イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの、ヴィヴァルディとアンナ・ジロの家

大抵の人が知っているクラシックの曲名と言えば、先ずはヴィヴァルディ(1678.3.4ヴェネツィア~1471.7.28ウィーン)の『四季』ではないでしょうか。かつては作曲者自身の名前は忘れられて、曲だけが演奏されていた時期もあったと言います。この作曲家が生まれた町ヴェネツィアでは、彼の過ごした家のことが分かっているようです。Aldo Bova『Venezia――I luoghi della musica』は次のように書いています。
アントーニオ・ヴィヴァルディ(左、ウィキペディアから借用) 「生家=Castello 区 Campo Bandiera e Moro o de la Bragora(バンディエーラ・エ・モーロ、あるいはブラーゴラ広場)  アントーニオ・ヴィヴァルディの両親ジョヴァン・バッティスタ・ヴィヴァルディとカミッラ・カリッキオは、結婚直後1676年、サラモーン(Salamon)家所有のアパートに越してきた(カステッロ区3805~3809番地のどの建物か正確には分かっていない)。ここでアントーニオは1678年3月4日に誕生し、27歳まで暮らした。」
ブラーゴラ教会と3805~09番地3805~09番地の建物はブラーゴラ教会右の4棟です。 [彼の誕生の模様を書いた古文書の写しがブラーゴラ教会の壁面に貼付してあります。2008.7.15日のブログインテルプレティ・ヴェネツィアーニもご参考までに。
ヴィヴァルディの出生証明書の写し古文書の写しの訳「アントーニオ・ヴィヴァルディの洗礼記録  故アゴスティーノ・ヴィヴァルディの息子、演奏家のジャンバッティスタと、故カミッロ・カリッキオの娘、ジャンバッティスタの妻カミッラとの息子であるアントーニオ・ヴィヴァルディは、去る3月4日に誕生し、死の危険もある中、自宅で産婆のマルゲリータ・ヴェロネーゼ氏に洗礼名を授けられた。本日この教会に連れてこられ、私こと教区司祭ジャーコモ・フォルナチェーリにより、祓魔式と聖油を受けた。……」]

「第2、第3の家=Castello 区 Campo Ss.Filippo e Giacomo(サンティ・フィリッポ・エ・ジャーコモ広場)の4358番地   1705~11年彼は家族とともに4358/a 番地の2階に、1711~22年は4358番地に住んだ。1階の広い敷地も借りており、そこで家族の何人かが理髪店を営んでいたようである(ヴェネツィアでは理髪師が店で音楽のレッスンをしていたという話が伝わっている)。」
サンティ・フィリッポ・エ・ジャーコモ広場の家 [この広場の名前は、同名の教会がかつてこの広場にあったことに由来し、崇拝の対象としての信仰が薄れ、教会は19世紀に民間施設に転用され、姿を消したと言われています。]

「第4の家=Castello 区 Fondamenta del Dose(ドーゼ運河通り)5878/79番地  1722~30年彼は家族とともに5879番地のこの邸宅の多分中2階に住んだ。≪アントーニオ・ヴィヴァルディ師は橋の下に顔を出し、床屋でヴァイオリンを演奏する≫。この家で母カミッラが没した。この家で『四季』が書かれた。」
パラディーゾ橋前の建物 [『四季』の含まれる『和声と創意の試み』作品8は、1725年アムステルダムのル・セーヌから出版されました。それまで『調和の幻想』(1711)や『ラ・ストラヴァガンツァ』(ca.1714)等はアムステルダムのロジェから出版されていました。家の前のパラディーゾ橋(P.del Paradiso)の先にはパラディーゾ通りがあり、通りの中ほどにヴェネツィア関連の古書等の覆刻本を出すフィリッピ書店があり、Giuseppe Tassini『Curiosita` veneziane』やGiuseppe Boerio『Dizionario del dialetto veneziano』等お世話になりました。]

「第5の家=San Marco 区 Calle Bembo(ベンボ通り)4644番地  1730年5月4日ヴィヴァルディ一家は窓が大運河に面しているが、入口がベンボ通り(当時はサンタントーニオ通りと称した)の角地の中2階に引っ越した。ここで有名な出会いがあった。カルロ・ゴルドーニが回想録の中でその事を書いているが、その回想録には二つのバージョン、仏語版と伊語版があり、違いがある[仏語で書いた版の伊語翻訳版の事を指すのでしょうか? 意味がよく分かりません。全てを信じると痛い目に遭います]。
大運河に面した最後の家 [彼はサン・サムエーレ劇場の所有者、貴族のグリマーニにオペラ『グリゼルダ(Griselda)』[古代ギリシアのテッサリアの王グァルティエーロの妻グリゼルダ妃](アポストロ・ゼーノ、ピエートロ・パリアーティ共作)の台本改作を要請され、作曲者ヴィヴァルディの家を訪問したのでした。Carlo Goldoni『Memorie』(Introduzione di Luigi Lunari,Classici della Burシリーズ、Biblioteca universale Rizzoli、P.181~183)より、2009.10.17日のブログ文学に表れたヴェネツィアで触れています。]

この家で父ジョヴァン・バッティスタが亡くなった。アントーニオはウィーンに向けて旅立つまでここに住んだ。1740年5月12~24日のいずれかの日である。近所のオーヴォ通り(Calle dell'Ovo)には写譜家をしていた兄弟のマーウロの店があった。」
[彼の生誕地と日付が明確になったのは、Emil Paul が1963年に洗礼証明書を発見して以来であり、死亡年月が分明になったのも、1938年 Rodolfo Gallo がウィーンで埋葬証明書を発見してからのことでした。]

ヴィヴァルディの恋人と目されていましたアンナ・ジロの家について Aldo Bova は次のように記しています。

「Anna Giro`(o Giraud)=S.Marco 区 Campiello del Teatro(テアートロ小広場)  マントヴァ生まれ[Goldoniはヴェネツィア生まれと勘違いしています。更に Giraud というスペルは『回想録』を仏語で書いた所為のようです]の有名なソプラノ、アントーニオ・ヴィヴァルディのお気に入りの弟子で、《赤毛の司祭のアンナちゃん(Annina)》として知られるアンナ・ジロがヴェネツィア・デビューしたのは、1724年サン・モイゼ劇場でアルビノーニの『ラオディケ(ラオディーチェLaodice)』[ミトリダテス・エウパトルは父王没後全権を握った母王ラオディケをその後軟禁し、ポントス国の発展に努める―1707年ヴェネツィアで初演されたA.スカルラッティにオペラ『ミトリダーテ・エウパトーレ』があります]であり、ヴェネツィア・ラスト・ステージは、1747年サン・サムエーレ劇場でのG.B.ルンケルの『シーロのアキッレ(Achille in Sciro)』[スキーロス島のアキレウス]だったとか。
サンタンジェロ停留所前のアンナの家(左)、右は同名の劇場 [ヴァポレットのサンタンジェロ停留所直前、左のテアートロ小広場の正面が彼女の家だったとか言われている建物。真中の通りを挟んで右の建物はサンタンジェロ劇場があった所と言われています。]

彼女のために、ヴィヴァルディはカルロ・ゴルドーニを試したことがある(前記の2人の出会い)。自分のお気に入りの歌手の表現やテクニックを最高に表現出来るアリアを彼に書くように求めたのである。彼女のために、取り巻きのある貴族が提供したドメーニコ・ダ・チェーザレのチェンバロを彼が仲介したことがあった(売主は、値段を倍にして差額を自分の物にしてしまったとして、彼を裁判所に訴えた)。

彼女と14年間ヨーロッパを旅して回ったが、それはあらぬ疑いと陰口の元になった。ある伝記作家はヴィヴァルディはしばしば彼女の家に泊ったとしているが、皮肉なことに、その家は彼の敵であったベネデット・マルチェッロの持ち物だったのである。」
  ――Aldo Bova『Venezia――I luoghi della musica』(1995)より

アンナ・ジロは1748年には、ピアチェンツァのアントーニオ・マリーア・ザナルディ・ランディ伯爵と結婚し、舞台を去ったそうです。
  1. 2010/04/03(土) 00:09:15|
  2. 音楽
  3. | コメント:4
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コメント

こんにちは! ああ、ヴィヴァルディの住んだ家ですね。 私も訪ねて回り
写真も用意したものの、もうひとつ当時の司祭の生活状態に納得がいかず、
そのままになっていました。
Aldo Bovaの本についての情報有難うございます! 早速注文したいと思います。
ただ、ブラゴーラ広場に結婚して後移って来た、という点ですが、以前読んだ資料では、
カミッラは両親共にこの家に住んでいたのが、彼らの結婚前に両方とも亡くなり、それで
2人はこの家に住んだ、とあり、そのように考えておりました。
という事は、まだまだ研究の余地がある、という事でしょうか?
アンナ・ジローとの関係は、かなり深かったのではないかと思いますが・・、
これもいろいろな憶測も含まれ、研究点なのでしょうね。
  1. 2010/04/06(火) 23:18:51 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
この度のヴェネツィア行は、最低慣れない写真でも撮ろうと街を回りました。
Aldo Bova の音楽ガイドには、ヴェネツィアの地図が付いており、その地図に
中身に対応して地図に印が付けてあり、音楽関係の場所を探しながら、歩く
には大変重宝しました。
しかし一つの資料に頼りすぎるのは、間違いの元になるようです。偶に地図と
中身が一致しなかったり、他の資料と比較すると説明文に?があったりと、
難しいですね、ブログを書くようになって分かったことですが。
いずれにしても、手元の限られた資料に頼るしかありません。
  1. 2010/04/07(水) 15:11:46 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

こんにちは! 今夜アップ予定のヴィヴァルディが洗礼を受けた教会の記事で、
こちらの記事にリンクをさせて頂こうと、半ば事後承諾ですが、
どうぞよろしくお願いいたします。

のちほど、またヴォーガロンガをゆっくり拝見に!
  1. 2011/02/07(月) 15:22:48 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
リンクの方はどうぞ。私もshinkai さんのブログで教えて頂いたパンフィーロ・
カスタルディの事に興味が湧きまして、調べ始めています。まだどうなるかは
分かりませんが、その時にはリンクをよろしくお願いします。
  1. 2011/02/12(土) 16:23:08 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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