イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ロレンツォ・ダ・ポンテ(Lorenzo Da Ponte)(1)

モーツァルトのイタリア語三大オペラ『フィガロの結婚』『罰せられた放蕩者あるいはドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ(女はみんなこうしたもの、あるいは恋人達の学校)』(未完の『騙された花婿』もダ・ポンテの台本ではないかと言われています)の台本作家であったロレンツォ・ダ・ポンテ(1749.03.10チェーネダ~1838.08.17ニューヨーク)が主人公の映画、スペインのカルロス・サウラ監督の『ドン・ジョヴァンニ――天才劇作家とモーツァルトの出会い(Io, Don Giovanni)』を Bunkamura の Le Cine`ma で上映しているというので、見に行ってきました。
映画『ドン・ジョヴァンニ』ヴェネツィアでは、司祭であったのに女漁りに耽溺し、放蕩生活に沈湎した挙句、ヴェネツィアから15年の追放刑を言い渡され、捕まる前に逃げ出した彼を、美男のロレンツォ・バルドゥッチが演じ、女にもてたダ・ポンテはかくも美男であったに違いないと、映画は大変楽しめました。

かつてヴェネツィアの語学学校通学時のある冬の日曜日、ロレンツォの痕跡を探しにヴィットーリオ・ヴェーネトに電車で行ったことがあります。この町は北のセッラヴァッレ(Serravalle)と南のチェーネダ(Ceneda)が、1866年ヴェーネト州がイタリア王国に併合された時、時の国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の名前に因み、この名前で合併したのだそうです(第一次世界大戦末、イタリアが最終的にこの地でオーストリア・ドイツ軍に勝利して、この名になったとばかり思っていました)。

ヴィットーリオ・ヴェーネト駅は、セッラヴァッレとチェーネダの各中心地から丁度中間に位置しています。先ずセッラヴァッレの博物館になっているロッジャ(開廊)に行ってみました。趣のある、1462年の美しい建物です。展示品の中で特に気になったのは3枚の肖像画でした。1枚はロレンツォの本で見たことのある彼の肖像画です。後で係の人にロレンツォの事を聞くと、彼についての評伝など3冊を出して見せてくれて、是非チェーネダの大聖堂広場に行き、図書館前の公園のロレンツォの銅像を見て行って欲しいと助言を貰い、チェーネダに向かいました。

チェーネダ大聖堂広場にはヨハネス・パウルス1世像が大聖堂前にあります。例の3枚の肖像画の1枚が彼の物だと合点しました。帰国してから、この教皇が大変在位期間が短かった(33日間、1978.08.26~1978.09.28)ことを知りました(亡くなった直後ヴァティカンの取った矢継ぎ早の証拠湮滅としか思われないおかしな行動のため、暗殺されたとする説が根強く、教皇の目指したヴァティカン改革の芽も摘まれたそうです――改革反対派の中心人物マルチンクス大司教の疑惑の行動)。それよりずっと前にも、ウルバヌス7世は1590.09.15~09.27(13日間)と短かったそうです。

図書館はお昼には閉館しますが開くのを待って午後入館し、ロレンツォの事を尋ねてみました。9冊ほど彼に付いての本を出してくれました。その内の数冊を列記してみますと、Aleramo Lanapoppi『ロレンツォ・ダ・ポンテ――モーツァルトの台本作者の生涯における真実と伝説』(Saggi Marsilio)、Giampaolo Zagonel 編『ロレンツォ・ダ・ポンテからジャーコモ・カザノーヴァへの手紙 1791~1795』(Dario De Bastiani Editore)、有名なモーツァルト学者H.C.ラビンズ・ランドンの序言のある英語本、Sheila Hodges『ロレンツォ・ダ・ポンテ――モーツアルトの台本作者の一生とその時代』(Universe Books、Park Avenue South New York)、Istituto Poligrafico e Zecca dello Stato『イタリアの書籍・雑誌についてのノート――ロレンツォ・ダ・ポンテへのオマージュ』(Libreria dello stato)、Lorenzo Da Ponte『Il Ricco d'un giorno』([1784年アントーニオ・サリエーリ音楽のウィーン・デビュー版の覆刻本]Citta` di Vittorio Veneto、1989)等。

図書館前の公園の中央には、青年時代の詩作に励むロレンツォの姿が銅像に刻まれ(図書館の司書の方の話では1999年作)、セッラヴァッレの博物館の少し老いたロレンツォ像とは異なり、新鮮なイメージを受けました。生まれ育った生家等何も発見出来なかったものの、彼に会えたような満足感がありました。
ロレンツォ・ダ・ポンテ銅像の走書き詩作するロレンツォ・ダ・ポンテ[追記、ウィキペディアから写真を借用] [ヴィットーリオ・ヴェーネトに着き、シャッターを押した時、フィルムの終了が分かるという不注意(日曜は商店休み)のため、写真が取れませんでした。連れ合いの走書きで代用です]

山の崖の上に遠くからでも目に付く十字架があり、町の人に訊いてみると第一次世界大戦の戦没者の慰霊碑だそうで、駅に帰ってきてホームから見上げると目の当たりにあり、戦死者は相当な数だったのでしょうから、いつまでもその事が風化せず、この地が激戦地だった記憶を新たにすべく、遠くからでも見えるように掲げられているのではないでしょうか。

そんな事を思い出しながらの映画鑑賞でした。次回は彼の『回想録』の巻頭の評伝の一部、ヴェネツィア時代の彼の事を訳出してみます。
  1. 2010/05/01(土) 00:02:24|
  2. | コメント:4
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コメント

こんにちは! この映画は新しいのでしょうね、例によって知らずにおりましたが、面白そうですね。 そうなんですね、ヴェネツィアから追放されてヴィエンナに行き、サーリエリにあい、仕事を貰ったとか。 となると、モーツァルトよりも先にサーリエリとの縁があった事になりますね。
こういうのが不思議な縁ですね。
それにしても、追放刑になる程女遊びをした、というのが面白いですね。
次回の評伝のお話も楽しみです。

奥さまのスケッチ、大変楽しいですね。 生き生きとその場の気持ちが伝わって来ます。
見せて頂いて、有難うございます!
  1. 2010/05/06(木) 16:51:01 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
そうなんです、ゴリーツィアからVienna には、マッツォラという詩人の紹介状を
持って、サリエーリに会いに行っています。その時は相手にされず、一年間
ひっそりと暮らし、一年後にサリエーリが皇帝への紹介の労を取ってくれた
そうです。モーツァルトに会ったのはその後です。
ヴィットーリオ・ヴェーネトからの帰りは、コネリアーノでヴェネツィアへの便に
乗り換えました。一時間以上の待ち合わせがあり、絵は駅の外に出て妻が
慌ただしくスケッチしたものです。その時御存じ上げていれば、町を見る目が
違っていたと思います。Oderzo など電車は通っていないのに描いてあるのは、
私が地図を見間違えて、列車から見えたその町をそう言ったからです。
頂戴したダ・ポンテからカザノーヴァへの手紙も訳してみたいと思います。
PS=この映画は2009年作の映画で、2001年から始まった五月の連休の
「イタリア映画祭」に合わせて上映されたもののようです。どちらもイタリア
文化会館が後援していますから。
  1. 2010/05/08(土) 03:46:19 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

こんにちは!  昨夜コネリアーノの近くのグラッパ蒸留所見学の記事をアップしたのですが、その創業者がロレンツォ・ダ・ポンテと縁続きである事から、こちらの記事にリンクさせて頂きました。
いつも事後承諾で、申し訳ありません。 どうぞよろしくお願いいたします。
  1. 2012/12/12(水) 06:55:36 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
私の blog、皆さんに読んでもらえればそれに越した喜びはありませんので、どんどん
使ってやって下さい。と言っても、使って頂けるような興味ある事を殆ど書いていないので、
それは無理というものですが。
しかしかつてNHKで、イタリアで一番興味がある町の1位にヴェネツィアが選ばれたことが
ありましたので、皆さんの興味の後押しになればと思っています。実際のヴェネツィアという
より、本を通してのヴェネツィアですので、なかなか「興味の後押し」とはいきませんが。
  1. 2012/12/12(水) 08:25:41 |
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  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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