イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェニエール・デイ・レオーニ館

大運河左岸、ダーリオ館から更に下っていきますと右脇のトッレゼッレ運河(rio de le Toresele)の次に19世紀の住居(Wake Forrest 大学)があり、更に右隣りにはその低さで目を引く、白亜のヴェニエール・デイ・レオーニ館(Palazzo Venier dei Leoni――Peggy Guggenheim Collection、土地の人はグッゲナイム美術館と言っているようです)があります。
ヴェニエール・デイ・レオーニ館前にも引用しました『大運河』(1993刊)は次のように述べています。
「1749年にロレンツォ・ボスケッティによって設計され、巨大な建造物になる筈であったが、持ち主一家の経済事情の急変のために、中断されるに至った。コッレール美術館に保存されている木製のモデルが、どのような建物になる予定であったかのヒントを与えてくれる。

力強い浮き出し飾りのある切り石の壁面を持つ1階部分だけが建造され、そこには中央部に三重構造のアーチを持つポルティコが設えられ、船の上陸用の広い接岸部分が前置されている。名前の由来は、ある人に寄ればヴェニエール家の誰かが庭でライオンを飼う習慣があったのだと言い、またある人は基礎部分を飾るロマネスク様式のライオンの頭部故としている。

1949年米人美術品収集家ペギー・グッゲンハイムに購入され、彼女は欧州や米国の沢山のアヴァンギャルドの芸術家の貴重な収集品をここに移した。直ぐに拡張されたが、1979年の彼女の死で、コレクションはニューヨークのソロモン・P.グッゲンハイム財団の所有に移った。1983~85年建物は建築家 Thomas M.Messer の手でコレクションを収容する展示場として改装され、現在開場されている。
 
左隣には《デッレ・トッレゼッレ》と呼ばれたゴシック様式の別のヴェニエール家の館があったが、1800年代に現在ある、特徴の丸でない建物に取って代わった。現在はアメリカ領事館の所在地である。

ヴェニエール家は、1000年代にまで遡れれる著名な《新しい》家系である。この一家の分家の一つは、カンディア(クレタ島の港イラクリオンの伊名)に移り住み、14世紀には共和国に楯突いた。3人の総督、大使や行政官を輩出した。最初の総督は親友達からアントニアッツォと愛称されたアントーニオ(1382~1400)であった。自分の選出のお祝いに、1年間に渡って町に楽しみを提供したのだが、本人は頑固一徹、狷介な人物だった。彼にはアルヴィーゼという腕白盛りの息子があり、他の青年達と同じように他人の陰口を叩く癖があった。

それは余りにも酷い悪巫山戯だった。ある朝、貴族のジョヴァンニ・デッレ・ボッコレが家の玄関の戸を開けた時、素晴らしく立派な2本の角を生やした雄羊の頭部が、そこにぶら下げられていたのである。家人の女達へ向けた卑猥な文章が添えられていた。

侮辱された人の訴えに従って捜査が開始され、総督の息子のアルヴィーゼの仕業であることが判明した。その悪戯が同じ貴族に向けてなされたものであったので、もし庶民が犯していればあり得たかもしれない程には、判決は厳しいものとはならなかった。彼は100ドゥカートの罰金、2ヶ月間の投獄と10年間の追放刑を申し渡された。

しかし井戸に閉じ込められて数日後、彼は重い病に罹ってしまい、家族や友人達が病気の回復するまで刑の中止を総督に願い出た。しかし総督はネポティズモ(縁者贔屓)の謗りを危惧して断り、アルヴィーゼは身罷った。

一家に高い名声をもたらしたヴェニエール家出身者は、令名高いセバスティアーノ(総督任期1577-78)であった。著名な弁護士で、政治上の要職を引き受け、カンディアに赴き、1548年から3年間その地の総督として統治した。しかし船上での勤務は若い貴族達をこき使うようにはうまくいかず、いつの日か艦長になるなど夢だにしなかった。

しかしながら1571年、彼が既に75歳にもなっていた時、優秀なアゴスティーノ・バルバリーゴの協力の元、レーパント[ギリシア中西部コリントス湾ナフパクトス港]の海戦で強力なトルコ軍を破り、同盟軍の船団に輝かしい勝利を与え、半世紀以上にも渡ってヴェネツィアに平和をもたらしたのは、正に彼だったのである。

その戦いではスペイン軍の中で『ドン・キホーテ』の著者ミゲル・デ・セルバンテスも闘っており、彼は戦闘中、片腕を失くしたのであった。

栄光を引っ提げてヴェネツィアに帰還すると、セバスティーノはその功績により総督に選ばれた。」
――E.&W.Eleodori『大運河』(1993)より。
  1. 2010/02/27(土) 00:02:38|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:8
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コメント

はじめまして。

イタリア素晴らしい!
記事も素晴らしい!

これからも拝見させていただきます。

hih
  1. 2010/03/05(金) 11:18:59 |
  2. URL |
  3. Demee #-
  4. [ 編集 ]

Demee さん、初めまして。コメント、有り難うございます。
イタリア、特にヴェネツィア好きが高じて、こんなブログを立ち上げましたが、
皆さんに好きなヴェネツィアの事を知って貰いたくて、書いています。
文章が多くて、しんどいと思いますが、出来るだけガイド本に書いてない事を
紹介するつもりでいます、間違いがありましたら、指摘して下さい。
今後とも、よろしくお願い致します。
  1. 2010/03/05(金) 12:45:15 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

こちらこそ宜しくお願いいたします。
とても勉強になります。

ブログの45回にも書きましたが、私は、一度だけドイツースイスーアルプスを越えてイタリアにはいったことがあります。仕事でもありその滞在は束の間の事でしたが、本当に国境を越えた瞬間から、なんだか雰囲気が一変した印象だけが深く残っています。以降ヨーロッパへは何度も行きましたが、とうとう一番多く行きたかったイタリアはその時が最初で最後でした。

たまにイタリア関係で(ブログ上)記事を書きます。そこで何かミスがありましたら、わたくしの方こそご指摘くださいませ。

今はイタリアにお住まいなのですか?

それでは、
hih
  1. 2010/03/06(土) 11:44:29 |
  2. URL |
  3. Demee #-
  4. [ 編集 ]

demee さん、お返事有り難うございます。
ここ十年以上ヴェネツィアを拠点に、毎年のようにイタリアを旅しています。
ヴェネツィアの伊語語学校に何度か語学留学したことで、こうした事態に拍車が
かかり、東京からヴェネツィア話を発信することとなったのですが、現場の写真
等を掲載出来ないので隔靴掻痒の感がある上、疑問が発生した時、調べに行く
ことも出来ないので、間違いを書いてしまうのではないかと、不安もあります。
その場合は、切にご寛恕を願う次第です。
  1. 2010/03/06(土) 14:37:50 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

こんにちは!
記事をさっと拝見し、もう一度しっかり読んでからコメントをと思いつつ、
遅くなりました。
グッゲンハイム美術館の建物を、いつも変わった建物と思って見ていましたが、
そうでしたか、やっとその謂れを知りました。 
古い家系の歴史にはいつも興味をひかれますが、ヴェニエール家というのも面白いですね。 アルヴィーゼという息子の悪戯などからも、当時の生活を想像しますが、でも投獄されたのがポッツォというのが少し?です。 貴族の場合はピオンビではなかったのでしょうか。 

と、美はしきもの見し人は  は、大変嬉しいです。 有難うございます!
どこからのどういう詩かも知らずに、この行は頭に残っておりました。 
それにしても、なんとも心の中がゆったりと広がる想いの詩、
ばたばたした日常生活がすっと消えていく不思議な世界です。
ヴェネチアのソネット もこちらは初めて知りました。 
あの街は、こういう詩を詠ませる町なのですね。 大いに納得です。
  1. 2010/03/06(土) 22:47:42 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
アルヴィーゼが閉じ込められたのは、原文では pozzi となっています。私が判断
したのは、ヴェニエール総督は判決に従い総督宮殿の牢獄に閉じ込められる前に、
既に息子を我が家の pozzo に監禁していたのではないかと思いました。そのため
家族や友人達が毎日彼を見舞っていたのではないかと思ったのです。しかしこれは
宿題です。次回のヴェネツィア行の時に何か史料を探してみます。

トーマス・マンの『ヴェネツィアに死す』のあとがきを読んで、プラーテンの名を
知った時、私も通った小学校のずっと昔の先輩の詩人の訳詩をどうしてもブログに
載せたいという思いに駆られました。文学にしろ美術にしろ音楽にしろ、「美」を極めた
と思った人には、こうした言わば「悟道」の至福の思いが訪れるのでしょうか。
  1. 2010/03/07(日) 15:26:10 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

こんにちは! 再度です。
ああ、はい、分かりました。 そういう事でしたら、数日後に病気になったので・・、
というのも納得できます。
有難うございます。
  1. 2010/03/08(月) 14:45:16 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、私の思い込みをそんなに早く合点されると困ります。
いずれにしても、出来るだけ早くヴェネツィアに戻り、資料の渉猟を
して、shinkai さんの疑問に応えたいと思います。
そういう事がヴェネツィア行の楽しみです。
  1. 2010/03/08(月) 16:33:54 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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