イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

パリ(1)

急に思い立ってパリに行ってきました。初めてのパリは雪でした。真っ白に凍て付いたモンマルトルの坂道を,足を滑らせながら歩き回りました。サクレ・クール寺院前の広場からパリを見下ろしても、降雪で煙り、あまり展望は利きません。
雪のモンマルトルLa rue Norvins, Montmartre サクレ・クール寺院前からパリを望む中央の絵は、左の写真と同じアングルでユトリロが描いたもの『La Rue Norvins, Montmartre』(東京富士美術館蔵)であることを知り、感動を新たにしています(2014.05.10追記)
真っ白のリュクサンブール公園の雪をキュッキュッと靴で鳴らしながら、リュクサンブール宮殿を眺めていると、突如蘇った言葉がありました。「Mais ou' sont les neiges d'antan.」という、かつてシャンソンで聞き、口ずさんだこともある放浪の泥棒詩人フランソワ・ヴィヨンの『遺言集』の一詩《その上の貴婦人を讃えるバラード(Ballade des Dames du temps jadis)》のルフラン《さはれ、去年(こぞ)の雪、今いづこ》です(ブラッサンスの r の音を響かせたシャンソンが思い出されます。Youtubeでブラッサンスのシャンソンをどうぞ。去年の雪、今いづこ
リュクサンブール公園リュクサンブール公園を横切り、オデオン座からサン・シュルピス教会を覗いた後、サン・ジェルマン・デ・プレに出ました。ジャン・ポール・サルトルやシモーヌ・ド・ボーヴォワール等が屯していたというキャフェ《フロール》や《ドゥ・マゴ》を横眼で見ながら、サン・ジェルマン・デ・プレ教会に入りました。教会裏にはフュルスタンベールという大変古雅な美しい通りがあり、ドラクロワが住んでいたことを知りました。
フュルスタンベール通り更に進んでビュシ通り10番地にはアルテュール・ランボーが住んでいたというので、詩人の痕跡を探して歩きました(ヴェルレーヌの家は程近いパンテオン裏にあるとか)。テレンス・スタンプ主演の『ランボー:地獄の季節(Una stagione all'inferno)』(監督Nero Risi)というランボーの生涯を描いたイタリア映画を思い出していました。
ビュシ通り10番地ジャン・マリ・カレ著『地獄の遍歴者』(江口清訳、立風書房、1971年10月20日発行)によりますと、
「テオドール・ド・ダンヴィルは放浪詩人のためにビュシ街に学生部屋を借り受け、彼の細君がそこにベッドを運んだ。ランボーはこの夜の宿にたどり着くと、虱だらけの服をいそいで脱ぎ、汚れたシャツを取り去って、それらを一まとめにすると、隣人の驚き騒ぐ中を素っ裸になって窓に近寄り、包みを窓から通りへ投げ捨てた。」
それからしばらくして、そのパリの初宿からモンパルナス墓地脇のカンパーニュ・プルミエール街に、彼の後援者達が金を出し合って屋根裏部屋を借り受けてくれたのだそうです。

ビュシ通りからサン・ミシェル広場に至るサンタンドレ・デザール通りの脇道、passage prive' で始まるコメルス・サンタンドレ通りにパリ最古と言われるキャフェ《プロコープ》がありました。割栗石が敷き詰められたその凸凹の通りは歩きにくく、いかにも古さを感じさせます。ヴォルテール、ルソー、ボーマルシェ、バルザック、ヴェルレーヌ、ディドロ、ダランベール等、文学者達が集まり、談論風発の議論を闘わせたのだそうです。
[シチーリア人 Francesco Procopio dei Coltelli(パレルモ出身)が1686年作ったこのカッフェは、Come'die Francaise の役者の溜り場となり、その後直ぐに文学者や芸術家の集うキャフェとなったそうです。ヴェネツィアにコーヒーを飲ますカッフェが誕生したのは1683年。現在まで存続するカッフェ・フロリアーンが出来たのは1720年。世界最古のキャフェとは《プロコープ》なのでしょうか。]
キャフェ・プロコープコメルス・サンタンドレ通りからジャルディネ通り、レプロン通り、セギエ通り等サンタンドレ・デザール通りの脇道は、中世の面影を残す通りと言われているそうです。

後日、雪も消えてから行ったギュスターヴ・モロー美術館で私が見た物とは――彼がイタリア旅行中に模写したダ・ヴィンチ等のイタリア絵画が、書斎などに飾られていましたが、最上階の大広間正面にカルパッチョの原寸大の『聖ゲオルギウス(S.Giorgio)の勝利』の模写絵があったのです。それはヴェネツィアのサン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ同信会館の天井下に描かれた、聖ゲオルギウスが竜を退治する様を描いた、私の大好きなカルパッチョの傑作の一枚だったのです。その余りに正確な模写故に、彼のカルパッチョに対する思いの程が伝わってきます。
ギュスターヴ・モロー美術館 ギュスターヴ・モローの模写 ギュスターヴ・モロー画『ヴェネツィア』そして右は、この美術館のモロー自身が描いた『ヴェネツィア』。聖マルコを表すライオンに寄り添う、都市ヴェネツィアを象徴する女性像。背後はサン・マルコ寺院のクーポラと思われます。モローもヴェネツィアを愛したに違いありません。
  1. 2010/01/23(土) 00:05:51|
  2. | コメント:2
<<パリ(2) | ホーム | 文学に表れたヴェネツィア――バイロン(3)>>

コメント

一連の写真の中には、奥様が撮られたのとほとんど同じ位置から私も写していたシーンが数点あり、私のはぜんぶ春とか秋なので、雪を被るパリの風景とくらべてとても興味がありました。パリ(1) というからにはあとが続くわけですね。楽しみにしています。
  1. 2010/01/25(月) 20:01:12 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

september さん、コメント有難うございます。
10日程の、初めてのパリ滞在でしたが、同じような位置からの写真になるものが
あるということは、広いパリといえどもカメラ・アングルにいい場所というのは
あるのでしょうね、写真を撮らない私には不分明ですが。
パリ(2)は、もう少しヴェネツィアとの関連性を模索します。気に入りますか、
どうか。
  1. 2010/01/26(火) 13:06:01 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア