イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ヴェローニカ・フランコ(4)

Bruno Rosada著『Donne veneziane―Amori e Valori―Da Caterina Cornaro a Peggy Guggenheim』(Corbo e Fiore Editore、Venezia、2005年12月印刷)という本に、ヴェローニカ・フランコについての章がありましたので、誤訳を恐れず、拙劣な和文ですが何とか意味だけでも分かればとその一部を訳出してみました。
ブルーノ・ロザーダ『ヴェネツィアの女達』「……ヴェネツィアは当時、富と国力が頂点に達していた。しかし綻びが見え始めてもいた、特に新大陸発見後、物資の新しい流れが各地に拡大し始めていたからであった。しかし誰一人としてその事に気付いていなかった。

このような時に、1574年7月18~28日の出来事が発生する。即ち近々フランスとポーランドの国王となる筈の、ヴァロワ王家の将来のアンリ3世がヴェネツィアを訪れたのであった。その歓迎祝典は破格のものだった。ヴェネツィアはこの令名高き賓客を驚かそうとして、総額2万5千ドゥカートという目を見張る歓待費用を使ったのである。

ビロードやダマスクスの緞子、黄金の織物等で飾り付けた60艘のゴンドラに元老院議員がそれぞれ一人乗船した船列が、マルゲーラまで殿下をお迎えに参上し、ムラーノ島までお連れした。ムラーノでは盛装に身を固めた総督アルヴィーゼ・モチェニーゴ[1世、1570~77]が、豪華な制服で着飾った、盾と槍を手にした60名の兵を従えて出迎えた[2010.03.06日に書いた《バルバリーゴ館》の正面右を飾るモザイク画はこの時のアンリ3世を題材にしたものですビオンディ館からロレダーン・チーニ館まで)》。

黄と青のタフタ織で着飾った400人のダルマツィアの操舵手が漕ぐラグーナ警備隊長のガレー船に殿下を乗せ、リード島のサン・ニコロまで案内した。そこには大建築家パッラーディオの設計になる奉迎用の舞台が建てられ、それはティントレットとヴェロネーゼの両巨匠が装飾を施していた。
パッラーディオ設計のアンリ3世歓迎門ガブリエール・ベッラ『アンリ3世の入市』[左、パッラーディオ設計の奉迎門と歓迎ポルティコ。右、ガブリエール・ベッラ画『アンリ3世入市時の歓迎の模様』]  ブチントーロ船上でのミサ終了後、そこからゼッキーノ金貨で飾られた絢爛たる装いの別の船で、フォースカリ宮殿まで赴いた。その邸館が彼のヴェネツィア在留中の邸宅として提供されたのだった。

そして彼のヴェネツィア滞在10日間は、祝宴、舞踏会、饗宴と、豪華絢爛たる光景が続いた。というのは、富裕なヴェネツィア貴族達は外国の君主に自分達の富を見てもらおうと祝宴や饗宴の華を競ったのだった。

若い王はその時23歳だった。黒い顎鬚は善良さを示す風格を強調していた。一言で言えば、美男だった。ある時誰かに自分の欲望の事を口にしたに違いない。いずれにしても、妹のマルゲリータ[マルグリット・ド・ヴァロワ、有名な王妃マルゴ]に似ていたなら、兄妹とも烈しい性欲で知られていたように、彼もまた欲望を抑えるのは難しかったに違いない。

だがしかし、ヴェネツィア共和国にとってこの歓待は神聖なことであった。賓客のあらゆる欲求とは一つの厳命なのである。王に対して一人の娼婦を差し向けるというのは、この場合状況に合っていたに違いない。

ヴェローニカは29歳だった。フランチェスコとパーオラ・フラカッサの間に1545年誕生した。美人で、教養があり、洗練されていた。彼女の仕事はよく知られていたが、ヴェネツィア貴族の上層の人々との付き合いがあり、友情を培っており、最上のサロンへの出入りを許されていた。

彼女は医師パーオロ・パニッツァと結婚し、既に離婚していた。6人の子供達がこの人物との間になしたものであったかどうかは不明である。しかしこの結婚を取り止めたヴェローニカの態度が結び付くのは階級の違いであった、とは考えられていない。彼女の家は貴族に次ぐ上層の社会階級である《本来の市民階級》に属していた。

この階級からだけ、共和国の官僚組織のメンバーが排出されるのだった。しかし父も妻パーオラ・フラカッサが売春するのを認めていた。そうした事が大きなスキャンダルを引き起こさないと思われていたようである。

その時ヴェローニカ・フランコ(というより、ヴェローニカ・フランカについてである。何故習慣でこんな風に女性形の姓で全ての史料が書かれるのだろうか)以上に、お相手として最上である著名な賓客を誰がもてなすことが出来たであろうか。

そして更に、作家ダーチャ・マライーニはヴェローニカの精神状態を忠実に描き、彼女に言わしめている。
≪殿下は何もお支払いにはなりませんでしたわ。だってこれは私には最高の栄誉だったということですもの。お分かりになります? 私と愛を交わしに来られたんじゃない……。そのためだったら、私より百倍も美人で、若い人がいるじゃないですか。私のエスプリをご覧になりに見えたのよ。……≫[『Veronica, meretrice e scrittora』(Bompiani、1992)からの引用でしょうか?]

カトリーヌ・ド・メディシス(Caterina de' Medici)の息子アンリは、優しくお相手を勤めた人の肖像画とその相方が彼に捧げた2篇のソネットを手にしてヴェネツィアを発った。……」
  ――Bruno Rosada『Donne veneziane――Amori e Valori』(Corbo e Fiore Editore、2005.12.)
  1. 2010/10/09(土) 00:00:38|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:4
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コメント

こんばんは! お久し振りです。 
今夜アップの記事で、コネリアーノにあるキプロス王の家と呼ばれる建物、そして、アンリ3世のコネリアーノ訪問を載せましたので、彼を迎えてのヴェネツィアの歓待ぶりについては、こちらに、と勝手にリンクさせて頂きました。 どうぞ、よろしくお願いいたします。
そして、記事にも書いたのですが、私のちょっとした疑問についても、いとも明快にこちらの記事が答えて下さったのでした。 有難うございました。
  1. 2012/12/03(月) 00:52:26 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

アンリ3世

shinkai さん、コメント有り難うございました。
コネリアーノでの初めての個展、気遣いが大変だったろうと推察します。
アンリ3世とキプロス王の探索、ご苦労様でした。私も読ませて頂き、色々刺激を受けました。
アンリ3世のよりトータルなヴェーネトでの動きが分かってきたように思われます。
以前書かれたフェルトレのパンフィーロ・カスタルディのことを読んでイメージが膨らみ、
ヴェネツィアの印刷・出版のことが書けたのを思い出します。
有り難うございました。
  1. 2012/12/03(月) 11:33:48 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #j9tLw1Y2
  4. [ 編集 ]

pescesrudoさま、

はじめまして。
shinkaiさんのブログからお邪魔いたしました。
こちらのブログも実は以前から時々お邪魔していたのですが、なにしろヴェネツィアは敷居が高くて。
われらがローマは「いなかもん」ですし、pescecrudoさんのお書きになる内容もいかにも高雅で名乗りを上げるのを臆しておりました。

ヴェネツィアの高名な遊女について、またまったく知らなかったアンリ三世のヴェネツィア訪問について興味深く拝見しました。ヴェネツィアは美男美女や才能ある人物がわんさかいて羨ましいです。
ローマの貴族は肥満が多いんですよ。やはり書くほうとしては美男のほうが断然励みになりますよね。
画家のカルパッチョについても今からお邪魔いたします。

shinkaiさんのご縁でまたよろしくお願いいたします!
  1. 2012/12/04(火) 14:57:52 |
  2. URL |
  3. cucciola #jSCqFZbg
  4. [ 編集 ]

Cucciola さん、コメント有り難うございます。
Piacere mio。
shinkai さんのブログで Cucciola さんのブログを知り、ヴェーネト関係のものから少しずつ拝見させて
頂いています。
私の場合、初めてのイタリア旅行でヴェネツィアにすっかりはまってしまい、以後のイタリア旅行には
必ずと言っていい程ヴェネツィアを絡める結果になってしまいました。
語学学校もヴェネツィアでした。
東京にいると、ブログを書いていて疑問が湧いても直ぐに確かめに行くという訳にはいきません。伊文化会館
図書室という手はありますが、ヴェネツィアに拘っていると万能という訳にはいきません。
今後ともよろしくお願いいたします。
  1. 2012/12/05(水) 12:34:16 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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