イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ヨシフ・ブロツキー(2)

Veneziafilo の私の愛読書となった『ヴェネツィア――水の迷宮の夢』は以前にも書きましたが、原題『Watermark』、仏語題『Acqua alta』、独語題『Ufer der Verlorenen』、伊語題『Fondamenta degli incurabili』だそうです。薄い本なので、ヴェネツィア行の時には必ず携帯しましたが、現地で読めたことがありません。
『ヴェネツィア』もう大分前のことになりますが、NHKテレビで『ベネチア 水上千年都市・音の記憶』という番組が放映されたことがありました。その中でヴェネツィア第2代ドージェ、マルチェッロ・テガッリアーノ以来続く一族マルチェッロ家に逗留したブロツキーが、この家に残したという詩を、当主のジローラモ・マルチェッロ伯爵が朗唱されるのを聞いたことがあります(アレッサンドロとベネデット・マルチェッロの作曲家兄弟もこの一族でしょうか)。

「日が沈む 街の灯りが――
厚化粧した女優のまぶたのように
スミレ色の光を放つ
傾いた鐘楼から響く鐘の音
ベネチアは枝から落ちても
地面に届かぬ果実のよう
あの世があるなら 誰かが
受け止めるのだろうか」(NHK訳)

『ヴェネツィア――水の迷宮の夢』以外には、私は詩集『ローマ悲歌』(たなかあきみつ訳、群像社、1999年3月10日発行)と戯曲『大理石』(沼野充義訳、白水社、1991年3月30日発行)しか読んだことはありませんが、1987年にノーベル文学賞を受賞した作家の作品としては、他に『私人――ノーベル賞受賞講演』(沼野充義訳、群像社、1996年11月発行)という本があるそうです。

「……ぼくは随分前から、人間の感情生活を売り物にして飯を食わない、というのを美徳にしてきた。その他常にやるべき仕事は山ほどあるし、外には広い世界があること、これは言うまでもない。そして最後には、いつもこの町にたどり着くのだった。

この町が存在する限り、ぼくは自分自身が、いやこの点に関しては、誰だって、ロマンチックな悲劇に目が眩んだり、自分を失ったりするようなことはないと確信している。

ぼくはある日のことをおぼえている。一カ月の滞在の後―― 一人でこの町を離れた日のことだ。ぼくはフォンダメンテ・ヌオーヴェのはずれの、小さな軽食堂(トラットリーア)で昼食を食べた。焼き魚とワインをボトル半分。それだけを腹に入れると、ぼくは自分の宿にむかって出発した。あずけた荷物を取って、水上バス(ヴァポレット)に乗るためだ。

フォンダメンテ・ヌオーヴェを四分の一マイルほど歩いた。まるでぼくはあの巨大な水彩画の中の、小さな動く点みたいだった。そしてジョヴァンニ・エ・パーオロ病院のところへ出ると、そこで右に曲がった。

その日は暖かくて天気も良く、空は青くてすべてが素晴らしかった。フォンダメンテとサン・ミケーレ島に背をむけて、病院の壁をまるで抱きかかえるように、左肩をほとんど壁にこすりつけながら、太陽に向かって目を細めた。

その時だ。突然ぼくは思った。ぼくは猫なんだ。今、魚を食ったばかりの猫。その時誰かがぼくに呼びかけたら、きっとぼくはニャーと返事したことだろう。ぼくは絶対的に、動物的な幸せを満喫していた。 ……」
  ――『ヴェネツィア――水の迷宮の夢』(金関寿夫訳、集英社、1996年1月22日発行)

和田忠彦著『ヴェネツィア 水の夢』(筑摩書房、2000年7月25日発行)の中の《水を夢見る》というエッセイは、ヨシフ・ブロツキーに対する美しいオマッジョです。
ヨシフ・ブロツキーの碑旧インクラービリ養育院前の碑近年、ヴェネツィアを愛した彼の『Watermark』の伊語訳題『インクラービリ海岸通り』に因んで上掲のプレートが、ザッテレ海岸通りのインクラービリ通りに掲げられました――《ノーベル賞を受けたロシアの偉大なる詩人ヨシフ・ブロツキー(1940~1996)はこの地を愛し、歌った。》[2012.08.17日、追記]
  1. 2009/11/14(土) 00:05:04|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは!  
「ぼくは猫なんだ。今、魚を食ったばかりの猫。その時誰かがぼくに呼びかけたら、きっとぼくはニャーと返事したことだろう。ぼくは絶対的に、動物的な幸せを満喫していた。……」 これは大変美しく、面白い文章で、こういうのを教えていただけるのが、大変嬉しいです。 有難うございます。

マルチェッロ一族について、再度調べましたが、おっしゃる通り、セレニッシマの2代目元首から続く家柄と思います。 貴族の家柄になったのは13世紀末で、69代目の元首も出ていて、マルチェッロもべネデットもその家系です。 
べネデットが、著書の中でヴィヴァルディを痛烈にやっつけたとか言いますが、なかなか人間関係が複雑です。
  1. 2009/11/15(日) 23:52:47 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございます。
ブログを拝見し、珍なる表情や姿態を見せるgatti e cani italiani で笑わせて
頂いていますので、shinkai さんのコメントはよく分かります。
次回のヴェネツィア行の時には見せて頂いたゴルドーニの引っ越し地図で
歩いてみたいと思っています。
  1. 2009/11/17(火) 09:07:21 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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