イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

アッカデーミア橋

ブランドリーン・ロータ館の右隣のアントーニオ・フォスカリーニ埋立通り(rio tera` Antonio Foscarini)[かつては大運河とジュデッカ運河は直線的に繋がっていたようです] を過ぎるともうアッカデーミア橋で、かつてのサンタ・マリーア・デッラ・カリタ教会の後陣が見える筈ですが、現在は工事中で網テントを被っています。アッカデーミア美術学校の本拠地がここから旧インクラービリ慈善院に引っ越しましたから、その跡地は美術館に衣替えされるのでしょうか。

アッカデーミア橋について『大運河』(1993)は次のように述べています。

「現実的な判断が出来て、先見の明のある人が、自分のプロジェクトを実現出来ないことがある、あるいはまた、その人が狭い了見の人に時に嘲笑される様を見たりする、という状況に遭遇するととても興味深い思いに捉われる。

『Cronaca Magna』によると1488年8月10日、市の施政官だったルーカ・トローンの要望で、大運河に橋を、一つはサンタ・ソフィーア広場から、もう一つはカリタ広場から二つの橋を架けようという提案が出されたことがあった。しかし全ての会議で笑い物にされ、投票に掛けられることもなかった。そのため何度も架け直されたリアルト橋は、ヴェネツィアで唯一の橋であり続けた。」
《サンタ・ソフィーア広場とリアルト市場を結ぶ橋は出来ませんでしたが、現在渡し舟(traghetto)があります。大運河に幾つかある渡しの中で、一番利用者の多いトラゲットだと思われます。カンナレージョ(Canaregio)にアパートを借りた時は、リアルト市場への買物時、必ず乗船しました。
魚屋のジャンニ知り合って10年以上になるリアルトの魚市場の角に位置する魚屋に勤めるジャンニ。魚の注文をすると、お勧めではない時は、よそ見して周りを窺いながら首を振り、よりおいしい魚があったりして、お勧めがある時はその魚を他人に気づかれないように指差して呉れました。魚や貝等の買物はよく彼の勧めに従ったものです。
ルンゴ貝[ジャンニに勧められて購入し、大変美味しかったルンゴ(長い貝の意)] そんな訳で定年で引退してしまった彼の先輩が、現役中NHKテレビ伊語講座の会話のシーンで登場し、彼の写真がテキストに掲載されたのを見付け、リアルト市場に「渡して」と持って行くと、「必ず渡すよ」と大変喜んでくれました。蛸のイボが2列あるのは polpo、1列のものは folpo と言う等、教わりました。

須賀敦子さんの『地図のない道』(新潮社、1999年10月30日発行)の中の《橋》の章で、「……あとは、五ヵ所から渡し舟が出ていて、たしか無料で客を対岸に運んでくれる。」と書かれています(ミラネーゼはこんな事を書きます。無賃乗船はいけません)が、私が初めて乗った時は300リラ、その後乗船時450リラ、更に700リラに値上がりし、現在(2008)は0.5ユーロで乗れます。いずれにしても、リラの時代は安過ぎるという感想を持ちました。数年前のNHKラジオ伊語講座のヴェネツィア編テキストには、150~200円と書かれていましたが、1ユーロが170円近くになっていた時のことでしょうか?》

「ルーカ・トローンの夢が実現するには4世紀以上の時を要した。事実、カリタ広場にアルフレード・ネヴァッレ(Alfredo Nevalle)技師がオーストリアのために英国の工場で造られた鉄の橋を架設した。それはヴェネツィアにナポレオンが課した仕事であり、1854年11月20日開通した。
旧、鉄製アッカデーミア橋現在のアッカデーミア橋 新しいスカルツィ橋[左は、旧鉄製アッカデーミア橋。中央は現在の姿。右は、排除される前の鉄製スカルツィ橋と現在の橋が並列している] しかしながら、1592年の昔に造られたリアルト橋はあらゆる必要を考慮して、かつ大運河通行の船舶の必要に則って計画されたものだったが、アッカデーミアのこの鉄橋とスカルツィ橋は、ひとえにオーストリア占領軍の移動の迅速さのためのものであって、公共の至便さ等は一切斟酌されていなかった。それ故かつての平坦で低い橋は大運河通航の障害になることが直ぐに判明した。

増加していくヴァポレットの自由な通行が可能なように、1900年その取替え工事が、エウジェニオ・ミオッツィ(Eugenio Miozzi)に与えられた。スカルツィ橋は1934年に完成した。アッカデーミア橋はある意味でその双子である筈であったが、資金不足に陥っていた。ミオッツィは諦めなかった。

ヴェネツィアの古い工法を復活させ、材木にタールで防水加工を施し、足に優しいのが特徴である木の橋を発表したのだった。それは当時は単なる一時しのぎの解決法と考えられていたが、ヴェネツィア人にとってこれ程までに親密で、大切な物となったので、石のアーチ橋に変えるなどとは考えられなくなっている。」
  1. 2010/04/17(土) 00:01:41|
  2. ヴェネツィアの橋
  3. | コメント:2
<<アッカデーミア美術館(元サンタ・マリーア・デッラ・カリタ教会・修道院・大同信会館) | ホーム | ヴェネツィアの建物: モリーン・バルビ・ヴァリエール・デッラ・トレッツァ館他>>

コメント

こんにちは! アッカデミア橋の、この古い鉄の橋の絵はがきを持っていますが、
そうですか、そういう謂れがあったのですね。 この下をヴァポレットは通り抜けられませんね。
この木の橋は、橋板が何年かごとに取り換えられるのでしょう、かなり前になりますが、
替えられたばかりの橋を渡った記憶がありますが。
駅前のスカルツィ橋もこういう平板な鉄の橋だったのですか、それは知りませんでした。
そして、この古いアッカデミア美術館の上に像がありますね。ライオンの上に乗っているのは
何でしょう、 そして今はこの像はありませんね。 いつ頃除去されたのでしょう、
ご存知でしたらお教え願います。
  1. 2010/04/22(木) 22:12:03 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
旧アッカデーミア大同信会館の上にあったレオーネの像は、確かに古い写真と
新しい物とでは違っています。最近の写真にはありません。その理由を読んだ
ことはありません。何故でしょうか。すごいところに目が行き届きますね。
  1. 2010/04/23(金) 12:12:59 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア