イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

TV『ベネチア 夏編』と映画『Beautiful Islands』

昨年、BSで放映されたヴェネツィア歩きのTV『ベネチア 夏編』が先日7月9日、NHK 総合で再放映されました(再放送は7月16日)。毎年のようにこの地を訪れた者にとっては、このシリーズは懐かしい限りの場面の連続です。この街歩きシリーズの第一回にはヴェネツィアが選ばれ、冬のヴェネツィアが前・後篇と二度に渡って放映されました(先日7月27日には、ヴェネツィアがベスト・ワンに選ばれた『あなたが選ぶイタリア絶景50』の再放映もありました)。

私にとってこの『ベネチア 夏編』で感銘的だったのは、その後半で登場するサン・マルティーノ教会の場面です。画面右の教会からカメラは教会前広場から左へパンし、運河沿いの建物を舐めていきます。橋手前のゴシック式窓の館をカメラは捉え、再びカメラは教会に戻っていきます。このゴシック式の館はこの近辺では珍しく、2階、3階はオジーブ式の三連窓の両脇に monofora が設置され五連窓風であり、屋上にはアルターナがあります。

大聖年2000年末冬、私は二度目の語学留学で、語学学校のマッシモ先生の家を借りることになっていました。そのゴシック式の館は彼の母堂の持物で、その、ある階を借りることになっていたのですが、突然市の方針でここが修復されることになり、館全体がテントを被ることになったのです。急遽マッシモ先生は直ぐ近くの自分の住宅を私達に明け渡し、自分は母親とテントを被った館に移り住むことにしたのでした。

到着時は取り敢えず、この館の2階に荷物を置かせて頂き、後で彼の部屋へ案内して貰いました。ソルボンヌ大学を優秀な成績で卒業したという彼の応接間の壁面は、壁一杯に大変な量の仏語の書籍が占めていました。

そのアパートはアルセナーレ脇のド・ポッツィ(Do Pozzi)広場から北へ入るマーニョ(Magno)通りにありました(この広場については2007.10.28日に書きましたCampo Do Pozziで触れており、映画『ベニスで恋して』の後半で、その一場面が登場します)が、このアパートで体験した初めての事があります。朝5時ぐらいだったでしょうか、サイレンが3度鳴り、その後ぷっつりと鳴り止みました。最初思ったのは、すわ、火事!ということでした。

朝起きて学校へ行こうとすると、橋など運河近くは全て水で覆われ靴では歩けません。帰宅し、靴を長めのビニールで包み、学校近くのサン・バルナバ広場までは何とか辿り付けましたが、サンタ・マルゲリータ広場の学校前のカナール埋立通り(rio tera` Canal)は水が深く、水が引くまで拳骨橋で待ちました。その日帰校時、アックァ・アルタ用の長靴を買いました。朝のサイレンはこの高潮の予告と商店に商品を高みに移すように警告するサイレンだったようです。

ヴェネツィアの映画をやっているというので、恵比寿ガーデンシネマに見に行ってきました。海南友子監督のこの映画は、題して『Beautiful Islands』。この映画は地球上から消えようとしている島、南太平洋のツヴァル、ヴェネツィア、アラスカのシシマレフ島の3島を消滅寸前としてドキュメントしたフィルムです。
Beautiful Islandsツヴァルの現状は恐ろしいばかりです。南太平洋の孤島です。ヴェネツィアはすぐ傍にテッラフェルマがありますから、ツヴァルよりは深刻ではないでしょう。ヴェネツィア人の言わば楽天的なところは、ツヴァルやシシマレフと違って、ヴェネツィア島を作り上げた一千年も前の建国の初期から、高潮 acqua alta を何とかクリアーしようという努力を毎年繰り返してきて、高潮を凌いできたことにあると思われます。

しかし毎年確実に数度やって来る高潮を何とかしようと、何年か前から、モーゼ計画という防潮壁の建設工事が始まっていますが、ヴェーネタ潟の自然を壊すとしてモーゼ計画に反対する派と工事推進派の対立が激しく、工事はスムーズに機能していないようです。2008.10.26日に書いたアックァ・アルタ(高潮)も参考までに。

高潮は次の5条件が相乗的に重なると引き起こされると言います。①10~12月にアフリカからシロッコという季節風が北上してきます。特に気圧が低くなるとアドリア海の海面を押し上げます。②ヴェネツィアでは1日の干・満潮の差が120㎝あるそうです。③新月満月の時もアドリア海の最深部の潮が高くなります。そして④地球のユースタシー(eustacy)現象、即ち地球上の海面上昇。ツヴァルはこの現象の影響をもろに受けています。ヴェネツィアの場合かつては年、数度だった高潮現象が度々になったことです。今では対岸本土側の地下水の汲み上げは禁止され、⑤地面沈下は冶まったものの、地面は確実にかつてより沈下したままなのです。これらが重なって高潮が島を沈めそうな時は、3時間前には市はサイレンを鳴らし、商人達に注意をアピールしていました。現在では携帯電話等でも注意を喚起しているそうです。
  1. 2010/07/31(土) 00:02:28|
  2. ヴェネツィアの街
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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