドに生涯付き添った恋人]だったことまで思い出した。第二次大戦が勃発する数日前のことだったらしい。誰から聞いたのか忘れたのだが、それはポリニャック伯爵夫人の館(パラッツォ)で催されたということだった。

そのときミス・ラッジは、ヴァイオリンを奏いたという。曲を奏き始めてしばらくして、一人の紳士が、サロンの中に入って来るのを、彼女は目の片端で捉えた。席がなかったので、その紳士は、ドアのそばに立っていた。曲はとても長かった。そして奏く手を休めずに楽譜の頁をめくらなければならぬところにさしかかって、彼女は少し動揺し始めた。目の片端にいた男は移動して、間もなく彼女の視野から消えてしまった。

問題の小節が迫ってきて彼女の神経はますます高ぶってきた。そしてちょうどその頁をめくらねばならぬ所にさしかかった時、左のほうから、見知らぬ手が、突然さっと伸びると、楽譜の頁をゆっくりとめくるのだった。彼女は演奏を続けた。そしてその難しい小節が終わった時に、彼女は感謝の気持ちを伝えようと、左のほうに目を上げた。


《そしてそれこそ》、オルガ・ラッジがあとでぼくの友達に語ったところによると、《ストラヴィンスキーとの、最初の出会いだったのよ》 ……」
  ――『ヴェネツィア――水の迷宮の夢』(金関寿夫訳、集英社、1996年1月22日発行)

ヴェネツィアのエズラ・パウンドの墓等については、2010.08.07日の文学に表れたヴェネツィア―パウンド(1)(2)に書きました。ご参照下さい。
  1. 2009/11/07(土) 00:02:55|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:6
<<文学に表れたヴェネツィア――ヨシフ・ブロツキー(2) | ホーム | ヴェネツィアの鳥瞰図>>

コメント

こんにちは!

この書かれている2人を名前も知りませんでしたが、なんとも美しいシーンで、映像が目に浮かぶようです。

最初のヴィヴァルディ・ウィークですか? 第2次大戦勃発の数日前?!
何とまぁ、劇的な時代と日だったのですね。 
こういう場面を知ると、白黒の画面でしか表現できない感じをいつも受けます。
旧くて、懐かしくて、そして新鮮!  
有難うございます。


新しく、ムラーノ、サン・ミケーレをブログにアップし、こちらの記事にリンクさせて頂きました。
よろしくお願いいたします。

  1. 2009/11/07(土) 12:06:19 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

いつもコメント、有難うございます。
当時パリの定期コンサート等で『四季』はよく演奏されたそうですが、その内彼の
名前すら忘れられたようです。彼の事が再び知られ始めたのは20世紀入ってからで、
特に1939年シエーナのキジアーナ音楽院での「ヴィヴァルディ週間」以来の事のよう
です。Rodolfo Galloがウィーンで彼の埋葬証明書を発見したのは'38年、Emil Paulが
洗礼証明書を見付けたのは'63年の事だそうで、私の古い音楽事典には[Nacque forse
a Venezia nel 1675]と書かれています。
オルガ・ラッジ(Olga Rudge[ルッジェ])は、'39年『トリーノ国立図書館所蔵アント
ーニオ・ヴィヴァルディの器楽曲テーマ目録』を書いた研究者のようです。そうした
音楽研究者とストラヴィンスキーの絡み合う美しい絵です。本格的にヴェネツィアに
ヴィヴァルディが戻ってきたのは、第二次大戦後ということでしょうか。
  1. 2009/11/08(日) 04:40:53 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

こんにちは! 再度です。
カルロ・ゴルドーニの生家博物館をアップし、彼の作品、生涯について、こちらの記事にリンクさせていただきました。
よろしくお願いいたします。

お天気が良さそうなので、明日ヴェネツィアに行って来ます。
  1. 2009/11/12(木) 00:43:09 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございます。
コメントを頂くと励みになり、調べにも力が入りますが、東京でヴェネツィアの事
を書いていますので、資料もそれほど所持している訳ではなく、隔靴掻痒の感が
あるのはしようのないことです。有難うございます。
ゴルドーニの生家は、ヴェネツィアに行く前、いつ行っても工事中で入れない
という事を聞いていました。その時も工事中で足場が組んでありましたが、
当たって砕けろ、とドアを開けて案内を請うと、Prego, Prego と言われ、ホッと
したことを思い出します。当時は一階部分は売場等何もありませんでした。
  1. 2009/11/12(木) 09:58:10 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

サン・ミケーレ島の墓地の話。とても興味深く読ませていただきました。私にとっては、やはり絵画よりも音楽や文学により近いものを感じるからだと思います。ストラヴィンスキーには「タンゴ」というピアノの小品があって技術的に未熟な私でも弾けるような比較的易しい曲です。ポピュラー・ミュージックとして世間に流行らせようという意図で作曲されたらしいですが、それは失敗しました。でも1度聞いたら忘れられないメロディーで、どういうわけか今でも何の前触れもなく頭に浮かんできます。ちょうどエリック・サティーの音楽のように。
  1. 2009/11/13(金) 22:02:16 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

september さん、コメント、有難うございます。
私は寡聞にして、ストラヴィンスキーの『タンゴ』を聞いていませんが、出来れば
あなたのピアノでその『タンゴ』を聞いてみたいなどと思ったりしました。
早速に、秋葉原に行って『タンゴ』を探してみます。
  1. 2009/11/15(日) 11:53:21 |
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  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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