イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――バイロン(3)

総督宮殿の大評議会が開かれる大会議場の天井下の壁面に、歴代総督の肖像画が年代順に飾られ、正面に向かって左背後一番奥近くに、肖像画の代わりに黒い布が張られていることは大会議場を訪れた人であれば、誰でも知っているに違いありません。

1354年に第54代総督に選ばれたマリーノ・ファリエーロ(Marin Falier)は、1355年市民が企てた反乱の首謀者に名前を連ね、事が露見し、かつて自ら議長を務めた十人委員会の死刑宣告を受け、宮殿中庭で断首の刑が執行されました。

彼の生家はカンナレージョ(Canaregio)区のサンティ・アポーストリ(Ss.Apostoli)広場からサンティ・アポーストリ橋を渡った先が、ファリエーロ軒下通り(Sotoportego Falier)ですが、その5643番地の Palazzo Falier(現在はホテル・アンティーコ・ドージェになっています)がそれだと言われ、地図帳『Calli, Campielli e Canali(通り、小広場、運河)』は次のように書いています。
ホテル・アンティーコ・ドージェマリーン・ファリエール館「この建物は12世紀に建てられ、次の世紀には手直しされたが、中央のヴェーネト・ビザンティン様式の窓と1200~1300年代の痕跡が残っている建物である。総督マリーン・ファリエールが住み、セレニッシマに対する国家反逆罪で、1355年に首を切られた。」 [写真左はホテル・アンティーコ・ドージェ、右はホテル前のサンティ・アポーストリ橋から見る3連アーチのファリエーロ軒下通り]

バイロンはヴェネツィアに来てこの総督の事を知り、1821年に『マリーノ・ファリエーロ』という悲劇を発表しています。この悲劇と仏人カジミール・ドラヴィーニュの書いた悲劇(1829) とを元に、ジョヴァンニ・エマヌエーレ・ビデーラが台本を仕上げ、ガエターノ・ドニゼッティが3幕のオペラを作曲し、パリのテアトル・イタリエンヌで1835年3月12日初演されました。

「第一幕二場 「陰謀へ」
……
総督 お前は私を過大に評価している。この総督の権力など、飾りにすぎぬ。この被り物は、君主の王冠ではない。この衣服は乞食のぼろのように、同情を掻き立てるかもしれぬ。いや乞食のぼろは乞食自身の持ち物だが、これらは憐れな繰り人形に貸し与えられたものに過ぎぬ。その人形はこの白テンの毛皮を着て、帝国を相手に己の役を演ぜねばならぬのじゃ。
ベル 王におなりになりたいのですか。
総督 そうだ。幸せな民の王にな。
ベル ヴェネチア絶対君主におなりになりたいのですか。
総督 そうだ。国民が統治権を共有している限りはな。そして国民も私も、これ以上、この増長した貴族社会の怪物ヒュドラーの奴隷にならないためにな。我々は皆この毒々しい怪物の毒のある頭から吐き出される毒気に悩まされてきたのだ。
ベル しかし、総督は貴族としてお生まれになり、今も貴族であらせられます。
総督 何という不幸な時に生まれたものよ。しかもその生まれによって総督になり、侮蔑を受けるとは。だが私は、ヴェネチアの国と民に仕える一兵士、一従僕として生きてきたし、苦労も重ねてきたのだ。断じて元老院に仕えるためではない。ヴェネチア国民が幸福になり、私が名誉を得たことだけで、私は報われているのだ。私は戦い、血を流してきた。そうだ、軍を統べ、勝利を得たこともある。
しばしば交渉団を率いて、和睦を結んだこともあるし、国益にかなうと見れば、和睦を反古にもした。常に職務にあって、陸や海を越え、この六十年近くの間、父祖たちや私を生んだヴェネチアのために尽してきた。その愛しい教会の尖塔が、青いラグーンの向うに聳えておる。それらを再び目にすることが出来るだけで、充分報われておる。
だが特別の人間どものためとか、一党一派などのために、血や汗を流してきたのではないのだ。だが私がなぜこういう事をしてきたか、知りたいと思うか。血を流すペリカンに、なぜ胸に傷をつけるのか訊いてみるがよい。声がだせるなら、全て雛のため、と言うにちがいない。
……」
  ――『マリノ・ファリエロ』(『対訳バイロン詩集――イギリス詩人選(8)』笠原順路編、岩波文庫、2009年2月17日発行)より
  1. 2010/01/16(土) 00:01:27|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:0
<<パリ(1) | ホーム | 文学に表れたヴェネツィア――バイロン(2)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア