イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ヴェローニカ・フランコ(1)

マーガレット・ローゼンタール(Margaret Rosenthal)の小説『The Honest Courtesan』をマーシャル・ハースコヴィッツ(Marshall Herskovits)監督が映画化して『Dangerous Beauty/A Destiny of her own』として公開した映画『娼婦ベロニカ(伊語題名 Padrona del suo destino)』(1998)は、女主人公のベロニカ・フランコと対立する男達との会話の絡みが大変面白い映画でした。
ベロニカ―1ベロニカ―2彼女はヴェネツィアに生まれ、詩も書く高級娼婦(cortigiana onesta)となり、後世に名を残した女性でした。映画はチネチッタで撮られたそうで、現実のヴェネツィア風景は登場しません。
ルネサンスの高級娼婦ポール・ラリヴァイユ『ルネサンスの高級娼婦』(森田義之・白崎容子・豊田雅子共訳、平凡社、1993年8月25日発行)によれば、ルネサンス時代、詩を書いた高級娼婦と言われた女性達には、先ずローマで活躍した(詩作は行った{当時の文学者の証言}が詩そのものは残っていない)インペリアがあり、ローマに生まれ、各地を渡り歩いたトゥーリア・ダラゴーナは、ヴェネツィアでは最も人気の高いサロンの一つの女主人となったとあります。

そのヴェネツィアでは2009.05.02日のブログ《文学に表れたヴェネツィア――ガースパラ・スタンパ(1)》でも書きましたが、彼女がサロンを構えています。そして今回の主人公ヴェローニカ・フランコ(1546ヴェネツィア~1591.07.初旬、ヴェネツィアで熱病のための死)が一方にいます。

この本によれば、彼女の出自は「《上流市民》という特権的な階級に属しており、この階級はしばしば貴族と庶民の中間の一種の官服貴族と同等に扱われた」という階級でしたが、母親も娼婦だったそうです。
アルヴィーゼ・ゾルズィ『ヴェネツィアの高級娼婦』Alvise Zorzi『Cortigiana veneziana――Veronica Franco e i suoi poeti 1546-1591』(Camunia editrice srl, 1986)によれば、「『全ヴェネツィアの主だった光栄ある花魁達のカタログ。その名前、周旋者名、所番地[…]、更に紳士が渡すべき代金。付言: 優雅に登楼されますように。』[『ヴェネツィアの花形娼婦総覧』のこと]と題されたカタログが、無名の A.C.の編集で発行されており、その中には≪サンタ・マリーア・フォルモーザ広場の Vero.Franca(ヴェローニカ・フランカ) pieza so mare(仲介は彼女の母親)、2スクード≫と書かれています。
サンタ・マリーア・フォルモーザ広場カナレット『サンタ・マリーア・フォルモーザ広場』ヴィゼンティーニ板刻のフォルモーザ広場ベルナルド・ベッロットのサンタ・マリーア・フォルモーザ広場[左はマリエスキ(Michele Marieschi)の版画、中左はカナレット『サンタ・マリーア・フォルモーザ広場』、中右はそのカナレットの絵をヴィゼンティーニ(Visentini)が板刻したもの、右は Bernardo Bellotto の描くサンタ・マリーア・フォルモーザ広場]

そして彼女が母親の斡旋で、自分の体を日常的に売りに出しているということがあり、その母親自身も同じく≪カタログ≫で明らかなように、仲介なしで同様な商売をしていました。『カタログ』曰く、≪サンタ・マリーア・フォルモーザ広場の Paula Franca は pieza lei medema(仲介は本人自身)、2スクード≫」と筆者は書いています。この2スクードは極めて低い価格だったそうですが、それは駆け出し時代の料金だったようです。

『ルネサンスの高級娼婦』は述べています。
「彼女はヴェネツィアでも屈指の旧家の一つであるヴェニエール家の邸にとりわけ足繁く出入りしたが、そこではヴェネツィアの名だたる文人たちが定期的に集い、その中には『エルサレム解放』の作者の父ベルナルド・タッソからパードヴァのアッカデーミア・デリ・インフィアマーティの中心人物であったスペローネ・スペローニまで、また印刷業者のパーオロ・マヌッツィオ[アルド・マヌッツィオの息子]からピエートロ・アレティーノまでがいた。
……
ヴェローニカは1575年に詩集を出版し、それをマントヴァ公に献呈している。……

みずみずしい薔薇や百合や菫が
わたしの熱い溜息に吹かれて枯れてしまった
太陽までがわたしを哀れんで翳(かげ)るのを見た。 

涙でうるむ眼であたりを見渡すと
川の流れは止み 海も怒りをしずめた
わたしの苦しみを哀れに思って。

ああ わたしのむごい悩みを聴こうと
いくたび 木の葉はさわぐのを止め
いくたび 風はそよぎを止めたことか!

ついには わたしがどの道を通ろうとも
わたしにははっきり見えるのだ
わたしの悩みのために石まで涙するのが。」
  ――ポール・ラリヴァイユ『ルネサンスの高級娼婦』(森田義之・白崎容子・豊田雅子訳、平凡社、1993年8月25日発行)より
  1. 2010/09/18(土) 00:05:59|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは! ポール・ラリヴァイユ著ルネサンスの高級娼婦 は興味深そうですが、
この作者はフランス人ですか? 本の下部にイタリア語で書かれていますが。
あのベロニカの映画もなかなか面白かったですね。ヴェネツィアの風景は、ヴィスコンティ
が写すとまさに等身大に感じるのですけど、そうでないとやはり少し違う空気になりますね。
まぁ、この映画はセットなのですが。

下の方も拝見して、ゲーテの事、ヴェネツィアの劇場の様子、あれは本当に可笑しく
生き生きとして様子がよく分かった事など思い出しました。
ジュスティニアン家のオルサートですか、こういう人物の様子を書いて教えて頂くと、
途端にその人物が目の前に見えるように浮き上がり、こういうのが本当に楽しいです!

ベロニカの次も楽しみにしております!
  1. 2010/09/21(火) 14:32:50 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
『ルネサンスの高級娼婦』を初めて読んだ時、こんな女性がいるなんて!と
ルネサンスのヴェネツィアに興味が湧きました。この本は仏人の書いた物なので、
初め少し違う、と思ったりしました。読み返して今思うのは、大変うまくあの時代
のヴェネツィアを纏めている、と思ったことでした。
shinkai さんも読まれれば、ヴェーネトに住んでいて、また少し違ったイタリアを
感じられるでしょうか。
  1. 2010/09/21(火) 18:23:39 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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