イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――プラーテン

トーマス・マンの『ヴェネツィアに死す』の最初の方で、ヴェネツィアに向かう船上でアッシェンバッハが思い出す《憂鬱で熱狂的な詩人》とは、アウグスト・フォン・プラーテン(1796.10.24アンバッハ~1835.12.05シラクーザ、39歳没)のことだそうです(英国の詩人バイロン卿だとする訳注本もありましたが、誤解のようです)。《文学に表れたヴェネツィア――トーマス・マン(1)》も参照して下さい。

プラーテンというと私は思い出す詩があります。堀田善衛氏がアントワーヌ・ワトー(1684~1721、36歳没)について書かれたエッセーの中に次の詩が載せられていました。
「 トリスタン(生田春月訳)

美はしきもの見し人は
はや死の手にぞわたされつ
世のいそしみにかなはねば
されど死を見てふるふべし
美はしきもの見し人は

愛の痛みは果てもなし
この世におもひをかなへんと
望むはひとり痴者ぞかし
美の矢にあたりしその人に
愛の痛みは果てもなし

げに泉のごとも涸れはてん
ひと息ごとに毒を吸ひ
ひと花ごとに死を嗅がむ
美はしきもの見し人は
げに泉のごとも涸れはてん」

生田春月(1892~1930、38歳没)が誕生した(鳥取県米子市道笑町)のと同じ市に生を享けた私は、春月のこの訳詩が気に入っています。プラーテンは40歳前にシチーリアで熱病のために世を去ったそうですが、春月も奇しくも40歳前に瀬戸内海に投身自殺をしました。

プラーテンは1824年イタリア旅行を行い、そのために生まれたのが秀作《ヴェネチアのソネット》だそうです。

「 ヴェネチアのソネット 1
  
おんみの愛が私の胸を引き裂く と
ついもだしもあえず 私が口にするとしても
いぶかしみの心をおこしたもうな
美の領するところ 愛もまたやどるものゆえ

私は知る この思いの衰える期(とき)もないのを
ヴェネチアへの思いとそれは 分かちがたくもつれあい
たえ間なくわが胸から吐息(といき)は立ちのぼる
なかばしか花ほころびぬ 春へむかって

どうして一人の外国(とつくに)びとが おんみに感謝したらよいだろう
よしやおんみが 心やさしく彼を迎えて
豊かな幸福へ 彼をいざなわれたところで?

おんみに近づく手だてが どこにある?
ああ夜ごと サン・マルコの広場の上を
わが足は ひとりさびしくよろめいて行くのだ」

「 ヴェネチアのソネット 2

おんみを愛す ヴェネチアが我らに示す
もろもろの画像の一つのように
我らいかに画像に執着しようとも
その前を立ち去れば すべては我らの所有(もの)でないのだ

おんみは 美しい石のすがたのように
基台からたえて身をおこすこともなく
ピグマリオンの願いにも 頑なに口とざしている
さもあらばあれ 私は変らずおんみを思う

けれどもおんみはヴェネチアにはぐくまれ
ジャン・ベルリニの天使らにかこまれて
この天つ御国を おんみの立ち出でる時もない

ひそやかな歩みを運ぶ 我が心のうちでは
もとめた栄光の世界が 今音もなくついえさる
とある夜の はかなく消える夢をさながら」

「 ヴェネチアのソネット 3

生(いのち)のみちの いやはての獲物は何であろう
そのくさぐさの財宝の いずれが我らの手にとどまろう?
黄金なす幸(さち) 胸とろめかす心地よさ
すべては疾()く消え失せて 悲しみばかりが残される

残された時が空(くう)へと消える前に
もう一度 私は巡歴のあゆみを運ぼう
ヴェネチアの海を ヴェネチアの大理石(なめし)の宮を
あくがれまさる胸騒ぎもて 眺めよう

後の世には眺めるすべもないものを
なおこの鏡にとどめておこうとするように
休む間もなく 眼(まなこ)はさまよう

けれどついに これを限りの欲求(もとめ)も果てて
あわれ短い生のみちの 後の思いにと
愛のまなざしは落ちかかる かの人の面輪(おもわ)の上に」

「 ヴェネチアのソネット 4

深い憂愁が私の心をゆするとき
リアルトのほとり 殷賑(いんしん)は眼を奪うとも
そのとりどりのきらめきに 惑わされぬよう
白昼(ひる)にうち勝つ夕べのしじまを 私はもとめる

橋に身を寄せて 眺めれば
さびしい波は ひそかにささやきかわし
なかば崩れた囲壁(いへき)の上で
しげりにしげる桂の 枝がゆれる

石の支柱の上に立ち
暗黒の海に眼を放てば
この海と契(ちぎ)りを結ぶ総督(ドージェ)も 今はむかしの語り草

ああ今は わが沈黙の夢想をみだすものもなく
はるかかなたの運河から
ゴンドラの船頭(かこ)の叫びが おりふしひびいて来るばかり」
  ――『詩集』(川村二郎訳、『世界名詩集大成6巻ドイツ1』、平凡社、昭和35年6月10日発行)
『世界名詩集大成 6巻 ドイツⅠ』詩の訳者は、前に掲げた彼の《トリスタン》を《ドン・キホーテ》と名付けたトーマス・マンの小説『ヴェネツィアに死す』は、ある意味でプラーテンのパロディックな頌歌であるとしています。
  1. 2010/02/20(土) 00:01:40|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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