イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ビオンディ館からロレダーン・チーニ館まで

未完成のヴェニエール・デイ・レオーニ館の右隣の地味な建物。ビオンデッティ館(Ca` Biondetti)は17世紀の物で、後に改築されたのだそうですが、閨秀画家ロザルバ・カッリエーラの誕生した家として知られています。前にも引用した『大運河』(1993刊)は次のように述べています。
カーザ・ビオンデッティ他「右側に位置する、堂々として見事な邸館に比べ、ひどく冴えない住宅である。しかし近所の建物のようにヴェネツィアの壮麗な名声を反映していないとしても、芸術的栄光ということに関して言えば、多大なものがあった。それはこの館で1675年に生まれたロザルバ・カッリエーラがここで生活し、作品を発表したからであった。

イタリアだけでなく異国でも流行の肖像画家となり、彼女は精神的聡明さ、色彩の明るい透明感、パステル画法のデリケートなタッチといったことで、ヨーロッパ中の宮廷で評判を取ったのだった。1720年はパリで、23年はモーデナで、30年はウィーンで描いた。晩年は盲目となり、ボケの症状の中で1757年この館で亡くなった。」

ビオンデッティ館の右隣は1700年代の建築家不明の狭隘な建物で、左右非対称に建てられています。チェンターニ・モロジーニ館(Palazzo Centani Morosini)と呼ばれ、その右隣のダ・ムーラ・モロジーニ館(Palazzo Da Mura Morosini)と一見一体化して見えますが、こちらはオジーヴ式の窓があることから別の建物です。こちらの建物については『大運河』(1993刊)に次のようにあります。

「玄関が2門あり、中央部に四連窓を備えた1500年代に典型的なオジーヴ(尖頭)式の窓の建物である。2階の窓は低くてずんぐりしており、古風な仕上げとなっている。最上階の窓はより細身となっている。

非常に古い家系の著名な一家ダ・ムーラ家の建物である。マルカントーニオという人物は、1561年ピウス4世の宮廷の大使を勤めた。ヴェネツィアがヴァティカンとの険悪で難しい関係に直面している時に選ばれたということは、彼には恐らく皆に知られた確かな手腕があったものと思われる。

自分の所に呼び寄せるつもりで、教皇は彼を枢機卿に任命したが、駐在している宮廷からの職務を引き受けることは、ヴェネツィアは駐在使節に禁じていたが、共和国はその法律以上に厳格に彼をヴェネツィアから追放した。」

ダ・ムーラ・モロジーニ館の右隣は、ファサードの2階部分に2枚のモザイク画があることで、大運河でも目立つバルバリーゴ館(Palazzo Barbarigo)です。やはり『大運河』(1993刊)の知恵を借ります。
バルバリーゴ館他バルバリーゴ館「1500年代の典型的な古典様式の建物で、四連窓を形造るべく上の階のアーチ状の単純な窓は中央寄りに並べられ、大理石の飾りの層は水平にアーチ部分と結び付く構成となっている。

1800年代末、ガラスとモザイクの製造会社ヴェネツィア・ムラーノ社の所在地となり、改築され、画家ジューリオ・カルリーニの下絵のカルトンに基づいて描かれたモザイク画でファサードが覆われている。両脇の四角の区画に、皇帝カール5世がティツィアーノの工房を訪れた時の2人(左)と、フランス王アンリ3世がムラーノ島のあるガラス工場を訪問した時の模様(右)が描かれている。」

バルバリーゴ館右のサン・ヴィーオ(San Vio)広場とサン・ヴィーオ運河を挟んで、ロレダーン・チーニ館(Palazzo Loredan Cini)が大運河に横顔を見せています。『ヴェネツィアと入江』(1926刊)の記述は次のようです。

「16世紀半ばの建設。当初はジュゼッペ・サルヴィアーティの手によるとされたフレスコ画でファサードが覆われていたが、現在は消えてしまった。19世紀末から20世紀にかけて、スペイン王位の復権を求めるブルボン家のドン・カルロスの住まいであった。」
現在はヴィットーリオ・チーニ・コレクションに収集された美術品が置かれているそうです。
  1. 2010/03/06(土) 00:01:20|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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