イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

Palazzo Mocenigo Ca' Nova(N)

11月7日のブログで触れた、初めて借りたアパート、モチェニーゴ家の旧館の左隣はモチェニーゴ家の新館(Ca' Nova)です。この館で、バロック時代の作曲家クラウディオ・モンテヴェルディ(1567~1643)が、詩人トルクァート・タッソ(1544~95)の『解放されたエルサレム』を元に、マントヴァから依頼されて作曲した『タンクレーディとクロリンダの戦い』を、ここで1624年に初演したのだそうです。
モチェニーゴ館[2013.02.05日追加]。左、新モチェニーゴ、中央、相似形の2軒のモチェニーゴ、右、古モチェニーゴの館だそうで、参考にした本の判断を元に書いています。

また前掲(11月7日)の Raffaella Russo 著『Palazzi di Venezia(ヴェネツィアの館)』によれば、このモチェニーゴ家は総督ジョヴァンニ・モチェニーゴ(1478~85在位)を輩出後、1571年にレーパント[ギリシア中西部コリントス湾ナフパクトス港]の海戦を勝利に導き、74年にはフランスのアンリ3世のヴェネツィア公式訪問時の総督アルヴィーゼ1世モチェニーゴ(1570~77在位、4世までありますが、全てこの一家?)を生んだ由緒ある家系だそうです。モチェニーゴを名乗る総督にはトンマーゾ(1414~23在位)、ピエートロ(1474~76在位)がありますが、同族他家なのでしょうか。

さらにラッファエッラさんは次のように述べています。
「1797年ナポレオンに亡ぼされ、沈滞しきっていた当時のヴェネツィアにやって来たのは、英国のロマン派の大詩人ジョージ・バイロン卿である。彼は1816年この地に至るやマリアンナ・セガーティという織物商の妻と恋仲になる。

1818(-19)年この館の1フロアを借りるや、歌手アルパーリチェ・タッルシェッリ、娼婦ダ・モスト、エレオノーラ、カルロッタ、ジュリエッタ、ボローニャの女優ジュリエッタ、サンタ等と次々にアヴァンチュールを繰り広げ、特にパン屋の妻マルゲリータ・コーニ、通称《フォルナリーナ》とは激しい恋をした。最後はラヴェンナの伯爵夫人テレーザ・グイッチョリで終わるが、その間詩集『ドン・ファン』の数節がここで書かれた。」
のだそうです。

バイロン卿は、激しく泣いていたと思うとゲタゲタ笑い始めたりする、喜怒哀楽表現の激しいフォルナリーナを真摯に愛していたようです。夕方ゴンドラ乗船中、突如激しい豪雨に出会い、何とかしのいでアパートに帰ってみると、玄関の階段に丸く蹲って彼の帰りを待っている彼女をそこに見出したりしているのです。

彼は引っ越してきた時、猿2匹、熊1匹、鸚鵡2羽、狐1匹の動物と一緒だったそうですが、それらが全て放し飼いになって我が物顔に動き回っていたそうですから、彼らの手前勝手な行動には恋人たちは面食らったに違いありません。

新館の更に左は、《il Nero(黒)》[上記のように新モチェニーゴ?]と通称されているモチェニーゴ館があります。モチェニーゴ一族は共和国の要職に付いている人が多かったようですが、前掲の書によればこの館からは、例えば、1395年トルコ軍を破ったトンマーゾ、15世紀半ば小アジアやギリシアの海岸を略奪して回ったピエートロ等の名前が挙げられています。
[2013.02.05日追記=この R.Russo の『ヴェネツィアの館』は左から《ネーロ館》《新モチェニーゴ館(2軒)》《旧モチェニーゴ館》としていますが、他の本では《新モチェニーゴ館》《モチェニーゴ館(2軒)》《旧モチェニーゴ館》としています。どの呼称がベターでしょうか?]

モチェニーゴの名前を冠する館はヴェネツィアにはまだあります。例えば、この館の右隣2軒目にエーリッツォ・ナーニ・モチェニーゴ館があり、サン・スターエ教会脇のサン・スターエ大通り(Salizada S.Stae)にあるモチェニーゴ館は、18世紀の裕福な貴族の館を見せる例として一般公開されています。またサン・ポーロ広場の一廓に現在財務警察の置かれるコルネール・モチェニーゴ館もあります。

ミラーノ出身のこの一族は、以下に列挙するように7人の総督を生んでいます(何家かは分かりませんが)。
トンマーゾ・M(1414~23)、ピエートロ・M(1474~76)、ジョヴァンニ・M(1478~85)、アルヴィーゼ・M(1570~77)、アルヴィーゼ2世・M(1700~09)、アルヴィーゼ3世・M(1722~32)、アルヴィーゼ4世・M(1763~78)。
  1. 2007/11/29(木) 20:27:51|
  2. | コメント:2
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コメント

こんにちは!  過日、広島では大変有難うございました。  無事戻ってまいりました。

ブログ開設、おめでとうございます!  さすがというか、やはりというか、大変詳細なご案内で、またいろいろ教えていただけるものと、楽しみです。

勝手ながら、リンクさせて頂きました。  よろしくお願いいたします。
それと、メールアドレスを変えられましたか?  2度ほど、届けられないという通知がありましたが。
宜しければ、お知らせ願います。
  1. 2007/11/29(木) 23:46:47 |
  2. URL |
  3. shinkai #kUWLOiSk
  4. [ 編集 ]

お帰りなさい! 長い間、ご苦労様でした。

実際の色を直接見るのと、PC上で見るのとは雲泥の差があります。広島はいい思い出になりました。

大田川の支流3本の河岸を夕方まで散歩しましたが、水量が豊富で、岸は必ず散歩道になり、ヴェネツィアとは違った水の都を感じました。

またイタリアのお話を読ませて頂けると、楽しみにしております。

お疲れ様でした。
コメント、有り難うございました。
  1. 2007/11/30(金) 03:40:02 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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