イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――バイロン(2)

バイロン卿は滅び行こうとしているこの町について、《滅びの美》(死に行く栄光)を感じ、街の美しさを発見し、それを世界に発信し、多大の影響を及ぼした嚆矢の人であったと言われています。

前回引用しました詩『ヴェニス』の冒頭で歌われた《嘆きの橋》は、彼に歌われる以前、ヴェネツィアの観光名所ではなかったことは、例えばカナレットが描いた総督宮殿の絵の中でも、“橋”はそこにあるから、風景の一部として描かれているだけであったように推測されます。

彼の後にこの街を訪れた人達は、サン・マルコの素晴らしさは元より、名もない、心寂しき運河や橋、狭隘な小路などの佇まいにまで、目を潤ます人々が現れるようになって行ったようです(かつてはエドワード・ギボンのように「運河などという大袈裟な名前が付いていますが、悪臭ふんぷんたるただのどぶです」とこの街に嫌悪を示した人もいたのです)。

彼がヴェネツィアで、モチェニーゴ本館の2階を借りて移り住んだ、その滞在中の、イタリア女性との放蕩的恋愛沙汰については2007.11.29日に書きましたPalazzo Mocenigo Ca' Novaを参照して下さい。

ヴェネツィアでの恋愛の最後を締め括ったのは、ラヴェンナの伯爵夫人テレーザ・グイッチョリ(19歳――夫の伯爵は58歳で3度目の結婚)だったそうです。モチェニーゴ本館右隣りの古モチェニーゴ館の右隣はかつて貴族コンタリーニの館だったそうですが、明治時代、日本領事館が最初ヴェネツィアに置かれた時(数ヶ月後ミラーノに移動)、そこがその所在地だったそうで、当時グイッチョリ館と呼ばれたそうです。ラヴェンナのグイッチョリ家とはどんな関係にあったのでしょうか。
モチェニーゴ館[ヴァポレットの停留所《サン・トマ駅》対岸正面、写真左から新モチェニーゴ館、2棟のモチェニーゴ(本)館、古モチェニーゴ館、右隅に一部見えるコンタリーニ・ダッレ・フィグーレ館です。以前 R.Russo 著『ヴェネツィアの館』に従い、左の建物を《イル・ネーロ館》、中央2棟を《新モチェニーゴ館》と書きました。PCウィキペディアによりますと、左から《新モチェニーゴ館》更に《イル・ネーロ館》だそうです。古モチェニーゴ館は変わりません。どの説がいいのか分かりません。]  

バイロンの恋愛行脚はテレーザで修まり、36歳の死の直前まで彼女(夫と別れました)と行動を共にします。来伊した詩人P.B.シェリー(1822年レーリチ湾で遭難死)との付き合い、そしてシェリー亡き後テレーザの兄弟達とギリシア独立運動に傾斜していく姿には感動があります。彼はその戦いのためにバイロン義勇軍を自費で組織したのでした。
鳥越輝昭『ヴェネツィアの光と陰』リアルト橋「 ゴンドラを見たことがありますか
見たことがないといけないので
正確に描写しておきましょう
ゴンドラはここでふつうに使われている
覆いつきの長いボートで
へさきに彫りものがあって
軽快な、こじんまりした造りです
そして、《ゴンドリエール》とよばれる
ふたりの漕ぎ手に漕がれて
棺桶をはめこんだカヌーみたいに
黒々とした姿で水面をすべる
この棺桶のなかでは
何をいっても何をしても
だれにもわからないのです

ゴンドラはあちらこちらの長い運河を
登っては下り
リアルト橋の下をスーッと通りぬけ
夜も昼も、速く、あるいは遅く
いろんな速さで進むのです
ゴンドラは劇場のまわりで
悲しげで陰気な仕着せを着て
黒い群れをなして待っている
でも、ゴンドラは悲しいものじゃない
ときには快楽を
ふんだんに乗せていることだってある
葬式のあとの葬儀馬車みたいにね 」  (バイロン著『ベッポ』から)
 ――『ヴェネツィアの光と影――ヨーロッパ意識史のこころみ』(鳥越輝昭著、大修館書店、1994年8月1日発行)より
  1. 2010/01/09(土) 00:01:46|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは!  バイロン卿の名前は知っていても、ヴェネツィアに滞在していたらしい事は、サン・ラッザロ島のアルメニア教会にも名前が残っていて覚えていましたが、そうですか、こういう方でしたか。かなり興味を引かれる人生を送られたのですね。
それにしても、良くぞヴェネツィアの良さを広めて下さったのですね。

ナポレオンの前に崩壊した当時のヴェネツィアは、相当に寂れていたのでしょうね。 当時の混乱のままにドゥカーレ宮の上に保存され、未だそのままになっている多数の絵画もあるとか読んだ事があります。
昔公開されていた牢獄も、今は少し違うようですし、徐々に整理されていくのでしょうが、まだまだ奥深くに宝物が秘められている気がしますが。 
  1. 2010/01/10(日) 16:36:37 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

コメント、有難うございます。
ヴェネツィアはナポレオンによって美術品芸術品など色々略奪されたに違いありません。
パリに行き、ルーヴルでヴェロネーゼの『カナの婚礼』を見ました。感動しました。
出来れば、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会修道院で見たいと思ったことでした。
ナポレオンに略奪され、未だに返還されていないのです。幸いに返されたサン・マルコ
大聖堂の4頭の青銅の馬のような例はありますが。
「2001年イタリア年」の時、日本に来たティエーポロの『ヴェネツィアに富を捧げる
ネプトゥヌス』は、第二次世界大戦時に総督宮殿からドイツ軍に奪われたもので、1948
年に返還されたのだそうです。美術品の遭難は跡を絶たないようです。
  1. 2010/01/11(月) 12:45:10 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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